旅人 legend ej の世界紀行・心に刻む遥かなる「時」

ホームページ ⇒ 「ミケーネ文明」紀行 ⇒ オルコメノス遺跡/グーラ遺跡/ディミーニ遺跡/セスクロ遺跡

ミケーネ文明のオルコメノス遺跡 Orchomenos /グーラ遺跡 Gla

新石器文化のディミーニ遺跡 Dimini /セスクロ遺跡 Seskro


ミケーネ文明/オルコメノス遺跡

オルコメノス遺跡の発掘
  オルコメノス Orchomenos の村は都市国家テーベ Thive の北西、広大なヴォイオティア Boeotia 平野の端面にある。平野の中に突き出るように低い岩の尾根があり、その斜面に天井崩落のミケーネ様式の大型トロス式墳墓が残されている。
このトロス式墳墓の発掘はトロイ遺跡やミケーネ宮殿遺跡の円形墳墓Aなどの発掘で歴史的に有名となったシュリーマン Johann Ludwig Heinrich Julius Schliemann とドイツの考古学チームが、1880年代に発掘した墳墓である。

世界遺産/シュリーマンの発掘したトルコ西海岸地方に残るトロイ遺跡

トロス式墳墓/「ミニアスの宝庫」
  オルコメノスのトロス式墳墓の建造は紀元前14世紀であった。トロス内部の床面の内径は14mと非常に大きく、ギリシア本土ではミケーネ遺跡に残る内径15mの「アトレウスの宝庫」や内径14.5mの「クリュタイムネストラの墳墓」に次ぐ、ミケーネ文明では大型サイズの墳墓である。研究者の間では、このトロス式墳墓は「ミニアスの宝庫」と呼ばれている。

ミケーネ文明・「トロス式墳墓」&「横穴墓」について

オルコメノス遺跡・トロス式墳墓/(C)legend ej 3.5m〜5m前後の高さで全周に残されている墳墓内壁の切石は、サ
 イズに限って言えば、「アトレウスの宝庫(下写真)」のそれに遠く及ば
 ないが各石材ブロックは等しい高さに切り揃えられ、規則正しい段で精
 度高く積み上げられている。
 天井崩落となった現在、あくまでも推測の話だが、「アトレウスの宝庫」の
 ように、この墳墓の内壁が天井屋根部分まで完全に残っているならば、
 正に「ミニアスの宝庫」に相応しい壮大で圧倒される形容であったはずで
 ある。

 トロス式墳墓の入口への通路ドロモスは破壊され残っていないが、入口
 は墳墓の南東側にあり、訪ねた1982年の簡易測定では、基盤から大
 型リンテル石(左写真)までの高さがおおよそ5.5m、入口の幅は約
 2,5m、奥行き6mの入口の中間付近(地面)に幅90cmの敷居的
 な石板が残っている。また入口上部のリンテル石は幅4.9mx2,2m、
 厚さ95cmの一枚岩であった。



 オルコメノス遺跡/トロス式墳墓
 トロス内部から入口を見る/ヴォイオティア地方/1982年

ミケーネ文明・トロス式墳墓・「アトレウスの宝庫」 Tholos Tomb of Atreus/(C)legend ej
               ミケーネ遺跡・最大級のトロス式墳墓・「アトレウスの宝庫」/アルゴス地方/1982年
               世界遺産/アルゴス地方ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓・「アトレウスの宝庫」

トロス式墳墓/美しい装飾の副室天井
  オルコメノスのトロス式墳墓の内部では、中心部から真横右手(北東方角)に格式高い石造の部屋のような感じの埋葬副室への入口(左下写真)が設けられている。副室入口のリンテル石は長さ2,7m、厚さ70cmの立派な大型石材が使われている。
副室への通路は原寸で横幅約1.3m、奥行き2,8m、高さ2,2m。その奥の空間が堅固で精巧な造りの埋葬副室で、そのサイズは奥行き約3.8m、横幅約2,8m、奥方向へ長い埋葬空間がほぼ原形で残されている。副室の高さ自体は2,4mほど、決して高いとは言えず、閉鎖的な空間でもあり立っていると若干圧迫感を覚えなくはないが。

オルコメノス遺跡・副室/(C)legend ej
オルコメノス遺跡・トロス式墳墓/副室入口             副室天井の美しいレリーフ装飾/ヴォイオティア地方/1982年

オルコメノスのトロス式墳墓は単に大型サイズであったことだけでなく、埋葬副室のその豪華さに特徴があると強調できる。副室の天井部分には緑がかった暗いベージュ色の大型硬質片岩が使われ、全面をロゼッタ模様や連鎖する渦巻線、ヤシか、あるいはパピルスの葉ような細かなデザインをモチーフにした見事な浮彫レリーフ装飾(右上写真)で埋め尽くされているからである。
古代エジプトの墳墓の壁面や天井の多くは、被葬者への賛美と生きた時代の出来事などを描いた色鮮やかな壁画に満たされていたが、ここオルコメノスのトロス式墳墓では、半永久的に色褪せることのない石材彫刻で飾り、眠る被葬者を守り称えている。

現在までにギリシア本土で発見されたミケーネ様式のトロス式墳墓を数多く見てきた私の経験では、ハードとしての埋葬副室の構造、良質な石材、そして装飾内容など、おそらくこのオルコメノスのトロス式墳墓の副室が、「最も美しい埋葬副室」と言えるのではないだろうか。被葬者がオルコメノスを治めた「ミニアス王」ということが真実ならば、この副室はミニアス王が眠るに相応しい格式ある風格が漂っていると言える。

Ref. 1982年・1987年/二度訪ねたオルコメノス遺跡

夏の日/明るい副室内部で静かな時間を過ごす
  私はオルコメノスのトロス式墳墓を1982年と1987年のニ度訪ねたが、いずれも真夏の日中であり、明るい陽光が降り注ぎ、かつて墳墓の床面であった広い地面に反射した光が副室の奥まで届き、天井の美しいレリーフを照射していた。
途絶えることのないツーリストでごった返す世界遺産ミケーネ遺跡の「アトレウスの宝庫」の副室内部は、今では崩れて単なる空洞になっている。しかしここオルコメノスのトロス式墳墓には、3,300年以上前に「ミニアス王」が埋葬された時とまったく変わらない高貴なレリーフ装飾と聖なる雰囲気が残されている。
訪ねた時、美しいロゼッタ模様などで優美に装飾された副室の中で腰を落とした私は、目を閉じ、しばらくの間、独り「夢幻の時」を過ごすことができた。遠い東洋の国からオルコメノスのトロス式墳墓を訪ねることができた幸運というか、言葉に表せない静かな満足感を感じていた。

墳墓サイズと副室の装飾レベルから判断する時、オルコメノスのトロス式墳墓の埋葬者は、幾らかの人達が唱えるトロス式墳墓の東と北側周辺にあったとされる「宮殿」の支配者の可能性もある。しかし私はむしろ後述するグーラ(グラ)に存在したであろう「宮殿」に居住して、この地方を治めた「ミニアス王」の墳墓であった可能性に期待をしたい。
また、トロス式墳墓の東側60mほどには円形劇場跡が残され、道路脇の教会付近から登る岩の尾根の上、位置的にはトロス式墳墓の北方となるが、幾らかの古代遺構も残されている。

トロス式墳墓の「トカゲ」
  現在、トロス天井は完全に崩落して、天空に開口してしまっているのでただ広い空間だが、かつてトロス式墳墓の広い床面であった地面には、所々に夏の強い陽光に夏枯れした雑草が残り、その日陰にキョロキョロ眼の「遺跡のトカゲ」が佇み、クールな顔で遠来の客人である私を不思議そうに眺めていた。

エーゲ海・「遺跡のトカゲ」 もしかしたら、この副室はあのトカゲが根城として使い、埋葬
 された王の化身として、この墳墓を守っているのかもしれない
 と思いながら、再び格式高い副室の入口を振り返る・・・




 古代遺跡なら何処でも出会うギリシアの「遺跡のトカゲ」

ミケーネ文明/グーラ遺跡

ミケーネ文明/グーラ遺跡の発掘/「宮殿」の塁壁遺構か?
  トロス式墳墓が残るオルコメノスの東方20kmにグーラ(Gla グラ)遺跡は残されている。1894年にデ・リッデル De Ridder が最初の発掘調査を行い、その後も複数回の発掘ミッションが行われ、最近では1980年代にも再調査が実施されている。
遺跡は東西850m 南北570mの区域、石灰岩の平坦な岩の丘を占めるグーラ遺跡は、現在の耕作地レベルから25m〜40mの高さにあり、遠方から眺めると平原の中にぽつんと浮かんだ小島のように見える。平面視野では、この遺跡はミケーネ宮殿遺跡のプランに似た「三角形」のような敷地を占めている。
ただ、面積的にはミケーネ宮殿のそれより遥かに広い。アルゴス周辺のミケーネ宮殿やティリンス宮殿とてかなり崩壊が進んでいるが、グーラの遺跡はそれらに比べさらに破壊が進んでいる。明確な遺構も少なく、「宮殿」の存在なども含めてはっきりと判明していない部分が多い。

幾らかの研究者はグーラの「城塞宮殿」は、4か所の城門を含め、紀元前1350年〜前1300年頃に造られたと推測している。紀元前1250年頃、ミケーネ文明の宮殿や邸宅などが大きな地震と火災で崩壊しているのと同じ時期に、グーラの「宮殿」も崩壊した可能性が高い。
ただ遺跡からは幾らかの陶器も発見され、年代的には紀元前1400年〜前1100年頃に属するとされることから、「宮殿」の崩壊後もある程度の期間、城壁内部で「何らかの居住」が行われていたと判断できる。

現在、広大な農耕地になっている遺跡周囲の平原は、ミケーネ時代には浅い湖、または湿地帯であったと考えられている。アルゴス地方ティリンス宮殿の近郊では、川を堰き止めて取水ダムと運河を建設したとされている。
それとは逆の水利対策だが、グーラ周辺では湖や湿地帯の干拓事業が、おそらくグーラの「宮殿」に住んだ歴代統治者に課せられた最大の仕事で、干拓によって確保される農耕地の拡大は王国経済の安定と発展を約束する最も重要な要素であったはずである。

世界遺産/アルゴス地方ミケーネ文明のティリンス宮殿遺跡/レルナ居住地遺跡

            グーラ遺跡・塁壁/(C)legend ej
                       グーラ遺跡・北側塁壁/ヴォイオティア地方/1987年

塁壁遺構
  遠目には目立った小島のようなグーラ遺跡はかなり広大な面積を占めている。ミケーネ様式の強固な累壁(上写真)で囲まれた平坦な丘全体には、遺構破壊があり明確ではないが、間違いなく「宮殿」とその付属の「街」が展開されていたと推測したい。
塁壁の厚さは最大5.7mを確認でき、情報では全長で約2,650mと計測されている。総延長で約900mのミケーネ宮殿の城壁に比べるといかにグーラの「宮殿」の面積が広大であるか理解できる。
「入城門」は東・西・南・北の合計4か所、正規の入城門は通路の両脇に二つの同じ形式の「警備室」を備えた南門と言われているが現状では最も明確に切石ブロックが積み上げられているのは北門で、大型石材を積み上げ、がっちりとした構造である。

遺構があまり明確でないことから、ミケーネ時代の宮殿の特徴である三部屋続きの「メガロン形式」の王の居室、或いは中央中庭や聖所、工房なども特定されていない。遺跡の丘全体はテーブルマウンテンのように平坦な形容だが、北端部の区域は塁壁内側の平均レベルより標高差があり幾分盛り上がっている(上写真・中央付近)。
この盛り上がり箇所に、今でも「L字型」に配置された大型の建造物の基礎遺構が確認でき、壁面の下は岩盤である。レポートを見ると、「L字型」の長い建物が「城塞宮殿」のメイン建物であったとされ、大小20を数える部屋が連なり、二重通廊も含む「長い通廊」で連絡されていたとされる。

訪ねた1987年と1993年、各3時間ほどの表面チェックを行ったが、特に南門から「L字型」と大型の長方形の建物の遺構にかけての区域には、破壊された陶器片が無数に散乱していた。もしグーラの塁壁内に「宮殿」が存在したのなら、オルコメノスの大型トロス墳墓の被葬者は、ほとんど間違いなく、この「宮殿」に住んだ統治者であったと、私は確信したい。
なお、グーラは別名で「グラ」とも呼ばれている。またこのグーラ遺跡と同じような分厚い塁壁が残るのは、ペロポネソス・アルゴス地方のミケーネ宮殿遺跡から少し南方のミデア遺跡 Midea である(下写真)。

            ミケーネ文明・ミデア遺跡/(C)legend ej
                    ミデア遺跡・東サイド塁壁遺構/アルゴス地方/1987年
                    ペロポネソス・アルゴス地方のデンドラ共同墓地遺跡とミデア塁壁遺跡

新石器文化/ディミーニ遺跡

新石器文化/紀元前5000年〜/ディミーニ居住地遺跡
  塁壁遺構のグーラ遺跡の西方2kmのカストロ村 Kastoro には、首都アテネから北部の大都市テッサロニキへ向けて北上する幹線道路A-1号が走っている。このギリシアで最も主要な道路を北方へ進み、中都市ラミア Lamia を経由して、さらに北上するとギリシア中部の港町ヴォロス Volos へ至る。
ヴォロスの街から西方5km程にあるディミーニ遺跡 Dimini 遺跡は、村の北東500mの周囲の耕作地から少し盛り上がった丘で発見された。遺構は新石器時代・後期の典型である周壁居住地で、その規模は南北150m 東西80m程である。

ディミーニでは紀元前5000年頃から居住が始まったが、遺構の大部分は新石器時代・後期/紀元前4000年〜前3000年頃に属する。また、より遅いミケーネ時代のトロス式墳墓も発掘され、比較的良い状態のトロス部やリンテル石が残っている。
現在では遺跡周辺は住宅地と農耕地となっているが、かつて新石器時代にはディミーニ遺跡のすぐ近くまでヴォロス湾が入り込んでいたとされ、ディミーニ文化の人々は平原での農耕的な採集生活を営む傍ら穏やかな海からの幸にも恵まれていたのであろう。

               ディミーニ陶器&石製像/(C)legend ej
              ディミーニ遺跡出土・ディミーニ様式の装飾陶器       ディミーニ遺跡出土・石製像
               アテネ国立考古学博物館/登録番号5922       登録番号5994/高さ220mm
              高さ250mm/中部ギリシア地方/1982年        描画=Web管理者legend ej

ディミーニ様式陶器
  遺跡のあるディミーニ村から名を取った「ディミーニ様式陶器」の代表作品がアテネ国立考古学博物館で展示公開されている。この陶器は円筒型の頚部と側面にニつの竪型ハンドルを付けた球形の装飾ポット(左上写真)で、明地に濃茶色やワインレッドで描いた渦巻き線、メアンダー紋様(連続雷文/ひね曲がり)で装飾されている。
このディミーニ様式容器は「メガロン・A」とよばれる部屋からの出土で、ディミーニ文化がスタートする紀元前3000年前後に属する美しい作品である。また出土した石製の像(右上描画)は紀元前4000年頃に属するとされる。なお、このディミーニ様式の容器に見られる渦巻き線やメアンダー紋様など明瞭な装飾の紋様は、これ以降にギリシアで流行する「陶器装飾紋様」の基礎となって行く。

ギリシア本土ミケーネ文明の主な陶器様式の変遷と特徴

Ref.
夏ガキを食したヴォロスの港/白ワイン・「レツイーナ・ワイン
ディミーニ遺跡とセスクロ遺跡を訪ねるために、1987年、ギリシア中部地方の港町ヴォロスに宿泊した。ヴォロスは本土のエーゲ海沿岸に沿って南北に細長く伸びるエヴィア島 Evia の北側、北欧のフィヨルドのように深く入り込んだヴォロス湾の最奥にある。日本の有名なカキ(牡蠣)の産地でも、夏場にはカキが産卵をするため美味しくないとして、一部を除き食することはないが、波のまったくないヴォロス湾では、夏に産卵しない「夏ガキ」が水揚げされる。
港近くのシーフード・レストランやタベルナ食堂では、この夏ガキが大皿に山盛りで出され、しかも信じられないくらい安価である。夏の夕方乾いたヴォロス湾の微風が吹き、ナイフでこじ開けたフレッシュなカキに、生レモンを手で搾ってかけ、カキとエキスとレモンが丁度良くコラボレーションした美味を味わうことができる。
ギリシアは地中海の国、普通のワインでも知られているが、松脂(マツヤニ)を加えた独特の味の「レツイーナΡετσινα/Retsoma」という、古代からの歴史を秘めた白ワインがあることを知った。私はアルコールに弱く、ワインでもグラス2杯がリミットだが、港のタベルナで「ワイワイ・ガヤガヤ」とこのマツヤニ・ワインと夏ガキを楽しんでいた海のオジサン達は、私に「レツイーナ」を勧めてきた。聞けば、マツヤニ・ワインはヴォロスの直ぐ南のエヴィア島で醸造されたワインとか。
好意的に勧められた「レツイーナ」の味はと言えば、失礼ながら、アルコールに弱い私にはどうも「イマイチ」と感じたが、港のタベルナで食した夏ガキの新鮮さと海の香りは、何時まで経っても忘れられない経験の一つである。旅先の食は豪華でなくとも良い、ともかくも「地元の人と同じ物を食さねば」、これこそが旅人の基本条件であり、地元への尊敬であると思う。

新石器文化/セスクロ遺跡

新石器文化/紀元前7000年〜/セスクロ居住地遺跡
  ディミーニ遺跡からヴォロスの町へ戻る途中、北方ラリッサ方面へ向かう国道6号(E-92号)で北北西へ6km程進み、標識に従い左折(南方)して3km、わずかな登り勾配の先にセスクロ村 Seskro がある。村の東側600mには、新石器時代の初期にあたる紀元前7000年〜青銅器時代の初期となる紀元前3000年頃まで居住地として繁栄したセスクロ遺跡が残されている。

セスクロ文化はギリシアでは最古、ヨーロッパ地域においても新石器文化の最も早いクラスにランクされている。セスクロを含むこの一帯からギリシア北部にかけては、新石器時代の遺跡が大小・無数に確認されており、そのサイト数は300か所以上とも言われている。
セスクロ遺跡は小さな丘の頂点にあり、南西〜北東方向へ100m程細長く延び、幅は約50mの規模である。周辺の丘陵に比べ目立って高いとは言えない丘に残る遺跡は、訪ねた1987年の時点では、凝灰岩を河食した2本の小川がほぼ60度の角度で合流する場所にある。
ただ、周囲は侵食に弱い凝灰岩地質であり、5,000年以上も前の時代では、小川の流れが一定でなかったかもしれれないが。セスクロに住んだ新石器時代の人々は、特に羊やヤギの飼育と農耕が得意であったと考えられる。居住地の家屋の多くは狭い部屋の造りで、木材と泥を使った一部屋が標準で、一部は二部屋続きの家屋も確認されている。

セスクロ様式陶器
  セスクロ遺跡からは多くの貴重な陶器が出土しているが、最も古い作品は新石器時代初期まで遡る漏斗(ジョウゴ)に似たラッパ状の頚部と円錐形の高台を持ったずんぐりとした陶器(左下写真)であり、アテネ国立考古学博物館で展示公開されている。そのほかの陶器では、赤と茶色の幾何学模様で装飾したカップとボール形状の容器類がある。

                    セスクロ陶器&塑像/(C)legend ej
      セスクロ遺跡出土・ラッパ状の頚部と円錐形の高台の容器      セスクロ遺跡出土・テラッコッタ製塑像
      暗地に白色の細線で紋様が描かれた新石器時代の容器      「地母神信仰」の豊穣な女性像/高さ65mm
      アテネ国立考古学博物館/登録番号6034/高さ170mm   登録番号5941/描画=Web管理者legend ej
      中部ギリシア地方/1982年                       アテネ国立考古学博物館/1982年

新石器文化〜ミケーネ文明/「地母神信仰」の女性像

各地の「地母神信仰」
  すでにセスクロの人々は信仰的な感覚を持っていたとされ、複数のテラコッタ製の「地母神信仰」の豊穣な女性像(右上描画)も出土している。女性像ではオーストリア・ドナウ中流域で発見された石灰岩製の「ヴィレンドルフのビーナス像」、あるいはギリシア国内ではスパルタ近郊コウフォヴォーノ遺跡、ペロポネソス地方の最南端マニ半島のピルゴス・ディロス洞窟 Pirgos-Diros Cave 出土の新石器時代の石製像がある。

ミケーネ文明・レルナ遺跡・女性塑像/(C)legend ej またエーゲ海アモルゴス島やパロス島などのキクラデス文明遺跡からの石
 製像、アルゴス地方レルナ遺跡の塑像(左写真)などの「地母神信
 仰」の出土例があり、キプロス島の新石器文化ソティーラ遺跡からも女
 性を形容した大理石製の石像が見つかっている。
 特に陸伝いに北方の文化とのアクセスが容易であったギリシア中部のセ
 スクロ文化は、ヨーロッパのドナウ川一帯に繁栄した文化と何らかの関係
 があったと考えても不思議ではないかもしれない。

 紀元前7000年期にスタートしたセスクロ文化は長期間繁栄した新石
 器文化であるが、紀元前5000年頃に発達してくる後発のディミーニ文
 化(上述)に飲み込まれる形となったとも考えられる。
 そして紀元前3000年を待たずしてセスクロ文化は衰退してしまう。一
 方セスクロから丘陵を越え直線で東方5kmの距離に位置するディミーニ
 文化はさらに繁栄を続け、ミケーネ文明の時代まで延命して行く。



 レルナ遺跡・テラコッタ製女性塑像・アルゴス考古学博物館/1982年
 世界遺産/アルゴス地方ティリンス宮殿遺跡/レルナ遺跡





ほかの新石器文化の「女性像」の出土遺跡:
スパルタ近郊コウフォヴォーノ居住地遺跡/世界遺産ミストラル廃墟遺跡
東地中海キプロス島/新石器文化のソティーラ遺跡/コウリオン遺跡

ホームページ ⇒ このページ・トップへ