『完全自殺マニュアル』はどう語られたか

『ぼくたちの「完全自殺マニュアル」』(太田出版、1994年)には読者からの手紙など『完全自殺マニュアル』への反響が収録されています。ここでは同書に収録されていないものを中心にまとめてあります。
書評などは以下のリンクを参照してください。

『完全自殺マニュアル』の書評
著者自身が語る『完全自殺マニュアル』


「自殺ガイドが波紋 青木ヶ原樹海紹介」/ 『山梨日日新聞』1993年10月20日

評論家の芹沢俊介さん
「本によって樹海での自殺者が際立って増えることは考えられない。追い詰められた人は身の処し方を切実に考えており、一時的に樹海での自殺者が増えたとしても本の責任ではない。このような本が出てくる時代背景、社会について考えるきっかけとするべきだ」

都留文科大の宗内敦教授(臨床心理学)
「この本は死の美学などをアジることなく、淡々と死の方法論を書いてるだけ。生の執着があり迷っている人にとっては、確実に死ぬ方法が分かることで、その方法を選択しない、死が怖いという意識も生まれる。逆に未遂者を抑止する面もあるのでは」

「増える「樹海自殺」――富士山ろく・青木ケ原」/ 『朝日新聞』1993年11月25日

意図伝われば誘発はしない
大阪・心斎橋の「自殺防止センター」所長西原由記子さんの話
「息子が完全自殺マニュアルを持っていて心配」といった相談は確かにあります。しかし、著者の意図が正確に伝われば、この本が自殺を誘発することはないと思います。自殺について真正面から考えようとしない日本の傾向にチャレンジする本といってもいいでしょう。一方で、自分を持たない「マニュアル人間」が、マニュアルの表面的な「指示」にそのまま従う可能性もあります。一人ひとりが自分のペースで生きられる社会をつくることが必要でしょう。

小林恭二「小林恭二の猫鮫積ん読日記(27)『完全自殺マニュアル』の巻」/ 『サンデー毎日』1993年12月5日号

(前略)この本を再び手にしたのは、今朝のことだ。積ん読日記用に何かいい本はないかいなと、机のわきに積み上げてある本をひっかき回していたところ、ひょっこりこの本が目に入った。正直言って取り上げるつもりはなかった。取り上げるには話題になりすぎている。だが何気なく手にとり、パラパラとめくってみたのだ。そうしたら面白そうなのだ。文章がシェアだし、何よりも事例に多くあたっている。短いコメントも気が利いている。最初は飛ばし読みをしながら斜めに読んでいったのだが、すぐ最後まで読んでしまった。ありゃりゃもう終わり? なんだか読みたりなくて飛ばした部分を拾い読みした。それもまたすぐになくなった。今度は最初からちゃんと順を追って読んだ。
 その結果すっかり感心してしまった。たとえばある悲惨きわまりない自殺の後にこんな文章が続くのだ。
 「彼女の人生は、自殺を肯定するか否かの踏み絵のようなものだ。無論生きようと思えばそれも可能だったはずだが、彼女は助けを拒んで死を選んだ。この人生を前にしてもまだ『生きていればいいことがある』『死ぬ気になればなんでもできる』『自殺は弱い者のすることだ』といったたわ言を吐ける者がいるのか? 彼女の『死んでやる』の一言に対して切り返す言葉は、たぶんない。」
 自殺に対する視線が新しいのだ。いたずらに奇をてらっているというのではなく、ある種の実感でもって書かれているから、いわゆる常識に反する言説がなされても、うさんくさい感じがしない。それどころか世間から隠匿されていた真の知恵に触れたような気分になる。
 小説家としての本音を言わせてもらうなら、この本は文学的ですらある。こう言うとおそらく著者の鶴見氏は「とんでもない」と言うだろう。「そんな皮相な見地からこの本を書いたのではない」。(後略)

ビートたけし「たけしの場外乱闘 連載89 いい加減、マニュアル信仰なんかやめたらどうなんだい」/ 『週刊文春』1993年12月9日号

(前略)『完全自殺マニュアル』が売れていて、富士の青木ケ原で本を持った自殺者が見つかったっていうんで、「本のせいで自殺したんじゃないか」ってバカなこというやつがいるようだけど、なんでそんなことをいうのかわからない。
 もしも一冊の本にそれほどの影響力があるのなら、マスコミあげてエイズ防止のキャンペーンをやっているんだからもっといい方向へいくはずなのに、ちっともそうならない。どんな本を読もうが何をいわれようが、受け手の連中は自分の都合のいいものしか受け入れないっていうか、努力の必要なものは受け入れやしないんだよ。
(中略)
 『完全自殺マニュアル』を読んで初めて自殺を知ったわけでもないし、自殺の仕方を知ったわけでもないはずだろう。薬とか首つりとかいろいろ方法があることを知らなかったはずがない。自殺のやり方はあくまで段取りであって、自殺の理由は別にあるに決まっている。この本が売ってあったから自殺したなんて理由はありえないぜ。(後略)

「なぜ自殺マニュアルなのですか? 鶴見済さん」/ 『朝日新聞』(福岡版)1994年2月3日・朝刊

 ○本以上の説得力を試されている大人
 村瀬孝雄・学習院大学教授 (臨床心理学)
 こうした本が流通するのは決して好ましいことではないが、受け入れられるのは、やはり必然性がある。たとえば「命は地球よりも重い」というのは、本当はよほど深められた経験が背後にないと言えない言葉なのに、軽々しく口にしてしまう風潮がある。
 多くの大人たちは日々の仕事に追われ、「生きがいのある人生」を子どもたちに身をもって示せない。
 そこで著者の「ぼくたち一人ひとりが無力で、いてもいなくてもどうでもいい存在。命は軽い」という主張が共感を呼ぶのだと思う。本について単に「けしからん」と言っても、読んでいる人は納得しないし、「読むのを禁止すべきだ」という議論は安易かつ危険だ。教師や親がこの本の主張について、この本以上の説得力をもって「間違っている」と子どもに語りかけることができるか。むしろ、大人が試されている。

うらやまあきとし 「読みたきゃ読め『ぼくたちの「完全自殺マニュアル」』是非論争後の鶴見済氏の第2弾!!」/ 『PC-PAGE GURU』Vol.3

(前略)
 鶴見氏の真意を僕なりに解釈してみる。かつて日本では、いや世界的にも「死ぬ」ことは「生きる」こととさほど離れた概念ではなかった。日本にオキツスタエの思想があったようにだ。しかし、現代は生きることにあまりにもウェイトが置かれ過ぎる。死ぬのは怖いこと、いけないことと考えられる時代だ。
 そーなると、一生懸命に必死に生きなきゃならない。受験でも、仕事でも完璧に、ハードに生きることを迫られる。こりゃ辛い。
 だから死、とりわけ自分で選べる死を、常日ごろから考えられれば、対局にある「生きる」ボルテージをずいぶん楽にできるんじゃないか。アクセル踏みっぱなしの人生から開放されるんじゃないか。そんな現代の「葉隠」として鶴見氏は筆をとったのだ……と思う。違うかなぁ、鶴見さん。

加藤典洋「死後の感触 村上春樹・村上龍の新作をめぐって」/ 『理解することへの抵抗』(加藤典洋著、海鳥社)

(前略)
 最近だいぶ評判になった本で、鶴見済という人の書いた『完全自殺マニュアル』というものがあります。さまざまな自殺の仕方の簡単なマニュアルになっていて、中でも一番確実に死ねるのは首をつる方法だとか、富士山の樹海の中に入る時はどこがいいとか、そういうことがごたごたと書いてあるのですが、彼はなぜ、こういうマニュアルを作ったのか。その「おわりに」で、著者鶴見はこう書いています。

 まえがきでは「現代社会と自殺について」みたいな大仰な文章を書いてしまったが、じつはあれは文字どおり取ってつけた話だった。
 こういう本を書こうと思ったもともとの理由は「自殺はいけない」っていうよく考えたら何の根拠もないことが、非常に純朴に信じられていて、小学校で先生が生徒に「命の大切さ」なんていうテーマで作文を書かせちゃうような状況が普通にあって、自殺する人は心の弱い人なんてことが平然と言われてることにイヤ気がさしたからってだけの話だ。「強く生きろ」なんてことが平然と言われてる世の中は、閉塞してて息苦しい。息苦しくて生き苦しい。だからこういう本を流通させて、「イザとなったら死んじゃえばいい」っていう選択肢を作って、閉塞してどん詰まりの世の中に風穴を開けて風通しを良くして、ちょっとは生きやすくしよう、ってのが本当の狙いだ。

 つまり、ここでは何が言われているかというと、自分はいまの若い人達が生きやすくなるようにこれを書いた、と言うのです。死のうと思えば、そんなに苦しまなくたって死ねる、「イザとなったら死んじゃえばいい」というオプションのあることが、いまの若い人達にとっては、「生きやすくなる」ための大事な条件だというのです。一見すると、何か逆のようです。死はすぐ近くにあるし、自分の手で触れるんだよ、などと言ったら、死んでしまうのではないか、と思うのですが、そうではなくて、そのことが生きる力を与え、生きやすくする、と言うのですね。ですから、われわれは、なぜここで言い方が逆転しているのかを考えなくてはならないのです。何が、事態を逆転させているのか、と。
 そう考えてはじめてわかるのですが、いまは、死が完全に、何重にも、生から隔てられ、見えないものにさせられている。しかし、その結果、何が起こったかというと、死が見えなくなり、感じられなくなることで、もう一方の秤の上にある生が、見えなくなり、感じられなくなった。だいぶ誤解にさらされているようですが、鶴見はここで、いまは生と死の違いがはっきりと感じられない、そのことが閉塞状況を作っている、いま、若い人達は生に閉じ込められている、この閉塞状況を壊さなければ、生きていることのリアルさは回復できない、そう言っているのです。
 どんなことがあっても死んじゃいけない、ということが意味を持つには、生が生き生きと感じられていることが必要です。そうでないと、それは単に死の禁止にしかならない。しかし人は、死があるから、生について考えるのではないでしょうか。死を見えない場所に押し込めることで、実は生が見えないところに押し込められているのです。死を禁止し、抑圧することは、そのまま、生を抑圧することになる。鶴見は、生をありありと感じるために、いまは、生と死の異質さを回復することが不可欠だと言い、そのため、死を抑圧するな、それは生の感覚の死につながる、と言っているのです。
 すると、この鶴見という書き手の届けるメッセージの方向が、ちょうど村上春樹、村上龍という小説家のメッセージと逆になっていることがわかるでしょう。一方は、異界のいわば属領化をその描写で享受しているのですが、他方は異界の属領化の結果としてのその異質さの消滅、死の消滅に苦しみ、何とかそれを回復しようと、異界の脱属領化をめざしているのです。
 いざとなったら死ぬこともできる、死んでもいいのだということを、オプションの中に一回繰り込む。そうすることで、もう一度、生きるということを新鮮な形で取り戻すことができる。逆から言えば、そのくらい、この異質な世界の異質さの消滅がいまの若い人を死のような生に押し込めている、そういうことをこのことは語っています。
(後略)

大森一樹「『完全自殺マニュアル』の正しい読み方」/ 『婦人公論』1994年11月号

 『完全自殺マニュアル』! なんて人騒がせな本の題なんだろうと思って手に取りました。映画の材料を探しに書店へ行ったときに見つけたのですが、映画もこれぐらい人騒がせなタイトルでないと、客が集まらんのかなと思って、手にしました。ところが、読んでみたら中身はまったく物騒ではない。真面目な本だったので、もう一回驚きました。
 タイトルだけが独り歩きしてしまい、読みもしないうちから「死をマニュアル化してしまった」などと批判する大人がいますが、違います。これは自殺を奨める本なんかじゃない。僕らより下の世代が持つ、死に対する考え方が書かれている、ある種の思想書なのではないかと僕は思いました。大きな問題を投げかけている本なんです。
(中略)この本は、そういうふうに先が見えてしまったときに「僕らはどうやって生きればいいのか」という問いかけをしているんです。「いざとなれば死んでしまえばいい」と自分の死を自分で決めることで、生きることも自分で決めていこう。そういう自立宣言なんですね。《自殺》をキーワードに、だれとも違う自分たちがここにいるということを、はっきり打ち出した、メッセージ色の強い本だと思う。
 ところが、著者が提示したことについて、大人たちはどう反応したか。「こんな本子供に読ませたくない」「これを読んで自殺する人が増えたらどうするのか」とか、いろいろありました。(中略)だからこういう本は駄目なんだと、本質からはずれたところで話題になったんですね。
 あれだけ体を張って書いたものに対して、あまりの世間の反応のバカバカしさに憤慨したと、著者は続編の『ぼくたちの「完全自殺マニュアル」』に書いています。そうでしょう。自立宣言に対して、「お前の言っていることは正しい」、あるいは「間違っている」という答えをだれも出さないのですから。なぜ間違っているのかと説明するのが、面倒くさい。あるいは正しいと言えるだけの根拠もない。ただ本質から目を背けているだけ。
(中略)『完全自殺マニュアル』の著者は、こういう本を書きながら、みんなどうやって生きるんだ、ということを本当は言いたいのです。ただ、それを言うのはすごく恥ずかしい。シャイなんですよね。だから徹底的にマニュアル化したスタイルで書いている。ちょっとしたユーモアも混じっていたりして、言葉のうえでは自殺を奨めているようで、じつは大変なことなんだと言っているんです。
(中略)だから『完全自殺マニュアル』を支持した世代のように、いつでも死と隣りあわせにいるというか、死を待つのではなく死がそばにあるという点に僕はすごく共感しますね。「いつでも死ねる」ということを、生きるテコにする人たちがいてもいいのではと。(後略)

加藤典洋「無気力製造工場 鶴見済著 おタク文化と切れた思想文化の新世代」/ 『朝日新聞』1995年2月12日・朝刊

 一年ほど前、息子が買ってきた「完全自殺マニュアル」という本をのぞいたら、そのあとがきに、その本の著者が、「強く生きろ」なんてことが平然と言われてる世の中は閉塞(へいそく)してて生き苦しい、だからこういう本を流通させて「イザとなったら死んじゃえばいい」っていう選択肢を作り、風通しをよくしたかった、と書いていた。新しい思想の声がここにあると思い、そのことを当時、どこかに書いた覚えがある。本書は、その著者の二番目の著作で、ここ一、二年間にさまざまな場所に発表した同時代観察の小文をまとめている。一読、九〇年代も半ば、ようやく思想文化の新世代が登場してきたと、感じる。(後略)

立花隆「私の読書日記」/ 『ぼくはこんな本を読んできた』(立花隆著、文藝春秋)

 最近評判の鶴見済『完全自殺マニュアル』(太田出版 一二〇〇円)を読んでみた。どうせ水準の低いハウツー本だろうと思っていたのだが、なかなかどうして、これが面白いのである。実によく調べて、各種の自殺法を懇切丁寧に図解入りで書いている。内容は科学的で、信頼性が高い。
(中略)
 実用性ももちろんあるが、自殺するつもりが全くない人にも実に興味深く読め、人の生と死について考えさせられるところが多い。説教じみたところが皆無で、淡々と無感情に書いているところがいい。

鴻上尚史「ドン・キホーテのピアス 117 “同世代”としての深い感動を与える本」/ 『SPA!』1997年2月19日号

(前略)鶴見さんの前著『完全自殺マニュアル』の感動的な意味を理解するのは、“同世代”とは関係ありません。
 自殺するためのさまざま詳細なマニュアルを知ったからこそ、生きていこうという意思が生まれ、救いの感覚に安堵するという「事実」は、世代論で語られることではないでしょう。十代でも、この事実を理解できない人もいるし、五十代でも、逆にうなずく人もいるでしょう。
 ただ、この感覚、自殺のマニュアルを知ることが、かえって癒しになるという事実としての感覚をまったく感じられない人がいて、その人達は、ふざけた本だと糾弾し、この感覚に満ちあふれた人は、癒されたと感じて涙する。それを“同世代”という便利な言葉でまとめることはできません。
 結局は、ある感覚のことなのです。
 このくそったれの世の中で、信じられるものを探す行為をやめるほど老いてもなく、しかし、目の前のものを頭から信じるほど愚かでもなく、世の中のカラクリを見抜こうという努力をやめるほど無知でもなく、世の中のカラクリはこうだと断定するほどバカでもない、なにかにすがろうとする自分を恥じながら、なにかに無意識にすがっている自分を嫌悪する、そういう人がこのくそったれの世の中で持つ、ある真っ当な感覚。
 抽象的な言い方しかできませんが、その真っ当な感覚を持っている人には、『完全自殺マニュアル』も、今回の二冊も深い感動と共に理解できるでしょう。(後略)

※「今回の二冊」=『人格改造マニュアル』(鶴見済著、太田出版)と『「彼女たち」の連合赤軍』(大塚英志著、文藝春秋)のこと。

鴻上尚史「ANIMA&ANIMUS ●毎回違う筆者が綴る私の読書生活」/ 『週刊朝日』1997年3月21日号

(前略)時間がないので、読む本は緊急のものになります。どうしても、はやく読みたいものから片づけていきます。
 鶴見済『人格改造マニュアル』(太田出版)を読んで、著者の前作『完全自殺マニュアル』を思い出しました。
 両方とも、名著です。名著なのに、書評で正しく分析されたことがない著作です。『完全自殺マニュアル』をさんざん攻撃して騒いだバカワイドショーは、『人格改造マニュアル』を取り上げたらどうだと思っています。

宮台真司「覚醒剤――やるかやらないか自分で判断させろ」/ 『学校を救済せよ』(尾木直樹・宮台真司、学陽書房)

(前略)鶴見君が『完全自殺マニュアル』を出したときに、自殺をめぐってマスコミを巻き込んで議論が起きましたね。「自殺は是か非か」。こういう議論は大事ですね。
 実際、確かに鶴見君の本を手にもって、樹海に入った人が出て問題になりました。でも、太田出版に送られてきた投書のなかには「自殺しようと思ってたけども、この本を読んで、いつでも自殺できるんだ、と思ったら、生きていく気が出てきた」という人もいる。つまり、ガス抜きですよね。
 これはすごい重要なことですよ。命の大切さを教えるということは重要ですが、命の大切さを教えることではもはや自殺を食い止められないというステージに入りつつあるわけです。これは地域や人によってもだいぶ違うんですが、そういう新しいステージが展開しつつあるなかで、自殺についての議論ができるようになるということは、とても重要だと思うんですよ。(後略)

黒木俊秀、田代信維「『完全自殺マニュアル』を愛読する青年たち」/ 『臨床精神医学』第27巻第11号

(前略)『完全自殺マニュアル』の出版が青少年に与えた影響の一つに,同書の出版以後,青年期の人々が「自殺」や「死」の問題についてオープンに語る傾向が出てきたことがあげられるであろう。単純に『完全自殺マニュアル』が青少年に自殺を教唆しているから有害であると非難する意見には,青年期の読者からの強い反論があった。
(中略)
 『完全自殺マニュアル』のブームは、精神科臨床の現場における青年期の自殺衝動への対応の仕方を考える際にも,ある種の示唆を与えるものではないかと思われる。同書を読むと,患者の自殺は絶対に防がなければならないという医療従事者一般の強固な信念も,青年期の自殺を予防するには限界があることを示している。鶴見は,先にも引用したように,『完全自殺マニュアル』では,「自殺」という選択肢を含めることでより生きやすくなる,ということを主張したかったのであるという。まことに逆説的な論理であるが,青年期の人々が自殺衝動を乗り越えるためには,ある時期,まさにこの逆説的な「自殺」の相対化の論理も必要なのかも知れない。(後略)

「「捜査現場無視」募るいら立ち 警視庁の「完全自殺マニュアル」通報」/ 『東京新聞』1999年7月26日・朝刊

太田出版
「自殺という選択肢をつくって生きやすくしようということが狙い」

編集担当者
「本のせいで自殺することはあり得ない。未成年だから生死を考える能力がないとは思わないが、制度を批判するつもりはない。都の判断が出るまで静観するしかないが、読者の支持がある限り販売していきたい。」

ある県の担当職員
「性描写の写真は審議会委員のコンセンサスを得られやすいが、自殺場面は小説にも描かれ、統一的な線引きが難しい。活字本の有害指定がほとんどないのはこのため」

「自主規制、自由に勝る? 完全自殺マニュアル 版元が「18禁」の帯」/ 『朝日新聞』1999年9月4日・朝刊

出版社は信念を持って
 浜田純一・東京大学社会情報研究所教授(情報法)の話 青少年健全育成条例などで図書類を規制する場合、対象は出版そのものではなく、あくまでも売る側だ。出版の自由は憲法で保障されているのに、今回は出版社自らが、表現の自由を制約した形となっている。もっとも、帯をつけることで話題性を高めようとする判断があったのかもしれない。
 著者の承諾なしに、販売対象を限るのは問題だ。「いい物だ」と判断して本を世に出したのなら、出版社は信念をもって臨むべきではないか。

※出版社が「十八歳未満の方の購入はご遠慮ください」という帯を付けたことへのコメント。

「完全自殺マニュアル」有害図書類指定へ/ 『朝日新聞』(神奈川版)1999年10月20日・朝刊

自殺原因まず検証を
宮台真司・東京都立大助教授(社会学)の話
禁止する前に、自殺の原因は本当に本を読んだことなのか、逆に、ある種の安心感を感じた人はいなかったのか、といった検証が必要だ。規制で市民の知る権利が侵害されたり、本が地下に潜って、悩んで本を読んだ人が周りと話し合えなくなったりすることもありえる。子どもたちが親や教師と自殺について話し合える環境を行政がつくることが大切だ。

梯一郎「二つの損失 クーラ・シェイカー解散と『完全自殺マニュアル』自主規制に寄せて」/ 『ロッキング・オン』1999年12月号

(前略)学歴優先社会が作り上げた、脆弱な人生観――有名高校で常に都内有数の成績をキープし、東大卒業という絵に描いたような一流人生を自ら歩んだ鶴見氏が暴いたのは、そんな大嘘だった。そんなモンに騙されずに、どうやって生きるか? その後の鶴見氏の著書を読めば、そのテーマは常に一貫している。
「自殺」という一種のタブーを意味する上っ面に惑わされ、その結論に至るまでの過程をすっ飛ばした批評の数々。ソレはまるで中学時代の大昔にうんざりした「ロックは不良の音楽!」という、オトナたちの決まり文句を聞かされているみたいだった。(後略)

第24期東京都青少年問題協議会
「メディアを中心とした社会環境の変化と青少年の健全育成-東京都青少年の健全な育成に関する条例の一部改正について-」(2000年12月20日答申)

(前略)
<青少年の自殺>
平成3年
  4年
  5年
  6年
  7年
  8年
  9年
  10年
  11年
 52人(男 32人  女20人)
 52人(男 25人  女27人)
 49人(男 28人  女21人)
 53人(男 37人  女16人)
 41人(男 27人  女14人)
 49人(男 33人  女16人)
 40人(男 27人  女13人)
 76人(男 47人  女29人)
 61人(男 35人  女26人)

(注)この表の対象は、20歳未満の者である。
(警視庁生活安全部「少年育成活動の概況」より作成)

 この自殺マニュアル本が出版されたのが平成5(1993)年であるから、その影響で自殺者が増加したとはいえない。しかし、今後も類書が出版され続けるとすれば、問題が深刻化することは十分に予測できる。
(中略)
○ これらを考慮すると、健全育成条例に「著しく自殺、犯罪を誘発するおそれがあり」の文言を追加することが望ましいが、実際の指定に当たっては諮問機関である健全育成審議会の慎重かつ十分なチェック機能を期待するとともに、次のことにも配慮すべきである。
・自殺は悪いことか、不健全なことか、また自殺との関わりにおいて尊厳死をどう考えるのか、という問いかけがある。また、「死を覚悟することでかえって生きやすくなる」「死を見つめることで生がいっそう輝く」という考え方もある。不健全図書としての指定は、青少年に自殺や犯罪をそそのかしているかどうかを慎重に検討し判断する必要がある。
・自殺は健全な行為ではないが、自由主義国として、自らの命を絶ちたいという価値観は否定できない、という考え方がある。青少年に対しては、なぜ自殺してほしくないかについての大人からのメッセージをより強く、継続的に発していくことが今重要である。
(後略)

※全文は東京都ホームページ
http://www.seisyounen-chian.metro.tokyo.jp/seisyounen/09_seisyokyo.html
で読むことができます。
※「不健全図書」の指定基準に「著しく自殺若しくは犯罪を誘発」を追加する条例案は2001年3月29日に都議会で可決され、同年7月1日から施行されました。ただし、新条例施行後も『完全自殺マニュアル』は指定されていません。

清野栄一 「青少年健全育成条例とある作家の戦い」/ 『Title』2001年5月号

(前略)テレビや新聞は条例改正や国会の法案を今さらのように「表現の自由の問題」だと報じていた。表現の自由はあたりまえだが、問題はそんなことじゃない。私たちは朝が来るまで、鶴見の本と自殺や、自分たちの死生観、英語のrightsや日本語の自由の話をした。大声で言い合っては黙り、頷き、怒り、もう会えない誰かのことを思い出して泣いた。それはこの本が、ひとりの人間の痛烈な思いを書き表した、文学だからだ。有害でも、毒でもいいから、私はそれを読んで、話したいのだ。(後略)

大阪府青少年問題協議会「時代の変化に対応した青少年育成環境の整備について」(2002年11月22日答申)

  ②自殺の方法を詳細に記した図書類について
 自殺の方法を詳細に記したマニュアル本については、それが必ずしも自殺に結びつくとはいい難く、むしろ、自殺は本人の心の問題とも考えられる面があり、現在、青少年の自殺が大きな社会問題となっているという状況ではないということや、自殺は法的には犯罪ではないことも考慮すれば、そのようなマニュアル本を青少年健全育成条例上の有害図書類とするコンセンサスは現時点では得られていないと考えられる。(後略)

※大阪府はこの答申を受け、「有害図書」の指定基準に「自殺」を追加しませんでした。

奥村隆「社会学原論」(講義レジュメ)/第10回(2004年6月21日)

  (前略)「命は大事だから生きなさい」と言われる瞬間に、「生」は「自己決定」ではなくなり、人から「生かされる」ものになる。これに対し、「死」という選択肢が自分で選べるものになると、「生」も自己決定したもの、ただ生きているのではなく、自分で選んだものになる。そして、「マニュアル」という形態は、選択する個人の自己決定を侵さないものであり、この本はこの形でなければならなかった。
 この本の中で、自殺/死を一つの選択肢として、具体的にマニュアルとして人々に提示した。この選択肢がなければ、生きることはただ生きるだけで、あるいは生かされるだけであるが、この選択肢が出されることによって、生きることが、自分で選択し自分で決定したことになる。そこから生きる意味が湧いてくるのではないか。(後略)

※全文は立教大学サイバーラーニング
http://cl.rikkyo.ac.jp/
「2004年度 サイバーラーニング」→「社会学部」→「社会学原論」→「2004年6月21日」
で読むことができます。

入江敦彦「ベストセラー温故知新 『完全自殺マニュアル』は『家庭の医学』である!」/ 『本の雑誌』2013年6月号

  (前略)
 本書は周到に善悪の判断を避けて自殺を語る。この方法は苦しいからダメ、遺体の見栄えが悪いからイケナイ、みたいな価値観の押しつけは皆無。それどころか忌むべきもの、汚らわしきものとして死を捉えていない。そういった通念を死の美化と同じくらい退けている。いっそ痛快なほどである。
 そんなスタンスが災いしたのだろうか。現在『完全自殺マニュアル』は自死の幇助に繋がるとして不健全図書に指定されているのだそうだ。公立図書館の開架図書から撤去されつつあるとか。事実上の禁書指定である。そーんなことばっかしてるから、どんどん自殺者が増えちゃうんだよと私は憂鬱になる。
 本書を有害と貶めて封殺する前に、行政やPTAや「日本子どもを守る会」が推進すべきはフロイトの併読だと私は提言したい。人間には、どうしようもなくタナトスという本能が備わっているのだと知らしめることが肝心なのだ。
 まあ、書かれたものの表面だけを見て焚書坑儒に勤しむような輩は決して心理学の論考になんて興味を持ちはしないのだろうケド。というか読ませたが最後『快楽原則の彼岸』まで発禁になってしまう予感すらする。桑原桑原。

今一生
https://mobile.twitter.com/conisshow
/2014年3月14日-19日

「かつて90年代に『完全自殺マニュアル』という本が発売され、瞬く間に100万部を突破した。これは結果的に自殺志願者に自殺をとどまらせた。自殺したい当事者に選ばれる人や本、存在になれるかどうかが、実際の自殺抑止になる。それは死にたい当事者を変えることではなく、自分自身を変えること。」
18:49 - 2014年3月14日

「自殺対策の団体や内閣府の自殺対策会議の委員たちは、対策の成果を出していない。100万部以上のベストセラー『完全自殺マニュアル』による自殺抑止の効果と比べれば、団体や委員がプロの仕事をしてないのに既得権益化しているのは明白。既得権益者を持ち上げるメディアもバカとしか言いようがない。」
9:05 - 2014年3月16日

「『完全自殺マニュアル』という本が出た時、読者が死ぬと懸念した人が発禁を求める運動を行ったが、自殺する方法論を知ったから死ぬわけではない。自殺に追い詰められるほど深刻な状況に、社会のダメな仕組みが長い年月をかけて追い込んできたからだ。生きやすい仕組みを作り出せない自殺対策は無能。」
4:43 - 2014年3月19日

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