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アテネ国立考古学博物館

The National Archaeological Museum of Athens

UNESCO世界遺産登録・ミケーネ遺跡やティリンス遺跡などからの代表的なミケーネ文明の出土品の詳細解説

アテネ国立考古学博物館/ミケーネ遺跡・円形墳墓A/アガメムノンの黄金マスク Gold Mask of Agamemnon/(C)1987 legend ejミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A出土・「アガメムノン」の黄金のマスク “Gold Mask of Agamemnon”
アテネ国立考古学博物館/登録番号624/高さ250mm 重量168.5g/1987年


紀元前16世紀
ミケーネ宮殿・円形墳墓A

                  ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓Aと出土品

ペロポネソス・アルゴス地方ミケーネ宮殿遺跡の内部で、ドイツ人実業家シュリーマンは、1870年代、内径25mの石板サークルで囲まれた「円形墳墓A/Grave Circle A」と呼ばれる大型墳墓を発見した。
シュリーマンは考古学の研究者ではなく、戦争の武器売買で財を成した典型的な実業家であり、「財宝目当ての盗掘者」とさえ酷評されながらも、有り余る財力をもってミケーネ宮殿・円形墳墓Aのみならず、アルゴス地方ティリンス宮殿遺跡やトルコ西部のトロイ(イリオス)の都市遺跡などを発掘している。

         (C)1993 legend ej

堅固な城壁で囲まれた宮殿内部(埋葬時は城壁の外部)の硬い石灰岩の岩盤を深く掘り下げ、大小6か所の「竪穴墓 Shaft Grave」を設けた円形墳墓A(下写真)は、周囲を石板で取り囲むという後期ヘラディックT期(初期ミケーネ時代)、紀元前1550年前〜前1500年に遡る独特な埋葬形式であった。
ミケーネ宮殿の円形墳墓はエーゲ海域の古代文明では稀な墳墓形式を示し、同様な墳墓はミケーネ文明が及んだほかの地域でも、あるいは同時期にクレタ島で繁栄したミノア文明でも類を見ない。
ミケーネ遺跡・円形墳墓A/Grave Circle A at Mycenae/(C)1982 legend ej
                          ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A/Grave Circle A
                               アルゴス地方ミケーネ村/1982年

       (C)1982 legend ej        (C)1982 legend ej
           ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A・平面プラン             ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A・石碑(墓標)
      「T〜Y」=竪穴墓番号/作図=Web管理者legend ej         アテネ国立考古学博物館/登録番号1427
                  アルゴス地方/1982年                         アルゴス地方/1982年
円形墳墓Aの被葬者
大量の副葬品/金製品
発掘当時、円形墳墓A(左上作図)の地表面には複数の石灰岩製の長方形石碑(墓標)があり、その石碑の一つは高さ134cm、渦巻き線紋様や二輪戦車による戦闘シーンが浮彫レリーフされていた。
別な石碑(右上写真)の上段には、やはり連鎖する渦巻き線紋様、中段に二輪走行車を使った狩りのシーン、最下段には二つの大きな円の中に連鎖の渦巻き線紋様が浮彫レリーフされていた。

円形墳墓Aに埋葬されていた遺体は大人・子供を合わせ19体が確認されている。被葬者達は間違いなくおおよそ3,500年以上前のミケーネ宮殿に住んだ王家のニ代、または三代、あるいは王の兄弟など親族と考えられる。
この円形墳墓Aからは、トップ写真の被葬者の顔を覆う金製マスクや金製カップを初め、金製王冠、イヤリングや指輪リングなどのまばゆく輝く宝飾品、金と特殊な金属で象嵌された見事な装飾短剣、あるいは初期ミケーネ文明の特徴的な陶器などが限りないほど出土した。それらは金の総量に限っても15kgの重さを計測するほどの驚きの出土であった。
この金製品の出土を以って、円形墳墓Aは後の紀元前8世紀の後半に登場する古代ギリシア詩人ホメロスの言う「黄金のミケーネ」をいみじくも証明することになった。発掘品はすべてミケーネ文明の発掘品展示では世界で最も充実しているアテネ国立考古学博物館 The National Archaeological Museum of Athens で展示公開されている。

  ミケーネ宮殿と円形墳墓や「アトレウスの宝庫」の遺構と重要出土品の詳細:
  世界遺産 ミケーネ遺跡/ミケーネ宮殿・円形墳墓・「アトレウスの宝庫」(詳細解説=38ページ)
ミケーネ文明の黄金/古代エジプト王朝と黄金供給源の古代ヌビア王国
文明最盛期のミケーネ人は大量の黄金を保有していたが、ギリシア国内では金鉱山は皆無であり、そのほとんどは交易を通じて、当時地中海世界で最大の力を誇っていた古代エジプト王国から得ていたと考えられる。
その当の繁栄のエジプト王国は鉱物資源が乏しく、ナイル川の中流域、現在のエジプト南部〜スーダン北部に実在した古代ヌビア王国(Nubia/別名=クシュ Kush)を支配下に置き、当地から供給される黄金で王国の繁栄を維持していた。あの有名な紀元前14世紀のファラオ・ツタンカーメンの黄金のマスクさえも、製作はエジプト職人だが、厳密にはエジプト国内産ではなく、古代ヌビア王国で産出された金材料で作られていた、と推測できる。
エジプト第25王朝(紀元前747年〜前656年)のファラオはヌビアの王であり、その後エジプト・ヌビア王朝はアッシリアに倒され短命に終わる。しかし、その後も自国で長期間繁栄したヌビア王国は、黄金の取引で得た財力で聖なる岩山ジェベル・バルカルなどに無数の神殿などを建設した。
さらに驚くべきことは、おおよそ3,000年間続いた古代エジプト王朝でさえも120基のピラミッド建設であったが、ヌビア王国ではメロエなどにエジプトの倍近い約220基のピラミッドが建設された。古代エジプト王国繁栄の「影の存在」として、金の供給源の役目を果たしたヌビア王国に今なお残る遺跡群は、現在UNESCO世界遺産となっている。
日本旅行・ギリシア特集 5月〜10月/10日間\349,900〜/アテネ・ピレウス港(乗船)・「4泊5日エーゲ海クルージング」=風車と夕焼けの美しいミコノス島、トルコ・クシャダス港〜ローマ時代のエフェソス都市遺跡、聖ヨハネ修道院のパトモス島、聖ヨハネ騎士団のロードス島、クレタ島最大のクノッソス宮殿遺跡、アトランティス物語のサントリーニ島、ピレウス港へ帰港(下船)、アポロン神託の聖域デルフィ遺跡〜メテオラ奇岩修道院見学、アテネ滞在(アクロポリスの丘・アテネ国立考古学博物館)/添乗員同行・古代遺跡と憧れのエーゲ海本格クルージングのギリシア周遊ツアー

円形墳墓Aの出土品
精悍で温厚な金製マスク
    (トップ写真)


  アテネ国立考古学博物館 http://www.namuseum.gr/

紀元前16世紀の半ば、紀元前1550年前〜前1500年頃に造られた円形墳墓Aの6か所の竪穴墓のうち、サークル内の北西端、中型サイズの第X竪穴墓には男性三人が埋葬されていた。この竪穴墓から埋葬時に死者の顔を覆う黄金の「デスマスク」が2枚発見された。
うち1枚(トップ写真)はあまりに美しく、被葬者が精悍にして温厚な人物であったことを連想させる。2枚の金製マスクはミケーネ宮殿の王、または王の兄弟の埋葬のために作られたものであろう。

  穏やかな表情の黄金のマスク トップ写真「黄金のマスク」へ戻る

被葬者である王の顔を正確に写したと思える美しい金製マスクに関して、発掘者でありながら考古学の専門家でなかったドイツ人実業家シュリーマンは、子供の頃から信じていたギリシア神話から(これは後にシュリーマンの作り話と分かった)、精巧に打出加工された金製マスクを「アガメムノンの仮面 Gold Mask of Agamemnon」と唱えた。
古代の「物語」では是非とも信じたくなるこのシュリーマンの希望的仮説は殆ど間違いと言えるだろう。よりサイエンスであるべき現代の考古学的な判断では、この金製マスクはシュリーマンの唱えたミケーネ・ギリシア連合軍総司令官アガメムノンの活躍した「トロイ戦争」の時代より、時間的に3世紀分、年数にしておおよそ300年以上も遡ったより古い時代に作られた、と確定されている。
「トロイ戦争」は紀元前13世紀の後半頃に行われたミケーネ・ギリシアと都市国家トロイ(イリオス)との戦いであり、一方、ミケーネ宮殿の円形墳墓Aは紀元前16世紀に造られたものである。考古学の専門家でなかったシュリーマンは年代確定の根拠を探ることなく、この300年という時間差を無視して、夢多きロマンチストな自身で創り上げた「神話」に酔ってしまったのである。

  ※「シュリーマンとギリシア神話」・「金製マスクの表情」はページ最後項・「物語と参考情報」を参照
シュリーマンの文明遺跡の発掘と信憑性/博物館展示の金製マスクは「本物」か?
19世紀後半、当時、かなりの研究者の間では、トロイ遺跡でもミケーネ遺跡の発掘でも、実業家シュリーマンは職人に偽造・捏造を依頼して発掘品の一部を作らせ、「予め埋めて置いた」と言われたり、当局からの許可が下りる前に勝手に発掘作業を行うなど、考古学発掘への取り組みとその方法は常に批判の的であった。
また有り余る財力で本国ドイツ・プロイセン帝国の高官を動かし、許可もなく発掘品を密かに本国へ輸送(密輸)するなど、「宝探し」の傾向が強かったシュリーマンの強引な行動には常に疑惑が向けられ、結果的に発掘の信憑性に疑問符が付きまとっていた。
世間をアッと言わせるような豪華な遺物が次々に出土する「目だちたがり屋」のシュリーマンの発掘現場には、トルコやギリシアの政府から監視役の専門官が派遣された。考古学研究からはほど遠く、財力にもの言わせた名誉と名声へ強く傾倒する金銀財宝の「宝探し」を優先するシュリーマンの人格さえもが疑われるほどであった。

「進化論」の自然科学者C・ダーウィンの研究書などを発行した有名なイギリスの編集者John Murray III により、1878年、ミケーネ宮殿・円形墳墓Aの発掘から2年後、「シュリーマンのミケーネとティリンスの調査と発掘の説話」がロンドンで英文公表された。下写真はその情報に掲載された発掘直後の「アガメムノンの黄金マスク Gold Mask of Agamemnon」とされるモノクローム写真(写真情報: スコットランド国立図書館 National Library of Scotland)である。
発掘直後のアガメムノンの金製マスクとアテネ国立考古学博物館で展示公開されている金製マスク(トップ写真/1987年)とを比べると、特に両耳の周辺の欠損、ヒゲの細かな線紋様、左頭部のかなりの出っ張り、鼻下〜唇付近などにも大きな違いがある。
発掘直後の仮面の写真を見る限り、言うては失礼だが、マスクの表情は絶対権力者の温厚な王と言うより、何処にでも居るような融通の利かない普通の頑固な年配者に見え、威厳ある雰囲気はまったく感じられない。マスクの平面的な打出加工からは訴えるほどの強い印象感は薄いし、王のデスマスクにしては少々迫力感に欠ける、と私には見て取れる。

            発掘直後の「アガメンノンの黄金の仮面」とされる写真/写真情報: National Library of Scotland
    発掘直後の金製マスク・「アガメムノンの仮面」とされた写真/1878年公表
  写真情報: スコットランド国立図書館コレクション National Library of Scotland

ウムー、果たして、円形墳墓Aからの金製マスクはどれが「本物」であったのであろうか?
このあたりの歴史の教科書に載らない隠された真実は、特殊デジタル・ゴーグルとニューロ粒子検知器を装備した「タイムスクープハンター TSH(NHK)」の第二調査部エイジェント沢嶋雄一に連絡を取り、1876年にシュリーマンに作業者として雇われ、円形墳墓Aの発掘を行ったミケーネ村の農家の男達に問わねば、私にも強い主張はできないが・・・

 ※NHK放送番組・「タイムスクープハンター TSH」 http://www.nhk.or.jp/timescoop/

  「シュリーマン博物館」/ドイツ・ベルリン北方(旧東ドイツ Ankershagen)
    http://www.schliemann-museum.de/
ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A・「ライン狩り」を象嵌した青銅短剣/(C)1982 legend ej  ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A・「ライオン姿」の打出し加工の金製の六角宝飾箱/(C)1982 legend ej
          「ライオン狩り」を象嵌した青銅短剣                「ライオン姿」の打出し加工の金製の六角宝飾箱
   アテネ国立考古学博物館/登録番号394/長さ237mm         アテネ国立考古学博物館/登録番号808/811
             アルゴス地方/1982年                  一辺幅109mm 高さ85mm/アルゴス地方/1982年

       ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A・連鎖する渦巻き紋様の金製カップ/(C)1982 legend ej        ペリステリア遺跡・連鎖する渦巻き紋様の金製カップ/(C)1987 legend ej
  連鎖する渦巻き紋様の金製カップ/口縁径155mm      ペリステリア遺跡・トロス式墳墓3号墓出土・金製カップ
      アテネ国立考古学博物館/登録番号629                  ホーラ考古学博物館
            アルゴス地方/1982年                       メッセニア地方/1987年
円形墳墓A
第X竪穴墓/出土品
美しい金製マスクの他に、円形墳墓A・第X竪穴墓からはおびただしい数の宝飾品が副葬出土した。
それらには銀製水入れ、渦巻紋様や植物や動物などを象嵌(ぞうがん)加工した見事な短剣類、動きのあるライオンの姿をミノア文明と同じように打出加工で表現した金プレート表装の素晴らしい木製六角装飾箱(アテネ国立考古学博物館・登録番号812・右上写真)、金製のキリックス型カップ、象牙製の櫛(くし)、幾らかのミケーネ陶器類などが含まれる。何れも見事な作品である。

アテネ国立考古学博物館で展示公開されている重要出土品を詳細に見てみよう!

青銅製短剣では、刃部分の腐食が進んでいるが、金とニエロ金属(下記コラム)で「ライオン狩り」のシーンをリアルに象嵌した長さ237mmの短剣(登録番号394・左上写真)、小さなロゼッタ紋様を囲む120個以上の連鎖渦巻紋様をやはり金とニエロ金属で象嵌した見事な短剣(登録番号744・下写真)などが副葬されていた。
ミケーネ文明の青銅製の短剣では、先端が尖り、柄(つか)側が幾分幅広、いわゆる末広がりで「A」の形状に似たタイプ、研究者に「タイプA短剣」と呼ばれる装飾短剣の多くは、クレタ島ミノア文明の影響を顕著に受けていたと判断できる。

         ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A・連鎖する渦巻紋様象嵌の青銅製短剣/(C)1982 legend ej
                   連鎖する渦巻紋様象嵌の青銅製短剣
             アテネ国立考古学博物館/登録番号744/長さ243mm
                        アルゴス地方/1982年

打出加工で連鎖する渦巻き紋様を表現した重量254gの金製のカップ(登録番号629・左上写真)も発見されている。リングハンドル付きのこの金製カップのデザインは、メッセニア地方ミィロン・ペリステリア遺跡のトロス式墳墓3号墓から出土した金製カップ(ホーラ考古学博物館・右上写真)に類似している。
両者共に、表現されたモチーフは典型的なクレタ島ミノア文明の連鎖する渦巻き紋様で、第X竪穴墓からの金製カップもクレタ島からの貢物、あるいはハンドル形式からの判断では、ミノア文明の加工技術を学んだミケーネ職人の作品かもしれない。

  ミケーネ文明のメッセニア地方ミィロン・ペリステリア遺跡とカコヴァトス遺跡

見事な出土品の一つ、金製キリックス型カップ(登録番号656・左下写真)は、紀元前16世紀の作品、1頭のライオンが疾走する様を打出加工で表現している。この金製カップの形容は陶器と同様にミケーネ文明の独自なタイプであるが、製作技法、さらに表現モチーフがギリシア本土に生息していなかったライオンであり、もしかしたら、このモチーフ装飾で先行していたクレタ島ミノア文明からの輸入品の可能性も考えられる。

ミケーネ文明では、紀元前16世紀頃、より繁栄していたクレタ島ミノア文明のデザインを参考にした金属容器の開発が盛んとなり、その典型的な作品が第X竪穴墓から出土したアンフォラ型銀製水入れ(登録番号855・右下描画)と言える。
銀製容器の肩部には、ミノア文明お得意のモチーフである連鎖する渦巻き線の打出加工、腹部もやはり打出加工で水平線の波状の段差紋様が施されていた。発掘後、不純物を取り除くクリーニング作業中で、部分的に青銅が使われ、微量だがニエロ金属の断片が付着していたことも判明している。
材料が銀であり、長い年月の間に腐食が進み、空気中の硫化水素H2Sと反応して硫化銀の冴えない濃灰色と言うか、見栄えの悪い色彩に変色してしまい、現在では誰も振り向かない。博物館見学者の関心が金製マスクやカップなどの眩い黄金の出土品へ向いているが、この銀製アンフォラ型容器はミケーネ文明を代表する重要な金属容器の一つであると強調しておきたい。また、これ以降、この銀製水入れの器形をヒントにした各種のミケーネ陶器も数多く開発された。
青銅器時代、銀や金などの希少金属材料は「灰吹法(下記コラム)で純度を上げて精錬していた。

  個性的なミケーネ文明の陶器の発展や特徴、クレタ島ミノア陶器との関係など
  ギリシア本土のミケーネ文明の主な陶器様式の変遷と特徴
ニエロ金属
「ニエロ」とは、ミケーネ文明の時代に装飾材料として頻繁に使われた金属の一種で、その成分は銀と銅、鉛を主成分として、さらに硫黄(いおう)やほう酸ナトリウム塩などの助剤を加えて溶融した合金である。腐食に強く、黒色を呈して高級感もあり、特にミケーネ文明では青銅製の短剣や装飾カップ、中世ではキリスト教の聖器などの表面装飾に使われた。

貴金属の純度を高める「灰吹法」
鉱石に含まれる貴金属の金や銀などの量は極めて少なく、通常では硫化物の状態として鉱物に含まれている。貴金属硫化物を含む鉱石と方鉛鉱、または方鉛鉱から抽出した鉛を高温で一緒に溶解すると、金属は溶け合って「貴鉛」と呼ばれる合金が生成される。
「貴鉛」と動物の骨灰や松葉灰や酸化マグネシウムなどを一緒に高温溶解すると、鉛は酸素と反応して表面張力の低い酸化鉛となり灰の中へしみ込み、一方表面張力の高い金や銀などの貴金属は、酸化せずに「灰吹銀」と呼ばれる粒状金属となり分離される。
取り出した粒状の「灰吹銀」から金への純度精錬では、再び鉛と硫黄(イオウ)を加え、鉛と銀の化合物である硫化銀を生成させ分離、残った純度の高い金を取り出すという方法が採られた。
第V竪穴墓からは、そのほかではもう1枚の金製マスク(登録番号623・下中写真)を初め、下記のような出土品がある。いずれも紀元前1550年前〜前1500年前後に遡るミケーネ文明初期を代表する傑作品と言える。これらの重要な出土品は、現在、アテネ国立考古学博物館で展示公開されている。

・ユリ文様象嵌加工短剣 アテネ国立考古学博物館・登録番号764/柄長さ180mm
・金被覆象牙製櫛(歯部損失) アテネ国立考古学博物館・登録番号654/長さ180mm
クノッソス宮殿遺跡・金製キリックス型カップ/(C)1987 legend ej  ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A・金製マスク(デスマスク)/(C)1987 legend ej  (C)1987 legend ej
        金製キリックス型カップ                金製マスク(デスマスク)            銀製アンフォラ型容器
     登録番号656/高さ108mm             登録番号623/横幅250mm         登録番号855/高さ345mm
        アルゴス地方/1987年               アルゴス地方/1987年            アルゴス地方/1987年
                                                             描画=Web管理者legend ej
                        ※登録番号=アテネ国立考古学博物館

円形墳墓A
第W竪穴墓/出土品
円形墳墓Aの中で最も大きなサイズの第W竪穴墓では、4人の被葬者が確認され、第X竪穴墓と同様に、男性の被葬者の顔を覆う金製マスク3枚が発見されている。ただ女性の遺体も確認されていることから、この第W竪穴墓は王族の男性三人と女性一人、合計4名が埋葬されていたと推測できる。
また、円形墳墓Aから見つかった合計5枚の金製マスクのうち4枚は、いずれも「目を閉じた」表現であるが第W竪穴墓からの1枚に限っては、デスマスクなのに「目を開けた」ような表情を映した加工であった。

第W竪穴墓からの見事な出土品例を見ると、先ず雄牛頭部を形取った儀式用の聖なるリュトン杯(リトン杯 Rhyton/登録番号384・左下モノクローム写真)は、明らかに先行したクレタ島ミノア文明の影響を受けている。
ミノア文明では雄牛はパワーと聖なる象徴であった。ただし、クノッソス宮殿地区から出土したまるで生きているような表情の儀式用リュトン杯(下カラー写真)の材質は、角を除く雄牛頭部は蛇紋岩、またはセラミック絶縁材ステアタイトに加工できる滑石(タルク)製であったが。

  王座の間」・「世界最古のお風呂・ミノア王妃のバスタブ」・「水洗トイレ」・「女神パリジェンヌ
  クレタ島ミノア文明のクノッソス宮殿遺跡と出土品 (詳細解説=60ページ)

            イラクリオン考古学博物館/ミノア文明・クノッソス遺跡・雄牛頭リュトン杯 Minoan Rhyton, Bull's Head Style/(C)1982 legend ej
    クノッソス地区・小宮殿出土・雄牛頭形リュトン杯 Minoan Rhyton, Bull's Head Style
                イラクリオン考古学博物館/登録番号1368
            角を除く石製雄牛頭部の高さ206mm/クレタ島/1982年

口縁部に二羽のハトがとまる金製カップ(登録番号412・右下写真)は、別名で「ハトのカップ or ネストル(将軍)のカップ Nestor's Cup」とも言われ、下中描画の「花かご植物」の銀製ゴブレットと同様に、ハンドル部分がスパルタ近郊から出土した「金製ヴァフィオ型カップ(後述写真)」と同じタイプであることに注目したい。
この形容のハンドルを付けた金製カップや容器類はほかにも幾らかあることから、同じ時期に同じ職人か、同じ工房で作られた可能性がある。なお「ハトのカップ」の左右のハンドル間は「最外=145mm」である。
             (C)1982 legend ej        (C)1982 legend ej
            ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A・第W竪穴墓出土     ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A・第W竪穴墓出土
            黄金角とロゼッタ装飾の銀製の雄牛頭リュトン杯            口縁部に二羽のハトがとまる金製カップ
            アテネ国立考古学博物館/登録番号384          アテネ国立考古学博物館/登録番号412
                  アルゴス地方/1982年                      アルゴス地方/1982年

                            アテネ国立考古学博物館/ミケーネ宮殿遺跡・銀製ゴブレット Silver Goblet/(C)1982 legend ej
                 ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A・第W竪穴墓出土・「花かご植物」の象嵌の銀製ゴブレット
                           アテネ国立考古学博物館/登録番号390/高さ155mm
                             アルゴス地方/1982年/描画=Web管理者legend ej

        クノッソス宮殿遺跡・ライオン頭型石製リュトン杯/(C)1982 legend ej        (C)1982 legend ej
         クノッソス宮殿遺跡出土・ライオン頭型の石製リュトン杯        ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A・第W竪穴墓出土
         イラクリオン考古学博物館/登録番号44 長さ29.5cm          ライオン頭型の金製リュトン杯/アルゴス地方
          クレタ島/1982年/描画=Web管理者legend ej         アテネ国立考古学博物館/登録番号273/1982年
口縁部外周が金線(目視=幅1.5mm)で縁取られた銀製ゴブレット(登録番号390・上中描画)の側面には、金とニエロ金属で鉢植えか、花かご的な容器に植えられたシダのような植物の葉と連鎖するツブツブ紋様(目視=直径2mm)が円周状に象嵌装飾されている。現在、銀製なので硫化銀のかなり鈍い色調であるが、3,500年以上前の製作当時は本当に見事な作品であったはずだ。
なお、全体がたいへん優美な形容をしたこの銀製ゴブレットのハンドル部分は、右上写真の金製の「ハトのカップ」と同様に、スパルタ近郊のヴァフィオ遺跡出土の「金製ヴァフィオ型カップ(後述写真)」のハンドルと同じタイプである。

紀元前16世紀〜前15世紀に遡るライオンの頭部を形取った金製の儀式用リュトン杯(登録番号273・右上モノクローム写真)は、一見少々グロテスクのように感じるが、よく観察すると、眼や口元などに神聖なライオンの穏やかさと同時に少々の愛嬌さも表現していることが分かり、当時の加工職人の気質を想像してしまう。
アフリカ生息のライオンを形容表現していることから、よりアフリカに近いクレタ島から輸出されたか、クレタ島クノッソス宮殿の王から「強者」を連想させるライオンに強い関心を持った「好戦的ミケーネ王」へ謹んで献上されたものかもしれない。ただミケーネ宮殿とクノッソス宮殿からの双方のリュトン杯が、アフリカのライオンをモチーフにしているが、美術様式と表現力で先行していたクレタ島クノッソス宮殿の石製リュトン杯の方が「元」と推測できる。
クレタ島クノッソス宮殿遺跡の雄牛頭型の石製リュトン杯(リトン杯とも言う)
ライオン頭部を形容した儀式用の石製リュトン杯(イラクリオン考古学博物館・登録番号44・左上描画)が、クレタ島クノッソス宮殿遺跡・神殿宝庫から見つかっている。睨み(みらみ)を利かした少々「怖い表情」だが、円形墳墓Aの金製リュトン杯とほぼ同じ時期の紀元前1500年頃の作品である。
ツルツルで美しいほどに精巧に磨かれたクノッソス宮殿からの石製リュトン杯は、全体が黄色〜白色系を放すアラバスター(石膏)製、高さ(外径)約17cm 長さ29.5cmである。ライオンの首周りに象嵌の跡もあり、現在は欠損しているが、眼球と鼻部分はより高級な石材が使われたはずで、研究者は「聖なる石」とされる褐色〜茶系のジャスパーが象嵌されていたと推測している。
第W竪穴墓から出土した2個のオーバル型金製リングのうち一つには、二輪走行車に乗る二人の男性が弓矢で「鹿狩り」をしている緊迫のシーン(アテネ国立考古学博物館・登録番号240・下写真左側)が描かれている。もう一方の横幅35mmの金製リングには、槍を突き刺す大胆な戦闘シーン(登録番号241・下写真右側)が刻まれている。
研究者の間では右側写真の大胆な戦闘シーンの金製リングは、後のアメリア初代大統領となる若き日のジョージ・ワシントン率いるイギリス系アメリカ軍が、1754年、オハイオ州のジュモンヴィル・グレンで植民地利権を争うフランス軍と戦いを起こした事件を連想して、「グレンの戦いのリング」とも呼ばれている。

    ミケーネ宮殿遺跡・金製リング/(C)1982 legend ej
     ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A・第W竪穴墓出土・金製リング/アルゴス地方/1982年
         アテネ国立考古学博物館/左: 登録番号240/「鹿狩り」のシーン
                           右: 登録番号241/「グレンの戦い」のシーン

第W竪穴墓からのそのほか目立った出土品例では;
・死者の胸に掛ける金製飾り板 登録番号252/横約400mmx縦約260mm 
・「聖なる結び目」ファイアンス陶器 登録番号253など6種
・鹿の形容の銀製の儀式容器 登録番号388/立ち姿の鹿の背中に液体を入れる穴
・金製の柄の短剣 登録番号294/竜か鷲のような打出し加工装飾
・S字取っ手のアラバスター製容器 登録番号389/表面鏡面仕上げ/高さ約300mm
・野生ヤギ付き金製ピン 3本 登録番号245-247/長さ約100mm〜130mm
・美しいラッパ状の銀製リュトン杯 登録番号481/取っ手と口縁部は金製/高さ約230mm

円形墳墓A
第V竪穴墓/出土品
円形墳墓Aで最大サイズの第W竪穴墓の東側に掘られた比較的小さなサイズの第V竪穴墓からも、まばゆい装飾品が数多く出土した第X竪穴墓と同様に、数え切れない優美な装飾品などが出土している。女性三人と子供一人が埋葬されていたこの第V竪穴墓は、被葬者が男性だけであった第X竪穴墓とは明らかに異なり、その副葬品はエレガントな美しい宝飾品などがメインである。

第V竪穴墓から出土した副葬品例では、内径約75mm、対を成している金製の大型イヤリング(左下写真)の加工技術は見逃せない。この金製イヤリングにはニ枚重ねの金薄板上に精緻な打出加工が施されている。
丁度脱穀する前のかすかな縦溝付きの籾米(もみごめ)に似た、おそらく何かの種子をモチーフにして4個一組として連鎖状に14か15組並べ、一組ごとに小さな穴を作り、あたかも4弁の花が連鎖しているように彫刻している。さらに、内縁は非常に細かな粒状加工、水の飛沫(しぶき)が飛び散るような外周の先端には丸みを付けた突起がアクセントとして付けられている。
このイヤリングはミケーネ宮殿に住んだ王家の婦人、おそらく被葬者の王妃などのご自慢の宝飾品であったことは疑いの余地はない。このタイプの金製イヤリングは、現在までにクレタ島ミノア文明とギリシア本土ミケーネ文明を通じて、この円形墳墓A・第V竪穴墓以外からの出土例がない。
故にミケーネ文明のある時期、紀元前1500年前後、この第V竪穴墓に被葬された王妃など、「ある特定」の高貴な女性のために限定製作されたもので、長いミケーネ文明の歴史の中でたった一人分の黄金の装飾品だった可能性がある。金製マスクなどに比べ驚くほど煌びやかではないが、精緻で独創的な高い装飾センスがうかがえるミケーネ美術の傑作品の一つと言えるだろう。

第V竪穴墓から出土した金製ペンダント付き銀製ヘアピン(登録番号75・右下描画)には、クレタ島ミノア文明の女神と花輪や植物などが打出加工されている。ペンダントの高さは67mm、「逆さJ型」の銀ピンは長さ215mm、左下写真の独創的な金製イヤリングと同様に、明らかに王妃を含む被葬者の女性王族が用いていたものである。
長い年月の間に銀ピン部分は腐食して硫化銀を呈し現在は光沢を失っているが、もともとは輝きのある「金と銀」で作られた大きなヘアピンであり、紀元前1500年頃、このエレガントなピンをつけた女性は、さぞかし誇らしかったであろう。
この時代、アッティカ地方スニオン岬の近くのラヴリオ Lavrio で銀山開発が行われているので、銀ピン自体はミケーネ職人の製作かもしれないが、金製ペンダント部分はモチーフ表現からしてクレタ島ミノア文明の職人の手により作られ輸入されたか、あるいはクレタ島でミノア工芸技法を学んだミケーネ職人の作品かもしれない。
左下写真の金製イヤリングと並び、この金製ペンダント付き銀製ヘアピンは、小さい展示品だがガイドブックの表紙を飾るなど、特にジュエリーに関心の高い女性見学達にとっては、見逃すことのできないアテネ国立考古学博物館が誇る至宝級の宝飾品となっている。
アテネ国立考古学博物館・ミケーネ宮殿遺跡・金製イヤリング/(C)1982 legend ej   アテネ国立考古学博物館/ミケーネ宮殿遺跡・金製女神ペンダント付き銀製ヘアピン Gold Hair Pin with Gold Minoan Goddness-Pendant/(C)1982 legend ej
         ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A・第V竪穴墓出土・金製イヤリング           金製ペンダント付き銀製ヘアピン
         アテネ国立考古学博物館/登録番号61/イヤリング内径76mm              登録番号75/1982年
                    アルゴス地方/1982年                          描画=Web管理者legend ej

      ミケーネ宮殿遺跡・金製王冠類/(C)1982 legend ej     ミケーネ宮殿遺跡・イルカ打出加工の金製カップ/(C)1982 legend ej
  ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A・第V竪穴墓出土・金製の王冠類    円形墳墓A・第V竪穴墓出土・金製カップ
      最大サイズ王冠横長さ630mm/アテネ国立考古学博物館     「イルカ」が打出加工された整った形容のカップ
            登録番号3-5/アルゴス地方/1982年       アテネ国立考古学博物館/登録番号73・高さ約80mm
                                                   描画=Web管理者legend ej
対の金製イヤリングや美しい銀製ヘアピンのほかにも、第V竪穴墓からは、おそらく王妃が付けていたであろう円と曲線の打出紋様が施された美しい金製の王冠類(登録番号3〜5・左上写真)を初め、幅の広い金製の胸飾りなどの美しい装飾品が出土している。
またヴァフィオ型の美しい形容、真ん中に二重の盛り上がり部分で水平アクセントを付け、その上下にイルカが泳ぐ様を精巧な打出加工で表現した金製カップ(登録番号73・右上描画)なども、紀元前1550年頃の見事な作品と言える。
この金製カップのモチーフがイルカであり、もしかすると、海洋デザイン装飾で先行していたクレタ島ミノア文明からのミケーネ宮殿への貢物か、あるいはクレタ島で金属加工を学んだミケーネ職人の作品であろう。

下描画(登録番号8635)のように、溝が彫られたクリスタル玉付き青銅製ヘアピンは、水晶クリスタルの外径は45mmと同じ形状だが、ピンの長さが異なるタイプが宮殿外の円形墳墓Bからも出土している。
この時代には、宮殿の高貴な女性達の間では、このようなクリスタル玉付きやミノア文明のクレタ島から輸入された金製や銀製ヘアピンなどが、スタンダード・ステータスとして長い間愛好されていたと考えられる。

           (C)1987 legend ej
             ミケーネ遺跡・円形墳墓B出土・クリスタル玉付き青銅ヘアピン
      アテネ国立考古学博物館/登録番号8635/水晶外径45mm・ピン長さ180mm
                  1987年/描画=Web管理者legend ej

下記に示すように、第V竪穴墓からのそのほかの目立った出土例では、インテリアとして飾っていた金製のハカリ、衣装の飾りに用いた700枚を数える金製打出加工小形プレート、溝加工のクリスタル玉付きの青銅製ピン、高さ40mm〜80mmの精巧な作りの渦巻き紋様の水差しを含む金製の小型容器、金製印章リング、ネックレースなどが見つかっている。
いずれの副葬品も被葬者の王妃などが愛用品で女性らしい優美な宝飾類である。ミケーネ文明を代表するこれらの出土品は、現在、アテネ国立考古学博物館で展示公開されている。

第V竪穴墓からのそのほかの目立った出土例
・金製秤(ハカリ) 登録番号70+91/天秤棒長さ約130mm
・ライオン狩り表現の金製印章 登録番号33/長さ20mm 幅15mm
・金製打出加工装飾品 登録番号32/眠るライオンを表現/長さ36mm 高さ22mm
・金製打出加工小形プレート品類 ミツバチ・鹿・ライオン・スフィンクス紋様など多数
・水晶玉付き青銅製ヘアピン 登録番号102/2個のクリスタル付き/長さ約170mm
・紅玉髄のビーズ・ネックレース類 登録番号110〜115


      ミケーネ遺跡・円形墳墓Bからの出土品(詳細はミケーネ宮殿遺跡ページを参照)

なおアテネ国立考古学博物館で展示されている青銅製の装飾長剣(登録番号8710・下写真)など、宮殿外の円形墳墓Bからの出土品の詳細は、アルゴス地方ミケーネ宮殿遺跡のページを参照:

  世界遺産/ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓・「アトレウスの宝庫」(詳細解説=38ページ)

         (C)1987 legend ej
               ミケーネ遺跡・円形墳墓B出土・青銅製の装飾長剣
           アテネ国立考古学博物館/登録番号8710/長さ945mm/1987年

  ※円形墳墓Aと円形墳墓Bは同様な形式のミケーネ文明の円形墳墓であるが、発掘順にシュリー
   マン発掘の宮殿内の墳墓を「A」として、1950年代に発掘された宮殿外の墳墓が「B」とされた。



アルカイック神殿跡
                ミケーネ宮殿遺跡・アクロポリスからの出土品



ミケーネ宮殿遺跡の最も高い位置はギリシアの慣例に従って「アクロポリス」と呼ばれている。この頂上付近には、ミケーネ文明の宮殿が崩壊してから500年以上経過した、紀元前6世紀頃に属するアルカイック様式の神殿跡が残されていた。この意味は、この地が何らかの宗教的に意味ある場所として再使用されたことを暗示している。
1939年の発掘作業により、アルカイック神殿跡の下層レイヤーから非常に精巧に彫られた紀元前13世紀の初め頃に属する象牙像(下写真)が見つかった。高さ73mm、座った二人の女性の間に甘えるような格好の子供を表現した象牙彫刻品で、露出した胸や豪華な衣装やネックレースなどから、女性達は女神とも言われている。
一人の女性の腕は頭部が破損状態の片方の女性の肩に回され、二人は厚めに織られたショールのような布を背中に羽織っている。この織り布の凹凸加工は見事な技法であり、見学の際には見逃せない重要ポイントと言える。

                ミケーネ文明・ミケーネ宮殿遺跡・象牙製・「女神と子供像」/(C)1982 legend ej
             ミケーネ宮殿遺跡・神殿跡出土・象牙製の「女神と子供の像」
              アテネ国立考古学博物館/登録番号7711/高さ73mm
                        アルゴス地方/1982年

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アテネ国立考古学博物館/ミケーネ文明・ティリンス遺跡/金製リング・「ティリンスの財宝」/(C)1987 legend ej ティリンス宮殿遺跡
トロス式墳墓出土・金製リング
「ティリンスの財宝」
アルゴス地方/1987年


王家の大型金製リング
「ティリンスの財宝」
             ティリンス遺跡・トロス式墳墓・「王家の墳墓」からの出土品

 アテネ国立考古学博物館/登録番号6208
 最大横幅57mm 重量83g


ミケーネ宮殿から南方約20km、アルゴス地方ティリンス宮殿遺跡の東方1kmの岩山の麓から「王家の墳墓」とされる中型トロス式墳墓(左下写真)が1基見つかっている。その埋葬ピット墓から、1915年、「ティリンスの財宝」と呼ばれる複数の金製リングが発見された。
その内、最大の金製リング(上写真)はオーバル型(楕円)、横幅は何と「57mm/重量83g」であった。例を見ない超大型と言えるこの金製リングの表面には、ライオン頭の伝説上の動物(聖霊)4頭が、左側で背筋を伸ばして鎮座するミノアの女神へ貢物を捧げる豊穣なる儀式シーンが精密に刻まれている。聖霊達が携える貢物はワインなどを入れたミノア文明の水差し型の容器である。
この超大型金製リングは、そのサイズと印章の加工技術から判断して、ほとんど間違いなく紀元前15世紀のクレタ島ミノア文明の職人作と考えられる。ティリンス宮殿の王、あるいは場合によっては王妃への貢物としてクレタ島から輸入されたものであろう。金製リングは、そのサイズと加工技術、表現された聖なるモチーフなど、どれを取ってもアテネ国立考古学博物館が誇るミケーネ文明の至宝の一つと言える。

発見されたもう一つの金製リング(アテネ国立考古学博物館・登録番号6209)は、横幅34mmの準大型サイズで、女神と宮殿、そしてマストを立てた舟に乗る人達などが刻まれている。リングの表現モチーフや加工技術もクレタ島ミノア文明のそれと類似している。
もしかすると、これらの2個の金製リングが「対」とするならば、とても実用的とは言えない横幅57mmの超大型リングを被葬者であるティリンス宮殿の王が、そして34mmの準大型リングを王妃が、それぞれ聖なる儀式や公式な席上で装着していたのかもしれない。

  世界遺産/アルゴス地方ティリンス宮殿遺跡とトロス式墳墓
  ミケーネ文明・「トロス式墳墓」について
       ミケーネ文明・トロス式墳墓 Mycenaean Tholos Tomb/(C)1982 legend ej  ミケーネ文明・トロス式墳墓 Mycenaean Tholos Tomb/(C)1982 legend ej
      ティリンス遺跡・トロス式墳墓入口/上部幅1.7m下部幅2m          ティリンス遺跡・トロス式墳墓
                アルゴス地方/1982年              アルゴス地方/1982年/作図=Web管理者legend ej

アテネ国立考古学博物館/ミケーネ文明・デンドラ遺跡・金製カップ Myceanaean Gold Cup from Dendra/(C)1987 legend ej
デンドラ遺跡・「王家の墳墓」出土・金製カップ Gold Cup from Dendra
アテネ国立考古学博物館/登録番号7341/口縁径178mm
アルゴス地方/1987年


ミケーネ文明デンドラ遺跡金製カップと銀製カップ
                アルゴス地方ミケーネ文明遺跡からの出土品

アテネ国立考古学博物館には、世界遺産ミケーネ宮殿やティリンス宮殿など大型遺跡のみならず、アルゴス地方の各地の遺跡から出土したミケーネ文明関連の素晴らしい発掘品も展示公開されている。
1926年、スウェーデン考古学チームとギリシア政府のセクションによって、アルゴス東方10kmのデンドラ村で未盗掘の「王家の墳墓」と推測されるミケーネ様式のトロス式墳墓(下写真)が発見された。墳墓から出土した金製カップ(上写真)は、深さが比較的浅く、底部から側面にかけて海洋性モチーフのタコやイルカなどが丁寧な打出加工で表現されている。
紀元前14世紀の作品と考えられる金製カップのモチーフの内容と加工技術から、これは明らかに海洋性デザインで先行していたクレタ島ミノア文明の影響を受けたミケーネ職人の手による製作と判断できる。
また、デンドラ遺跡の「王家の墳墓」からは、下描画の銀製のカップや装飾品など、さらなる豪華な内容の出土品もある。

  ミケーネ文明の「王家の墳墓」のアルゴス地方デンドラ遺跡

   ミケーネ文明・デンドラ遺跡・王家の墳墓/(C)1987 legend ej
                  デンドラ遺跡・トロス式墳墓・「王家の墳墓」
                       アルゴス地方/1987年

      ミケーネ文明・デンドラ遺跡・出土品/(C)1982 legend ej
          デンドラ遺跡・トロス式墳墓「王家の墳墓&横穴墓出土・銀製カップ類
              アルゴス地方/1982年/描画=Web管理者legend ej

   No.1 横穴墓・銀製カップ/アテネ国立考古学博物館/登録番号8759 高さ80mm
   No.2 「王家の墳墓」・銀製カップ/アテネ国立考古学博物館/登録番号7314 高さ60mm
       外周に「連鎖ツタの葉紋様」の打ち出し装飾
   No.3 「王家の墳墓」・銀製キリックス/アテネ国立考古学博物館/登録番号8758 高さ70mm
   No.4 「王家の墳墓」・銀製キリックス/アテネ国立考古学博物館/登録番号8756 高さ220mm
                                             (※各カップ高さ=約mm)

「横穴墓T-10号墓」から出土した金製カップ(下写真)は、口縁部が波状であり、上から見ると「8弁」の花びらのような形容、腹部には連鎖するツタ葉紋様が打出加工されている。点描的な凹凸紋様が施されたハンドルは、陶器でも流行っていた「リング・ハンドル」の一種で、ハンドルの最下部分には小さな「ダブル・ピクルス」が打出加工され、この部分と腹部がリベット留めされている。
ツタ葉紋様のモチーフはクレタ島ミノア文明の定番の一つであるが、波状の口縁部とハンドルの形容はミケーネ技法であり、おそらくこの金製カップはミケーネ職人の手による紀元前1400年頃の作品と思う。

            デンドラ遺跡・金製カップ/(C)1982 legend ej
             デンドラ遺跡・横穴墓出土・金製カップ/口縁径 約130mm
           アテネ国立考古学博物館/登録番号8743/アルゴス地方/1982年



ミケーネ文明ヴァフィオ遺跡
金製・「ヴァフィオ型カップ」
            ラコニア地方スパルタ近郊のミケーネ文明遺跡からの出土品

デンドラ遺跡のほかに、クレタ島ミノア文明の影響を受けたと推測される素晴らしい金製カップ2個(下写真)が、ペロポネソス地方スパルタ近郊のヴァフィオ村から出土している。対(2個)で発掘されたカップは、クレタ島のミノア文明の典型的な工芸モチーフであった雄牛とミノアの若者を浮彫り彫刻のような精巧な打出加工で表現している。
このカップは上述デンドラ遺跡からの海洋性デザインの金製カップと同様に、クレタ島ミノア文明の影響を受けたミケーネ職人の手による製作、あるいは距離的に近いことからミノア文明からの輸入品(貢物)とも判断できる。余りの素晴らしいデザインとその形容から、研究者の間では、この金製カップは古代文明の容器様式のモデルとなり、「ヴァフィオ型カップ(杯) Vaphio Style Cup」と呼ばれている。
ミケーネ宮殿遺跡からの黄金のマスク(トップ写真)、あるいはティリンス宮殿からの「ティリンスの財宝」と呼ばれる超大型金製リング(上述)とともに、2個の金製ヴァフィオ型カップはアテネ国立考古学博物館の至宝となっている。

  「金製ヴァフィオ型カップ」の詳細 ラコニア地方スパルタ近郊/ヴァフィオ村のトロス式墳墓遺跡

   アテネ国立考古学博物館/ミケーネ文明・金製ヴァフィオ型カップ Gold Cup of Vaphio/(C)1982 legend ej
      スパルタ近郊ヴァフィオ遺跡出土/金製・「ヴァフィオ型カップ」 Gold Cup of Vaphio
               暴れ狂う雄牛とロープで取り押さえる若者を表現
      アテネ国立考古学博物館/登録番号1758/ペロポネソス・ラコニア地方/1982年

   アテネ国立考古学博物館/ミケーネ文明・金製ヴァフィオ型カップ Gold Cup of Vaphio/(C)1982 legend ej
       スパルタ近郊ヴァフィオ遺跡出土/金製・「ヴァフィオ型カップ」 Gold Cup of Vaphio
                 若者に取り押さえられた静かな雄牛を表現
      アテネ国立考古学博物館/登録番号1759/ペロポネソス・ラコニア地方/1982年

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ミケーネ兵士の表現
                  好戦的なミケーネ人を象徴する出土品

アルゴス地方ミケーネ宮殿遺跡から遠く離れたペロポネソス地方西南部のメッセニア地方、そのピーロス地区のネストル宮殿遺跡の宮殿プロピュライア(入口)付近から、ヒゲをたくわえたミケーネ兵士の頭部を形取った金とニエロ金属で象嵌された装飾品が見つかっている。
この頭部象嵌では、全部でミケーネ兵士11人分が見つかり、兵士の大きさは縦20mm〜24mmほどの小さなものだが、肌部分が金、頭髪とヒゲはニエロ金属(上述コラム)で作られている。

  ネストル将軍の居城であったメッセニア地方ネストル宮殿遺跡

         ミケーネ文明・「ミケーネ兵士」の象嵌 Mycenaean Soldiers/(C)1987 legend ej
             ネストル宮殿遺跡出土・ミケーネ兵士の頭部象嵌の装飾品
       アテネ国立考古学博物館/登録番号7842/ミケーネ兵士高さ20mm〜24mm
                   ペロポネソス・メッセニア地方/1987年
ミケーネ兵士の銀製ボール ミケーネ兵士の頭部象嵌では、ミケーネ遺跡区域の横穴墓から出土したリング・ハンドル付きの銀製ボール(下描画)が、上述のネストル宮殿遺跡出土の装飾品に極めて類似する。ミケーネの銀製ボールの象嵌技法は、ネストル宮殿遺跡の装飾品とまったく同じ様式で、肌部分を金、頭髪とヒゲをニエロ金属で作られている。
モチーフ表現が同じであり、もしかするとこれらの装飾品は同じ時期に同じ職人か、同じ工房による作品と考えられる。好戦的なミケーネ人を象徴する装飾様式の例であり、紀元前13世紀頃の興味深い作品と言える。

           著作クレジット=Web管理者legend ej
       ミケーネ遺跡・横穴墓出土・ミケーネ兵士の頭部象嵌のハンドル付き銀製ボール
            アテネ国立考古学博物館/登録番号2489/口縁径160mm
               アルゴス地方/1982年/描画=Web管理者legend ej
     ミケーネ文明・「ミケーネ兵士の絵柄」 Marching Mycenaean Soldiers/(C)1987 legend ej         (C)1982 legend ej
       ミケーネ宮殿遺跡出土・クレーター型容器・「兵士の絵柄」         スパタ遺跡出土/ミケーネ兵士の象牙像
         戦闘用衣装と武器を携えた好戦的なミケーネ兵士達    アテネ国立考古学博物館/登録番号2055/高さ70mm
              アテネ国立考古学博物館/1987年        アッテカ地方/1982年/描画=Web管理者legend ej
完全武装のミケーネ兵士 ミケーネ宮殿遺跡のライオン門(城門)を入って直ぐ右側が有名な円形墳墓Aであり、その外周部から直ぐ南側に「兵士の絵柄容器の邸宅」と呼ばれる建物遺構がある。この邸宅跡から「ミケーネ兵士の絵柄」のクレーター型容器(左上写真/拡大)が発見されている。
長い槍とヘルメットや鎧で完全武装した兵士の絵柄、馬が牽く二輪戦車などは、好戦的なミケーネ人を象徴する典型的な陶器の絵柄モチーフの一つであった。

  「ミケーネ兵士の絵柄」の容器などミケーネ陶器に関する詳細
  ギリシア本土のミケーネ文明の主な陶器様式の変遷と特徴
ミケーネ宮殿遺跡出土・「兵士の絵柄」のクレーター型容器(左上・拡大写真)
高さ430mmの大型クレーター型容器の地肌は黄土色〜ベージュ色、腹部側面に2か所の大きなハンドルがあり、両ハンドルの下方には鳥が描かれている。良く観察すると、最も明確に分かる正面部では、一人の女性と6人のミケーネ兵士が赤茶色で描かれている。女性の頭部と右腕は欠損しているので不明確だが、女性は頭に何か物を乗せて、左手は頭に乗せた何かを支えるか、あるいは出発する兵士達に「勝利の祈り」を奉げているのかもしれない。
兵士達はほとんど同じスタイルで、パッチリの眼、高く尖った鼻と顎髭(あごひげ)を生やし、一斉に左足を前へ向け、行進しているシーンを描写している。兵士の被る角付きヘルメットは白い点描で表現され、羽飾りが後ろ側へなびき、兵士達がそれなりのスピードで前進していることを感じさせる。
兵士達の身体はコルセット風の武具でがっちりと固められ、腰は白点の短めのスカート姿、足には編み上げのブーツと膝までのハイソックスという完璧な出で立ちである。左手には下方がカットされたほぼ円形の盾(たて)を携行、右手でランチか、休憩時間に食べるイチジクとか乾燥したデザートでも入っているのか、各々風船のように膨れた皮袋を取り付けた長い槍を支えている。
このクレーター型容器の用途だが、もしかしたら、装飾絵柄の通り、戦いに出発するミケーネ人兵士達の壮行会で、なみなみとワインが満たされ、兵士達は代わる代わるハンドル付きのカップで飲み干したのではないだろうか? 明日の勝利を祝って・・・
彼らミケーネ兵士達に悲愴感がないので、どう見ても、壮行会のクレーター型容器のワインで「一杯やって」、これから演習か、本物の「勝てる戦い」へ向かおうとしてるシーンを鮮明に描き表現しているようである。3,200年の時を経て偶然に残されて来たミケーネ美術の傑作の一つと言えるであろう。この容器は考古学者が研究対象で注目するだけでなく、現在アテネ国立考古学博物館が誇る至宝級のミケーネ陶器となっている。
兵士表現の象牙彫刻品
青銅製の鎧(よろい)
また兵士の表現では、好戦的なミケーネ人を象徴する象牙彫刻品も見つかっている。これはアテネ東方のスパタ遺跡 Spata の横穴墓からの出土で、イノシシ牙を使った武装ヘルメット姿のミケーネ兵士(右上描画)を表現している。
このヘルメット姿の兵士像が見つかったスパタ遺跡では、このほかに約420個に上る象牙の欠片と二枚貝が開いた「8の字」の形容の製品を含む加工済の象牙像が出土していることから、ミケーネ時代には本家ミケーネ宮殿と同様に、象牙加工センターの一つであったと考えられている。

そのほかでは、「ミケーネ兵士の絵柄」のクレーター型容器より1世紀ほど古い時代に遡るが、上述のデンドラ遺跡からは、好戦的なミケーネ人が使っていた青銅製の鎧(よろい)も出土している。

  アルゴス地方デンドラの「王家の墳墓」の共同墓地遺跡

             ミケーネ文明・デンドラ遺跡・青銅製鎧(よろい) Mycenaean Bronze Armour/(C)1982 legend ej
              デンドラ遺跡・出土したミケーネ人の青銅製の鎧(よろい)
               ナフプリオン考古学博物館/アルゴス地方/1982年

                       写実表現の「ピクトリアル様式」のミケーネ陶器とフレスコ画

         ミケーネ文明・ピクトリアル様式陶器 Mycenaean Pottery, Pictorial Style/(C)1982 legend ej     著作クレジット=Web管理者legend ej
           ミケーネ遺跡出土・写実様式(ピクトリアル)陶器        ティリンス遺跡出土・「兵士と馬」の写実様式陶器
         アテネ国立考古学博物館/登録番号7387/1982年        アテネ国立考古学博物館/登録番号1511
                  アルゴス地方/1982年                     高さ27cm/アルゴス地方/1982年
 写実様式陶器
(ピクトリアル容器)


ミケーネ文明の最盛期、紀元前14世紀の半ば、紀元前1350年頃になると、今までなかった特徴的なミケーネ陶器・「写実様式(ピクトリアル Pictorial Style)」と呼ばれる陶器タイプが出現してくる。
この陶器の主な器形は、前述の「兵士の絵柄」の容器と同種の大型のクレーター型容器、脚ステムが付いたアンフォラ・クレーター型容器がメインである。容器の肩〜腹部に、ミケーネ人の乗る二輪戦車や二輪走行車(左上写真)、兵士による戦闘や進軍シーン(右上写真)、馬を初めとするヤギ、ライオン、雄シカ、水鳥などの動物、神話の世界の「グリフィン」などが、ちょっと漫画チックだが、誰の目にもはっきりと分かる絵柄で描写された。
ピクトリアル様式陶器の絵柄モチーフの多くは、疑うことなくミケーネ宮殿などを飾った美しいフレスコ画と共通している内容が含まれている。また戦闘兵士の出陣式(多分行われたはず)とか、ちょっとリッチな高位な家庭の遊び好きな息子達が親に買ってもらった新型の二輪走行車を乗り回して、(想像だが)ウェーブのかかる髪をなびかせた若い美人の女性達を求めて街へガールハントでも行く時のシーンなどからヒントを得たと考えられる。
なお、前述のミケーネ宮殿遺跡から出土したミケーネ兵士が行進をしている様を描いた「兵士の絵柄」のクレーター型容器も、このピクトリアル様式陶器に分類されている。

アテネ国立考古学博物館/ミケーネ宮殿遺跡・フレスコ画・「宮廷婦人の絵」/(C)1987 legend ej ミケーネ宮殿遺跡出土
フレスコ画・「宮廷婦人の絵」
アルゴス地方/1987年

美しいフレスコ画
アテネ国立考古学博物館/登録番号11670

ミケーネ宮殿内の西側城壁近くの邸宅遺跡から、1970年に出土した「宮廷婦人の絵」と呼ばれるフレスコ画(上写真)は、宮殿で祭祀を司る女性を描いたものである。クレタ島ミノア文明のフレスコ画の様式を継承しつつも、細部まで非常に精巧に描写されており、ミケーネ宮殿の崩壊時期に比較的近い時代おそらく紀元前13世紀の作品と推定される。
この時期、既にクレタ島ミノア文明は崩壊していたが、かつてミノア美術様式の影響を強く受けていたミケーネ文明では、言わば「恩師」であるミノアの技術に劣らない高度なフレスコ画技法が確立されていた。
エーゲ海のサントリーニ島アクロティーリ遺跡から出土したフレスコ画とともに、この「宮廷婦人の絵」も、アテネ国立考古学博物館の誇るフレスコ画の一つとして展示公開されている。
なお、1987年に博物館を訪れた際に、(本来は許されないが) 私の簡易測定では、「宮廷婦人の絵」のの「右人差し指の先端〜左腕の肘の先端」の寸法は45cmであった。

また、同じミケーネ宮殿・南翼部の「宮殿聖所」から見つかったフレスコ画には、ミノア文明の影響を受けたと思われる三人の女神(下写真)が描かれている。1980年〜1990年代では、このフレスコ画の現物がアルゴス地方ナフプリオン(ナフリオン)考古学博物館で展示公開されていた。

「三女神フレスコ画」と下写真の「ヤギのフレスコ画」についてはミケーネ宮殿遺跡ページ;
  ミケーネ宮殿遺跡と円形墳墓と「アトレウスの宝庫」(詳細解説=38ページ)

ミケーネ文明のフレスコ画とミノア文明のフレスコ画との比較はクノッソス宮殿遺跡ページ;
  クレタ島ミノア文明のクノッソス宮殿遺跡(詳細解説=60ページ)   
(C)1982 legend ej (C)1982 legend ej
  ミケーネ宮殿「宮殿聖所」出土・「三女神フレスコ画」全容          「三女神フレスコ画」部分拡大(小さな女神)
全横幅180cm/左端下部が穀物を持つ「小さな女神(線囲い)」    「小さな女神」の左右の指先間の距離=約26cm
                          アルゴス地方ナフプリオン考古学博物館/1982年
漫画のようなフレスコ画 ミケーネ宮殿内部の南翼部には、ギリシアの考古学者ツーンタス Tsountas の名をとった「ツーンタスの邸宅」がある。この邸宅からは3頭のヤギに似た頭の「聖霊達」が、失われているがおそらく女神の乗った駕籠(かご)か、輿(こし)の長棒を担ぐシーンのフレスコ画(下写真)が見つかっている。背景に鮮やかな青色を使い、モチーフはユーモアと言うか、ちょっと笑い出しそうな漫画チックなフレスコ画である。

          (C)1982 legend ej
      ミケーネ宮殿遺跡・ツーンタスの邸宅出土・「棒を担ぐヤギ頭の聖霊達」のフレスコ画
              アテネ国立考古学博物館/登録番号2665/1982年

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シュリーマンとギリシア神話






円形墳墓Aの金製マスク
  シュリーマンとギリシア神話/金製マスクの表情

よく語られるシュリーマンの自叙伝の「子供の頃から信じていたギリシア神話」の話は、実は実業家として成功したシュリーマンが、自身の人生を感動的に「装飾」するために考えた「作り話」であった。ただしシュリーマンは莫大な財力を以って、エーゲ海文明遺跡の発掘と「宝探し」に異常なほどの情熱を注ぎ、結果として「お宝」を探し出したのは事実である。
トルコ・トロイ遺跡からの豪華な発掘品を身に付けた妻ソフィアの写真とトロイ遺跡の解説は;
  ミケーネ王アガメムノンの活躍した「トロイ戦争」/シュリーマンの発掘したトロイ遺跡

「金製マスク」の「表情」に関して/個人的に感じること
私は1970年代、1980年代、そして1990年代に累計で20回以上もアテネ国立考古学博物館を訪ねている。トップ写真の金製マスクは、その際に博物館で撮影した展示品写真2,000枚以上の中の1枚である。
アテネ国立考古学博物館は「2004年・オリンピック・アテネ大会」の開催に合わせて、ミケーネ文明関連の展示室も大規模な改修を行い、かつての「発掘遺跡毎」のケース展示から、同じような品目を一まとめにしてより豪華に見せる「品目毎」のケース展示へ大幅変更を行なった。
2000年代になり、ギリシアを訪れる日本人ツーリスト(2000年以降=年間8万〜10万人前後)の増加の結果ギリシア滞在をつづった素人考古学の絵日記ブログも激増、デジカメで撮影されたおびただしい数の金製マスクの写真が、無数のWebページで紹介されている。
ただ私の撮影した金製マスクの比較的「穏やかな表情」と、今日Webページで流されている2000年代以降の彫刻のようなかなり「硬い表情」を比較すると、どう見ても同じ金製マスクを撮影したものとは思えないくらいの「差異」を感じるのである。
                     写真情報: Wikipediaページ
            多くのWebページで紹介されている現在展示の金製マスクの写真例
                      写真情報: Wikipediaページ

私の記憶では、1990年代までは、金製マスクは75度前後の角度でセットされた黒色ベルベット地(ビロード)かフラノ織地表装のボードに細い虫ピンで固定され、大人の目線より5cm〜10cm程度高い位置で展示されていた。このため見学者が金製マスクを正面から写真に収める場合、私のトップ写真がそうであるように、必然的に金製マスクを若干だが「下から見上げる」ような撮影が標準であった。
現在、Webブログページの金製マスクの写真は、Wikipediaの写真例のように、「すべて」と言って良いくらい被写体の凹凸を捕らえ難いお決まりの正面撮影である。私は1972年〜1980年代〜1990年代にもマスクを眺めている。記憶が散漫ではっきりとは言えないが、1987年撮影のトップ写真では明確に分かるが、かつては王の左頭部が少し欠けていたが、現在は何故かその欠損部分が「埋められている」、かつて右耳上部は割れていたが今日では「接続されている」ことなど、どうも気にかかる点が多過ぎる、と私には感じる。
上述したシュリーマンの発掘直後の黄金の仮面、1970年代〜1980年代に私が限りなく飽きるほど眺めた金製マスク、2004年以降にWebページで流されている金製マスクの写真、三者がどう見ても「同一」の金製マスクとは思えない、私には・・・

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アテネ国際空港〜アテネ市内・ピレウス市内・長距離バスターミナル/連絡公共交通マップ
               http://www.oasa.gr/airport2004
アテ首都圏・広域公共交通(地下鉄・バス・トラム)情報
  アテネ広域交通局 http://www.oasa.gr/
ギリシア政府文化観光省・観光局(東京) http://www.visitgreece.jp/
ギリシア政府文化観光省 http://www.culture.gr/culture/
日本ユネスコ協会連盟・「世界遺産を守る」/世界遺産リスト http://www.unesco.or.jp/
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