『脱資本主義宣言』の書評

1.鈴木孝弥「“楽に”自然に生きる生き方の最大の障害としての…『脱資本主義宣言~グローバル経済が蝕む暮らし』」/『ミュージック・マガジン』2012年9月号より抜粋。

 これまで一貫して世の中の生きづらさについて考え続けてきた『完全自殺マニュアル』の著者が、12年振りに上梓した話題作。頑張って生きることをやめ、自分の内面をコントロールし、身体を開放し、自然とつながる生き方を追求してきた鶴見は、そうした“楽に”自然に生きる生き方の最大の障害としての無法資本主義の正体を、おそらくこの上ないほど分かりやすく書き表している。服の原料の綿、買い替えで捨てらる携帯電話、毎日のコーヒー、ジーンズ、マクドナルドにタバコにペット・ボトル…。それらの生産と消費が呈する問題を指摘しながら、本当に他人に、自分に、自然に優しいフェアな態度を考え、その先にヒト本来の姿を取り戻そうとする論述は、普段意識しない当たり前のことであるがゆえに胸がすき、腑に落ちる。が、感動させるのが目的ではない。闘いに誘う本だ。敵の名前は多数書いてある。

2.樋口拓朗「鶴見済著『脱資本主義宣言――グローバル経済が蝕む暮らし』」/『季刊ピープルズ・プラン』第59号より抜粋。

資本主義という人間界の内側にある経済活動のためには、モノは、地球から採取され、地球に棄てられる。経済活動(大量生産―大量消費)の背後で進行しているのは、有限な資源を減らし廃棄物を増やす直線的な流れだ(大量採取―大量廃棄)。このとき地球は環境と呼ばれ、人間に外在する。
 しかし、人間界の外側にある自然界の場合はどうだろう。(中略)自然界では、地球上の生物同士が、光合成と呼吸そして分解・還元によって物質を交換しあいながらエネルギーをやりとりし、絶妙なバランスを保ちながら、あらゆる物質は増えも減りもせずグルグルと循環しているというのだ。ここには、有限なものを無限に使い回す循環的な流れがある。このときヒトは地球に内在する。
 つまり本書で一貫していたのは、人間界と自然界それぞれにおける生物の活動(経済活動/光合成・呼吸・分解・還元)を「モノの流れ/物質の循環」から見つめる視点である。それによって、一方で直線的な、他方で循環的な、世界観の対比が導かれる。この世界観のパラダイムシフトが決定的に重要なのは、「死」というものへの感覚を変えさせることだろう。「死」は終りではない、「再生」だと。「それなら生ははかなくないし、死は絶望でも一巻の終わりでもなく、ここは閉じ込められた檻のなかでもない。むしろこの世界に愛着がわいてくるようだ」(一七七~七八頁)。

3.雑賀恵子「書評 脱資本主義宣言 グローバル経済が蝕む暮らし」『大学ジャーナル』第100号より抜粋。

 著者は、若い時期の大半を「生きづらさ」との格闘に費やしてしまったそうだ。かつて自殺のやり方を解説しているように見えて生きてみてもいいのじゃないかと励ます本『完全自殺マニュアル』を書いた人である。楽に生きる方法のひとつが「頑張って生きる」ことから降りること、内面をコントロールすること、身体を解放すること、自然と繋がることだという。だが、楽に生きるためには、現在の経済の仕組みをなんとかしないとだめだということに思い至る。国内格差が広がり、閉塞感に息が詰まるような時代を生きて、この息苦しさ/生き苦しさを強いているものについて調べ、考えた成果がこの本である。

この書評の全文は大学ジャーナルで読むことができます(画面左の「バックナンバーを見る」→2012年07月10日「Vol.100」)。

書評リスト(他にもあります。現在調査中)

・樋口拓朗「鶴見済著『脱資本主義宣言――グローバル経済が蝕む暮らし』」/『季刊ピープルズ・プラン』第59号(2012年10月)

・栗原康「鶴見済著『脱資本主義宣言』を読む やりたいことしかもうやらない」/『図書新聞』2012年10月6日付1面

・「「経済のため」は誰のため 『脱資本主義宣言:グローバル経済が蝕む暮らし』」/『オルタナ』第30号(2012年10月)

・鈴木孝弥「“楽に”自然に生きる生き方の最大の障害としての…『脱資本主義宣言~グローバル経済が蝕む暮らし』」/『ミュージック・マガジン』2012年9月号

・吉田司「日本の原子力ビジネスやり玉」/『中日新聞』2012年8月8日付

・中森明夫「『完全自殺マニュアル』を超えて」/『週刊朝日』2012年7月27日号

・雑賀恵子「書評 脱資本主義宣言 グローバル経済が蝕む暮らし」/『大学ジャーナル』第100号(2012年7月)

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