石川県政の功罪(第一部)

 東京都知事石原慎太郎、静岡県知事石川嘉延、実に対照的である。
 一方は作家であり、元国政の場で活躍し、一方は官僚一筋。
 一方は激戦の選挙戦を勝ち抜き、一方は各党の相乗りで当選。
 そして、国をも驚かせた東京都の大手銀行に対する外形標準課税に対し明確に反対の意思表示をしたのは、唯一、石川知事であった。
 そこで、「石原新税」「銀行新税」などと呼ばれる東京都の外形標準課税問題に見る両知事の視点の違いを明らかにした上で、その影響に留意しつつ個々の政策を評価してみたい。

1 外形標準課税問題

<概略>

 平成12年2月7日、東京都の石原知事は資金量5兆円以上の金融機関に対して外形標準課税を導入する方針を表明した。税収確保が直接の目的だが、本当の目的が政治的揺さぶりにあったことは既に報道のとおりである。(本来の)外形標準課税は長い間、全国知事会が国に導入を働きかけてきたものだが、一向に進展しなかったもので、東京都の今回の行動はこの国の不作為に異議申し立てを行うとともに、国と銀行のもたれあい(国は銀行に公的資金7.5兆円を注入し、銀行は去年1年間で10兆円の国債を引き受けた)で、動きのとれない国に代わって国民世論と合致した銀行の責任追及を図ったものとするのが大方の見方である。その証拠に、この問題のほか、ディーゼル規制や台湾外交、横田基地返還問題など国に対して挑戦的な政策が石原知事の特色であり、それがときに世論迎合的・人気取り政治と非難される原因ともなっているのである。
 これに対し、石川知事はというと、「東京都だけでやると他の道府県に甚大な影響が出る。とても容認できない。」と批判した上で、「東京都に自重を求めたい」と言い。さらに「なぜ金融機関なのか。特定のものを狙い撃ちすることの合理性はどこにあるのか」「いまの経済、金融情勢をきちっと検証したか。抜き打ちでやっていいのか」と空港問題では見せない論理的問題提起をし、「自分のところさえよければ他はどうでもいいでは困る」と非難した。
 一方マスコミの反応はというと、静岡新聞が石川知事に好意的であった以外は、国民世論に沿う形でおおむね都知事に好意的な論調が目立った。
 また、中央政界においては、金融機関に対する便宜発言で金融再生委員長を辞任した元官僚の越智氏が「金融安定に国費まで投入している政策と整合性がない」と強く反発したのをはじめ政府・官庁筋では疑問を呈する慎重意見が支配的な一方、「地方分権を進めるためには、財政の地方持分を引き上げないといけない。避けて通れない基本問題だ」(牧野労相)「外形標準課税は知事の権限で決められるし、議会で承認をすれば実現できる。そのことに異議を申し上げるつもりはない」(深谷通産相)と小渕内閣の4閣僚が賛成ないし容認の姿勢を示すなど評価を二分した。
 なお後日、石川知事は国が東京都の外形標準課税を容認するなら、静岡県も導入を検討すると表明した。

 <評価>

 今回の外形標準課税が違法か適法かを別にして、理論的に幾つかの問題のあることは石川知事を始め政府筋の指摘に分がある。しかし今回の石原知事の提起した問題はこれとは次元が異なることに留意すべきである。
 加藤紘一前自民党幹事長の「二つの点から歓迎だ。一つは政治家としてのリーダーシップだ。自分で新税をぶち上げて、世論を見方につけて一気に実現に持ちこむ、この辺のスピーディーな決断、実行力は今の政治に一番欠けている。地方分権の立場からも素晴らしい。」との発言は、これをもっとも的確に表現していると思われる。
 すなわち、これは行政判断ではなく、政治判断なのだということである。政府が銀行への公的資金注入を決断したのと同じく政治的判断なのである。
 東大教授の神野氏が「国が全国一斉に実施するまで待つべきだという議論に理がないわけではない。しかし、東京都から全国に改革の火の手を上げようとする政治的意思に、そうした理は通じるわけがない。」と指摘し、「(石原の政治的問題提起に対し、)自治省出身の県知事をいただく県は「銀行新税が導入されると、我々に回ってくる交付金が少なくなる」なんてのんきなことを言ってる」(週間東洋経済)と評されるのは、まさにこの視点の違い・器の違いを意識してのことであろう。
 しかし私は、このことよりもむしろその後の、国が良いというのなら本県でも、という自立性・独立性を欠く発言の方が残念であった。
 主張の一貫性の無さと脆弱な印象は拭いようも無い。
 旅費問題で見せた国追従の姿勢(東京都は独自に改正している)と相俟って、彼がその著書で表した「地方政府の樹立」にも疑問を感じざるおえない。

2 行政改革

 石川知事が最も自慢してやまない成果が行政改革である。自ら行革先進県と称していることからもその意気込み・自信が窺えよう。
 この行政改革は、いわば内向きの政策であり、外向きの政策と異なり利害関係の調整や政治的外圧がほとんどなく、各党相乗りで誕生した知事にとっては最も独自色を出しやすい分野といえる。加えて、元自治省官僚として、この分野の専門家との自負もあるのだろう、自らが先頭に立って考え、実行に移していることが感じられる。
 まさに石川県政の真骨頂といってよいだろう。しかし残念なことに、外部からの評価ほどに成功を収めていない上、この認識ギャップが職員の理解と積極的協力を妨げる悪循環をもたらしているのである。これを明らかにする前に、まず彼の行革の理論のベースとなっている静岡県立大学教授北大路信郷氏の戦略的行政論、行政評価理論(業務棚卸法)を概観しなければならない。

2−1 北大路流行政改革理論

<戦略的行政論>

 北大路氏の戦略的行政論のルーツとなっているのは、彼自身が述べているように米国で注目をあびた「リインベンディング」の考え方である。リインベンディングとは日本語で「再創造化」であり、ゴア副大統領主導のもとに実行されている政府の質や生産性の復元運動が具体例である。米国の経済的復興の基となった情報ハイウェイ構想もこの運動の中で生み出されたといわれているものである。
 そして、北大路氏は、この考え方の10の指針中の「ルール指向よりも目的指向になれ」、「資源重視型よりも結果重視型になれ」、「供給側ニーズよりも顧客側ニーズに応えろ」という3つの指針が戦略的行政の特徴と述べている。
 彼は自治体の政策形成の考え方には4つのタイプがあるとし、従来のタイプは@論理よりも経験に根ざし、結果よりも過程を重視するタイプ、A経験よりも論理を優先し過程重視のタイプ、B経験優先で過程より結果を重視するタイプが中心であったが、これからはC論理優先と目的重視を併せ持つ戦略的行政というタイプを重視すべきであると説いた上で、「戦略論では実現したい将来の姿をできる限り明確な設計図として描き、そこへ至る道を迷わないようにするためのグランドデザインを持つことを重視します」、「(グランドデザイン)を抽象的な言葉で、「ふれあい」「うるおい」などと表現したのでは納得を得ることはできません」、「最も強調したいのがグランドデザインの役割です」、「自身がグランドデザインを持ち、それを明快に住民の方たちに示すことができるかどうかが全ての作戦の成否を分ける点である」と述べています。

<行政評価理論>

 戦略的行政論に立脚した行政評価として、氏は成果主義行政評価を提唱している。
 過程より結果を重視する立場からは当然の帰結といえよう。
 そして成果主義行政評価とは、まさに目的の達成度すなわち成果を定量的な指標によって管理し評価するものであるため、この指標の設定が困難ではあるが重要な鍵(キー)となるものである。
 また、この指標の設定については、戦略的行政論では目的の設定において顧客側ニーズを重視することから論理必然に顧客満足度を反映したものとなるべきであることとなる。
 加えて、目的・手段の階層構造(氏はこれを目的・手段の連鎖構造と呼ぶ)から、目前の成果(目的)ではなく上位の成果(目的)を追及することの重要性を認識させる必要が解かれる。
 そして、この成果主義行政評価の効用として「新しい事業を始める場合にも、必ず期待される成果を具体的に明示しなければならない制度になるので、本来問題があるのに政治的圧力に負けてつまらない事業を始めてしまう心配が少なくなる」こと、「(ノルマの重圧感でなくプラスの動機付けにつながるような制度上・運用上の工夫により、)目標があるので職員に達成感が生まれる」こと、「結果に関係ないのに踏まなければならない手続や作らねばならない書類、開かなければならない形式的会議、などを排除していくことができる」ことなどを挙げている。

<業務棚卸法>

 業務棚卸法は業務(事務事業)評価システムである。
 他の業務(事務事業)評価システムとの違いは「目的と手段の樹木構造を把握し記述する」ことを基本的特性としているという点であるといわれる。
 上位の業務目的を達成するためにどのような手段群が用意されているか、さらにその手段群を現実化するにはどのような手段群が用意されているかという目的・手段の連鎖構造を明らかにし、それぞれのレベルにおいて管理(評価)指標、目標値、実績等を業務棚卸報告書という一覧表にして管理・評価するのである。
 業務棚卸報告書の主な利用法としては、「管理監督者が業務遂行状況を把握し、評価する」、「人員や予算など必要資源の要求資料、査定資料として利用する」、「事務事業の見直し、事務処理方法の改革の基礎資料とする」ことが中心となる。
 また、目的・手段の連鎖構造から、大目的が曖昧なまま事業の必要性を議論するこれまでの見直し作業にはなかった論理性が確保できるということが効用として挙げられている。
 なお、目的達成度を測る尺度を見つけることが困難なことがやはり強調されている。

2−2 石川流行政改革

<生産性の向上>

 静岡県の行政改革は、「生産性の向上」を目指し、目的と成果を重視した「目的指向型行政運営」に取り組んでいる。
 そして、これを具体化するものとして、「業務棚卸表の活用」、「戦略的政策展開」、「組織のフラット化」という3つの柱となる取り組みを行っている。(トップシステム3本の柱と呼んでいる)
 紙面の都合上、これらの概要を静岡県のホームページにてまず確認されたい。
 それでは以下においては個々の取組について私なりの評価を交え静岡県の行革の実態を明らかにしたいと思う。

<業務棚卸表>

 「業務棚卸表」は北大路氏の業務棚卸法でいう業務棚卸報告書に相当する。
 まず、業務棚卸表がどのようなものかを実際に見ていただきたい。(県のホームページで)
 (1) 業務棚卸表は行政評価手法か
  北大路氏も述べているが行政評価の意味するところは必ずしも一定していないのが現状である。
  このため、本県の業務棚卸表を行政評価手法であるとすることが誤りとは言えない。事実静岡県ではそう言っている。
  しかし、行政評価が顧客側重視の視点にたち、外部からの評価を重視する参加型のシステムであることを目的とするのであれば、この業務棚卸表を行政評価そのものと言うことはできない。
  私企業の場合、企業評価と言えば、その@収益性、A安定性、B成長性を指標(総資本計上利益率、自己資本比率、増収率等)を用いて評価するのが一般的である。これは私企業というものが一般に利潤追求を目的とすることからきている。
  一方、行政の目的は公益の実現という抽象的で多元的価値観を反映せざるおえないものであるため評価の指標という点では議論があるものの、私企業の@収益性、A安定性、B成長性に相当する評価視点は存在する。一般には以下の4点であるとされる。
   @有効性(行政活動によって行政目的が達成されたか)
   A効率性(行政活動が必要最小限であったか)
   B合規性(行政活動の過程が合法的であったか)
   C妥当性(行政活動自体あるいはその副作用によってかえって大きな問題を発生させなかったか)
  率直に言って、業務棚卸表はこれらを直接評価するものではない。
  北大路氏が成果主義行政評価の効用として「新しい事業を始める場合にも、必ず期待される成果を具体的に明示しなければならない制度になるので、本来問題があるのに政治的圧力に負けてつまらない事業を始めてしまう心配が少なくなる」ことを挙げたが業務棚卸表ではとても期待できないものである。
  もしこの効用を期待するのなら行政評価は政策評価を包含しなければならないのである。そしてこれこそが今日最も外部から要請されているものでもある。
  もちろん、政策の決定・責任は政治の領域である。しかし、学問的にも政治・行政融合論が定着し、現実に行政の役人によって主要な政策の立案が行われている状況にあっては政策評価を行政評価のトップレベルにおくことは必要にして欠くことのできないことと言えるであろう。事実、行政活動のレベルに応じて@政策評価A施策評価B事業評価C事務評価と分ける考え方も提示されている。
  それでは静岡県の業務棚卸表とはいかなるものというべきであろうか。
  私は業務棚卸表を、それ自身を行政評価と呼ぶことはではないが、行政評価の事業レベルでの評価資料であると位置付けたい。
  静岡県の言う行政評価の取組と言うには、あまりにも現場指向であり、北大路氏の言う事務事業評価システムと言うにも、具体的な利用法がシステム化されていないなど「資料」の域を出ていないと評価するからである。
 (2)業務棚卸表の構成について
  例として静岡空港事業がどのように表化されているか見てみよう。
  静岡空港の整備は、総合計画中の第3章「世界に広がる出会いと連携」1「総合交通体系の準備」(1)静岡空港の整備として位置付けられている。静岡空港の整備の業務棚卸表はさらに業務内容によって5つの表に分けられている。
  この内、「空港事業用地を取得し、併せて空港周辺地域の地域振興事業の推進、生活環境対策を展開する」業務の業務棚卸表を見てもらいたい。
  この業務の目的は管理指標を開港時期とする「静岡空港を整備し、本県の立地上の優位性を高め、県勢のより一層の発展を図るため」というもので、業務管理指標は「用地取得率・隣接進行事業進捗率・騒音対策実施個所数」となっている。これより上位の目的、管理指標は記載がない。
  また、目的達成に必要な主な手段としては用地取得率を管理指標とした「用地取得対策の実施」、補助率を管理指標とした「空港周辺市長の振興対策の実施」、施設整備数を管理指標とした「生活環境対策の実施」、期限内適正処理を管理指標とした「その他の業務」と大分類されている。これはさらに「地元対策における課題の解決」等の手段の中分類、「現状分析、課題の整理」「対策の検討」「関係機関との調整、報告」という手段の小分類に展開されている。
  手段の小分類にも管理指標の項目があるが適正処理などの抽象的なものが多く、数量化されているものも含め指標は1つの手段に1つとなっている。
  以上を、「目的・手段の連鎖構造から、大目的が曖昧なまま事業の必要性を議論するこれまでの見直し作業にはなかった論理性が確保できる」ということが効用とされている業務棚卸報告書の考え方から評価しようとしたが空港が必要ということがすでに前提となった構造であり評価のしようがない。
  あえてコメントするならば、「現状分析、課題の整理」「対策の検討」「関係機関との調整、報告」という最も細分化された業務内容も漠然としており、この必要性を大目的から論理的に検証することが現実的か、目的が表によって明確化されていないとなぜ目的意識が希薄になるのか、そもそもこのような事業にまで業務棚卸表の標準的な様式を画一的(杓子定規)に用いることが妥当かといったところを問題提起しておく。
 (3)業務棚卸表の利用について
  業務棚卸表の利用法は、先に述べた北大路氏の「業務棚卸報告書の主な利用法」のとおりで、行政内部で事業の執行管理をすることが中心となるものである。これは業務棚卸表が、実質的には住民(外部)のためのものというより、政策決定者(内部)のためのものであることを意味する。
  住民側からの利用をあえて考えるとすれば、例えば先に見た空港建設事業に対して、「数年間に渡り用地取得率の向上が見られないという今日の政策執行の環境条件に照らし、事業を見直すべき。」というように時のアセス要件の検証や、ごみの不法投棄はどこの部署で扱っているのだろうという担当部署検索用の利用などであろう。
  住民の側からの評価システムとは程遠いものである。
 (4)業務棚卸表の功罪について
  現在のところ、業務棚卸表は評価尺度を模索・検証している段階であるためか、懸念されていた事業現場への指標のノルマ化はない。しかしいづれ、この様な方向に進むであろうことは想像に難くない。
  では、特定の具体的指標がノルマ化した場合、どのような弊害が発生するか考えてみよう。
  ノルマ化、すなわち管理統制のための評価化は、統制される側に「統制機関の覚えをめでたくするために、統制側がプラスに評価する指標値を高め、かれらがマイナスに評価する指標値を低めることに過剰な関心を寄せる」傾向を生じさせ、政策の立案と実施をかえって歪めてしまうことが一般に指摘されている。
  最近の埼玉桶川の女子大生刺殺事件、愛知県の少年による5000万円恐喝事件で、告訴あるいは通報したのに事件化しなかったことが問題になっているが、これは典型例だろう。
  多忙な警察にとっては限られた時間の中で重大事件の検挙率を上げることがプラスに評価される指標であり、そのためには評価を上げるのに非効率で面倒な事件は無いことがなにより望ましいことになる。
  これらの事件は特殊だ例外だと見る人もいるが、これは誤りである。構造主義的には警察機構という構造のもつ「管理のまなざし」によって自己規定された結果とみるべきであり、ジャニスの集団思考理論で説明すれば凝集性の高い集団ゆえに集団圧力による現実検証能力・道徳的判断能力の低下を招いたと説明されるべき典型事例である。
  特に警察組織に属する人はその職性にもよるのであろうが外部に準拠集団を持たないため、帰属集団の価値観を内在化しやすいのである。
  そして、これらの発生条件(危険性)は、少なからず警察以外の行政機構のもあてはまるのである。
  私の従事する税の現場で想像すれば、プラスの評価となる収納率を上げ、マイナスとなる不服審査請求を避けるため、租税法律主義や税の公平・公正といったコストのかかる理念を犠牲にして、所謂ごねるケースではあえて調査・課税しないなどということが起きないとも限らない。
  また、民主的手続やユニバーサルデザインへの配慮といった非効率的・非営利的目的のためのコストにも留意するとなれば、効率を重視した指標の必要以上の強調は、これら並列的行政目的の実現にも悪影響を及ぼしかねないのである。
  したがって私は、業務棚卸表のような目標設定表はあくまで自己の業務の点検・改善のために用いるべきであり、認知モデルの1つである目標設定モデルから、目標の設定にあたっては実際の従事者の参画を必要条件とすべきであると考える。それでなければその目標はただ存在するだけということにもなりかねないし、職員の達成感など生まれようもないと思うからである。
  そしてこの考え方はマグレガーの自己実現を重視する「Y理論」とも一致する。
  目標管理と連動する業績評価について、「他から強制されたノルマとの対比における評価ではなく、自己が設定した目標との対比における評価であるから、達成した場合の満足や達成できなかった場合の反省が、より深く心に刻まれることになる」というのは的を得た指摘といえよう。
  確かに、形式的には、管理指標の設定は係・スタッフによって行われているが、上の目を気にしないで設定したとは考えられず、実質的に見て自立的に設定されたものと言ってよいかは疑問である。
  最近、組織の対応に不満を述べた職員に対し、おまえらは駒にすぎないと一蹴しようとしたケースを聞き及んだが、これなどは組織の本質は人間活動の協働体系であるという、人間関係論に立脚した現代組織理論の無理解がいかに深刻であるかの証左であろう。確かに最近は「理」よりも「利」によって人を誘う社会傾向と相俟って、「利」によって動く者が多いのは事実である。正義感を振りかざすよりも「利」をちらつかせる方が効果的なことも事実である。実際、利益追求を目的とする企業にならって県もそういった価値軸での人の誘導に比重を置き始めている。しかし、「理」なきものに動かされない者も決して少なくはないのである。駒は駒でも意志をもった駒である。面従腹背の深刻な事態を招きかねない危険性を忘れてはならない。
  さらにかかる認識が、本来の組織のフラット化の基本認識とも違背するものであることも指摘したい。
  業務棚卸表の活用が、真に「資源を効果的に投入する業務執行の手法の確立」を狙いとしているのなら以上十分に留意してもらいたいと考える。  

<戦略的行政展開>

 静岡県の戦略的行政展開システムとは「重点的かつ創造的に政策を展開する手法」とされている。
 より具体的には「限られた人やお金を有効に活用するため、トップが示した方針の実現に向けて、全庁挙げて施策や事業を重点的に展開」するもので、平成11年度は「ユニバーサルデザイン」「交流人口の増大策」「本家・本元づくり」の3テーマの知事方針を示し、各部局でこれを実現するため、部局長や総室長が自らの課題として方向性や具体化に取り組んだと言われているものである。
 実のところ出先機関から見れば一体どんな取組をしていたのかよくわからない。
 確かにユニバーサルデザインについてはチラシのようなものが供覧されていたと記憶しているが、それ以外は県のホームページ上で始めて知ったのが現実である。
 戦略的行政展開に至ってはホームページ上の説明から基本的認識を推測するしかないのである。
 ホームページ上の「本県の行政運営の仕組みの概念図」から戦略的行政展開というものがトップダウンの政策展開方式であることがまず見て取れる。
 次に同図や平成11年度の取組から戦略的行政展開における目的が知事の主観的志向に基礎を置いていることがわかる。
 そこでとりあえずはこの2点についてコメントしておくこととする。
 (1) 目的(政策)の選定
  従来は、政策の立案のほとんどが企画を担当する役人側からなされ、財政的チェックを経た後、トップがその政策を採用するという形のものがほとんどであった。この方式の特徴としては、財政当局による単年度重視、確実性重視、収支バランス重視、既存事業重視といった財政の論理が強く反映されるため、企画部門の自己抑制により、実現性はあるが夢がない政策ばかりになりがちであることが言われている。また、現場から見れば、つまらない、やりがいのない仕事が圧しつけられたということになる。ただしそのかわり、財政は健全性を保ち易いという長所はある。
 実際私が本庁にいた当時、新規事業を考えるに当たっては財政を通りやすいかが重要な事業選択要素となっていて、事業の実施によって大きな効果が期待できるかは二の次となっていた。このため、イベントは補助団体・市町村等に動員をかければ実績が得られるのでリスクは無く、他でもやっているので財政を説得しやすいなどといわれ、迷ったらイベントなどと言われた。
  確かに、行政を取り巻く環境の変化がそれ程でもない時代にあってはこれでもよかったのかもしれない。
  しかし今日、世界の中での国勢の変化、産業構造の急激な変化、国内における地方間の競争激化、急激な高齢化等、行政を取り巻く環境が、明らかにこれまでの行政のスタイルの変革を求め始めたのである。
  そこで期待されたのが、企画主導型の事業選択である。
  これは、まず企画すなわち具体的目的・目標を頂点として設定し、これに十分な財政的、組織的手段体系を導き出すという方式と言ってよい。
  これによって、未来志向の夢のある大規模な政策の展開が可能となる。
  しかし欠点もある。不確実な未来を対象に大規模な政策を展開するためリスクが高く、実現性を問題視されやすいということである。これに対しては、未来という不確定な施行環境条件についての可能な限りの客観的調査分析結果を公表し、これに基づき、目的に最も適合した企画(具体的目的・目標)を選択すること、及び未来の環境条件の変化に対応する修正プロセスの用意をもってカバーしておくべきが必要条件とされよう。
  また、もう1つ、財政的負担が大きくなりがちという側面もあるので住民の十分な合意も欠かせないものとなるだろう。
  さて、静岡県の戦略的行政展開であるが、これはまさに企画主導型事業選択のスタイルへの転換を意味するものである。そしてこの方向性は支持できる。
  しかし現実に行われている政策を見ると、政策選択にあたって、多くの政策の中から今なぜこれらを選択したのか十分な説明がない。このため、いきなり宗教的教義のように上から信者になれと降ってきたような印象を与えるのである。私は空港問題について、県の発表を鵜呑みにして賛成という人たちを空港教信者と呼んでいるが、県が十分な分析・説明を情報公開すれば自立した自分なりの判断が各自でき、他者への説得力も増すはずなのである。私は彼ら(信者)と議論する気にもなれない。
  この意味でも、情報公開の積極化を強く望みたい。
 (2) トップダウンの政策展開
  県の戦略的行政展開のもう1つの特徴であるトップダウンの政策展開は組織のフラット化と相俟って仕事のスピーディーさが一番の売りである。他にも目的・目標が明確になり一貫性のある決定が行われやすい、大きな環境条件の変化にも対応しやすい、といった長所が認められる。しかし反面「トップの能力や姿勢によって大きく左右されやすく、目的・目標・方針などの科学性、客観性、合理性が必ずしも保証されなず、トップがこと細かくすべてにわたって決定しようとする場合には、かえって決定に時間がかかることになりやすい」、「下位レベルの参加意識が薄れ、モラール(士気)が低下しやすい」といった短所が一般に指摘されている。
  トップダウンの政策展開が是か非かは単純には言えない。
  成功するかは、政策の規模・性格やトップのリーダーシップ能力に依存するからである。
  一般には、今日の環境変化の激しい時代にあっては、大規模事業におけるトップダウンの政策展開は時代の要請であると言えるが、リーダーに信頼感がなければ、これがかえって非効率となる。
  また、比較的規模の大きな事業であっても、実務レベルのモラールが重要視される場合にあっては、あえてボトムアップによることが最適となることもある。
  知事の「ユニバーサルデザイン」「交流人口の増大策」「本家・本元づくり」の3テーマについての戦略的行政展開について見れば、現場レベルで見る限り、手法として成功したとは言いがたい。
  なんでもかんでも戦略的行政展開というのは考え直すべきであろう。戦略的行政教が生まれかねない。

<組織のフラット化>

 前述のリインベンディングの指針中に「階層組織から共同参加組織になれ」というのがある。これは権限委譲と参加促進の重要性を示したものである。本来、組織のフラット化の基本はここにある。
 P・F・ドラッカーは仕事のためのチームには3種類あり、仕事の生産性を高めるためには、それら3種類のチームのうち、仕事と仕事の流れに最適なものを選択することが必要であることを指摘している。
 一つは反復仕事やルールが固定化した仕事に適性を持つ野球型チーム。
 一つは柔軟性と迅速性を要求されリーダーシップが不可欠のサッカー型(オーケストラ型)チーム
 一つは少人数で相互に対等にして補助的に機能して最高の成果を発揮するテニスのダブルス型チーム
以上の3つです。
 そして、組織のフラット化は野球型チームからサッカー型(オーケストラ型)チームへの改革のことをいいます。
 情報を組織の構造要因として扱うと、情報化社会の発達は、ただちに中間管理階層の多くを余剰とし、改革は必然となりますが、静岡県のフラット化のレベルは、まだこのレベルにあります。
 ドラッカーは、ここからさらに進むべきを主張します。これが情報型組織から責任型組織(実質的に部下が存在せず同僚のみが存在するような組織で、全員が責任ある意思決定者として行動することが特徴)への転換であり、業務棚卸表のルーツと言うべき彼の目標管理論(正確には「目標と自己規律による管理」論)と不可分一体の理念を構成しているのです。
 県は組織のフラット化を「簡素で効率的な行政組織」と言い、これに目的別の再編を伴うことにより、「大規模な権限委譲による迅速な判断(施策展開)」が可能になると説明しています。
 残念なことに参加促進の重要性の認識は薄く、このためか権限委譲・フラット化も不十分なものと言わざるを得ません。
 私に言わせればやっと無駄なポストを省いたかというのが率直な感想です。

2−3 総評

 私はよく、一つの事業を行う過程を一軒の家を建てる過程に例える。
 企画に相当するのが設計図であり、実際に現場で事業を執行するのが大工ということになる。
 最も理想的な組み合わせは、現場の大工も納得するような立派な設計図を基に一流の大工が建築した場合となろう。
 次に、例えば子供の書いた絵のような設計図でも一流の大工の手にかかれば立派なものができるだろう。
 しかし、建設を請け負った会社がいくら良いものだといっても、またその設計がいくら緻密であっても、それがその家に住む人にとって危険・劣悪なものならば、プライドある大工ならまず設計変更を求め、それでもだめなら仕事を降りるか、設計を勝手に変えてしまうかするだろう。しかしお金が稼げればいいというだけの大工なら、言われたとおりに作るか、最悪の場合見えない部分で手を抜くことになるだろう。
 私はこういったことから現場至上主義というものを主張している。
 事業の執行にあたっては、まず現場を考えなければならないということだ。
 現場は、最も敏感に行政活動の出発点となる行政需要を感じ取り、それにどう対応したら最も効果的かという企画の原案というべきものが構想できる。
 また、建前と現実のギャップにいち早く気づくことができる所でもある。
 だからこそ、効果的な事業展開には、現場の主体的取組が不可欠なのである。
 そして、この考え方に基づく理想形が、フラット化の究極の責任型組織であると考えるのである。
 ただし大工(現場)が三流では返って最悪となるのは必然なので、一人一人の高い資質・能力は要求されよう。
 一方、そういった能力の向上には、指示待ちから主体的に取り組む責任者としての訓練が必要なので、人的組み合わせの妙というものも必要となろう。
 よく現場で部下の失敗を恐れるあまり事細かに指示を出したり、事前にチェックを入れる管理者がいるが、これでは訓練にはならない。まず任せること(押し付けることとは違う)。もちろん失敗してもカバーできる範囲で。これが管理者の度量というものだろう。同じ失敗でも、指示に従っての失敗と自ら考え実行した結果の失敗とでは、後に生かされるもの、すなわち責任感が違うのだから。
 責任型組織の責任はあくまで自ら考え実行した責任でなければならない。
 さて、県の行革だが、姿形は一応、行革らしく整ってはいる。
 しかし、実態は、先に検討したようにうまく機能していなかったり不十分な状態といわざるを得ない。
 そしてなによりも問題なのは、改革の成果について、現場を向かず、必要以上に世論に気を取られすぎている点だ。
 皆さんは「秋住の問題」はご存知だろうか。秋田県の出資した3セク(秋住)の販売した住宅が、見た目は立派だったにもかかわらず実は欠陥だらけの住宅であったという事件だ。
 静岡県のホームページを見ると行革はものすごく成功しているかの印象を与えている。例えば「ひとり1改革運動」というのがあるが、全ての職員がいい仕事を目指した結果、10年度、11年度と提案件数が増えていることになっている。しかし実際は11年度から内容にかかわらず数を多く出した所属を表彰するということになり、気弱で自己保身欲の強い管理職が数集めに躍起になったからという見方もできる。
 今年あたりも、内容はどうでもいいから出せと言うようなノルマ化が進行しかねない。
 こうなってしまったら、上司や「ひとり1改革運動」に対する信頼だけでなく、県の行革そのものに失望が広がるのは必至だ。適当に付き合っていけばいいというあきらめや無関心が蔓延することとなる。
 そしたらまさに欠陥住宅だ。
 もう一つ、「100人委員会」という若手による共同提案の仕組みがある。
 これなども発足当時は期待を持って自主的に参加したものも多く順調で成果があった。しかし、日常業務との関係でサポートする体制・理解がなく希望者が減った。それにもかかわらず、責任回避欲から、うまく言っているかのように繕うため事務所に動員人数を割り当て、とうとう最後には必修の5年次研修のカリキュラムに組み入れ、今なお数年前の成果を自慢しているのが実態だ。よく見せたいというのも気持ちとしては分るが、そのために職員の信頼を失ったら意味がない。
 私は、成功を強調する前に、うまくいっていない点をしっかり直視すべき誠実さを求めたい。

平成12年4月18日 (第二部につづく)

<第一部の参考図書>

「SRI bS1」/(財)静岡総合研究機構
「SRI bS9」/(財)静岡総合研究機構
「SRI bT5」/(財)静岡総合研究機構
「実践的行政管理論」阿部孝夫/成文堂
「行政学」西尾勝/有斐閣
「ポスト資本主義社会」P・F・ドラッカー/ダイヤモンド社
「なぜ会社は変われないのか」柴田昌治/日本経済新聞社
「組織の心理学」田尾雅夫/有斐閣ブックス
「人間関係の心理学」齊藤勇 編/誠信書房
「カウンセリングの理論」国分康孝/誠信書房
「集団と無意識」ディディエ・アンジュー/言業社
「行革」伊東光晴/岩波ブックレット