私の病歴
1972年〜 十二指腸潰瘍
1987年 急性肝炎
1992年 胃潰瘍
1998年 肺血腫⇒過誤腫
2000年 馬蹄腎
2000年〜現在 潰瘍性大腸炎
詳細は
2009年 膵管内乳頭粘液性腫瘍(IPMN)
入院の感想とメッセージ
症状
現在は無し
教訓
過去を振り返ると大きくは3度痛い思いをしている。(後述)
お陰で十二指腸は変形してしまった。
自分の身は自分で守ろう。他人の言うことに惑わされないこと。
信じられるのは自分と医者のみ。
胃カメラは苦痛であるが大腸ファイバーに比べれば全然楽です。
数十分で終わるので我慢すべし。
胃カメラの写真(変形した十二指腸)。
1.最初に発病したとき
空腹時に胃の辺りが痛む。食べると直る。
これがしばらく続きその内いつでも痛くなり痛みも激しくなる。
体力が無くなる。息切れを感じる。(このときは既に出血している)
朝方寝床で足が攣るようになる。超痛い。
めまい、立ちくらみ、5mくらいの移動でも息切れし歩けなくなる。
風呂上がり両腕があがらず蹲る。真っ黒な便がでる。(下痢はしない)
これでもう限界と思い病院に駆け込んだら即入院になった。診察で初めて潰瘍だとわかった。(バリウム検査のみ)
原因
中3の終わりで父親が死んで1年目ということもあり東京から田舎に転校し環境が変わった。高校受験のスタイルや長男の責任感からか精神的なストレスが相当あった。と今ではそう思う。
治療
1ヶ月の入院で薬と毎日の静脈注射で治療。
退院後も1年間薬を飲み続けた。
その他
これに懲りて大学は受験勉強一切せず入れるところに入った。
学生時代は一切ストレスがかからず何の病気もしなかった。
社会人になってから
2.2度目の発病
25才の時仕事が超忙しく。妙に神経質なお客に悩まされた。
入院することはなく薬で治癒。初めて胃カメラを飲んだ。
症状も胃の痛みくらいですんだ。でも薬はまた1年飲み続けることになる。
その後軽度の症状で度々薬を服用するようになる。
胃潰瘍も併発
3.3度目の発病
35才の時 今までと違いいきなりきた。
3日前くらいに只の腹痛だと思い近くの病院で胃薬をもらってよくなったかなぁと思っていたら問題の日の昼飯後寒気を覚え風邪かと思ったが次第に具合が悪くなりトイレでいきなり吐血。その後止めどなく吐く。そのうち胃が痛み出しトイレへ。コールタールのようなどろっとした便がでた。真っ黒だった。まただと思った。今度は肛門が閉まらずそのまま下血。トイレの中で意識不明に。しばらくして意識が回復したが朦朧とした状態で歩くこと出来ず、立つことも出来なかった。家族に付き添われ病院へ。即入院。意識がはっきりしてなかったのでよく覚えてないが、血圧80以下に落ちショック状態だったとか。
原因
歯の治療をしていて両奥歯等4本治療中で堅い物を昼に食べたためか家を建てたばかりでゴタゴタしていたためかよくわからず。少なくても仕事でのストレスは無かった。
治療
1ヶ月の入院で薬と点滴、絶食で治療。2000ccの輸血もした。
退院後やはり1年の薬漬け。胃潰瘍はこのとき初めてでそのまま完治している。
その他
今回ばかりはダメかと思った。胃潰瘍・十二指腸潰瘍両方から出血して胃潰瘍の方は先生曰く通常出来るところにないところに出来ていたとかでやはり食べ物が悪かったのか?
洋式トイレで座ってたが座ってるのも苦痛でそのまま尻出し状態で倒れ込み下血したまま意識不明に。。。。。今思うと笑える。
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急性肝炎
30才の時風邪の症状と同じで怠い感じ。2週間くらい微熱が続いた。
風邪薬で治そうとしていたが全然治らず。
近くの病院で血液検査させられた。結果、GOT、GPTが高くなっているということで総合病院を紹介してもらいそちらで検査。(数値は40くらい)
風邪薬も止めて1週間後に再検。数値は80に。薬の名前は忘れたが肝臓の薬をもらった。また1週間後に検査。数値は110に。薬が変わった。ここが最大でこれより徐々に下がりはじめた。1ヶ月薬を飲みその後は正常値に戻った。何が原因かわからず。でも治ったので良しとしよう。特に会社を休むことは無く熱っぽい以外は普段通りだったので医者の指示に素直に従っていたらいつのまにか正常になった。軽い方だったので助かった。
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1.当初
2.再発入院
3.その後
4.その後ー2 2007
5.その後ー3 2009
1.当初
症状
1999年末よりあった。
下痢と激しい腹痛。1日数十回。
最初は、ブスコバン(BS)と整腸剤で治そうとしたが全然効かず。
医者に行っても同じでしばらく我慢していたが、どうにも治まらず再度医者へ。
便検査をしたらO125とかO15とか言われ悪玉大腸菌のためでしょうということで同じ薬と他の胃腸の薬をもらった。(病原性大腸菌による大腸炎と診察された)しかしダメ。痛くて夜も眠れないと言うと精神的なものかも知れないと精神安定剤と睡眠薬も渡された。それでもダメ。そのうち血便が出始めた。その後の検査(注腸、大腸ファイバー)でやっと潰瘍性大腸炎と判明。判定まで3ヶ月苦しんだ。注腸から専門医へ。ペンタサという薬に変わってやっと症状が治まった。普通の腹痛と違うのは、下痢が止まらない。軟便、血便も出る。トイレに行くが思うように出ない。残便感が常にある。おならとの区別が出来ない。というところ。
診察
最初は肛門から器具を入れ直腸を診た。炎症を起こしていたのでかなり痛い。
次に注腸検査。(お尻からバリウムを入れる)3日前からそれようの食事で前日の夜に下剤を飲んで望む。これもかなり苦しい検査で痛い。(炎症があるため)以前も経験したがこのときは炎症は無かったので苦しいのみ。この結果で大腸に異常があることが判明。左側型と推測された。2週間後に病名を決定するため大腸ファイバーをした。これが大変。1日掛かりである。まず、朝9:00から2リットルの下剤を3時間かけて飲みほし、腸をきれいにする。当然途中で何度もトイレへ。最後に排出物を看護婦に見てもらいOKが出たらばファイバー検査になる。午後2:00くらいから開始。順番があるのでこの日は3:00くらいからの検査になった。お尻からファイバーを入れるがこれが超痛い。炎症も酷かったせいか耐えられず途中で検査終了。直腸から左側大腸まで診て、腸粘膜・組織も数十カ所から取った。その場で左側型潰瘍性大腸炎に間違いないと言われ組織の検査結果で後日正式に判定された。医者曰く過敏性大腸炎と言う似たような病気があるので判定には時間がかかるとのこと。私の場合は、直視と大腸の変形、粘膜・組織検査結果より判定したようです。
登録
特定疾患
に相当するということで診断書と住民票を持って保健所へ届け出た。
はじめて偉い病気にかかってしまったと思った。永いつき合いになりそうだ。
教訓
検査は懲り懲り。やっても胃カメラまでにしたい。
この病気ある程度悪くならないと判定できないみたいなのでやっかいだ。
でも早めに診てもらうのが一番だ。結局、最初に飲んでいた薬は悪化させただけだったので専門医に診てもらうのがよい。
2.再発入院
入院になった経緯
2003年5月〜6月入院してしまった。
体調まぁまぁだったのでこの年の3月頃中国深センに出張したのが今思えば引き金だった。何せ食事は辛いものが多くそれで喉が乾くのでビールとか飲んでしまう。そう言えば前もマレーシアに行った時に同じように危なかった。で薬を慌てて飲み始めたが全く効かずおかしいと思った。丁度SARSがはやり初めた時期で熱もあったし赤痢かもと思い込んで病院に行った。出血もあったのでこりゃ駄目だと思った。まず内科でSARSでないことが判明次に赤痢の検査したがシロであった。でも調子は悪くなる一方でこれはと思い掛かり付けの外科で診てもらったら何と潰瘍性大腸炎が復活していた。薬でしばらく様子を観ることにしてもらった。それまで快調に推移していて通院さぼったりペンタサを自己判断で時々飲まなかったりしたのが祟ったのだろう。例年GW中にゆっくり休むと治るのだが全く治る気配無し。たまらずGW明けに再度病院に。その場で直腸診てもらって即入院決定。4月に診てもらった時よりもかなり酷くなったと。。。事実出血もしていたし、熱もあったし、トイレの回数も優に1日十回は超えていた。入院の決め手になったのはCRP反応値と白血球の数で上限を遙かに超えていた。入院しても2〜3週間で退院できると思っていたら大間違いで2ヶ月近くの入院となってしまった。重症期とのことでした。
治療
まず点滴打って絶食開始。薬はペンタサに加えステロネマ。このステロネマが大変だった。ステロイドの入った液状の薬をおしりから注入するのだが痛くてたまらず1〜2時間呻いてないとならないくらいだった。最初は看護婦さんに入れてもらったが、これが非常に痛い。看護婦さんは若くきれいな方だったのですが鬼に見えました。先生に勘弁してもらえないかと相談したら痛いのは炎症が酷いからだと言って効いている証だと。。。2週間経って改善されず(食べてもいないのに出血する)、プレドニン点滴治療に変えた。点滴も腕ではなく首からのIVHとやらになった。30mgから初め徐々に減らすとのこと一気に減らすとリバウンドがあり直ぐに元に戻ってしまうらしい。この病院では20mgを切れば退院になるとのことだった。副作用も出るので覚悟しろと言われた。特定疾患とは言われたがこの時まで全くこの病気について調べたりしていなかったので副作用のことなんて思いもしなかった。結局絶食を1ヶ月ちょいと首からぶら下げたままで6月中旬まで入院した。
退院後はプレドニンとペンタサとステロネマで通院2週間に1回で2週間毎にプレドニンの量が減っていった。結局プレドニンが終わったのが11月でステロネマは年内1杯続いた。2004年になって最初の診察の時にやっと終わりと言い渡され開放感で一杯になった。その後通常のプレドニン座薬とペンタサの治療になった。通院も2ヶ月に1回になり現在は入院前のペンタサと整腸剤に戻った。緩解期です。やれやれである。
ステロネマで看護婦さんとの会話 名言?受けたみたい。
看護婦:”良薬は口に苦し”
私 :”良薬は尻(ケツ)に痛し”ってネ
治療経緯参考![]()
副作用
個人差はあるようだが、私の場合は下記のような症状でした。
・ムーンフェース(顔の腫れ、にきびのような吹き出物) 8月頃から出始める。翌2004.10頃まであったような。本当にまん丸になります。覚悟せよです。現在は元に戻りました。
・歯痛(冷たいもの暖かいものを食べるとしみる)9月頃から翌2004.5頃まで
・脱毛、発毛9月頃から翌年3月頃まで スネ毛とかツルツル。髪の毛も薄くなった。
・視力低下(焦点が合わないような感じ)9月頃から 歳の所為かも?
・手足関節痛 2004年2月頃から(3月中くらいが最悪、整形外科でも診察打つ手なくじっと我慢特に膝は歩行困難になるくらい痛む)
・頭痛 9月頃から常時ではない(酷いときは3日間くらい続く、視力にも関係しているのかも)翌2004/5くらいまで
3.その後
2006.3.7 久々の大腸検査。
朝から2リットルの下剤を飲み腸を綺麗にスッキリして検査に望みました。スッキリと言っても下剤を飲むのですから午前中は苦痛です。午後順番に検査。検査の順番が回ってきたのは3時近くです。何と担当主治医がお休みで急遽副院長が検査することに。私の場合は炎症がまだ残っているため麻酔が必要とのことです。しかし前回より調子が良かったこととベテランの副院長でしたので麻酔は準備だけで検査開始しました。今までは麻酔して意識がなかったこともあり腸の状態が結果でしかわかりませんでしたが、今回はモニターを見ながら詳細に説明を聞くことができたのである面良かったと思いました。結果改めて潰瘍性大腸炎の重さを認識しました。というのは正常なところは右側の上行結腸だけで横行結腸から下行結腸S字結腸にかけてケロイド状に痕跡がそこら中に残っていたからです。素人の私が見てもはっきりわかるくらいボロボロ状態でした。悪いところが所々あるという表現ではなく良いところが所々あるという表現で先生は説明していました。退院後3年経って大分良いかなと思っていただけに見事に覆された感じです。恐る恐る”元通り治るのでしょうか”と尋ねたところ”これでも今が一番良い状態でうまくコントロールして維持すること”ということでした。治るという表現は無いそうです。ガ〜ンショック。難病指定されるだけの病気だということを今更ながら実感した次第でした。主治医の先生がうるさく検査しろと言ってた意味がわかりました。検査が嫌で延ばしに延ばしたけれど次回からは素直に受けることにしま〜す。
退院する時に言われたことを改めて肝に銘じました。
・薬はしっかりサボらずに服用すること。
・食べ物飲み物には注意すること。
・規則正しい生活を心掛けること。
4.その後ー2
2007.12.18 大腸検査
約2年ぶりの検査。やり方は前回と全く同じです。麻酔も使用しませんでした。担当の先生ではなかった所為かモニターでの説明はあまりありませんでした。結果は良好です。前回のモニターでの説明ではショックを受けていたので覚悟して見ていたのですが確かに前回より良くなっているように見えました。ケロイドもあまりなくピンク色の腸に血管が浮き出るくらい正常に戻っているのが素人目にも良く分かりました。組織細胞の検査結果も異常なしということで何だかホッとして嬉しくなりました。もう一息という感じです。
結果が良好だったのは、
・薬は時々サボったけど飲み続けた。
・暴飲暴食はしなかった。
といったことに心掛けたところですかね。
それにしても検査は辛いです。朝9:00から下剤のみ続け病院を出たのは夕方4:30ですから。おまけに7箇所から組織細胞採られその日は1日お腹痛かった。
5.その後ー3
2009.8.17 大腸検査
基本的に検査までは前回と同じですがなかなか出なかったりしたので少し詳しく説明してみました(¨!
今年5月下旬より急に体調が悪くなり薬を増してもらってやっと最近調子が戻ってきました。痛みを覚えるのも3,4年振りかも。で、主治医の先生からそろそろだねと言われ渋々7月末に予約させられちゃいました。
今回は盆休み明けということになり休みの最終日の夜からいつものように下剤(プルゼニド3錠)を飲み始めました。
17日朝起きて下剤が効いてるかなと思いきやさっぱり効いてない。いつもとなんか違うぞ。効かない場合は病院に連絡とあったがまぁ良いかと(^^ゞ
で下剤(マグコロール)1.8リットルを準備し8時から本格的に飲み始める。一気飲みではなくて10回くらいに分けてゆっくりと。1時間経ってまだ出ない。飲み始めて1時間経過しても効かない方は病院に連絡とあったがもうちょい待とうと。
いよいよ出ないので連絡しようかなと思っていたらキタキタぁー(^_^)やっと出ましたよ。結局その後10時半まで飲み続け計7回トイレに行って腸スッキリです。
落ち着いたところでいざ病院へ。検査できるかどうか最後に病院のトイレで便をみてもらうのですが可愛い看護師さんだったのでちょい恥ずかしかったけどOKもらって準備完了。名前呼ばれて検査室へ。まだ炎症があるので麻酔を一応準備しつつ始めました。
肛門にゼリー塗られてファイバー突入!
先生は大変優しい方でおまけに付き添いの看護師さんも可愛いのでニコニコしながらスタート。でもそう思ったのも束の間。痛ってぇー痛ってぇー可愛い看護師さんの前で痛いとか苦痛の表情は見せたくなかったのですがもう無理、堪えられず「いてぇー」連発、顔も歪んで涙目、この際誰が傍に居ようと関係ないね。叫ぶは唸るはで看護師さんが懸命に支えたりさすったりで「大丈夫ですか」の声にも「無理無理」と。先生は優しい方なのでゆっくり入れるんです。丁度直腸からS字結腸にかけて炎症があるので「ここ通過するまで痛みますね」と。。。は、早く麻酔を。。。もうちょっと我慢しましょうの声になんだよーみたいな。私が痛いって言うものだから先生も手を緩めがちで姿勢を変えつつも痛みのあるところがなかなか通過できないでいたのですが業を煮やしたのか先生「ちょっと我慢しててください」とグイグイと入れ始めました。優しい先生も鬼に見えたね。苦痛に耐えていたら先生が「すみません。痛くしてしまって。もう小腸ですよ」の声にホッ奥まで入ったんだと。
やれやれ後は抜きながらカメラ撮り。因みに、主治医の先生はこの3月くらいに変わったのですが優しいということで人気があるそうです。優しい上に説明も懇切丁寧というよりは話が長いです。で、抜きながら画面に映った腸の状態を説明してくれました。右側から横行にかけては概ね問題なしと綺麗な腸で左側からS字に掛けて少し炎症があり見る限りクローン病に近い感じだと。炎症部位を説明してもらい見ての通り白く紐状になってケロイド状のところなどは断定は出来ないがクローン病もあるかなと。ゲゲ。更にS字から問題の直腸へ。ここが炎症の少し酷いところですねぇと。私も過去何度も見ているので一目でわかりました。前回2007年の検査では良かったのにぃトホホ・・・油断するとこうなるんだと。あれ、先生組織採ってないよーまさか忘れてないよな(・・;)と、ここで採取しますの声。良かった〜また入れ直すって言われたら怒るところだった。ということで1個所?組織採って終了。
その後再度懇切丁寧に状況と対処療法の説明を受け(半ば痛みで上の空)、最後にまたまた痛めてすみませんでしたと。今回も終わったのがなんと午後4時。苦しい一日でした。
結論
・前回2007年のファイバー検査に比べ悪化。レベルは中等症。
昨年は緩解状態だったのでレベルが2段階アップしてしまった。難病は完治という言葉がないと言われる通りだな。
・血液検査は正常値範囲。これで救われた。まだ深刻に考えるほど悪化してない。
・今回悪化の原因:
先生の見解では仕事のストレスに加え薬もさぼり気味でアルコールや腸に優しくない食べ物を取りすぎた所為ではないかと。
私的にはストレスが大きいと思っている。会社の経営状況悪化で今年3月頃から仕事の調整や人の問題に追われ、出張制限で出かけることも少なくなってストレスが溜まる一方になり発散の機会が激減した所為ではないかと。
・対処は薬の増強。
リンデロン0.5mg座薬追加 ペンタサこれまで2錠/回を3錠/回に。
悪くなるのはあっという間ということを痛感。またゆっくり治しま〜す。
9月に申請した書類* *
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分岐型IPMN 2009.10.9
8月の人間ドックで消化器系のエコー検査を行ったら何やら膵臓に陰があるとおまけに肺のレントゲンで数年前に発覚している腫瘍も膨大傾向にあるとのことで要精密検査ということに。特定疾患でお世話になっている罹りつけの病院で診て貰うことにしました。
肺の方はCTを撮って貰っているので今回も同様に御願いし、ついでに膵臓の方も撮れるように御願いして1回で済ませました。診察する先生が違うから別々に撮られては出費がねぇ(^。^;;
結果、肺の方は僅かに膨大しているものの異常に大きくなっていないということと数年同じような形であることから組織変形で出来た15mm程度の過誤腫と診断されました*。良性だろうということなので経過観察で十分だそうです。
もう一つの膵臓の方が問題でCTでは良く確認できなかったということで造影剤を使用したMRIを撮ることになりました。CTも造影剤を使ったのですが違う種類だそうです。MRIは初体験でした。驚いたのが検査開始時にヘッドフォンを掛けられたことでそのままドームの中に。なるほど納得です。結構騒々しい機械なんですね。約20分くらいで終了。検査自体は騒々しいことを除けばCTと同じでした。
結果、分岐型IPMNと診断されました。MRIって凄いですね。膵臓の形だけが鮮明にハッキリと映し出されてビックリでした。主膵型だとほぼほぼ癌ということですが分岐型だと8割は良性ということのようです。取りあえずホッとしましたが8割に入っているかどうかは実際に膵液などを採って調べないとわからないそうです。ということで検査入院に。トホホ(--、)
続きはまた。
2009.11.9 検査入院 ERCP
ついに入院を決断しERCPという検査を受けることに。
ERCPは、口から十二指腸へ内視鏡を入れ、そこから膵管の中に選択的に細いチューブを挿入して、造影剤を注入し、レントゲン撮影を行う検査です。それが困難な時にESTという電気メスで十二指腸の胆汁排出口(ファーター乳頭)を切開する方法を取るということでした。
11.9入院初日。採血後、病室に潰瘍性大腸炎も診てもらった後、ERCP、ESTの説明を受け、ある程度のリスクのある大変な検査だということがわかり思わず帰らせて頂きたいと先生に言ったところ、症状がないときに見つかってラッキーですよ。ここで白黒ハッキリさせておけばこの先安心です。麻酔もするし患者さんに負担掛けません。その道の専門家がやりますので大丈夫ですよ・・・と説得され渋々同意書にサイン。その日は通常の食事をして過ごしました。
11.10ERCP 朝から絶飲食。栄養剤、抗生剤の点滴、昼からの検査に付き添いの家族が必要なのでカミさんを呼び出すことに。
8Fの病室から1Fの検査室へ。検査室の外でカミさん待機し、いざ検査室へ。びっくりしたのが看護婦二人と先生の助手らしき人が二人で今までやった内視鏡とは訳が違うことを察しました。しかも検査台にうつ伏せです。で何やら機材を付けられ心音が流れ始めマウスピースのようなものを咥え検査開始って感じなりました。先生から、これから麻酔を入れますから目を開けていてくださいね、と指示され意地でも目を開けていようかと思った途端に意識不明に。
その後は全く意識なく気が付くと8Fの病室で寝ていました。看護婦さんの声でやっと目が覚め時間を見たらもう17:00近く。カミさんは検査が無事終わったのを見届けて帰ったと。検査室に入ったのが12:30だから4時間くらい意識無かったんですねぇ。結局この日は一人で行動が出来ずトイレも何もかも看護婦さん付き添いでした(^−^)。
11.11 朝になってやっと単独行動が許されました。なんだか頭がボーっとした状態です。昼前頃に先生がやってきて検査の説明を受けました。結果、検査時間は約30分で順調に行われたことと内視鏡で見る限り問題ないとのことでした。最終的には膵液を採取したので2週間後の結果次第ということになりました。その結果もまず問題ないでしょうということです。やれやれ。
昼から三分粥、夕食に五分粥食べて副作用も認められないことから明日の退院OKに。点滴も夕食前に終わりスッキリ。ただ麻酔の影響か頭痛が酷ったぁ〜。
11.12 朝7分粥で最後の検診して昼退院。
前述の潰瘍性大腸炎で入院以来6年振りの入院。しかも同じ8F外科病棟。知っている看護婦さんがいるかなぁと思ったら当時の担当でステロネマを最初に打った看護婦さんがいたではありませんか。今回最初に食事を持って来てくれた看護婦さんでした。声掛けられてびっくり嬉しいやら照れるやらでもう感激!ひと時の安らぎでした。
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