非=国民宣言2000


死んだらそのあと
世界がどうなっても

――ぼくは鶴見さんに共感する部分が大きくて、一つは自殺の問題があったんですね。ぼくも、昔は鬱状態になると『人格改造マニュアル』で鶴見さんが挙げられていた抑鬱状態に、ほとんど全部当てはまった。一年に三回ぐらいやってくるんですよ。

鶴見 認知のひずみとか、どうでした?

――あります。このまんまですよ。

鶴見 やっぱり(笑)。そういう手紙がすごく多いんですけど、おれほどではないと思います。なにしろ、書いてんですもん、自分が。いまでこそ何とかなってるんですけど。「集中しなくちゃ」っていう雑念強迫がひどくて、共通一次試験の時に、ひどいピークに達しちゃったんですよ。それで一たん受験勉強をやめましたからね。日記読み返すと、「あんな恐怖感を味わうぐらいだったら、人間関係も受験勉強も全部捨てる」なんて書いてる。
 そうしたら何も残ってないことに気がついて、急によくなってきちゃったんです。春になってきて、雪が融けるの見てて、「ああ、春はいいな。おれはこれでいいや」なんて思ったんですね。足切りだと思ってたら、受験票が届いちゃって、「受けてもいいな」と思って。

――何がぼくの抑鬱状態のメルクマールかといったら、朝二時間ぐらい自殺のことばかり考えるんですよ。そうすると楽になって、動けるようになるんです。

鶴見 自分が死ぬことを想像するのは、ものすごくいいことだと思います。

――そうなんです。

鶴見 あとは人生の「秋」と「冬」を残すのみで、死んだらそのあと世界がどうなっても、一切認識しないのだ、と。でもおれも、遺書なんて書いてもしょうがない、と考え至るの、すごくむずかしかったですよ。

――とにかく生きろとかという発想って蔓延してるじゃないですか。それはときに、非常に抑圧的に感じるんです。

鶴見 そうですね。結局、死ぬことを忘れようとしてると思うんです。それで、人生に何か目的みたいなものがあって、それを達成することこそ、生きることのすべてなんだ、みたいな教育が行われてますよね。それが裏教育の骨子だと思うんですけど、それがヒトの不幸の元凶なんじゃないかな。「生命教」と言ってるんですけど。
 生命活動の基本は、どんな生き物にしても、欲求→行動→満足の連鎖にすぎないんですよ。それでまた新しい欲求が生まれて、行動が起きる。鬱状態で何もする気がなくなっても、腹が減ったり、基本的な生理的欲求にはかなわないですよね。そういう欲求と、たとえば自己実現の欲求だって、同じ線上にあるもので。だけど、これだけは禁欲してるじゃないですか。遊びたいと思っても、体をグダグダ動かしたいと思っても、それはよくないことだ、と思いこんでて。当然欲求不満だらけなんで、それを正当化しだすという。しかも欲求不満は、欲求がなくなるまで続きますから、どんどん苦しくなる。それが生き生きした感じを奪ってるんじゃないか、と。そんなに禁欲が好きなら、食欲を満たさなきゃいいのに。
 おれは、自分が本当に何を欲求してるのかってことばっかり、一生懸命考えてます。高橋和巳っていう精神科医の人がそういうことを書いてて、「結局、最高の欲求充足の形は゛遊び"じゃないか」ってとこに行き着くんです。最初に欲求があって、何かほかの欲求とぶつかった時に、その欲求をおさえるのは欲求充足のためだったはずなのに、いまの人間のほとんどは、もとの欲求が空っぽであることに気付かない。皆が働いてるのは、なぜか。飯食うためだったはずで、それが生き甲斐で始めたやつはまずいない。満員電車に乗ってる人たちは、金や名誉でさえ本当に欲しいのか怪しい。優越感とか。おれは考えてみたら、欲しくなかった。こんなことは全然世間的に認めてもらえないですけど、いまはこうやってガジュマルの盆栽を見てたりするのがいいんですよ。『檻のなかのダンス』にチラッと出てくるんですが、檻から出た時に、花とか雲を見るのがすごくよくなってきたというのがあって、それ以降、「もしこれがこのまま続くなら、自分はただ生きているだけでじゅうぶん満足だ」という気分になったんです。

――禁欲の一方で欲求が挑発されているじゃないですか。本当に自分が欲求しているのかどうかわからないまま、引きずられてしまう。

鶴見 それが最悪だと思いますね。自分の欲求を勝手につくられちゃってる。

――たとえばほんとにこんなにみんな性欲があるのか、と思いませんか。

鶴見 そう。ほんとに(笑)。

――あれおかしいですよね。

鶴見 不自然すぎる。

――「ホンネで言えば」みんな性のことばっかり考えているものだと言われるけれども、本当にホンネなのか、タテマエのホンネじゃないか。

鶴見 少なくとも、ほかの生き物は違いますよね。
 一〇代の時にみんなが陥る罠というのは、部活と受験勉強と、あと恋愛。「つきあってる」人ほど偉い感じがある。三〇過ぎて童貞だと言うと、ほとんど人間のクズ扱いだけど、実はそんなにセックスしたいわけないです。覚醒剤みたいにやめられなくなる人がいないですから。おれは一〇代の時に恋なんかしなかったですけど、それは雑念強迫とかほかのことでいっぱいで、そういうことしてる余裕がなかったせいかと思ってたけど、「誰も恋しくなかったから」が最大の理由だった。

――ぼくも同じで、にもかかわらず、友人の中では好きなやつがいるというのが前提だから、無理矢理つくったりしてました。

鶴見 そうそう。いまの女の子なんて、「カレシ」ってのに興味がないと会話も成り立たないような状況みたいですね。だから数カ月単位で、恋しまくりでやんの。
 あと恋愛強迫の前に、友達強迫ってあるじゃないですか。

――ありました。大変でした。あれは大きなプレッシャーでしたね。ぼくは、人間がつながりあうことの意味はよくわかりながらも、一人が異常に好きというのがあって――。

鶴見 おれもそうですよ。だから、一回完全にどこまでも独りになってみようかなと思っちゃいますよ。だけど昔はここまで思い切れなくて、友達なんて「確保」するものだと思ってました。

――たぶん、いまの子たちは大変ですよ。PHSとかがあるから。ぼくは同情します。ぼくも友達プレッシャーに弱かったほうだから。だからつい、順応しちゃおうとするんです。週末に友達が遊びに来るとぼくは隠れていましたもの。何で日曜日にまで遊ばなければいけないんだ、と。

鶴見 「友」だと思ってないですから(笑)。

――だけど、縁を切るのは嫌なんですよ。「友達がいる」というのは確保しておきたいんだけれども――。

鶴見 そうそう。週末に自分だけ「友」と遊んでなかったりすると、次の週に学校で微妙にハブにされる、というのがあるじゃないですか。おれなんかクラブ活動までやってましたから、月から金までクラブ活動で、もうこれ以上友と遊びたくねえと思っているのに、どこかに飲みに行くという時に自分一人行っていないとヤバイかな、と。全く、ほんとにしょうがないですね(笑)。

――恐怖ですよ。いま携帯がはやっているのを見ると。かわいそうに、と。

鶴見 「連絡がつかなくて残念」という逃げ道までなくて。

――鶴見さんがどこかでおっしゃっていましたが、最近のオウムに対する転入拒否なんて、明確に憲法違反ですよね。でもそういうことを言うのは古い左翼なんだとか、古い人権派なんだ、頭がかたいやつなんだ、みたいな形で排除されることが目立ちます。

鶴見 「自由」なんて言ったりすると、良識的リベラル市民みたいなレッテルが貼られる。そうするとタカ派みたいな人たちが、「自由には責任が伴う」って言っただけで論破されるみたいになっちゃって。それはむしろ、「責任より自由のほうが゛主"たるものだ」って言ってるだけなのに、「責任とれるのか」の一言に負ける方もねえ。論壇の人たちは実は「普通よりバカ」だってことを、言い出さないとマズイ。
「公共心」なんて小林が言ってるけど、公共なんてのは国内だけのことじゃないから、世界的に対立しなくなってるのに、公共心で大東亜戦争肯定なんて、なりたつわけない。

――小林、ふざけてますよね。

鶴見 小林に対しては、特に思い切って、大勢で殴る蹴るしたほうがいいと思う。
 あと、科学技術庁の中曽根。代議士はおれたちのこぼれ金で食ってる乞食ですから、「来い。」「正座。」「原発二〇基増設? ばか。」パーン、程度でもいい。

――何で最近原発の問題を?

鶴見 これがまさに最近よくある、自分はおかしいと言っても周りはおかしくないと言う、って問題の最たるもので。おれ、東海村の事故の時、大阪へ逃げてたんですよ。たとえば癌と放射線の因果関係とか、絶対ないわけはないと思うんだけど、誰もおかしいと言ってくれない。癌は、どう考えても、調べてみたら放射能病なんですよ。例えば被曝者の死因はほとんど癌だと。放射線以外の原因は何一つわかってないのと同じです。
 癌医療の説明は、要するに放射線が癌の原因じゃないと言いたいがために、でっちあげたことです。それで今日本人の、二人に一人は癌にかかる時代になってる。日本が最大の被曝大国。医療被曝でさえイギリスの八倍だそうで、原発も放射線医療も科学技術庁がやってるんですよね。外科や内科は厚生省なのに、放射線と人体については科学技術庁がやってる。だから、自分らで原発を推進して癌で死人が出まくっても、放射線と癌は関係ないと強弁して、むしろそれを根拠にさらに原発を推進してるかんじで。
 ようやく自力で花を見ているだけで、あと音楽に合わせてただ踊ればいいんだというふうな、幸せの掴み方を見つけたのに、クソバカのせいで、ぶち壊しになってムカつくということで、今、国際的政治運動を展開しているんです。

――『完全自殺マニュアル』『人格改造マニュアル』というのは、社会もむかつくけど、まず自分がその中で生き方をどうやって変えていけばいちばん楽になるか、という問題の立て方でしたよね。

鶴見 そうですね。

――ところが、どうしても人間生きていると社会とどこかでぶつからざるを得ないというところに行きついて、徐々に力点が社会の方へシフトしたという感じを、『檻のなかのダンス』では持ちました。

鶴見 大学も社会学科だったんで、いままでも社会の仕組みを頭において、考えてきてたんです。でも、何をいちばん先に言いたいかとなると、生き死にのことで、『完全自殺マニュアル』やって、次の『人格改造マニュアル』は、性格と対人関係問題が生きる上でみんながいちばん悩んでいることじゃないかと思ってたんです。たとえば引っ込み思案でどうしたらいいだろう、とか。そういうことが社会のことの前に言いたかった、と。その次に社会のことを書いて(書き切れない部分もあったんですが)、いま実は自然のこと言いたいんです。清野って同業者の友人と対談本作ってて。対人関係だけではなくて、対自然関係をどうして結んじゃいけないんだろう。
 最近は、野鳥を庭に三〇羽くらい呼んで、集中して見てんですが、鳥もいいんですよ。スズメとキジバトとヒヨドリとシジュウカラとメジロが来るんですけど、植物と鳥は半々くらい好きです。一人で住んでんですけど、人間とかかわらないほうが幸せになれる気がしてしかたないという。


ニポンノミナサン コワクナイデスカ?

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