自殺が悪なのではない


 1993年、『完全自殺マニュアル』という本が出版され大騒ぎになった。その名の通り自殺の方法を事細かに記したこの本、条例で有害図書指定、テレビで大批判と徹底的に叩かれた※。なんでも「自殺をすすめている」のがいけなかったらしい。

 『完全自殺マニュアル』が自殺をすすめていたわけでないことは、読んでみればすぐ分かる。だからそういった批判をした人達は、本当は別の理由でこの本を攻撃していたのだ。その理由とは一体何か? ここから自殺と社会の関係が見えてきそうだ。

 『完全自殺マニュアル』があれほどまでに非難された理由、それはおそらく、社会集団には必ずある、秩序を維持していくための「報酬と罰(サンクション)のシステム」が働いたせいだ。社会集団には法律や道徳といった「いい/悪い」の基準があって、そこから秩序の維持に望ましいとされる行為には褒美を与えて促すが、犯罪などの望ましくない行為には罰を与えやめさせる。そう、我々の社会は『完全自殺マニュアル』に罰を与えることで、自殺をやめさせようとしていたのだ。

 このような自殺と社会の関係は、社会の重要な秩序維持・規範普及装置である新聞・テレビを見ると本当によくわかる。自殺の扱いがどれも驚くほど似通っているのだ。「自殺は絶対にいけない」「尊い命を粗末にするな」「生きていればいいことがある」……。「死ぬな、死ぬな」の大合唱。うんざりを通り越し、怒りさえこみあげてくる。

 社会がそんなことをやっている間にも、自殺者はどんどん増えているのだ。1998年、年間自殺者数はついに3万人の大台に乗ってしまった。自殺者の増える時代背景・社会背景を真剣に考えようともせず、都合のいい時ばかり、これまた都合のいい人命尊重思想でもって説教をたれてきたツケだ。自殺者の増加は、社会の敗北だということがまだわからないのだろうか。

 社会はいまだに自殺を悪だと決め込もうとして、つまらぬ説教に余念がない。自殺が悪だとわかれば、自殺がなくなるとでも思っているのだ。しかし、現実はそれほど単純ではない。生きる希望を持てと言ったところで、希望が与えられなければ持ちようがないし、自殺は釣り合わないなどと言ったって、他に釣り合うものがなければ、やはり自殺を止められない。

 だから、今本当にすべきなのは、声高に生きることの素晴らしさを説くことでも、自殺を大袈裟に嘆いてみせることでもない。ましてや自殺はいけないなどという規範を維持し続けることでもない。なぜ今、自殺者が激増しているのか? 事実として自殺者を減らすにはどうしたらよいのか? それらを考えることが必要なのではないだろうか。

 1人でも多くの人が「自殺したくない」と思えるような社会をつくることは、まだ生きている我々にとって大変重要な問題だと思うのだ。

※ワイドショーが批判する一方、他のメディアでは肯定的な意見が多かった。
http://hp1.cyberstation.ne.jp/straycat/watarumovement/suicidemanual/speak/others.htm

参考
「考える価値のない問題ばかり考えさせる仕組み」/『檻のなかのダンス』(鶴見済著、太田出版)
「殺人が悪なのではない」/『砂漠の思想』(安部公房著、講談社)    


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