2002年9月7日・8日 北上線にD51入線
さて、私が友の会から徐々に離れ、パソコンにのめりこみ始めたのはちょうど2002年辺りだ。
それまでは、臨時列車とあらば休日にわざわざ県外まで撮りに行くほど結構余裕があった…。
…が、日記やBBSの書き込み通り、次第に勤めていた会社の勤務状態が非常に悪くなり、
人為削減などをした後、大型機械の導入など、自動化が進んで楽になった…とは言えなかった。
まあ、そんなこんなで、圧迫されていくうちに次第にカメラを持って撮影することを忘れ、
代わりに身近にあったコンピュータをいじるようになった…というわけだ。
しかし、私はまだ鉄道写真を諦めたのではなく、撮りたいというテーマがないのだ。
確かに、普通列車であれば、ダイヤグラムがなくてもポケット時刻表さえあればいつでも
撮影できる。テリトリー内の男鹿線なども撮影しようと思えばいくらでも…しかし、これでは
私自身が納得できないのだ。撮影したくても、自分から誘えない性分なため、他の会員や
友人として付き合ってくれた諸先輩の方々に申し訳ない…というわけで、とりあえず
北上線に久々にD51が入線した、SL錦秋湖号の2002年文の写真を掲示しようと思う。
前置きが長くて申し訳なかった、とりあえず以下の写真を見て頂きたい。
左上:北上線のほっとゆだ〜ゆだ錦秋湖間の「第一和賀川橋梁」を走る“SL錦秋湖号”の試運転列車(2002,09,07,Sat)
右上:北上線ほっとゆだ駅で小休止する。鉄道ファンや地元住民らが記念撮影を行っていた。
左下:ほっとゆだ駅に停車中の試運転列車と、鉄道員。彼らも記念撮影は欠かせないようだ。
右下:運転台を覗いてみた、運転計画表が見える。「盛」にも注目を。
左上は北上線のベターな撮影場所、「第一和賀川橋梁」である。ここでは、カーブする橋梁の
インから撮影することができるが、2002年9月7日は霧雨が降る、あまり良くないコンディションだった。
Fuji Film の、感度200のフィルムを使用したが、絞りは開放していたものの、やはり暗めだ。
この日は、この撮影ポイントに15人前後が三脚、傘を置いて場所取りをしており、
列車通過時間が迫るにつれて続々とファンが詰め掛けた。まあ、当然ながら少し詰めて場所を
譲ったりはしたが…。「土壇場でやっと追いついた」というので理由を伺ったところ、
何と和賀仙人のあたりで撮影後、高速ではなく国道107号を使って追いかけてきたという。
結構混雑していたにもかかわらず、一般道で追いつくとは…多分、運転がうまいんだろう。
右上の写真は、左上の列車がほっとゆだ駅に停車中のものである。何十年ぶりかのD51の再来に、
地元住民の野次馬も結構見受けられた。雨の降る中、試運転初日ともあってか土曜日の昼は
結構閑散としていた。ホームの上では、普通列車を待つ老婆が見受けられる。
左下は、ホームの外れから蒸気機関車を望んでみた写真で、JR職員の鉄道員も記念撮影に
大忙しだ。
この中で年長の職員は、多分蒸気列車をバックに撮影してもらうのも久々なのではないだろうか?
右下の写真は、D51の運転台を写したものである。何気ない1枚だが私はこれが気に入っていたりもする。
もし、鉄道専門学校に行って運転士や機関士の資格を取得していたらここに乗って…いないか。
まあ、元々鉄道は趣味でやっていくと決めていたので、専門校に通う必要はなかった。
でも、一度でもいいから静態保存ではなくこのように実際に運転されている蒸気機関車の運転台に
乗ってみたいという欲望はまだある。
(叶わぬ夢だが…)

左:北上線の黒沢駅を上り方向へ出発する試運転列車。駅を出ると、間もなく次のゆだ高原駅までの
連続片勾配に差し掛かる。最初のカーブの上に作られた小さな跨線橋から7・8日両日狙ってみた。
7日は、横から撮影したがあまり迫力がない。誰でも撮れる…といったところだろうか。
右:同地点で、8日に縦で撮影してみた。いくらかは迫力が出たが、周りの物が…そう、路上駐車している
ファンの車などがバックに写りこんでしまっている。これはあまり気分は良くないものだが、
まあ、試運転だから…と自分では納得してしまっていた。本番に備えるはずが、疲れてただの撮影に終わった。
2002年9月14日・15日 の本番
さて、2002年9月14日の本番だが、くしくも土曜出勤を命ぜられ、仕方なしに諦めた。
仕事をほったらかしにして、趣味に走ってはいけない…あれ?前に親しい人と撮影するために
有給取った事が…。まあいいか、昔の話はこれまでにしておこう。

左:北上線のもっとも有名な撮影対象の被写体・第二和賀川橋梁。
この場所以外にも、この橋梁を通過する列車を撮影する撮影場所は結構ある。
右:相野々駅を出発する、「SL錦秋湖号」だが、私も実は無理をして追いかけを試みたのだ。
しかし、土壇場で追いついたのもあってか少しピンボケになってしまった。
さて…事実上これで最初で最後の本番撮影となった。嗚呼…昨日が土曜出勤でなければ…。
実は、作戦は練っておらずとりあえず第二和賀川橋梁が見える旧国道の廃道跡にできた駐車スペースに
クルマを停めた。そこは細長く、もう既に何人かのファンが車を停め、三脚の設定をしてくつろいでいた。
私もそこに駐車し、三脚の長さ・角度などを調節してカメラ本体を外し、車の中でくつろぐ事とした。
通過時間が迫る頃…やはり、一度岩沢や仙人のあたりで撮影を終えて追いかけてきたと思われる車列が
あっという間に国道の両脇に並んだ。大型車がクラクションを何度鳴らしてももうドライバーは
撮影をしていて、誰の車かわからない。あっという間に渋滞してしまったではないか。
…しかし、私は一発撮りをして決めたいため、あらかじめ早く到着していた。
通貨予定時間の数分前に、ゆっくりと三脚の前に立つ。絞りや焦点合わせなど、最終調整を済ませ、
しばしファンとの会話を楽しんだ。東京から来た人や大阪から来た人…暫しの間だが、
話をした。すると、ある撮影場所があり、そこは上り勾配がかなりきついため石炭を多く炊く事になる…。
これが最後のあの写真となるわけだが、あれは私自身結構驚いた。周りからも結構な評価を受け、
まだ夢を見ているようだ…と言うのは言い過ぎだろうか?
このあとすぐ、無謀にも列車を追いかけて相野々駅で間に合い、出発を撮影できた。
ただし、国道は湯田町でずいぶん待ちぼうけを喰らわされ、抜け出すまで一苦労だった。
2002年に撮影した写真の中で、最も自分が気に入っているもの。
この現場にも、かなりのファンが集まった。中には、待っていられないのか線路を渡ってインから
撮影を試みようとした人がいたが、結構木々が生えていて撮影の邪魔になるということで
即行で戻ってきた。北上線は、どうしても岩手県側のほうが路線の3分の2を占めているため、
必然的に列車の撮影として有名な場所が多い。岩沢トンネル岩沢の出入り口は、金網が
心のないファンによってこじ開けられ、おそらくはそこから望遠で撮影していると思われる。
某鉄道雑誌に紹介されたあの写真は、明らかに金網を破られた真ん中の部分から撮影されたものだ。
…鉄道雑誌もあまりああいう撮影場所を教えないほうがいいと思うのだが…。
かくして、一泊二日の試運転列車撮影と、本番撮影の15日を合わせた3日が実質の撮影日数である。
これからまた、こういう作品を撮影できたらな…と思う時があるが、なかなか重い腰が上がらないのは
トシのせいかな?…って、まだ30になってないぞ、私!!
※2006年5月現在…と言うか、2005年11月30日で満30歳になりましたorz
また機会があれば、友の会に復帰し、イベントや撮影会に参加することもあるだろう。
それまでに皆さんに待って頂けないかな…と思うところは少々わがままだろうか?
多分、戻る事は不可と思われ…私自身がその気がなかったりする^^;
 
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