1999年11月「秋の大講演会 鶴見済−対談−宮台真司 in大隈講堂」で配られたレジュメ。鶴見さんが執筆。



「児童買春・児童ポルノ禁止法」や「青少年健全育成条例」によって、いちばん、権利や自由を制限されているのは、未成年である、というのがポイントかと思います。
未成年は、人権を認められているような、いないような、あやふやな形のまま、選挙権を奪われていますよね。かつて女性や黒人がそうだったように、「市民権を与えられていない層」と言えると思います。

▼彼らの声はシャット・アウトされて、行政者が一方的に「子どものために」とその声を代弁して、「子どもに悪い」の名のもとに、本当は自分たちが排除したくてもできなかったものを、排除する。未成年者が「オレらはそんなこと思ってねえ!」「オレらに、それは悪くねえ!」と言いたくても、その声は制止される。

彼らは、当然この社会で、最も抑圧されている「階級」になっているはずです。忘れていました。ストレスがたまって当然でした。

▼社会全体が抱える問題点は、もちろん、これに限りませんが、最近騒がれている社会問題の多くは、ここに起因しているようにも思えます。

▼もし仮に、高校生(16歳)以上に選挙権(参政権)を認めれば.....この社会のシステムの腐ったところが、なんとなく回復していくような感じが。さらに中学生(13歳)以上まで下げれば.....80歳、90歳という人間が事実上決めているような、現在のドラッグ政策も、原子力政策も、有害図書指定も、おおむね駆逐できるような感じが。(最近のやけに老人臭い行政の動きは、引退寸前の老人たちの最後の悪あがきだ、という観もあります)。

▼宮台さんや俺がある程度、彼らの代弁者だったのだとすると、その「声にならない声」たちのうっくつしたパワーの凄まじさに驚かされます。

▼「どうして教室で子どもばかりが怒られるの?」と聞かれて、小学校の教師がぐっと詰まった、というエピソードがあります。「なぜ子どもが教師を怒ったり喝ったりできないのか?」。実は俺も答えられません。このあたりに、近代市民社会(特に日本)があいまいにして、避けてきた問題の焦点があるんだと思います。両者は平等で対等ということになってるのか、なってないのか? こんなあたりから話をはじめてみるのは、どうでしょうか?


▼もちろん、我々が直面している社会の欠陥は、それだけでは説明できません。これはもう確実に「無法状態」と言えます。
司法が機能していない、立法府が立法できず行政府に任せている、だから立法化や政策に民意が反映されない、政党政治が行われていない、選挙に意味がない、あらゆる過程でチェック&バランスの機能が働かない......
壊れた点を挙げていったらきりがない。

▼「行きすぎ」を指摘する本を強引に発禁にするこの日本社会は、明らかに負のフィードバック機能を欠いています。そもそも「民主主義」が成立しないということ自体が、この社会を「サーモスタットの壊れたエアコンがつけっ放しになっている部屋」=自己組織能力を失った「壊れたシステム」と片づけるのに十分な根拠とも言えます。

▼が、それでもこの社会は壊れない。(もしかして、もうすぐひとつのシステムとしてはぶっ壊れるんでしょうか?) ならば、何がこの社会の「補助サーモスタット」になっているのか、ここらへんは、ぜひとも教えてほしいところですが、そこまで話が行けば成功かなと思ってます。そこんとこ明確にしとけばシステム全体の修理も簡単なはずです。

▼自分としては、「ヒトという生きものとしての部分」がむき出しになって、ストッパーになってるのかな、くらいあいまいには考えてるんですが。


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