非=国民宣言2000


ダンスで不自由が
見えてきた

――『檻のなかのダンス』の「あとがき」で、「檻とダンスのおかげで不自由になったんで」とあるんですが、その意味が今一つわからなかったけれど……。

鶴見 踊る快感を知ってはじめて、これまで体を動かす自由を奪われてたことに気づいた、というような意味なんです。

――そうですよね。ダンスをやることによって、身体がこんなに不自由だったのかが見えてきた。

鶴見 そうそう。飲み屋で徹夜で飲むのがなぜか辛いのもわかりました。口では「ばかやろう!」「わっはっは」と言ってても、体は狭いカウンターでビシッとしてる(笑)。体はビシッとすることが当たり前だと思って疑わなかった。だから、机に向かう姿勢は脳のためだけにあると思うので、こんな姿勢をとらない。家に机と椅子もない。

――卒論の当時は、まだダンスには目覚めてないんですね。

鶴見 そうすね。そういう前頭連合野で考える気持ちよさと反対の体の気持ちよさをみんなが軽視しすぎたらしい、って思ったのは最近踊り始めてからです。
 その流れで、自意識過剰問題を、よく言ってるところなんです。

――自意識過剰は、一貫して取り組まれていると思ってたんですが。今までとは別のアプローチなんですか?

鶴見 そうなんですよ。現代人は自意識と自意識の合わせ鏡のなかみたいな、へんなとこにはまった、と。「ヒトの定義」的なことまで、大脳生理学的にわかってきて、よく見てみたらドーパミンを使いまくる神経であるA10神経が前頭連合野まで伸びてるんですけど、出すぎたドーパミンを再吸収して「出すぎ」を伝える穴ぼこが、いちばん先っちょのところにだけないことがわかったんですよ。だから、ヒトはどういう生き物かと言えば、前頭連合野でドーパミンが出っぱなしになってる生きもの、だと。コントロールできないんです。そうだとすると、どんどん考えることはできても、考え過ぎまでいっちゃっても自分では戻れない。
 覚醒剤が効いている最中の人が、まさにそれで、気をつけてないと、すぐ細かいことに猛烈にはまって、自分が元々やりたかったことなんて忘れちゃってる。だけどこのムダって、やなことに個人でも国でも人類レベルでもやっちゃってる典型的な愚行パターンにも見えちゃうんですよ。JAPらは特に。だけど、他の生き物と違って人間は文化を持っているから、文化的な制御装置で外からのマイナスのフィードバックもある。トランキライザーを飲んで、ドーパミンを抑えるとか、外から設定してやる。認知療法にしてもそうですね。袋小路で激しくループしてるのがわからないから、客観的に見られないのを、文化として制御できてきたはずだった。そうすれば欲求→行動→満足という基本へと戻っていけるはずだった。癌と自殺がふえてどうする。「行き過ぎてる」のサインがくるんだから、ちゃんと受けりゃいいんですよ。受けりゃ。よけるなって(笑)。

――ありがとうございました。

(2000.3.3)


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