『無気力製造工場』の書評

「八〇年代中葉のニューアカ、九〇年代初頭の「おタク」文化と切れた思想界のパンクが現れつつあるというのが、本書を読んでのわたしの率直かつ楽しい感想である」(加藤典洋「無気力製造工場 鶴見済著 おタク文化と切れた思想文化の新世代」/『朝日新聞』1995年2月12日付朝刊より)


1.加藤典洋「無気力製造工場 鶴見済著 おタク文化と切れた思想文化の新世代」/『朝日新聞』1995年2月12日付朝刊※この書評は『みじかい文章』(加藤典洋著、五柳書院)に収録されています。

一部抜粋

 この本の特色は、著者も言っているが、ここに収められた文章がほとんど、くだらない、バカバカしい、といった姿勢で貫かれていることである。「君らは語らされている」などというポストモダンの構造主義的視線に出くわすと、彼は、「おう、だからどうした」とこたえるし、旧世代はもう古い、というような「おタク」世代的言説にあえば「何も変わらねえよ」、あっさりとつぶやく。本書の最後に、サリドマイド児でスキンヘッドのパンク少年アチェットが何の救いもないまま反抗して死ぬイギリスの漫画"SKIN"が紹介される。「まあ、こんなもんさ。(略)そう。アチェットの姿は、ほかでもない八方塞(ふさ)がりの僕たち自身の姿だ。(略)アチェットだったらきっと言ってるぜ。『くそーったれ!!』って。」
 思想と感情の新しい文体。著者は一九六四年生まれ、東大卒、大企業勤務の後雑誌編集者を経て現在、フリーライター。晴れのち曇り。曇りのち豪雨。八〇年代中葉のニューアカ、九〇年代初頭の「おタク」文化と切れた思想界のパンクが現れつつあるというのが、本書を読んでのわたしの率直かつ楽しい感想である。
2.壽卓三「新刊紹介 鶴見済著『無気力製造工場』 大田出版1994年  永沢光雄著『AV女優』 ビレッジセンター出版局1996年」/『「社会科」学研究』1997年12月号

一部抜粋

 身近で切実な「社会問題」を回避し、論ずる当人自身がほとんど痛痒を感ずることのない「社会問題」を提示されても、学習者が切実感を抱けないのは、当たり前といえばあまりにも当たり前な話だろう。この会誌の読者のおそらく大半は、鶴見の言う「ごく一部の人たちにとっての関心事」でしかないことを、重要な「社会問題」であり、現代を生きる人間はすべてこの問題を<考えなくてはならない>と言い募ることでメシを食っている。しかし、幼稚園から大学に至るまで、我々の言う「社会問題」を突きつけられている児童・生徒・学生は、そのことにうんざりし、「無気力」にさせられている。
 もちろん、「我々教員」にだって、いくらでも言い分はある。しかし、ここに示された「ことば」にじっくりと耳を傾けながら、個人的問題と社会的問題との接続如何について沈思することが、「我々教員」一人一人にとって、何よりも肝要なことではなかろうか。乱の時代であるにもかかわらず、否、金融不安の中で、資本主義がその牙をいよいよむき出しにしつつある今だからこそ。

鶴見済『無気力製造工場』
(太田出版、1994年)

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