◆◆ 海外エンタテイメント作品 (翻訳物) を巡って (前編) ◆◆

〜 翻訳と翻案、そして悪訳 〜

 
** INDEX **
1.はじめに
2.海外ベストセラー作品の「翻訳物」をとりまく状況
3.法律は……
4.粗悪な翻案の恐るべき実態

---- (以下 後編) ----
5.翻訳は異文化間の対話
6.日本では馴染みのないもの
7.原作に忠実な翻訳のために
8.参考文献


 

1.はじめに

 Ra_Looは 「翻訳物」 のエンタテイメント小説をよく読みます。 今回はその 「翻訳物」 を巡って、私が日々感じていることをお話します。

 一つは何人かの作家 (の新作翻訳版) に降りかかっている悲しむべき事態についてのお話です。 このままでは、新作を 「完全な翻訳」 で読むことができなくなる作家が更に増える可能性も考えられます。 特に翻訳物ファンの方には、その現状を知っておいて欲しいと願っています。
 もう一つは、原作に忠実な翻訳を困難にしているものについての考察です。 文章の構造や文化の違い、翻訳者の能力や原作者との相性といったことについて考えてみました。

 これまで 「翻訳物」 を敬遠しがちだったという方は、もしかしたら手練れの翻訳者による素晴らしい翻訳書との出会いに恵まれなかったのかもしれません。 この記事を読むことで、少しでも 「翻訳物」 への興味を持ってくださると嬉しいです。
 また、既に翻訳物のファンであるというみなさまには、それぞれのお気に入りの作家や翻訳者の方への思い入れを深めてくださればと思います。


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2.海外ベストセラー作品の「翻訳物」をとりまく状況

 アメリカでは、小説 (ベストセラー) はコングロマリット傘下の 「産業」 の一環であり、その事業は出版すれば済むというものではありません。 幾つものメディアを通じて宣伝がなされ、投入した資本に見合う (巨額の) 収益を得ることが要求される企画の核となる商品だと考えるべきでしょう。

 十年か、もう少し前、Pinky&Dianneのマイクロ・ミニのスーツに身を包んだ女子大生がトーキョーから姿を消してしばらく経った頃、兜町ではじけ飛んだはずの泡 (バブル) がウォール街で甦りました。
 その結果、これまでにないほどの好景気に沸くアメリカでの小説の出版権料は高騰の一途を辿り、当然他国語への翻訳権料もこれに追随して青天井の様相を呈するようになってしまいました。

 一方、日本国内では、それでなくても売り上げの中ではお寒い状況の 「翻訳物」 の出版は、ベストセラー作品でこそ損益の境界線上にあるものの、それ以外の作品は出版社の良心だけに頼った文化事業 (メセナ) 的な性格が強い――最初から赤字以上の収益を期待されていない――ものでしかありません。
 実際、私が国内大手出版社の海外作品担当者と直接メールのやり取りをする中でも、そういったお話を聞かせていただいています。

 そこへ翻訳権料の高騰が重なって、国内の出版社は、とうとう悲鳴をあげてしまいました。 数々のベストセラー作品を生み出していても、日本国内で一定水準以上の売り上げを満足 (または期待) できない作家の作品は、翻訳権の入手を断念せざるを得なくなってしまったのです。

◆ ◆ ◆

 採算が合わない……とは言え、今が旬のベストセラー作家の作品が売れない訳がありません。 高すぎる翻訳権料の分を、どこかで差し引くことができれば、これは商売になる――そんな考えを持つ (目端の利く?) 人が、どうやら実際にいるのですね、我らが愛する出版界には。

 先に述べたように、アメリカでは、ベストセラー間違いなしの新作には、大変お金をかけた宣伝がなされます。
 でも 「目端の利く出版社」 は、宣伝に大金を使ったりはしません。 そんなことをしなくても、日本の大手出版社がこれまで採算ラインぎりぎりの所で出版し、それによって定評を勝ち得ている作家の作品なのです。 つまり、宣伝費はこれまで出版していた大手出版社持ち、という形ですね。

 まあ新作を出すことぐらいは告知しないとたくさん買ってもらえませんから、他でしっかり稼いでいる部門――例えば英会話教材など――の広告の隅っこにでも、ついでに書いておけば宣伝費も浮かせられるというものです。

 しかし、広告費を始末した程度のことで、国内大手出版社が泣く泣く手放すほど高価になってしまった翻訳権料を支払って、儲けが残るのでしょうか?
 「翻訳物」 には作者とは別に、そこそこお金を支払わなければならない相手がもう一人います。
 そうなのです! 翻訳者に支払う報酬を、極力抑えることができれば、その分が 「儲け」 になるのです。 どうせ金儲けのための出版なら、翻訳だけでなく、校正や編集にもそれほど重きをおく必要は無いのかもしれませんね。

 ただ、「翻訳物」のファンも馬鹿ではありません。 あまりにひどい翻訳だと、そういったファンに嫌われるおそれもあります。 また、著者サイドから著作権に関わるクレームが出ないとも限りません。 ここは頭の使いどころ――。

◆ ◆ ◆

 例えばユゴーの 『ああ無情』 (レ・ミゼラブル) にしたって、幾度となく登場人物の苦悩する描写が挿入され、一向に物語が進行しないような作品なのに、年少者向けの 「世界の文学全集」 では、ずっと少ないページ数で、話ももっと簡単に読めるじゃないか?
 そして、大人が考えているよりも、ジャン・バルジャンはずっと楽天主義者だったに違いないと思えるほどの軽い読み物になっている――。
 これだ!
 現代の頭の軽い読者には、軽くて明解なストーリーの方が喜ばれるに決まっているじゃないか!!

 何も正直に 「翻訳」 する必要なんてない。 「翻案」 で十分。 ページ数も削減できて、製本代まで安く上げられる。 一挙両得どころか、良いことずくめじゃないか!
 翻訳権は独占してあるから比較の対象になる翻訳は存在しないので、翻訳の良し悪しといった評価に対する心配も無用だし、だいたい 「翻訳物」 を読むような読者は原書を読む力が無いんだしな。

 しかし 「翻案です」 と言って売り出したりしたら、それこそ 「少年少女・世界のベストセラー全集」 になってしまう。 それでは大人の読者を納得させることはできないだろう。 読者の心をくすぐる広告コピーを、何か考えないと――。
 「一度翻訳したものをもう一度自然な日本語に書き直す新方式の翻訳」
というのはどうだろう?
 うん、「新方式の翻訳」 は行けそうだぞ……。
 「新方式の翻訳では、英語の構文にとらわれず、作者の意図する所を汲みながら、自由な日本語で表現することによって、読みやすい作品にできただけでなく、原作に限りなく近づけることができる」
 よし! これで後はそれらしいニックネームを付ければOKだ。

◆ ◆ ◆

 こうして 「目端の利く出版社」 による 「悪魔のプロジェクト」――少なくとも翻訳物ファンにとっては――は、次第にベストセラー作家の作品を餌食にしていくのでした。


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3.法律は……

 いくら 「翻案」 だとは言え、そんないい加減な翻訳を出版しても、法的な問題は生じないのでしょうか。 それに対して原作者から抗議されたりすることはないのでしょうか。

 Ra_Looが最初に懐いた疑問も、これらのことでした。 しかし、何分法律に関しては (大半のその他のことと同様に) まるで無知でしたので、本屋さんに出向いては関係しそうな本を色々と当たってみました。 その結果分かったことと言えば、法律というのはとても難しく、私のようなズブの素人が付け焼き刃で論じられるものではない、ということでした (苦笑)。

 冗談は――本当のところ、その難解さは冗談ではないのですが――さておき、「著作権」 というものは人間の頭の中で生じたアイデアに端を発し、それが何らかの形あるものに表現されたものに対して (その表現の方法も含めて) 適用される性質のものだということでした。
 そしてほとんどの法律がそうであるように、「どこまで」 という境界線が明確なようであって、実際にはそれぞれの事例が持つ細かい条件や、過去の判例、更には今の社会通念までもが判断の材料となるため、なかなか 「一刀両断」 とはいかないようなのです。

 少し横道に逸れますが、その 「著作権」 に関して今一番難儀な対象がインターネットの世界のようです。 例えばその一端をひもとくと、当初は判断の基準として 「有線放送」 という旧来のモデルに該当させることができたのですが、技術の進歩に伴って次第に 「無線放送」 を適用せざるを得なくなってきつつある点や、高速・高帯域のネット回線 (=ブロードバンド) の普及により、デジタル・データ特有の 「完全な複写」 が、より簡単に実現できる環境が整いはじめていることもあって、これまでの考え方では法律以前に現実の問題として著作者の権利を守りきれない部分が出始めてきています。


 それで、今回の場合なんですが、どうやらそれが如何に大胆な 「翻案」 であっても、違法ではないばかりか、法律はそれを保護している――「著作権法」 をうんうん唸りながら読んでみた結果、私はそんな解釈に至りました。
 まず、言葉の定義は、次のようになっています。

 「著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案することにより創作した著作物」 (著作権法 第2条・第11号)

 つまり、「翻訳」 も 「翻案」 も、法律上は 「二次的著作物」 ということで、どちらも同じ扱いを受けると解釈できます。
 それだけではありません。 原作の著作者の権利として、次の条項がありました。

 「著作者は、その著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案する権利を専有する」 (著作権法 第27条)

 「二次的著作物の原著作物の著作者は、当該二次的著作物の利用に関し、この款に規定する権利で当該二次的著作物の著作者が有するものと同一の種類の権利を専有する」 (著作権法 第28条)

 何と! たとえ原作に対する冒涜としか考えられないような内容の 「翻案」 であったとしても、それが原作者の許諾を得て出版されている以上、原作者自身もその 「翻案」 の著作権を持っている、ということになるではありませんか!!


 と、いうことは、「翻案」 の内容に対して非難するという行為は、取りも直さず原作者に対しての非難にもなりかねません。 まして、公共の場であるインターネット上に、その 「翻案」 がどれほどひどいものであるかを個々の実例を引用して糾弾したりすれば……。

 「次に掲げる行為は、当該著作者人格権、著作権、出版権又は著作隣接権を侵害する行為とみなす」 (著作権法 第113条)

 「著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為は、その著作者人格権を侵害する行為とみなす」 (著作権法 第113条の5)


 既にお気付きの方もいらっしゃると思いますが、実はこの 「翻訳物」 をとりまく状況に関するお話をここに掲載することは、このホームページ開設当初から予定していました。 以来、まる二年もの間、何度も書きかけては途中で挫折していたのです。
 それは、こういったいくつかの面で法的な保護を受けている対象に対して、あまり露骨なことはできないと判断されたことも、大きな理由の一つだったのです。

 とはいえ、このまま 「悪訳」 をのさばらせることで原作者の評価を貶めかねない現状を見過ごすわけにもいかず、とっても遠回しながら、こうやって再び挑戦しているのでした。  (^^;;;

◆ ◆ ◆

 話を元に戻して、それでは 「目端の利く出版社」 に対して翻訳権の契約を結び、出版することを許諾した著作者やその代理人は、程度の低い翻案が出版されているこの実態を、どのように捉えているのでしょうか。

 もしかしたら、何もご存じないのかもしれません。  (>x<)ξ
 いや、「目端の利く出版社」 は、現代の読者は 「頭が軽い」 と断定した上で、著作者サイドに対しては、これを 「年少者向け」 だというイメージの下に翻訳・翻案権獲得の交渉に臨んだのかもしれないと、想像を逞しくしてみたりもします。 でも、これはいくら何でも、ちょっと考えすぎですよね。

 アメリカのベストセラー作家の代理人にとって、日本での翻訳版の売り上げなど英語圏のそれに較べれば微々たるものであり、売れようが売れまいが大した影響が無いということで、納得できる翻訳権料を提示している以上、細かい部分についてはそれほど関心が無いというのが実態なのでしょう。


 作家本人は書くことに忙しくて、ビジネスのことまで構ってはいられない、というところなのでしょうけれど、もし、作家本人が直接本当のことを知ったとしたら、何らかのアクションが得られる可能性は、まるで無いのでしょうか……?
 
 その、ほんの僅かな (最後の?) 望みを捨てきれずにいる私は、斯くしてこの声が届けとインターネットに発信しているのでした。
 (何しろインターネットは世界をつなぐ、ですからね。 (^^;;; )


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4.粗悪な翻案の恐るべき実態

 Ra_Loo自身、以前は 「目端の利く出版社」 が出版している 「悪訳」 についての論評を新聞や雑誌で目にして、「これは悲しむべきことだ」 と感じる程度で、その具体的な実態については何も知りませんでした。
 そして、自分のお気に入りの作家がその出版社の餌食にされ、今後出版される新作の翻訳権がすべて 「目端の利く出版社」 によって買い占められたというニュースを聞いた時、初めてこの先どうなるのだろうという不安を抱き、本屋さんの翻訳論評書のコーナーに足を運んだのでした。

 すると、そこには 「目端の利く出版社」 の所業について、具体例を掲げて批判している書籍が何冊も並んでいるではありませんか! それらの勇気ある方々が書かれた書籍については、その中でも代表的だと思われるものを 参考文献 として最後に付録しておきますので、興味のある方は一度手に取ってみてください。

 Ra_Looの方はと言えば、先に述べたように、法的に保護されているもの (翻案作品・出版社) に対して直接的な批判をするなどという翻訳論評書の著者の方々のような勇気がありません。
 しかし、「人づての話」 や 「また聞き」 で他人の作品を批評することは危険ですから、これからお話する内容は私自身の目で確かめた事実を元にしています。

 Ra_Looの英語能力は貧粗とさえ呼べない程度のもので、とても原書を読むだけの力はありません。 そこで、ビジネス文書や技術レポートの翻訳を会社での主な業務の一つとして日常的に携わっている読書友だちに協力してもらいました。

 その友人も私のお気に入りの作家をとても気に入ってくれているとはいえ、長い時間、英語と格闘してくれたことに感謝しています。 Tさん、ありがとう。

◆ ◆ ◆

 Ra_Looが確認した範囲内では、「目端の利く出版社」 の 「翻案」 がいくら大胆なものでも、さすがにストーリー自体を改変することまではいってませんでした。 実際、「改変」 はかなりの割合で文章の細かい表現に関わっていて、具体例を掲げずにそれについてお話するのは、とてもやり難いものです。
 それでも 「悪訳」 である所以を、何とか幾つかのパターンに分けてお話することにします。


<その1> 香り高い文芸的な表現を殺す
 例えば登場人物の心情を風景に投影した表現が、まるで単純なものに置き換えられているというようなことが、しばしばあります。
 以下の例文は、いずれもRa_Looの創作によるものであり、引用ではありません。

【 原文の例 】
 一週間ほど前から雪をかぶりはじめている山の方から吹く強い風が家の前の道路を鞭打ち、それに乗って低く垂れ込めた鈍色の雪雲がどんどん押し寄せて来る。 部屋の電灯も点けずにベッドに座ったまま、がたがたと鳴る西側の窓の方を見ると、枯れた街路樹がバンシーの歌声に身を躍らせているのがトーマスの目に入った。 その向こうでは、来るべき闇から逃げるかのように大急ぎで沈む夕陽が最後の光で空を赤黒い血の色に染めていた。



【 粗悪な翻案の例 】
 冷たい風が吹き始め、雪雲が広がり始めていた。 暗い部屋の中でベッドに座っていたトーマスが窓の外を見ると、西の空を赤く染めながら夕陽が沈んでいった。


<その2> 原作に無い不要な文章を付加する
 主人公がまだ知らない所で主人公に危機が迫っているような時、その章の最後に

 さて、主人公の運命や如何に?!

などといった体の原作には書かれていない不要な (扇情的な) 一文が付加されていて、幻滅を覚えることがありました。
 少なくとも私のお気に入りの作家の一人はそういった言い回しをしない人で、エッセイに書かれた作家本人の意見として、そういった文章は絶対に差し挟むべきではない、とまで述べていることを考えると、これは読者に対する嫌がらせではないかとさえ思えてしまいます。


<その3> 登場人物の背景を省略する
 主人公が過去に (長きにわたって) 味わった暗くて辛い体験が、いつまでも心の重荷になっていることが現在でも主人公の反応や行動に大きく影響している、といった場合を考えてください。
 原作ではその過去の体験について、何度にも分けて少しずつ読者に明かしているのですが、粗悪な翻案ではその紹介の仕方も簡便で、何度かは省略されたり、何度か分ずつまとめてあったりします。


<その4> アクション・シーンを省略する
 エンタテイメント小説の中では、アクション・シーンはその醍醐味の一つだと思います。 登場人物の一瞬一瞬の振る舞いや、登場人物の目に入る情景描写の連続は、読者の手に汗を握らせ、その世界に取り込んでくれるものです。
 しかし、アクションの間は、ストーリーの展開はほとんど見られません。 かくして粗悪な翻案では大幅に削除されてしまいます。

 Ra_Looのお気に入りの作家が書いたエッセイ (前述と同書) でも、アクション・シーンには何ページも割き、その執筆には多くの言葉を用い、アイデアを絞り、多大な労力を使って何度も何度も書き直すのだと述べています。 そういう作家が書いた作品を、粗悪な翻案では、ものの見事にこれを省略してしまうのです。


<その5> 単純な誤訳が多い
 ↑ この項目名に使った言葉の意味の通りです。
 これに関しては言葉の断片でしかないので、著作権云々には関係しないと考えられますので、思い切って実例を掲げてみましょう。

【 原文の例 】Snake River Gorge (地名: スネーク・リバー渓谷?)
【粗悪な翻案】ゴルジ川
 
【 原文の例 】There was freestanding wire carousel rack holding paperback books.
【粗悪な翻案】ペーパーバックの本をたくさん立てかけた金属製のかごがぶら下がっていた。

 二番目の例は、駅の売店のような小さなお店の前の情景を描写したものなんですが、日本の商店街にあるような普通の本屋さんの前では、幼児向けの絵本などがこのようなラックに乗せて売られていますよね。
 ここでの 「freestanding」 は、「地面に固定されず、そこに立ててあるだけ」 という意味であって、「宙にぶら下がっている」 と言う意味だとは考えにくいのですが、みなさんはどう思われますか?
 ちなみに、私の貧粗な英語力では 「wire」 製であることは読者が常識的に知っていることですから、それが重要な事実ではない場合はこれを省略し、更にこれが店の前だということが事前に分かっていますから、
「(そこには) 回転式のペーパーバック・スタンドが出してあった (or 出されてあった)」
で、十分だと考えるのですが……。 (^^;;;

 また、翻訳不可能な固有名詞を、実際の発音とは明らかに異なる (カタカナ) 表記がなされている例もありました。 (主要な登場人物の氏名など)


 

<その6> 内容を無視した誤訳
 前項の誤訳の例で登場した 「ゴルジ川」 なんですが、同じ作品の別の箇所で、同じもの (単語) を指して 「ゴージ川」 となっていたりしました。

 同様に、アメリカでは一般的な――どちらかというと子供向けの――スナック食品の商品名である 「Slim Jim」 が一つの作品の中に何度も出てくるのですが、これをそのまま 「スリムジム」 としてある箇所と 「ソーセージ」 としてある箇所がありました。 状況によっては文芸的な意味合いから敢えて一般名称を用いる場合もあり得ますが、その場合は原作の方できちんとそういう表現がなされているのですから、これは誤訳 (あるいは編集/校正ミス) だと思います。

 別のパターンとしては、構文の解釈ミスによる誤訳と思われるもので、その結果、話の流れに齟齬を来している場合がありました。
 例えば、登場人物が持っているたった一つのピストルを撃つのですが、その直前のシーンで同じ人物がそのピストルをベッドの下に隠したとあるのです。 話の流れでは、ピストルを隠したままでは、とても撃てる状況ではないのに、です。

 それほど明確ではなくても、その場面の描写や、そこでの進行上、どうにも不可解な解釈が何度か見られました。 正直言って、このあたりは (相当に) 英語力が達者な方でないと、正確に (あるいは上手に) 日本語にするのは難しいと感じられる所で、私の英語力では (誤訳かどうかの) 判断がつきかねました。


 ここに掲げたのは、各パターンの代表的な例であり、実際にはこういったことが、全体にまんべんなく行われていました。 そして、全体的を通してみると、編集担当者の不在、校正担当者の手抜きを強く感じるのです。

 長文の翻訳に際しては、こういった文芸作品ならずとも、複数の方に 「下訳」 を担当して貰うものだということも、本で読んだり人に聞いたりしました。 しかし、私が確認した 「目端の利く出版社」 の翻案では、程度の低い (誤訳の多い) 「下訳」 を、話の内容を意識せずにそのままつなぎ合わせただけに近い感じを受けたのです。
 文体――無味乾燥な――などには何とか統一が見られましたので、一応 「本訳」 の作業 (というより、翻案のための 「改作」 ですね) もあったのでしょうけれど、翻訳者の氏名が一人分しか本の表紙に (もちろん奥付にも) 書いてないことに不自然さを覚えるほどガタガタした感じがした、と言えば、みなさんにも上手く伝わるでしょうか。

◆ ◆ ◆

 これが、「英語の構文にとらわれず、作者の意図する所を汲みながら、自由な日本語で表現することによって、読みやすい作品にできただけでなく、原作に限りなく近づけることができる」 という 「新方式の翻訳」 なのでしょうか。
 もしそうだとしたら、私はやっぱりそんな翻訳では読みたくありません。

 こういった原作 (そして、その原作者) を冒涜するものではないかと思われる 「目端の利く出版社」 による所業は、もしかしたら、すべての翻訳者の名誉を傷つけることにもなりはしないでしょうか。


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Copyright (C)2001-10-13by Ra_Loo 
改訂:2001-10-15  
二訂:2004-05-19  



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