すばらしいワタル紀行 1999年11月4日(木)

秋の大講演会 鶴見済−対談−宮台真司 in大隈講堂


4.未成年者の人権 その1

シンジ ですから法的に見たら市民社会じゃない、ということなんですけど。ちょっとまた話変えますよ。鶴見さんね、この『自殺マニュアル』っていう本を書いたときには、たぶんある種の読者層の想定というか、あるいは読者が置かれている状況に対する想定があったと思うんですけども。子どもとか自分とかって言われてますけど。でー、ま、その想定は今でも維持されているのか? あるいは例えば今般ですね、このような行政的な措置が執られるようになった時に、そういう、いわゆる青少年とか児童とか言われてる人間たちが置かれるだろう状況について、どういうふうに思うのか? その辺りちょっとお話しいただければと思うんですが。

ワタル えーとー、結局この、オレが手書きで書いたレジュメ読むのがいいんですけど。なんとなく移行していく感じで。結局、宮台さんが反発していた児童売春禁止法とか青少年健全育成条例と「有害図書」なんて、一番権利を侵害されてるのは誰かっていうと実は未成年なんですよ。よく考えてみたら未成年者っつーのは、これ人権認められてない。基本的人権。憲法で保証されてる国民っていうのの中に未成年者っていうのは入っているのか入っていないのか? 未だにわからない。

シンジ えーとですね。多くの先進国では18歳がだいたい成年に達する年齢なんで。

ワタル そうそうそう。

シンジ 結婚も18歳でOK。選挙権も18歳でOK。で、いわゆる親の扶養義務も18歳未満で終わると。で、要するに18歳で区切りになるんですね。売買春もだいたい18歳になったらやってもいいと。えー、だいたいそういう形。ただセックスをしていい年齢は、それより3年くらい早く設定されていることが日本以外の先進国の大方の状況ですね。その点で言うと、児童とか青少年、青少年てのは簡単に言うとですね、つまり第二次性徴が始まって以降、だいたい成人に達するまでの年齢のことを、だいたい青少年て言うことになってるんですね。

ワタル これ「18」っていう数字もまったくムチャクチャですよね。

シンジ いや、あのー、それはちょっとどうかな? だから選挙権とか家族を持っていい……

ワタル 20歳っつーのから大人っていうことにしてみたりとか、なんで18って、そう言われるの? これは要するに古い、古い明治時代から18できてるやつは全部18なんじゃないの?

シンジ いや、そうじゃなくてね、鶴見くん。日本はバラバラなんですよ。だから、結婚していい年齢として16でしょ。ところが淫行条例18に設定されていたりとか。あるいはですね、ま、児童福祉法でいう児童、つまり……

ワタル 児童!? 小学生のこと指してるのか?

シンジ ある種の福祉の義務が当然出てくるだろうっていう保護義務があるため、年齢を18未満までに設定して、っていうふうに。あ、で、選挙権20、被選挙権25とかですね、ま、バラバラです。

ワタル 児童福祉法なんかみると国民は児童のために、児童の健やかな育成のために尽くさなければならない、なんて書いてあるところをみると、どうやら18歳未満の人間は国民ではない……?

シンジ でもねー、鶴見くんねー、日本以外の国もだいたい、あのー、要するに18歳以上が一般の、一人前の市民で十分な権利を与えられるが、それ以前はむしろ一人前ではない、一人前の市民ではないので権利が制限されるっていう考え方が、あのー、実は当たり前だったんですよ。でー、ずうっと当たり前だった。1970年代ぐらいになるまで。

ワタル うん。

シンジ したがって、例えば具体的にいえば、日本と同じようにね、犯罪があれば大人でも責任を問うて重罰を加えるケースでも、子どもの場合には保護更正の対象だということで基本的には更正のための教育が行われると。罰を与えるのではなくて、更正のための教育が行われるというやり方が一般的でした。あるいは成人の場合犯罪を犯したら顔を出すが、あるいは実名をだすが、未成年の場合には顔も出さないし、名前も出さないでいいのは、簡単に言えば子どもに人権を認めていないからなんですね。つまり人権にともなって生じる義務が存在すると考えられていないので……

ワタル でも、アメリカで銃ぶっ放した子どもとかの名前とか全然日本で報道されちゃう場合はなんでなんですか?

シンジ これはねー、要するに70年代に大きな変化が起こって。あのー、いろんな理由があるんですけれども、つまり18歳以上一律大人、それ未満は権利を与えない保護されるべき対象っていうふうにすることに、合理性がないんではないかっていう疑義がいろんな方面から出てくるわけですよ。だから有体に言ってしまえば18歳未満であっても、判断能力があると考えられれば重罰を与えていいんじゃないか。でー、その背景には、あのー、実は自分の地域や行政は、あるいは国としてはね、子どもたちが幼少の頃から自分で自分の振る舞いの責任をとれるような、そういうタイプの教育をしてきていると。つまり、自分のやったことは自分で責任をとるっていうタイプの教育をきちんとやってきていると。つまり、簡単に言えば「自己決定支援型」の教育をやっているという自信があるということが裏づけになって初めてですね、えー、ま、例えば16歳で人を殺した場合にも「終身刑やむなし」とかいうふうに変わってきたということがあるんですね。
 その点で言うと日本はねじれていまして。保守論壇なんかみるとわかるでしょ。どうかっていうと、例えば、子どもの名前を出さないとか顔を出さないっていうと、「加害者の人権をそこまで保護していいのかー!」とかっていうんですね。これは人権概念の濫用に陥る完全な間違いで、子どもの人権を認めず保護更正の対象とする、そのような行政義務を決めるがゆえに、名前も顔も出さないんですね。実は、同じような間違いは政府の方も行っていまして。まー、そのー……

ワタル 社会的な責任を免除してあげるってのは、その人の人権を徹底的に奪うことだというね。

シンジ それは常識なんです。社会科学の。

ワタル キチガイ。キチガイなんかもそうですよね。

シンジ うん。だから、保護更正の対象にするということは人権を認めないということと完全にイコールだということ。そういう、ま、常識をね、考えないと。

ワタル 当然でもやっぱりそういうのは、アル中みたいな感じで曖昧な、

シンジ 境界が曖昧ですから、いろいろ混乱があって。だんだんだんだん……

ワタル いや、オレが知りたいのは、

シンジ うん。

ワタル 未成年には、憲法で保障されているような人権、基本的人権は認められているのか、られていないのかという。

シンジ それはね、例えば、あのー、

ワタル はっきりと。

シンジ それはね、うーん。

ワタル 法のもとの平等というのは?

シンジ 認めていないっていうふうに言った方がいいですね。事実上の運用としてはね。

ワタル あー、そう。

シンジ 人権には例外はないんですよ。もちろん。理念的には。

ワタル ですよね。

シンジ 人権には、例えば能力のない人間には人権を与えないという規定はありません。で、しかしながら、ま、事実上運用面では統治権力に対して主張しうる権利は、未成年の段階で考えればずっと制限され続けてきましたが。

ワタル うーん。

シンジ ただ、人権概念をどんどんどんどん子どもにも認めようではないかっていう、あるいはもちろん最低の条件も認めようではないかっていうふうにきて。それが時には子どもにも認めなければならないか、

ワタル 宮台さん、逆ですよね。20歳まで、18っていってたの20歳まで引上げようかっていうような動きですもんね。そこら辺の所になんとなく国別の、その感覚の違いっつーのが現れているんではないかっていう。

シンジ そこら辺ね、じゃぁ、ちょっと私、説明しますからね。なぜ、日本で、例えば子ども扱いする年齢をね、ま、責任をとる年齢を、一方で「下げろ」っていうふうにいう人いますよね。15歳、16歳やむなしっていうふうに言ってるような人たちもいっぱいいると思えば、例えば、売買春に関する例を見てもわかりますけれども、ここでなぜ引かれるかっていうとね、非常に、例えば18歳なら18歳まで完全に子ども扱いするのは当たり前だっていう感受性が、ずうっと、むしろどんどんどんどん強くなって、

ワタル あ、議論を整理しないで議論してる彼ら日本の論壇とかの人たちは、ゴッチャゴチャになって、実もなんにもない議論になっちゃってるように見えますが。

シンジ うん。そうなんですね。で、ぼくが鶴見さんに聞きたいと思うのはね、あのー、例えば援助交際の問題視とか『自殺マニュアル』の取り締まり、問題視っていうのは、大人の側がどういう、ま、ある種の、ま、一つの、典型的にどういうタイプのヒステリー状態になった場合?

ワタル えー……

シンジ 何を恐がっているんでしょうね?

ワタル 理解できないからじゃないですか。

シンジ そういうことでしょうね。つまり不透明さを恐がっているわけですよね。

ワタル 今までと違う。そして理解できないから。

シンジ 不透明さを恐がるというのは、簡単に言えば昔は透明だった。つまりごくわかりやすく言えば、子どもは大人の言うことを聞く存在だし、大人は子どものことがよくわかるべきだし、よくわかるし。ま、手のひらの上でですね、遊ばせることぐらい自由自在にできる。

ワタル 子どもがどの程度逸脱するかも、なんとなく理解できたと。

シンジ そうですね。

ワタル だけど、この、ちょっと理解できないと。

シンジ だから結局、子どもを大人扱いするということは、今までクラスの建前の上で自分が優位で、自分がコントロールしているというふうに思われるような対象、つまり青少年ですよね。つまり、えー、これが当然自己決定するようになれば、いろんな振る舞いが予想不可能であったり、コントロール不可能なものであるということを当然前提にせざるをえない。ですからそうすると、実は大人とコミュニケーションの、そのニ項的構造というか、ま、自己決定のほんとは語弊があるんですが、ま、例えば日本の教育が前提としてきたような、大人と子どもの力関係って変わっちゃうでしょうね。

ワタル そうなんですよね。えーっとー、子どもが「自分で決めさせろ!」って言いだしちゃったのが恐いんでしょうね。

シンジ それが大きいでしょうね。だから、結局ですね、あのー……

ワタル つまり、人権を本来認めてなかった、っていうことなんじゃないのかと思うんですけどね。

シンジ うーん。

ワタル だから……

シンジ 鶴見くんね、あのー、ま、89年のね、子供の権利条約批准って……

ワタル 条約?

シンジ うん。まー、今から10年前にね、子供の権利条約の批准。あのー、国連総会では子供の権利条約の制定とかがあってね。これ各国で批准されてきたわけです。順番に。で、日本はもっとも批准遅かったんですけれども、

ワタル 一番遅いの? 先進国で?

シンジ そうです。一番ですね。で、まあ、年調整で1996年にストックホルム会議っていう児童虐待をはじめとして、つまり、子供の権利条約の精神に基づいた法運用が各国でなされているかどうを検証する会議が96年のストックホルム会議なんですが、ここで日本がものすごい攻撃されたんですね。つまりなぜかっていうと、日本の男性が東南アジア等で幼女を買春しているからなんですね。このことがヤリ玉に上がったことが、実は国会で問題になって。それがきっかけで、実は児童ポルノ・児童買春禁止法案を作ろうではないかってことになったんですが。ま、みなさん一部ご存知のように、いつのまにか援助交際禁止法案に(笑)。政府公会でその幼女を買うのが非難されていたのに17歳の少女とですね、セックスをしちゃいかんとか、買春をしちゃいかんっていう形にすりかわっちゃったっていう経緯がもちろんあるんです。その辺は後で考えてお話をするとしてね、で、結局……

ワタル 時間がなくてもここでドーンと説明しちゃっていいんじゃないんすか?

シンジ そうですか? っていうかね、

ワタル これ、宮台さん側の……

シンジ いや、言いたいことはね、すごくはっきりしてるんですよ。つまり、子どもにも権利があるんだって考え方は、実は西洋でもですね、そんなに一般的じゃなかったんです。ところが10年ぐらい前に、子どもにも権利を認めようではないか、つまり、人権があるということを当たり前の常識にしようではないかっていう動きが、ようやく10年前に国連で合意されたんですね。つまり、そのくらい実は新しいんですね。

ワタル うーん。

シンジ でー、実はそれ89年でしたけれども、その前にね、実は性のリベレーションっていうのが法律上起こって。1970年代の時期に売買春が合法化されたわけですね。で、実はそうした動きの延長線上にあるべき、考えるべき、つまり女性だけではなくて、いわゆるセンシティという意味でのマイノリティ。そして、今度は、「年齢が低い」という意味でのペレギュラルな、つまり周辺的な存在にも権利を認めていこうではないかっていうですね、20世紀の大きな流れの中に入ったことが動きだっていうことを、まず押さえておいていいと思うんです。
 でー、それはですね、どういうことかっていうと、実は日本だけではなくある程度多くの国で、あのー、昔の田舎、あるいは昔のですね、古い段階、単純な社会ではなくなって、子どもたち、さまざまな大人も含めて、自分でですね、それぞれの幸せ観、良し人悪し人、それぞれのイメージがあるのが当たり前だっていう、それぞれの人間にはまったく別々のね、チャンネルがあって別々のネットワークを自分で生きている、そういう存在だってことが、こう、わかってきたからなんですね。
 で、これをまあ、ぼくは成熟社会化っていうふうに言ってるんですね。昔はですね、そうじゃなかったんです。社会学では単一的度っていいますけれども、多くの人間は、例えば鶴見さんであれば「鶴見家」というとかですね、あるいはどこに住んでたかわかりませんが、昔はですね、そういう地域共同体にべったり張りついた存在だっていうふうに考えられてきていたし、実は旧枢軸国の多くでは実際そう考えていました。あるいはですね、連合国といわれる国の多くでも、枢軸国ほどではなくてもですね、やはり、社会を構成する諸集団の多様性や数が少なかったっていうこともあって、だいたい誰がどういう理由で何をしているのかっていう動機づけがね、お互いに透明だった、っていうことがあります。そういう透明性が前提にあって、いろんなですね、昔の、昔に存在した子どもには人権がないとか、女性には人権がないとか。あるいは、ある種のインシティーを持った人間には人権がないといったような発想になり続けてきたわけですが、それができなくなったんですね。
 でー、それができなくなったので、それぞれの場所で、それぞれの利害に基づいて、それぞれの文脈に基づいて、いろんなことを決めてもらうと。そして、自分のことを決めるだけの力を養うように、養えるように、行政がコンディションを整えるのがいいんだっていう感じ方に、まあ、変わってきてるわけです。で、もちろん、性の問題だけではなくて、死の問題もそうだし、クスリの問題もそうだし、いろんな問題をそうした流れの中で、まあ、扱われるように変わってきているということです。ところが、その中で、さっき鶴見くんそう言った趣旨はね、結局、そういう動きがなかなか日本の伝統と、ま、対峙するものであるために、つまりこれは日本の特殊な条件なんですが、非常に不安感を抱く人たちが多いと思うんですね。

ワタル イギリスの若い人なんつーのは、わりと18ぐらいで、ほとんどみんな親元離れちゃうみたいな。アメリカなんかはですね、あのー、親元離れないほうが異常って感じですよね。

シンジ だからね、これはすっごい古い伝統がありましてね。

ワタル やっぱり、そこら辺の感覚として、ガキに人権っつーか自己決定権なんかをある程度加味、加味っつーか認めてる社会と、認めてない日本社会っつーの結構分かれるんじゃないかなぁという感じ。

シンジ ええ。分かれます。あの、例えば

ワタル データー……

シンジ 統計データあるんですが、子どもの年齢が上がれば上がるほど自由にするっていうふうに答えるかどうかっていう社会調査、教育学者がやった国際調査がありますが、これおもしろいですねぇ。あのー、日本以外のG7の国はすべて、子どもが成長すればするほど自由にするっていうふうに答えてるんですが、日本だけが違う。子どもは、幼い時は甘えさせる、自由にしますが、年をとればとるほど、年齢が上がれば上がるほど厳しくするっていうふうに答えるのは、日本だけなんですね。これは、まぁ、例えばみなさん、小学校の時は制服もないですしね、校則もないのに、中学校になるといきなり軍隊調の詰襟とかですね、なんとかになって。

ワタル まだ、定番?

シンジ 定番なんです。まあ、何の気なしにまっすぐになりますんで。つまり年長者になればなるほど、厳しくなる。流れを厳しくするっていうのは、これは日本特有のやり方。イギリスの方はパブリックスクールから厳しくなりますが、これはエリート教育校で。これは中学校で、もう、鞭でしばくくらい厳しいですから、日本の私立の中学校から厳しいのと訳が違うんですね。
 要するに、実は、そのー、封建的な考え方では、子どもはむしろ家畜に近いんで、犬をしつけるようにしつけなければならない。でー、自立すれば、つまり大人の、大人であれば自立した存在として、自分でリスクを犯して狩に出かける存在なんですね。だから自由にするという伝統なんですが、日本の場合そうではなくて、年長になればなるほど、農村共同体に所属させて、みんなと力を合わせて、水利やですね、あるいはそのような犯罪とか、そういったものに対処するべく責務を負うというような。むしろ年長者になればなるほど、共同体に強く所属させるという伝統があります。

ワタル 今の町内会とかね。しっかり残ってますからね。

シンジ だから、この日本的な伝統が、実は20世紀の先進国のこの流れの中で、ちょっと異様なネジレを起こしちゃってるっていうことがありますよね。

ワタル そこにこの問題が、実はグサッと絡んでるんでいるんじゃないかというのが、オレの今回の言いたかったことです。


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