まちづくりデザインワークス


       

「もんじゃタウン」と「タワーマンション」の対照は、やむを得ずの結果か、計画か・・・

 月島駅前第一種市街地再開発事業施設建築物から

 月島は再開発すべき地区である。よく手入れされた鉢植えの並ぶ路地を見て「このまま残したい」などと言うのは、よそ者の勝手な郷愁にすぎない。密集した街のたたずまいは、ときにある種の成熟したコミュニティの存在を感じさせるものの、その狭さと古さは、必ず造り替えなければならない都市計画の課題である。
 しかしながら、だからと言って、隣近所の家々の生活がにじみ出てくるような、すれ違う度に挨拶を交わさざるを得ないような、そうした路地空間を、全面的にスーパーブロックの超高層ビルと公開空地に置き換えるのだとしたら、たとえ地権者の合意形成に大変な努力を傾注したとしても、ありふれた街に変わるだけだろう。本家が隣にあるのに第2の銀座・日本橋を目指すなら、月島は月島でなくなることになる・・・

路地に面した古い長屋(1)

江戸時代の町割にできた関東大震災後の応急住宅街

 

  • 月島の埋め立てが完成したのは、明治25年(1892年)。江戸時代の町割に従って、60m(20丈)×120m(40丈)の間隔で配置された3間(5.45m)、6間(10.91m)の道路によって街区が構成され、街区を幅1間(1.81m)の路地が4〜6本通るようになっている。
  • 戦災を受けていないために、関東大震災後の応急住宅街を引き継いだような棟割りの長屋が、路地を挟んでぎっしりと建ち並ぶ、というのが月島の原風景である。

路地に面した古い長屋(2)

 

  • また、月島は、都心に直近の地域でありながら、隅田川によって隔てられていた。
  • 深川方面からは1903年架橋の相生橋があったが、京橋方面からは、1940年に勝どき橋が架かるまで、渡船しか交通手段がなかった。その後、佃大橋が1964年に完成して佃の渡しは廃止されたが、交通の不便は変わらず、バスと都電が頼りだった。
  • 佃では1986年に大川端リバーシティ21の開発が始まり、月島でも営団地下鉄有楽町線月島駅が1988年に開設されるようになるのだが、それまで、道路に面した工場や倉庫の跡地にマンションが建つことはあっても、街区の中の路地を中心とする街のたたずまいに大きな変化はなかった。

月島の路地

路地空間を更新する   - 街並み誘導型地区計画 -

 

  • 月島は、ごく最近まで建て替えがほとんど進んでいなかったが、その理由としては、長屋の建物が多く権利関係が複雑であったことなどもあげられている。が、最大の問題は、道路と敷地の狭さである。
  • 敷地は幅員4m以上の道路に接していなければならないという建築基準法の原則によれば、路地の中心線から2m後退した境界線を道路と敷地の境界としなければならない。そのため、狭い敷地はさらに狭くなり、かといって道路からの斜線制限も加わるから高くもできずといった具合で、建て替えにすることで、さらに狭くなりかねないのである。 

路地に面した住宅の個別建て替え

 

  • このため、早くから共同化が提案されてきた。
    1975年、戦後30年を経過しても月島1・3丁目は約6割が戦前の建物であったが、このとき提案されたのは、日頃つきあいのある路地の両側に面した住宅の共同化である。これは、路地を挟んだ10間(18m)×29間(52m)の区画を両端の道路にそれぞれ接するように二分した460u程度の区画を一つの敷地として、4〜5階建ての共同住宅を建てて路地を廃止する、というものであった。
  • しかし、こうした十数戸を単位とする小規模再開発は容易には進まず、90年代には個別建て替えによる修復型の再開発が提案されるようになった。
  • 1997年11月に決定された「街並み誘導型地区計画」は、路地を幅員2.7mの「通路」として位置付け、この「通路」を挟んだ区画を一団地として区画内の住民が合意すれば、路地の中心線から2m後退する「みなし道路」の扱いを廃止するというものである。これで、路地空間を生かしつつ、路地に面した敷地での個別建て替えは容易になった。

中央が第一種市街地再開発事業、その手前のクレーンのあるところが工事中の西仲通りタワーマンション

月島駅前地区第一種市街地再開発事業施設建築物

一方で、スーパーブロックの再開発も進んだ

 

  • 一方、月島の既成市街地でも従来型のスーパーブロックによる再開発が行われている。月島2丁目の第一種市街地再開発事業は、従前権利者150人という一街区について、「街並み誘導型地区計画」より4ヶ月ほど早く都市計画決定されたが、約5,860uの敷地に容積率の最高限度860%(事業計画認可では775%、指定容積率は商業地域600%、第2種住居地域400%)、38階建て、高さ134mという超高層タワーマンションである。
  • それで、月島地域の「街並み誘導型地区計画」合計8地区70.8haの中をくり抜くように、「再開発地区計画」の区域がわずか1.0haだけ定められているのだが、これは奇妙と言えば奇妙である。
  • 「街並み誘導型地区計画」では、整った街並みの形成を図るために、地区の性格や前面道路の幅員に応じて、建物の高さの最高限度を定めている。路地を「通路」として指定していない「一般街区」の場合、商業地区でも高さの最高限度は37mである。この高さの3倍を超える超高層が真ん中にあるというのは、果たして、どのような位置付けで計画され許容されているのやら、不思議な感じもする。
  • もっとも、このタワー、最高に眺めはよい。
    しかし、残念なことに、駅前にあって水際にないため、隅田川方面の眺望を遮るような位置に32階建てという別のタワーマンションが工事中であった。

西仲通り入口から

「総合設計」の「総合」は、どこまで「総合的」なのか・・・

 

  • この工事中のマンションは、西仲通りの入り口にあった。昔の地図を見ると、やはり他の街区と同様に100人を超える住民がいたと思われるが、最後まで残った「事業協力者」は、どうやら11戸のようだ。
  • 計画地には路地もあったようだが、「街並み誘導型地区計画」には「通路」の指定はなく、「一般街区」(商業地区)として位置付けられている。従って、ここでも、高さの最高限度は37m。ちなみに、容積率は指定容積率のままで、商業地域500%である。
  • では、なぜ、99.95mという超高層が建つのか。
    それは、市街地住宅総合設計による容積の割増について東京都から許可を得ているためである。許可は容積率だけだが、「街並み誘導型地区計画」のほうで、容積率も最高高さの制限も、総合設計を受けた建物は「適用しない」ことにしているのである。

西仲通り向かい側から

西仲通り・計画地は右側遠方クレーンのあたり

 

  • これを、東京都の「地区計画マニュアル」は、次のように整理している。
    • 地区計画の区域内で総合設計制度の適用を考える場合、地区住民の合意のもとに地区計画は地区の特性に応じて定められたルールであるから、地区計画を守ることが大切である。
    • しかし、総合設計制度を適用しても、地区計画の趣旨に対して何ら問題のないことも想定されるので、この場合には、建築条例で総合設計制度の適用除外の旨を書いておく必要がある。
  • なるほど、この地区の場合は、条例だけでなく、あらかじめ計画書にも書いてあったわけだ。だが、本当に「地区計画の趣旨に対して何ら問題のない」ことだと、地域住民は理解していたのだろうか? 
  • 実は、この建物、計画の見直しを求める都議会への請願の署名は1万人を超えたのである。法定事業とはいえ同じような規模の超高層が、わずか1ブロック隔てて建っていることを考えると、建築紛争は地雷のようなもので、どこで地雷を踏むかは運次第のようにも思われる。
  • しかし、両者にも違いはあった。一方は幅員36.36mの清澄通り、一方は幅員10.91mの西仲通りで、「もんじゃタウン」のメインストリート、向かいは区立住宅という立地の差は、かなり大きかったということだろう。

清澄通り反対側から

  • 結局、反対の請願は都を動かすことはできなかった。というより、請願が都議会で審査される前に総合設計は許可されていたのである。自分たちで勝手に決めたルールのとおりに「粛々」と進めておくことが(これは政治の常套句だが)、都の行政官の考える「公正中立」というものなのだろう。
  • こうして、結局のところ、せっかく作った「街並み誘導型地区計画」も、なにやら都と区でわかりにくいものにしてしまっている感もあるのだが、住民はどう思っているのだろう?
  • とてもよくできた地区計画。しかし、自力で何でもできる大規模土地所有者は、個人であれ団体であれ、計画する前から好き勝手に振る舞いたがるのだ。だけど、そうだからといって足して二で割る計画では「まちづくり」なんてできない。そういう確固たる信念を持ったプランナー、計画、制度の運用のほうが私の好みには合うのだが・・・・・(2002.5.2)

 



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