はじめに
このホームページには、鶴見済さんのことが細かく細かく書かれている。
よくありがちな、単行本の紹介もあれば、鶴見済さんに関する情報を並べたものもある。単なるマニアのページとしても読めるけれども、あらゆるベクトルは「鶴見済さんの文章を、1人でも多くの人に1つでも多く読んでもらいたい!」という方向に向いている。
ゴタクはもう聞き飽きた。
「若者たちはなぜ鶴見済に走るのか?」なんてずーっと前から、何回も何回も何回も何回も言われてきた。そのたびに「虚無主義」とか「マニュアル世代」みたいなことが結論めいて言われた。最近の流行は「人生に対する感覚が、それまでの世代とは根本的に違ってきた」だ。だけど、「どうして鶴見済の本を読んではいけないのか?」「なんで楽に、楽しく生きてはいけないのか?」という問いには、相変わらずなんの解答もない。
もういい。今必要なのは、鶴見済さんの文章を実際に読んでみることなのだ。
今知るべきことは、鶴見済さんの文章にアクセスする方法なのだ。
と言ったところで、さっそく単行本から紹介をはじめたいところなんだけど、とりあえず、なんで今鶴見済さんなのか? っていうことを明らかにするために、またはぐれ猫がただ書きたいという理由で、一応ゴタクを書かせてもらう。
COUNTDOWN STOPPED
「強く生きろ」なんてことが平然と言われてる世の中は、閉塞してて息苦しい。息苦しくて生き苦しい。だからこういう本を流通させて、「イザとなったら死んじゃえばいい」っていう選択肢を作って、閉塞してどん詰まりの世の中に風穴を開けて風通しを良くして、ちょっとは生きやすくしよう、ってのが本当の狙いだ。(鶴見済『完全自殺マニュアル』 おわりにより)
93年が終わりそーなころ、゛『完全自殺マニュアル』騒動"っていうのがあった。『完全自殺マニュアル』が広まって、樹海で本を持った自殺者が発見されて、マスコミはこぞってこの本を攻撃して、「死」ブームなんてことまで言われた。最近だと、『完全自殺マニュアル』を有害図書に指定し、事実上「発禁」にする人たちまで現れた。
だけど世界が「閉塞してて息苦しい。息苦しくて生き苦しい」からこそ、自殺する人がいたり、『完全自殺マニュアル』が必要とされたりするのだ。僕たちの生き苦しさを知らないから「この本のせいで自殺者が出たぞ!」「有害図書に指定しろ!」なーんて大幅な勘違いもできるのだ。なにしろテポドンでさえいつまでたっても降ってこないし、ノストラダムスの夢なんていつのまにか終わってた。終わらない世界に耐えきれず、ハルマゲドンを起こそうとした人たちもいたけど、やっぱり失敗してしまった。
これでやっとわかった。もう絶対に゛デカイ一発"はこない。23世紀はちゃんとくる(もちろん22世紀は必ずくる。2000年問題も終わっちゃったし)。世界は絶対に絶対に絶対に絶対に終わらない。ちょっと゛優越感"や゛輝かしい未来"で問題を先送りしたくらいじゃ満足なんてできない。もっと楽に、もっと楽しく生きたかったら、本当に終わらない世界の生き苦しさをどうにかしたかったら、あとはもう゛あの人の本"を読んでしまうしかないんだ。
BORN TO DIE
「まさか!」なんて言っていてはもったいない。僕たちは運良くそういう素晴らしいライターに出会えたんだから。
23世紀まで僕たちはいつもとおんなじマイニチを、それこそ死ぬまでくり返す。
延々とでき続ける最先端スポット。延々と汚職をし続ける政治家。延々と激動し続けるテレビのなか。そして延々と終わることのない日常生活。どれももうみんな知っている。うんざりするほど繰り返された手垢にまみれたマイニチだ。
『完全自殺マニュアル』のなかに、
前にも書いたけど、生きてたって、どうせなにも変わらない。エスパーじゃなくても、だいたいこれからどの程度のことが、世の中や自分の身に起こるのかもわかってる。「将来、将来!」なんていくら力説してもムダだ。あなたの人生はたぶん、地元の小・中学校に行って、塾に通いつつ受験勉強をしてそれなりの高校や大学に入って、4年間ブラブラ遊んだあとどこかの会社に入社して、男なら20代後半で結婚して翌年に子どもをつくって、何回か異動や昇進をしてせいぜい部長クラスまで出世して、60歳で定年退職して、その後10年か20年趣味を生かした生活を送って、死ぬ。どうせこの程度のものだ。しかも絶望的なことに、これがもっとも安心できる理想的な人生なんだ。(鶴見済『完全自殺マニュアル』 はじめにより)
っていうところがある。僕たちはガマンにガマンを重ねながら、この「人生の折れ線グラフ」を死に向かって突き進んでいく。ありもしない“輝かしい未来”をしっかり引きつけておくために。“今”と“自分”を犠牲にしながら。
そう。コースはとっくに決まっているのだ。
だけど僕たちは、それをただたどっていくために生まれてきたわけじゃないはずだ。
DON’T BELIEVE THE HYPE
「最悪の生き方」とは、将来や過去のことばかりを考え、今の欲求を我慢し、身体を重くすること……つまり我々の誰もが幸せになれると信じてやっている、この生き方なのだ。(鶴見済『檻のなかのダンス』 まえがきより)
1998年に『檻のなかのダンス』っていう本が発売された。
この本には体の自由を徹底的に奪うことで生き苦しさを生み出す、現代社会の「隠された仕掛け」(ドリル)が明らかにされている。それとともにどうすれば楽に生きられるかってことまで書かれている。
人生にはあらかじめ理由や目的や意味などない。自分にも誰にも、等しく何の価値も意味もない。あるなら、他の動物や昆虫と同じ程度にあるだろう。(鶴見済『檻のなかのダンス』 まえがきより)
「人生には意味がある」なんて言う人がいる。だけどこれはくだらない誤解だ。『檻のなかのダンス』に書いてある通り、人生に意味なんてない。
また鶴見済さんはある対談でこう言っている。
価値観が全て決定した中で俺達は生きさせられてるから。ひどい話ですよ。こういうように生きるのが最高だって。こういうふうに生きるのは最低だって言われて(松尾スズキ『第三の役たたず』 後書きにかえてより)
人生に意味なんてないし、世の中の価値観なんてのも自分の幸せとは何の関係もなかったのだ。
TAKE IT EASY
こうして意味だとか価値観から自由になっていくと、少しずつ少しずつ、生きるのが楽になってくる。楽しいとさえ思えてくる。なにしろ「イザとなったら死んじゃえばいい」のだ。「生きさせられてる」ってどういう感じだったっけ? 今や生きることも死ぬことも全部自分で決めていいのだ。
常識と思われていることを全てためらいなく否定するっていうのが大事かなって思うんですけどね。全部ゼロから自分で考えてみたらどうか、とかね(松尾スズキ『第三の役たたず』 後書きにかえてより)
だからもう「自殺はいけない」だの「ドラッグは絶対ダメ」だの「いい学校、いい会社、いい人生」だの「〜しさえすればお前は幸せになれる」だのといったどうでもいい言葉に耳を貸す必要はない。
こういう状況のなかで、もう“今”と“自分”を我慢して生きる必要なんてない。もちろん、他人に迷惑をかけない範囲ではあるけれど、好きなように生きればいい。だからそうやって、自分なりの生き方を自分で考えて生きることは、「わがままだ」とか「我慢が足りない」とか「世の中をなめてる」とか「日本の未来はどうなる」とかいう類の問題じゃない。自分がよいと思う生き方を自分で考え、実行することは、じつに素晴らしい生き方だ。
THE BEST FREE WRITER
はぐれ猫自身、鶴見済さんの本を読んで「イザとなったら死んじゃえばいい」「人生(猫生?)に意味はない」って思えるようになり、ずいぶん生きやすくなった。生きているのもまんざら悪くないと思えてきたし、それどころか生きてるっていいなぁとまで思えてきた。
このホームページが鶴見済さんの本や文章を読み、楽に、楽しく生きられるようになるための手助けになればいい。