自己紹介

ここでは、管理人である私のプロフィールを紹介します。

 本名・・・西本 茂

 生年月日・・・1975年12月30日(タイガー・ウッズと同じ生年月日です)

 住所・・・三重県津市

 職業・・・某自動車ディーラー勤務

 好きな車輌・・・キハ58系(特に平窓タイプ)・キハ82系

 好きな列車・・・急行『紀州』(これは永遠に変わらないでしょう)

 好きなアーティスト・・・椎名林檎・矢井田瞳

 好きなプロ野球球団・・・大阪近鉄バファローズ・千葉ロッテマリーンズ

 好きなプロ野球選手・・・福浦和也(千葉ロッテマリーンズ)・中村紀洋(オリックスバファローズ)

 好きなプロレスラー・・・(男子)武藤敬司(全日本プロレス)・グレートムタ
               (女子)ラス・カチョーラス・オリエンタレス(下田美馬・三田英津子)

 好きなF1ドライバー・・・M.シューマッハ・E.アーバイン・鈴木亜久里

 好きなスポーツ・・・野球・サッカー・モータースポーツ・箱根駅伝・プロレス

 趣味・・・鉄道旅行・スポーツ観戦・ドライブ・読書・観劇




 とりあえず思いついたものを、順に羅列してみました。なんか取り留めの無い物になってしまいましたね(^^;;
 では、私の鉄道ファン歴とでも言いましょうか、その生い立ちを紹介しましょう。

 私は1975年12月30日、愛知県犬山市で生まれました。実は12月30日は、日本で初めて地下鉄が走った日(らしい)で、この日に生まれたことが、鉄道ファンになることを義務付けられたのかもしれません(^^)。その後、岡崎、豊田と引っ越した後、1980年9月に現在住んでいる三重県久居市にやってきました。
 さてさて、とりあえず5歳までの道のりを紹介しましたが、多分この辺りで、鉄道に興味を持ち始めているはずです。「はず」と書いたのは、明確なきっかけを覚えていないんですね。物心ついたときから、すでに鉄道関係の本を読んでいました。実は就職活動の時、某自動車ディーラーの最終面接で、鉄道ファンになった理由を、社長から聞かれたのですが、はっきり「わかりません」と答えたために、少しの間、社長と口論になったことがあります(^^;;。


鉄道ファンへの道のり@〜急行「紀州」との出会い〜

 そんな中、一つ決定的な出会いがありました。私の母親は、三重県熊野市出身なんですが、夏休みになると、母親の実家へ、必ず遊びに行ってました。
 母親は運転免許を持っていないため、国鉄で熊野まで行っていたのですが、その時に乗っていたのが、なにをかくそう急行『紀州』だったのです。この急行『紀州』の出会いが、私のキハ58好きの原点となったのです。
 その当時、近鉄はまだ赤一色でしたが、あの国鉄急行色が、とても美しく、そしてかっこよく見えました。そして、いつしか私は、キハ58の魅力にとりつかれていったのでした。
 列車の絵を描く時は、必ずキハ58、そして方向幕には赤い字で『急行』の文字が。そう、私にとってキハ58は、急行『紀州』そのものだったのです。なにせ小学生の頃、本気で「近鉄にもキハ58が走らないかなぁ」と思っていたぐらい重傷でしたから(^^)。

 急行『紀州』。私が乗っていた時は、すでに4両編成が主流となっていましたが、三重県を代表する列車でした。関西本線では『かすが』や『平安』と併結し、紀勢本線では『はまゆう』と併結しながら快走していました。
 私は基本的に、松阪〜熊野市間の乗車でしたが、一度だけ『はまゆう』と併結していた『紀州』に乗りましたが、確か荷物車を併結していたような記憶があります。カーブに差し掛かったときに、窓越しに見えた赤い荷物車。今でも鮮明に覚えています。
 また、急行『紀州』に乗ると、よく大雨で足止めされたものでした。特に大内山で一時間近く足止めされた時は、今でも記憶しています。かなり混雑していた車内でしたが、白い制服を着た車掌さんが、一両ずつ現状を説明してまわっていたのが、とても印象に残っています。
 急行『紀州』に乗る時は、必ず自由席でした。トイレに行く時、隣の車輌の仕切り戸をよく見ましたが、そこに書いてある『グリーン車』のマークに、憧れたものでした。キロ28だったのですが、ついにその戸を開けることはありませんでした。

 私にとって思い出深い急行『紀州』でしたが、お別れのときがやってきました。昭和60年3月ダイヤ改正で、ついに廃止されることになったのです。ある日、父親が新聞でその記事を見つけ、私に見せてくれたのですが、残念でしかたありませんでした。
 結局、私は急行『紀州』を撮影することなく、別れを告げました。

鉄道ファンへの道のりA〜国鉄全駅全百科〜

 ある日、父親が一冊の本を買ってきました。それはコロタン文庫の「国鉄全駅全百科」でした。全都道府県の路線図と、駅の写真が掲載された本で、私は愛読書として、それを読み漁っていました。そしていつの間にか、私は駅の魅力に取り付かれていました。
 そんなおり、家族で三重県一志郡美杉村にある君が野ダムへ遊びに行った帰り、ちかくにある名松線伊勢竹原・家城両駅で、記念撮影を撮りました。駅舎とホームにある駅名板を撮ったのですが、それがきっかけで、県内の国鉄駅を全部まわりたくなり、親にせがんで、ついにまわることになりました。
 まわり始めて2ヶ月、紀勢本線波田須駅を最後に、全88駅(昭和59年当時)訪問を達成しました。今でもその写真は残っており、貴重な資料となっています。
 私は旅行に行った時、下車した駅の駅舎の写真を撮影したりしますが、これは、この当時の経験がきっかけとなっています。

さらば鉄道ファン

 鉄道ファンとして少年時代をすごした私ですが、鉄道ファンをやめていた時期がありました。ちょうど高校2年生〜大学2年前期のあたりです。
 理由はいくつかあります。急行「紀州」の廃止、キハ58系にJRマークの登場、キハ82系の引退。そして決定的だったのが、「おたく」という言葉の出現です。
 この当時、「マニア=おたく」という図式ができており、「暗い」というイメージが付きまとっていました。思春期を迎えていた私は、「おたく」という言葉に嫌悪感を抱き、それとともに、鉄道ファンから離れていったのでした。

鉄道ファンに復帰!

 鉄道ファンから離れ、数年が過ぎ、私は大学生になっていました。そして大学2年の夏休み、10代最後の夏を迎えました。
 前年は、自動車教習所へ行っていたため、丸々潰した私は、「10代最後だから、何かしたい」と考えていました。そんなおり、父親から、北海道を一周した話を聞き、私もすることにしました。
 旅行のトップバッターは、函館行き「日本海」1号。生まれて初めてのブルートレインということで、乗車前からワクワクしていました。そう、その時から鉄道ファンに、戻っていたのです・・・。

 こうして私は、あちこち出かけるようになり、2001年にはホームページを開設するようになり、現在にいたっています。こんな管理人ですが、よろしくお願いします。


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