九州のたび('98年4月24日〜4月29日)
九州北ワイド周遊券

 社会人になってからというもの、長い旅に出るチャンスがないまま2年間が経ってしまった。休みをとれない訳ではないが、やらなければならない仕事は誰も片付けてくれる筈もない。それに、休日は平日のハードな疲れをとるべく半日Sleep、そして午後は起き出して残務整理なんて日々も多い。
 今回、意を決して6日間のぶらり旅に出かけたのは、周遊券がなくなる、ということと、仕事などで疲れた体と心のリフレッシュをしたい、ということがきっかけだ。
旅立ちにあたって、4月27日、28日の2日間の休暇取得、その間の仕事の段取りを調整、そして3月中に周遊券と帰りの寝台特急「はやぶさ」B寝台個室の寝台券の確保(仕事の途中で駅までちょっと寄り道したんだけど・・・・)などと少しずつ準備を整えていった。
 いつもそうだが、実際に旅をはじめる前の準備の段階は「ちょっとずつ旅のイメージが膨らむ」ことで、これが結構楽しいものだ。たった1枚の切符でも、旅先の光景が浮かんでくるような気がしてわくわくする。
 こうして徐々に旅のムードは高まっていったのだが、仕事の段取りがついて、本当に休んでも大丈夫そうだ、という見通しがたったのは出発の前日のことであった。


・4月24日(金)
郡山22:07(やまびこ60号)東京23:43(375M 快速ムーンライトながら)[車中泊]ムーンライトながら 指定券

旅のはじめは仕事に追われて・・
 せっかくの旅立ちも、仕事に追われて最終の新幹線に駆け込みセーフ! まったく社会人はキビシイ。それでも、何とか家に帰って一風呂浴びる時間はとれたのは幸い(夜行列車ってのは風呂がないからねえ)。東京まではZZZ。最終の新幹線なんで、車内の皆さんもおとなしく、「お疲れモード」とでもいうか、独特の雰囲気。
 東京からは、「大垣夜行」で有名な「ムーンライトながら」の車中泊。学生時代はよくお世話になった列車だ。考えてみれば、今日のように金曜の仕事を終えてから乗ることができる夜行列車は社会人にとっても使いようによっては価値ある存在かもしれないな。
 昔は席取りのためにずいぶん前から並んで乗った記憶があるけど、今は全席指定なので席のことは心配しなく良いのが安心。今日は青春18きっぷの時期ではないこともあって、4割ぐらいの乗車率でゆったりと座れた。
 おかげで、なのかどうかは知らないが、ホームのキオスクは全部閉まっていて、「おやすみビール(?)」の調達のため、八重洲改札口前まで走った。(そんなにまでして飲みたい訳でもないのだけど・・・・)。
 さすがに座席夜行で寝るのは窮屈だが、ビールと仕事の疲れのせいで眠りについた。


新幹線 特急券・4月25日(土)
(375M)6:05名古屋6:21(ひかり181号)7:31新大阪7:53(のぞみ505号)10:10博多
10:22(かもめ9号)11:09肥前山口11:11(普通)11:46有田11:53(松浦鉄道)12:17伊万里
12:54(松浦鉄道)13:36松浦14:05(松浦鉄道)14:29たびら平戸口15:04(松浦鉄道)
16:27佐世保16:45(シーサイドライナー17号)18:20長崎500系のぞみ

長崎[泊]

新幹線は速かった!
 
夜行明けの朝は早い。普段だと夢の中である6時過ぎには名古屋駅のホームに立つ。久しぶりに乗った座席夜行だったが、新しい車両でなかなか快適に過ごせた。とはいえ、座席の夜行では特に足元が窮屈(足が長い・・と言いたい訳ではないけど。笑)だ。すいてさえいれば、向かいの席に足を投げ出してワンボックス4人分を独占、または2人で足を伸ばし合って座れた昔のほうが足は楽だったかもしれない。
 名古屋からは新幹線に乗り換え。外はあいくの雨となってしまった。どうせ列車で移動中なんだから天気なんかどうでも良いようだが、やっぱり雨だと憂鬱になってしまう。「天気は西から東に移動するんだから、九州ではもう雨はあがっているかなー」なんて思っていると、京都を過ぎたあたりからは薄日が差してきた。
 新大阪からは「500系のぞみ」という新型列車に初挑戦。先頭がとんがっている何とも未来的な新幹線だ。ぐんぐん加速してゆき、あっという間に岡山、広島・・・・と着いてしまった。運転士から「ただいま300km/hで走行中です。世界最速の走りをお楽しみください。」なんて放送が入るのは飛行機みたいで新鮮。LEDの案内でも「ただいま300km/h」なんて知らせてくれるが、やっぱり運転手から生のアナウンスが入るのは臨場感が違うよなー。そんなことを思っているうちに、10時10分、定刻に博多に到着した。新大阪から2時間17分、もうちょっと乗っていたかった、なんてちょっと物足りなさを感じつつ見上げた九州の空は、青空の良いお天気だった。

松浦鉄道 フリーきっぷと整理券九州上陸! 
 いそいそと乗り換え通路を歩き、シルバーの車体がまぶしい「かもめ9号」に乗り込む。九州の列車は、独特の塗装、内装が随所に見られるのが特徴だ。学生時代の某友人いわく「九州の車両は原色・文字・ロゴべたべたの派手外装で下品だ!」なんて吼えていたのを思い出す。
 今日は長崎に泊まる予定で、それまでは全く自由に動ける。と、いうわけで、まだ乗ったことのない松浦鉄道・西九州線に乗ることにした。佐賀の手前では右側に「吉野ヶ里遺跡」のでかい看板があったが、この先800m(だったと思う)っていうのでその方向に目を凝らしたが何も見えなかった。肥前山口からは佐世保線の普通列車に乗り換えて有田まで移動。有田はGW中陶器市で賑わうらしく、すでに町じゅう「歓迎 陶器市」の表示でいっぱいだった。
 窓口でMRフリーきっぷ(1,700円ナリ)を購入。土休日のみ有効だが、全線通しで2,160円かかるのだから、通しで乗るだけで十分もとがとれ、しかも乗り降り自由なのはありがたい。それと、ワンマン列車でいちいち乗り降りのたびに小銭を気にする必要がないのも隠れた利点だ。
 のんびりと各駅に止まりながら24分で伊万里へ。ここですべての列車が乗り換えになる。すぐに松浦方面の接続があるが、次の列車にすることにして街を散歩する。海産物の店や陶器の店があって、伊万里らしさを感じる。アーケードに入ったが、歩いている人はほとんどいない。土曜日のお昼なんだから、もうちょっと人がいてもよさそうなものだが・・・・。伊万里でも過疎なんだろうか?とちょっぴり寂しくなった。実はちょうどお昼の時間帯で、何か食べようかと思っていたのだが、それらしき店も見当たらず、アーケード=街の中心=それなりに食事ができる という図式を見事に打ち砕かれてしまった。それでもアーケードを出たところに「たこ焼き」の看板があったので1パック求めることができた。

西九州、のんびり紀行伊万里のたこ焼きカード
 再び松浦鉄道のワンマン列車の客となる。先ほど買ったたこ焼きは、ご主人お勧めの「マヨネーズ」。これが結構おいしい。たこ焼きにマヨネーズと塩コショウをかけたようなもんだが、初めての味。ビールにも合うだろうなーなんて思ったりして・・・。たこ焼きと一緒にスタンプを20個ためれば1品プレゼント、なんていう「たこ焼きカード」をもらったが、まさか再び使うこともあるまい。でも、こうした物も旅の記念の楽しいグッズである。
 穏やかな海が車窓に広がるが、天気はどんよりと曇ってきてしまった。松浦鉄道10周年の張り紙がフロントガラスに張られたワンマン列車に、乗客は数名。国鉄の赤字ローカル線を引き継いだ第3セクターの松浦鉄道だが、その経営は決して楽ではないだろう、と思う。もともと儲からないから手放した鉄道なのに、沿線人口がさらに減少し、自家用車はさらに普及し・・と条件は悪くなるばかり。美しい景色とは裏腹に、考えさせられる現実だ。乗った列車は松浦止まり。松浦からは長崎県に入る。松浦は市制をしいているが、「何もない」というのが20分ほど街をぶらついた正直な印象で、商店街らしきものさえ見当たらない。駅、バスターミナルともにうらぶれた感じに包まれている。風も強くなってきて、心なしか肌寒くなってきた。
 やってきた佐世保行きのワンマン列車の乗客は3名。しかし、松浦鉄道は列車本数は多く、最低でも1時間おきには列車が走る。少しでも「便利な鉄道」にしよう!との心意気を感じる。そういえば、ワンマンの乗務員は皆てきぱきとしていて、乗客にも親切だ。「日本最西端の駅」である、たびら平戸口でも下車。対岸の平戸島を見ようと坂を下って海沿いまで散歩する。赤い平戸大橋と平戸島を眺めてから駅へ戻る。狭い坂道沿いの商店の「役場庁舎移転反対!」なんて張り紙が、海からの冷たい風に揺られている姿もなんか虚しい。
 4度目のワンマン列車は佐世保に近づくにしたがって少しずつ乗客が増えてくる。街の中心は北佐世保、中佐世保にあるらしく、ショッピングセンターにつながっている中佐世保でほとんどが下車してしまった。

シーサイドライナー 指定券
指定席、ちょっと複雑な気分
 佐世保では、伊万里で買ったシーサイドライナーの指定券が明日のものだったので急遽変更をした(買ったとき良く確認しないといけないな・・・・と反省する)。発車直前の発行だったが、3番D席。指定券が3番Aから売り出される原則を考えると、まだほとんど売れていないようだ。4両編成の一番前が指定席。案の定、佐世保発車時点で指定席に乗っているのは私だけだった。土休日のみ指定席がつくことを考えると、ハウステンボスへの観光客対策として指定席を設けているようだ。検札に来た車掌も「テンボスから」乗りますよ、という。果たしてハウステンボスからは何人かが指定席に乗り込んできた。いつもは自由席オンリー、しかも「指定席」の表示が分かりにくいこともあって、指定席と知らずに乗ってくる地元の人もいるようだ。さらに大村から大量の乗車があって、自由席が大混雑となった(らしい)こともあって、指定席にもどっと人が流れ込んできた。車掌は座席に座っている人からは指定席料金300円を回収していた。立ち客には指定料金を請求はしないという現実的な対応だ(本当はその車両にいる、ってだけで料金は必要になる筈)。地元の人にしても、指定席なんかがあるおかげで自由席が大混雑し、指定席に立たざるを得ないのに指定料金をとられるというのは迷惑な話だが、事前に300円とはいえ指定券に投資していた立場からすると、快適な車両空間を提供するのも指定席の役割であり、指定券がなく空いている指定席に座った人も同じ300円で済むことや、指定席に無料で立っている人が大勢いるというのはあまり気分の良いものではない。
 指定券を事前に買っても、乗ってみたら実際はすいていて、指定券がちょっと勿体無かったなーなんてことはよくあることで、自由席が込んでいる時に指定を持っていると良かった、と嬉しく思う。そんな時に自由席からなだれ込んだ人が差額分だけで空いている席に座れる(車掌が来ないのでタダになってしまう、なんて人もいるし)ってのはどうも気に食わないと思うのだが・・・・。こんなことを考える私って、心が狭い、ケチな人間なんだろうか??

やって来ました!長崎へ
 18時20分、定刻に長崎へ到着。三角屋根の駅は何となく南国ムードを感じさせる。ホテルにチェック・インしたが、さすがは西にあるだけあって空はまだまだ明るい。このままホテルにこもっていても仕方がないので、ぶらっと市電に乗って散歩に出かけた。とりあえず来た電車の終点・正覚寺下まで乗って、帰りは歩いて駅前のホテルまで戻った。観光通り、中華街、何となく怪しい?横丁などをぶらぶらしながらの街歩きは楽しい。エキゾチックな街、長崎ではあるが、さすがに男一人で夜景を眺める訳にもゆくまい(苦笑)。おとなしく?駅近くのちゃんぽん屋でちゃんぽんとビール、さらにいくつかのつまみをほおばってから寝床に入った。夜行明け、ってこともあってすぐに眠ってしまった。

 


長崎電軌 1日乗車券・4月26日(日)
前中は長崎市内めぐり
長崎12:00(かもめ18号)13:58博多14:00(普通)14:13長者原14:22(赤い快速9号)1427:吉塚14:34(2363M)博多14:40(普通)15:35新飯塚15:52(赤い快速13号)16:02桂川16:29(普通)16:56原田16:58(普通)17:05二日市17:14(有明26号)17:25博多18:05(ソニック23号)20:00別府
別府[泊]

長崎市内めぐりは、もちろん路面電車で
 目覚めて26日。窓の外を眺めると快晴、爽やかな朝だ。6階の窓からは山に囲まれた長崎の街の特長が良くわかる。今日はまだ乗っていない筑豊本線の桂川〜原田間、篠栗線の吉塚〜長者原間を乗ること、そして新型の「ソニック」にも乗ってみたい、というのが決まっているイメージ。行程を決める上でのポイントは、1日7往復しかない桂川〜原田間をどう組み込むか、である。
 かくしてその結論は、夕方前の列車に照準を合わせ、その後でソニックに乗り別府まで進む、というもの。逆算して12時まで長崎滞在が可能ということになり、午前中は市内を散歩することに決定!ついでに長崎電気軌道の路面電車の全線制覇も目指す。
 ホテルのフロントで電車1日乗車券(500円)を買って、荷物を預かってもらい、いざ出発。築町で乗り換えて石橋へ。適当に歩いて路地の奥へ入って行くと、孔子廟なるものの前に来た。あまり興味もなく、「いかにも中国」といった建物を門越しに見ただけで通り過ぎる。しばらく歩いて「オランダ坂」という看板を見つけ、案内に従って坂を登る。日差しがあってちょっと汗ばんでしまう。何ということもないレンガの敷き詰められた坂道だが、エキゾチックな洋館が建つ先に海が見える「いい感じ」のコースだ。何も金をかけることばかりが観光ではあるまい、っていうのは貧乏人ゆえの発想かな?
 石橋に戻って蛍茶屋行きの電車に乗って移動。途中、修学旅行らしい中学生が地図を片手に乗ってきた。お決まりのコースを集団で動くのと違って、「自分たちで動く」っていう経験は大事にして欲しい。彼らは眼鏡橋にゆくのだろうか、公会堂前で降りていった。蛍茶屋から徒歩で一電停歩いて戻って新中川町から赤迫行き電車に乗る。長崎駅、浦上と進んで終点の赤迫までは25分ほどかかった。住吉まで1電停戻って商店街を眺め、松山町で降りて平和公園、原爆資料館をたどり、浜口町から浦上駅前まではまた電車。浦上で長崎まで並行するJRにいい列車があれば・・・・と思い駅に行ってみたが適当な列車もなく、結局市電で長崎駅前まで戻った。

ちょっと遅れて、走って、駄目だった
 駅前のコンビニで弁当とポテトチップを買って、「かもめ18号」の客となる。ホーム売店で買ったビールは5円単位の端数がついていた。程よく冷房の効いた車内で弁当を広げ、ビールで昼食をいただく。有明海の美しい景色を見ながらの快適な旅。約2時間で博多へ到着。予定では乗り残した篠栗線・吉塚〜長者原間を往復して黒崎から筑豊本線を下って桂川〜原田を乗るつもりだったが、長者原で折り返した赤い快速が2分の遅れでやって来た。予定していた吉塚での乗り換え時間はわずか2分。吉塚に着くと一目散に走った走った・・・・。しかし運悪く工事中で、地下通路が曲がりくねっていてやたら長い。やっとの思いで階段を駆け上がってみると「博多方面」と反対のホーム。息を切らして階段を戻って隣のホームにたどり着いた時には、列車の姿は既になかった。(間違えて博多方面のホームに上がった時点で既に列車はなかった・・ハズ)。高校生らしい2人組が「あれっ?電車の乗り場が変わったんだ!」と話し合っていたが、つい最近から工事のため通路やホームの変更があった模様。
 まあ、旅にはこんなことは付き物で、一つが駄目になった時の次の手を編み出して行動するのも楽しみのうち。決めたことがその通りに行かなくてもいいじゃないか!。幸い、博多から篠栗線経由で桂川への短絡コースをとれば何の問題もなく予定していた桂川〜原田間の列車に乗れることが判明した。
 そうと決まればそれに従って行動するのみ。長者原まで1往復半したことになるが、篠栗線を乗り通し、時間があるのでかつての石炭の町、新飯塚まで進んでから桂川へ戻った。筑豊名物のボタ山にも緑が生えていて、時の流れと自然の大きな力を感じる。桂川のスーパーでたこ焼きを買って、黄色いワンマン列車で原田まで揺られる。かつては石炭列車で賑わったであろう路線も、いまやワンマン列車が7往復しか走らない様は諸行無常?ってことだろうか。
 原田から博多までは普通列車の予定でいたが、二日市の乗換え案内で後発の「特急有明26号」を案内したので迷わず下車。ワイド周遊券の特急乗り放題の特権をフルに活用してわずか11分の特急利用とあいなった。特急「ソニック」


特急「ソニック」 バンザーイ!
 博多からは「ソニック」に初めて乗車。九州の特急「つばめ」と共に独特のフォルム、内装は一度は見ておかなければ、と思い行程に組み込んだ。座席にミッキーマウスのような形をした背もたれがついていて、個人的には「ちょっと遊びすぎじゃないの」なんて思うが、乗ってしまえば快適な座り心地だ。わざわざ1駅、折尾まで乗るのに親子4人が30分前から並んでボックスシートに座り、子供が「ソニック、ソニック」とはしゃいでいる。そんな光景を見ると、子供に楽しみを与える「ソニック」も悪くはないなーなんて考え直したりして。気分が良くなったついでに、回ってきた「ワゴンサービス」(今は車内販売って呼ばなくなったんだね・・)からビールとシュウマイ、ソニックロゴ入りのキャップなんぞを買ってしまった。我ながら現金なものだ。
 小倉を過ぎると外は闇に包まれるが、振り子電車のソニックは快調に走る。昼間の疲れとビールの心地よさも手伝って、眠ってしまい、気がつくと別府到着の放送が入っていた。


・4月27日(月)
別府7:45(普通)7:53亀川8:03(にちりん1号)8:08別府8:27(あそ2号)11:11水前寺・・・・水前寺駅通(熊本市電)健軍町(熊本市電)上熊本駅前・・上熊本13:20(熊本電鉄)13:28北熊本13:31(熊本電鉄)13:51御代志14:11(熊本電鉄)14:37藤崎宮前・・・・熊本市役所(熊本市電)熊本駅前・・熊本15:40(つばめ16号)16:55博多17:00(博多南線)17:10博多南17:38(博多南線)17:48博多18:22(かもめ33号)20:02諫早
諫早[泊]


阿蘇の山並みを越えて
 別府からは「あそ2号」で熊本へと向かう。発車まで時間があるので、2つ隣の駅の亀川まで往復して時間を潰した。帰りはたった5分だけの特急利用で、ワイド周遊券ならでは。23分後に戻ってきた別府でお目当ての「あそ2号」に乗り換え。大分までの車窓には穏やかな別府湾が広がる。天気も快晴、フェリーがのんびりと動いている。大分からは、豊肥本線に入り、山間にどんどん分け入って行く。沿線の緑が美しい。九州で一番標高が高いという波野を過ぎて外輪山を越え、カルデラの内部へ坂を駆け下る。世界一のカルデラ式火山の阿蘇山であるが、こうしてカルデラの中にいくつもの町がある様子を見ると、スケールのでかさを実感実感。
 立野の手前で一旦停車、そしてバックする。外輪山の切れ目を下る急勾配を緩和するための「スイッチ・バック」方式である。特急といえども、そろりそろりとバックして坂を下るのは何ともノンビリしているなあー。急ぎのビジネスマンはいらいらするかもしれないが、私にとってはこんなノンビリムードも旅の楽しみだ。

 
熊本市内 電車乗りつぶし
 「あそ2号」を熊本まで乗り通さず、水前寺で下車。熊本の路面電車と私鉄に全部乗ろう、と思いしばらく歩いて市電の水前寺駅通り電停に向かう。長崎はワンコインの均一運賃100円だったが、ここ熊本は乗る距離によって運賃が変わる方式だ。そういえば、長崎は民営、ここ熊本は市営という違いもある。やって来た電車は決して新しいとはいえないが冷房つきなのが嬉しい。4月とはいえ、日差しが暑く汗ばんでいたのだ。終点の健軍町ではアーケードなどをぶらつき、住宅街の中にある「肥後ラーメン」なる店でラーメンとギョーザを食べる。店構えは小さく、少々雑然としてはいるが、味はなかなかのものだった。
 再び健軍町に戻ると、女性運転手の乗務する電車だった。こまめな肉声によるアナウンス、乗客への親切な対応が新鮮だ。途中から就職活動中らしきリクルートスーツ姿の2人が乗って来た。思えば、暑い中就職活動に動き回ったのはもう3年も前のことだ。時
御代志駅の経つのは早い!。
 終点の上熊本駅前からは、熊本電鉄に乗り換え。待ち時間を利用して郵便局まで往復したが、思ったより時間がかかってしまい、帰りは走る。すっかり汗をかいて乗り込んだのは非冷房車でちょっとがっかり。扇風機が生暖かい風を切っている。「かんかんざか」なんて意味ありげな駅にも停まり、8分で北熊本。ここで乗り換えた御代志行きはステンレスの近代的な電車で、もちろん冷房車だった。下校の小学生を駅ごとに降ろしながら終点の御代志に着いた。
 昔は菊地温泉まで走っていた熊本電鉄だが、ご多分に漏れず乗客の減少によってここ御代志から先は廃止となった。終点となるくらいだからそれなりの町だろうと思っていたが、さにあらず。ホームの片側をアスファルトで整地してバス停にした駅前には何もない。
 こんなところ?に長居しても仕方がないので、すぐの折り返し列車で藤崎宮前へ向かう。どこの駅からだったか、自転車を押して乗ってきた人がいた。熊本電鉄では自転車の持込みを認めているらしい。そういえばオランダやドイツでも学生とおぼしき連中が自転車を列車に乗せていたなーと思い出したが、これからのエコロジー時代、自転車と電車とのジョイントは面白い試みだと思う。もっとも、混雑時のスペースの問題、車内の安全性の問題、運賃をどうするか、という問題を解決する必要はあるが・・・・。

 
冷汗かいて・・・・。ビールがうまい!
 藤崎宮前から、商店街を10分ほど歩いて電車通りに出る。九州郵政局内にある熊本城東郵便局では「熊本市内郵便局マップ」なるものを発見し、それに従って熊本市役所内へ入る。かなりの順番待ち。さて、通帳を・・・・と思いバックを探すが見当たらない。もう一度あちこち探してみても同じ。こりゃ、局めぐりどころではない、と慌てて先ほどの熊本城東郵便局へ戻り、恐る恐る「通帳の忘れ物はありませんか?」と窓口嬢にお伺いを立ててみた。「そんなのあったかな?」なんて言いながらも後ろに座っている上司に聞きにいくと、果たして「ありました!」。住所を申し出て無事返却。やれやれ、である。どうやら郵便局マップを見つけた興奮?で、通帳を放置したまま立ち去ってしまったようである。旅慣れているとはいえ、油断は禁物禁物。気をつけなければ・・・・。
 そんなこともあって、今日の郵便局めぐりは切り上げ、熊本駅まで市電で移動する。熊本市役所前電停では運悪く、熊本駅方面の電車は10分待ち。熊本駅のホームに立つと同時に「つばめ16号」が滑り込んできた。ぎりぎりセーフ。
 JR九州自慢の「つばめ」は昨日乗った「ソニック」の兄貴分にあたる。落ち着いたムードの客室に腰を落ち着け、ちょっと慌しかった熊本市内電車めぐりを振り返る。タイミング良くワゴンサービスが来たので、ビールを調達。うーん、うまい!!
 3日連続でやって来た博多からは、新幹線の回送線を活用した博多南線に乗って博多南までを往復。4両編成の新幹線に買い物返りや学校返りの客が立ち客の出るほど乗っている姿は変な雰囲気だ。博多南は新幹線の車両基地があるだけの何もないところで、「いかにも新設の駅前」といった感じの駅前。降りた乗客は、バスや自転車でそれぞれの家の方向へ向かっていった。

 
諫早よいとこ 魚もうまい
 博多からは「かもめ33号」。佐賀でどっと降りてしまい、夜のとばりが降りてきたせいもあって、車内には寂しさが漂う。と、それをいいことに、靴を脱いで少々蒸れていた足に外気に当てる。(周囲に「臭い」が散ったかもしれない・・・・失礼)。肥前山口で上り列車の遅れで3分延発したのを引きずったまま、博多から1時間40分で諫早に着いた。
 駅前のホテルにチェック・インし、諫早散策へと出かける。諫早はさして大きくもない町で、市内をしばらくぶらついた後、適当な飲み屋に入った。長崎では「お酒」といえば日本酒のことをさすそうで、お酒=焼酎の図式は熊本以南でのことらしい。大将、女将さん、地元の客とも意気投合し、地元のうまい魚を肴にホテルの門限ぎりぎりまで諫早の夜を楽しんだのであった。


・4月28日(火)
諫早7:42(島原鉄道)10:28加津佐10:40(島原鉄道)11:47島原外港13:00(九州商船天山丸)14:00三角港・・三角14:43(普通)15:33熊本16:28(寝台特急 はやぶさ)[車中泊]

  
雲仙 自然は凄い! の島原半島 
 
二日酔い気味の朝を迎え、お茶をがぶ飲み。さすがに、ちと飲みすぎた。今日は九州滞在の最終日。島原半島を半周し、フェリーで三角に渡り、熊本からは寝台特急「はやぶさ」で締める。
 諌早駅前では、国労の人たちがビラまきをしていた。JRが発足してから、もうずいぶん経つが、まだ解決していない問題は多いようだ。旧国鉄の債務は一向に消えないどころか膨らんでいる現実、国鉄末期には単純な運賃収入では黒字になっていた事実を考えると、債務を旧国鉄に任せたJRはうまくいって当然。そんな中、明らかな不当労働行為を「国鉄とJRは別の事業体である」なんていかにも法律家が言いそうな詭弁で逃げようなんて卑怯なやり方だと思う。
 島原鉄道の加津佐行きは諌早駅0番線からの発車となる。ツートンカラーの気動車が2両だが、後ろ1両は途中の南島原止まり。通学の高校生、通勤の女性などで席はほぼ埋まっている。それなりに乗っているので一安心だが、朝の一番いい時間帯の列車でも「それなり」なんだから、日中の状況は推して知るべし・・・・地方の公共交通機関の状況は極めて厳しいと言えよう。
 穏やかな有明海を眺めながら、各駅に停まってゆく。島原半島の海岸を忠実に沿って走るためか、日差しが右から照ったり左から照ったりでカーテンの開閉に忙しい。何と私の席は窓が壊れていたため、窓を明けることができず、日差しの暑さから逃れるにはカーテンを閉めるしかなかったのだ。島原で殆どが下車、車庫のある南島原では切り離しのため15分ほどの小休止。車内にトイレがないため、トイレタイムと相成った。反対のホームには「トロッコ列車」が停車中。火砕流での大惨事となった雲仙であるが、その自然のパノラマを逆に観光に結びつけようという試みである。
 その雲仙岳は、島原外港の先で新しい溶岩ドーム”平成新山”の勇姿を見せてくれた。と、同時に線路が新しくなり、高架線に変わる。土石流による被害を防ぐための高架化によって不通となっていた島原外港〜深江間が再開通したのは昨年の春のこと。車窓は灰色一色で、巨大なダンプが何やら動き回っている。巨大な平成新山のそびえる中、「よみがえれ農地 雲仙復興事業」の看板が見える。自然の力の偉大さと、その前になす術のない人間、それでも復興に向けてひたむきな努力を続ける地元の人たちの存在、何とも言えない気持ちにさせられた。
 深江からは再び何事もなかったような美しい景色に戻る。有明海の磯の香りをいっぱいに吸い込みながら着いた終点の加津佐は町外れの小さな駅だった。

 
のんびりと船の旅
 加津佐では12分滞在してのとんぼ返り。窓の開く席に陣取り、先ほど来た景色を再び見ながら時を過ごす。駅ごとにちょっとずつ乗り降りがある。1時間ほど乗った島原外港で島原鉄道の旅に別れを告げる。しばらく歩いて島原港ターミナルへ。ここから三角までは九州商船のフェリーでの移動。出港まで少し時間があるので、港の中にある島原外港簡易郵便局と10分ほど歩いた島原湊郵便局で旅行貯金をする。平日旅行の特権(?)だ。
九州商船「天山丸」
 普賢岳の火山活動と災害の様子を展示したコーナーなどを眺めてから、「天山丸」の客となる。島原から三角への航路は、完全なローカル航路で、1日6往復の運行である。地元客と旅行者らしき乗客は10名ほど。船内には普通船室のほか特別室があるが、この程度の乗客ならば普通船室で十分だ。
 デッキから眺める青い海の景色は気分がいい。島原半島、普賢岳が白い航跡の向こうに遠ざかってゆく。オープンになっているトイレからの臭いが少々気にはなるが・・・・。天草への橋の下をくぐり、三角西港跡を望みながら、海のピラミッドと名づけられた三角港ターミナルに着いた。60分の船旅は、想像以上に楽しめたものだった。海の開放感がそうさせるのだろうか?

 青春18きっぷ ポスターの駅発見!
 港町・三角。先ほど船から見た三角西港などがある、歴史の先端をいった町だそうだ。この山に囲まれた港町が「そんなに凄かった」とは信じられないくらい、のどかな雰囲気である。そういえば駅もどっしりした造りで、ホームも長い。さらに嬉しいのは、駅の中に駅弁やお土産、うどんなどを扱うお店が堂々と営業していたこと。ローカル列車しかやって来ないこんな駅で営業を続けるのは決して楽ではないと思うが、いつまでもがんばって欲しい。早速、名物の「鯛の姿寿し」を手に入れ、今晩の食料を確保した。
青春18きっぷのポスター”赤瀬駅”!
 程よく冷房の効いた1両の熊本行きは席が半分ぐらい埋まって発車。港を後にすると峠に差しかかる。坂を登り、ちょとしたトンネルを抜けて停まった赤瀬はいい感じのムード。と、思って良く見れば、どこかで見たことのある駅ではないか。レンガ積みのトンネルを出たところにある少しカーブしたホームが1本あるだけの駅、そう、この春の青春18きっぷのポスターのモデルになった駅がここ赤瀬だったのだ。(ポスターはこちら参照)
 確かポスターには「熊本にて」と書いてあったが、熊本の山の路線と言えば肥薩線か豊肥本線だろう、なんてイメージしていた私には、三角線=海という世界だっただけに、正直驚きである。ちなみに、その後熊本駅で入手したJR九州発行のチラシには「熊本にて(三角線)」と丁寧な括弧書きがついていたのであるが・・・・。毎回の青春18ポスターに登場したモデル駅を想像し、自分の知っているところだ!、と発見するのは楽しみの一つだが、実際に旅をしていて発見できるのはもっと楽しいことだ。もっとも、今回はその18きっぷを使っての旅ではないところがちょっと残念。
 車内の乗客はそんな私の感動なんて関係なく(当たり前だけど・・)、思い思いに時間を過ごしている。山を降りて再び海岸沿いに走る。宇土から鹿児島本線に入り、熊本には15時33分、時間どおりの到着であった。

さらば、九州よ!・・・・旅の終わりは個室寝台で
 熊本では、九州を離れるにあたってやり残したことを2つ片付ける。まずは、駅から南に5分ほど歩いて田崎橋電停へ。熊本市営の路面電車で乗っていない2電停間を乗りつぶす。実乗車時間はわずか3分、たいした区間ではないが、乗らないと心残りなのでこの際、一気に片付けた。あとは今宵の飲み物、つまみの確保。駅のコンビニ「生活列車」で、明朝の食料もあわせて買い込んだ。聞くところによれば、九州内では車販すら乗務しないというから、こっちも自衛手段を講じなければならない。
 「まだまだ日中」という感じの熊本駅のホームに寝台特急「はやぶさ」は停まっていた。この春の時刻変更で西鹿児島〜熊本間が廃止となった「はやぶさ」は、ロングラン日本一の座を「さくら」に譲り渡した。しかし、この明るい時間に夜行に乗るという感覚、実際この後の「つばめ」「のぞみ」に乗れば今日中に東京へ帰れるという事実を思えば致仕方のないところだろう。
 B寝台個室の「ソロ」に陣取り、最後の晩を締めくくるべくビールを調達する。車内放送では繰り返し今晩の車内販売はないことを伝えている。16時28分、静かに動き出した。少しずつ日は西に傾き始め、「さらば九州」のムードは強まる。九州に乾杯! とビールを開け、つまみをぱくつく。特に個室寝台は乗ってしまえば何をしても良く、ベットに横たわって九州の旅を振り返りつつ、しばし一休みする。大牟田では後続の「つばめ」を先に通し、2分ほど遅れる。昨日乗った「かもめ」の姿を隣のホームに見た博多もすぐの発車。次第に闇に包まれる車窓を眺めながら、鯛の姿寿しをぱくついた。
 関門トンネルを抜けると九州を脱出。下関では5分の停車で、今宵最後の食料確保ポイントのため売店に乗客が殺到していた。さぞかし売店のおっちゃんも大変だろう。乗客にしてもこれから朝までの長旅で食事をとれるか否か、というのは重要な問題である。
 個室の中は天井がちょっと低くて窮屈感はあるものの、空調、オーディオ、読書灯の設備もあってさしたる不満はない。むしろ同じ料金の普通の開放B寝台のサービスの低さが気になるところだ。そもそも今の時代、こんな「カイコ小屋」で6300円の料金は高いと言われても仕方あるまい。寝台列車といっても、車両の設備投資を除くと、シーツ、枕などのリネン類の交換ぐらいしかコストはかかっていないはずである。まして、食堂車はおろか車内販売もないというソフト面の不備も加わって、ますます「乗らないで下さい」と言わんばかりではないか。せっかくの「寝台特急」なんだから、もう少し魅力ある中身をつくって欲しいと思わずにはいられない。そんなことを思いながら、山陽路を駆け抜ける車内で最後の夜の眠りについたのだった。


・4月29日(祝)
(はやぶさ)10:13東京・・・・上野10:45(快速ラビット)12:16宇都宮12:20(普通)13:10黒磯13:26(普通)14:45頃 頃安積永盛14:57(普通)15:03郡山

がんばれ、寝台特急!
 目覚めは「おはよう放送」最終日の朝も快晴だ。車内販売も乗り込んできたらしい。個室の場合は、そんな外の動きが分からないのが個室たる所以だ。浜松、静岡と東に進む。夜行明けの朝はたいがい寝不足気味なものだが、さすがに寝台特急、しかも個室だけのことはあって十分寝足りた。昨日調達した朝食用のおにぎりとお茶で朝食を済ます。
 車窓には富士山がもやの中で雄大な姿を見せてくれた。昨日から「はやぶさ」のサービスの悪さばかり気になっているが、在来線ならでは、のゆとりもサービス、魅力になり得るのではないだろうか?
 熱海からJR東日本に入り、旅の終盤を感じさせる。車掌がルームキーを回収にやって来た。そういえば、出雲ではカード式のキーだったが、この「はやぶさ」は普通の鍵だ。メンテナンスの面では普通の鍵の方が扱いやすいのかもしれないが、カードキーだとちょっとした旅の記念にもなるので、せっかくならカードキーのほうが良いのに・・と思う。
 横浜では後続の普通列車を待つ人が大勢ホームに並んでいた。寝台でゆったり横になっている一方で、混雑した列車を待つ人の姿を見るとちょっとした優越感?を感じるのは私だけだろうか?もっとも、逆の立場だったら、「大して客も乗っていない寝台なんか走らすんならもう1本普通列車を増やせ!」なんて思うだろうな・・・・。都心の景色も心なしかのんびりと見えるのは不思議で、時間に追われる日々の生活とは違った世界に没頭できる寝台特急のたびも捨てたもんじゃない、あとはどう付加価値を付けて行くかだ、そんなことを思いながら熊本から1316km、17時間45分の「はやぶさ」の旅に終止符を打った。

エピローグは鈍行乗り継ぎ

 東京に10時過ぎの到着というのは、いささかこそばゆい感じがする。東京に住んでいた当時なら「朝帰り(?)」の感覚で家へ帰って旅の後片付けをしてもちょうど良かったが、今の住まいは郡山。「せっかく東京にこんなに早い時間からいるんだから・・・・」という思いと、「明日は仕事だし・・・・」という思いが混じる。
 ちょっと勿体無いなー、なんて気持ちを抱きながらも、出した結論は「おうちへまっすぐ帰ろう!」と言うもの。が、しかし、まだまだ時間も早いので久しぶりの在来線利用での帰宅となった。上野から宇都宮までは快速ラビットのボックスシートに乗車、そして宇都宮の駅弁を初めて買って車内でぱくついたりと、なかなか「旅」気分を味わうことができた。片岡では駅の土手に咲いたつつじが美しい。夜間にはライトアップもあるらしく、ちょっと得をした気分になった。
 黒磯からはいよいよ最終ランナー、2両編成のワンマン列車。なのに、なぜか運転手、車掌、添乗らしき人の3人もの乗務員が乗っていた。だったら「ワンマン」なんて扱いにせず、自由に乗り降りできるようにしたら良いのに・・・・と思うのだが、車内放送・ドア扱いも完全なワンマン対応だった。そのくせ、県境付近ではしっかりと車内検札に回ってきたのはさすが、というべきだろうか? もっとも、この3人乗務が後ほど役に立ったわけであるが・・・・。


こんなこともあるのだ!
 それは矢吹駅に到着直前のことだった。駅に近づいたため減速を始めたところ、「ポー、ポー」という警笛が鳴り、急制動がかかった。「これは何かあるぞ!」と思った瞬間、「ガチャン」、「キャーッ!」という音がして、さらに数十メートル進んで急停止したのだった。
 乗務員室からは「ぶつかったー」との声。運転していた乗務員はドアを開け現場へ向かい、添乗していた乗務員は防護無線の発報と無線での列車指令への交信にあたり、車掌は「ただいま踏切で車と接触して急停車しました。ただいまの急停車でケガをされた方はいらっしゃいませんか?」と放送をおこない車内を巡回した。
 幸い車内での怪我人などはないようで、車掌は「しばらくお待ち下さい。」とアナウンス。車内は「何が起きたんだ?」というムードで最後尾へ行って事故の様子を見に行く人、「大変だねえ」とささやき合う人、「遅れるからー」と携帯電話で連絡を取る人などがいたが、至って冷静だった。目の前にはもう矢吹駅のホームが見えている。ホームで待つ人らしき人影も見えるが、しばらくは動けまい、と思い覚悟する。
 線路沿いの家の人も出てきて不安そうに眺めている。矢吹駅からは保線の職員がとことこと歩いてきて現場に向かった。反対の上り線にも貨物列車が近づいてきたが、防護無線発報のためだろう、矢吹駅の手前で停車した。改めて車内を見渡して見ると、立ち客も結構いたが、駅手前で減速していたために転倒するような事もなかったようだ。私の座っていた進行方向左側が車の後部と接触したようだが、車内からは車両に特段の損傷は見られなかった。乗務員は「何で突っ切らなかったんだろうなー。遮断機を押して出ちゃえばよかったのに・・・・」なんて話し合っている。
 現場から戻ってきた乗務員は、再び無線でやりとりをはじめ、再び車外へ降りていった。どうやら、車両の点検の後、矢吹駅までは運転する模様でやれやれ。一通りの点検をした後、ゆっくりと動き出し矢吹駅のホームに滑り込んだのは20分ほど遅れてだった。矢吹では乗務員が駅員に「住所と電話番号控えておきましたから。あとの現場は保線で押さえてます」と伝えていた。最悪は運転打ち切りも覚悟していたのだが、そのまま発車できるとの旨放送が入り一安心。ともかく、25分遅れで矢吹を発車した列車は何事もなかったかのように順調に加速していった。車掌は郡山での接続に関して、列車指令との確認作業で無線のやりとりに忙しい。どうやら接続に関して特段の措置はとられないようで、さらに遠くへ行く人にとっては1列車遅れることになりそう。
 それにしても、今日は3人も乗務員がいたから現場対応、列車指令への連絡、乗客への案内とスムーズに行えたが、これが本当に1人での乗務であったことを考えるとぞっとする。どうしても現場対応、二次事故の防止のための列車防護へと時間をとられてしまい、乗客への対応は二の次になってしまうのではないか?幸いにも乗客の怪我などなかったから良いが、合理化が進むに従って異常時の安全確保は難しくなってきていると実感した。
 切符を手元に残すべく、終点の1駅手前の安積永盛で下車。先頭の様子を見てみたが、特にへこんでいる個所も見られず、ちょっと見た目には先ほどの接触のことは分からない。列車と車を比べれば、やはり列車のほうが強度があるのだろう、なんて妙に納得した。
 安積永盛から郡山までの180円切符を買いなおし、時刻どおりにやって来た後続の列車に乗り込んで、郡山に戻ったのは15時3分。最期にハプニングがあった旅ではあったが、5泊6日の足跡に幕を閉じたのであった。



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