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クレタ島ミノア文明の主な陶器様式の変遷と特徴 Minoan Pottery


初期ミノア文明/紀元前3000年〜前2050年

パルチラ様式陶器/ピルゴス様式陶器
  クレタ島イラクリオン空港から東方5kmほどにミノア文明のニロウ・カーニ邸宅遺跡がある。紀元前3000年以降、初期ミノア時代の陶器に属する「ピルゴス様式陶器 Pyrgos Style」は、ニロウ・カーニ邸宅遺跡の東方の岬で確認されたピルゴス埋葬洞窟から出土した陶器に由来され名称された。

ピルゴス様式陶器の器形では、カップ型を初めボウル容器、水入れ型、「ケルノス」と呼ばれる優勝カップ型、そして円錐形で長めのステム部(脚)の上方にゴブレット杯(左下描画)を乗せたような特徴的なタイプも数多く見つかっている。
器形から判断すれば、この陶器はクレタ島で独自に開発された様式ではなく、むしろギリシア本土やキクラデス諸島の新石器文化の陶器製作を模倣して継承していると言える。
装飾面では暗色、あるいは還元炎で焼いたと考えられる灰色〜黒地に赤色、白色やグレー、そして明るい茶色のわずかな円周細線やジグザグ紋様、斜交線紋様などが表現され、表面全体が丁寧に磨かれている。

ピルゴス様式陶器の出土例では、新石器文化の継承から陶器名称の現地ピルゴス埋葬遺跡や中央部の高原にあるアルカロコリオン遺跡 Arkalokhorion など、洞窟からの出土が多い。また、クノッソス宮殿区域の初期ミノア時代のレイヤー層や南西部のフェストス(ファイスト)宮殿区域の最下レイヤー層、西部のハーニア地区 Khania などクレタ島内に広く点在して見つかっている。

なお、このピルゴス様式陶器より時間的に少し前に属する陶器で、アルカロコリオンから南西5kmのパルチラ村で見つかった「パルチラ様式 Partira Style」と呼ばれるタイプがあるが、装飾線模様がピルゴス様式陶器より若干「雑」と判断されている。

         ミノア文明・ピルゴス様式陶器 Minoan Pottery, Pyrgos Style/(C)legend ej          ミノア文明・ヴァシリキ様式陶器 Minoan Pottery, Vasiliki Style/(C)legend ej
         ピルゴス様式ボブレット杯/高さ175mm           ヴァシリキ様式水差し型容器/高さ335mm
          イラクリオン考古学博物館/登録番号7494         イラクリオン考古学博物館/登録番号5319
                        クレタ島/1982年/描画=Web管理者legend ej

ヴァシリキ様式陶器
  初期ミノア時代、紀元前2400年〜前2200年頃に盛んに作られた特徴的と言える陶器の一つである「ヴァシリキ様式陶器 Vasiliki Style」は、初めて出土したヴァシリキ遺跡の名前からその名を付けられた。人気のあるリゾート・アギオス・ニコラオス Agios Nikolaos の街から海岸道路を南東へ18kmほど進むと、ミノア時代の町遺跡グルーニア(グルニア Gournia)となる。グルーニア遺跡からさらに東方3km、道路はクレタ島東部のシティア Sitia 方面とリビア海に面する南岸の港町イエラペトラ Ierapetra 方面へ向かう交差点となる。
ヴァシリキ Vasiliki の居住地遺跡は、この交差点から南方のイエラペトラへ向かい約3km地点、幹線道路から右側(西方)、ヴァッシリキ村へ向かう地方道を200mほど入ったオリーブの林の中にある。

クレタ島ミノア文明のグルーニア遺跡/モクロス遺跡/ヴァシリキ遺跡/ミルトス・ピルゴス遺跡

ヴァシリキ様式陶器のほとんどが赤地に黒色と茶色の斑紋と表面光沢を放す顕著な特徴を示す。その典型的な例では、丸みのある腹部とあたかも鳥の「くちばし」のような口頸部の優美な器形の水差し型(右上描画)やティーポット型の容器である。
流れ落ちるような美しい斑紋、4,000年以上の時間を経過しても劣化しない光沢を放すヴァシリキ様式陶器は、その製作過程では、間違いなくヴァッシリキ居住地に住んだ腕の良い陶工達による良質な釉(うわぐすり)を使った、かなりの高温度での焼成作業が行われていたはずである。

アギオス・ オヌフリオス様式陶器
  初期ミノア時代〜中期ミノア時代の転換時期に相当する紀元前2000年代、フェストス(ファイストス)宮殿(下写真)が管理するメッサラ平野では、すでに「アギオス・オヌフリオス様式陶器 Agios Onouphrios Style」と呼ばれる非常に美しい陶器が焼かれていた。
クレタ島南西地方、フェストス(ファイストス)宮殿遺跡のある尾根状の丘の北麓には、イラクリオンからメッサラ平野を抜けて美しい海岸リゾート・マターラへ向かう幹線道路が走っている。この道路の北側のアギオス・オヌフリオスの丘の発掘ミッションで出土したことからこの陶器様式が令名された。この発掘では、1基のメッサラ様式の円形墳墓が確認され、石製容器、宝飾品、青銅製短剣、石製印象、そしてキクラデス様式の塑像なども出土している。

丁度良い形状の注ぎ口の裏側には赤茶色の横縞の線、ほぼ球円型の腹部にもやはり赤茶色の縦線がランダムに描かれた非常に優美な器形の水差し(左下写真)である。この陶器の製作時期は、クレタ島にクノッソス、マーリア、そしてフェストス(ファイストス)で各々最初の宮殿が造営される「旧宮殿時代」が始まる直前の時期である。
この器形とデザインはクレタ島の何処を探しても他に例を見ることがなく、遠くエジプトや中東パレスチナ方面からの伝播でもないとすれば、アギオス・オヌフリオス様式陶器は、明らかにクレタ島南西部のメッサラ平野周辺だけ、狭い範囲で製作された純粋なオリジナル陶器と断定できるだろう。

ミノア文明・アギオス・オヌフリオス様式陶器 Minoan Pottery, Agios Onouphrios Style/(C)legend ej ミノア文明・バーボタイン様式陶器 Minoan Pottery, Barbotine Style/(C)legend ej
アギオス・オヌフリオス遺跡出土/アギオス・オヌフリオス様式水差し  アギア・トリアダ遺跡・墳墓出土/バーボタイン様式の水差し
イラクリオン考古学博物館/登録番号5/高さ215mm       イラクリオン考古学博物館/登録番号5775/高さ155mm
クレタ島/1982年                             クレタ島/1982年

    ミノア文明・フェストス(ファイストス)宮殿遺跡/(C)legend ej
                  フェストス宮殿遺跡・全景/クレタ島/1982年遠方はメッサラ平野
                  クレタ島ミノア文明のフェストス(ファイストス)宮殿/アギア・トリアダ遺跡

中期ミノア文明/「旧宮殿時代」の初期/紀元前1900年〜

バーボタイン様式陶器
  ミノア文明のメジャー陶器にリストアップされなかったが、中期ミノア時代の半ば、「旧宮殿時代」の初期にあたる紀元前1800年代に作られた「バーボタイン様式陶器 Barbotine Style」と呼ばれる容器は、頚部と腹部の外周に無数の小さなブツブツ突起を付けた点に特徴がある(右上写真)。
全体のバランスを考慮したのか、フェストス(ファイストス)宮殿遺跡の近く、準宮殿の遺構が見つかったアギア・トリアダ遺跡からもたらされた小型の水差しの例では、3か所にがっちりとした太めのハンドルが付けられている。
ただし、ブツブツ突起から受ける違和感からか、絵柄など外見のデザイン的な問題なのか、若干焼きが弱いこのバーボタイン様式陶器はあまりミノア人に好まれず、フェストス(ファイストス)宮殿の周りで流行しただけで、比較的短命に終わってしまう。

            クレタ島・ミノア文明・宮殿遺跡/(C)legend ej
                 クレタ島・ミノア文明・4か所の宮殿遺跡/作図=Web管理者legend ej

            クレタ島・メッサラ平野周辺・ミノア文明遺跡 地図Minoan Archaeological Sites, Crete/(C)legend ej
                 クレタ島・メッサラ平野周辺・ミノア文明遺跡/作図=Web管理者legend ej

中期ミノア文明/「旧宮殿時代」〜「新宮殿時代」/紀元前1900年〜前1600年

カマレス様式陶器
  ブツブツ突起のバーボタイン様式に取って代わったのが、変化溢れる優美な器形デザインと印象的な絵柄モチーフの「カマレス様式陶器 Kamares Style」である。これはクレタ島全域に流行をもたらすメジャーな陶器へと発展して行く。
「カマレス」とは、19世紀の終末、この陶器がクレタ島最高峰2,456mの聖なるイダ山の南山麓にあるカマレス洞窟で初めて発見されたことに由来する。なおフェストス(ファイストス)宮殿の北方15kmに位置するカマレス洞窟と周辺の険しい峡谷は、ミノア時代から長い間重要な聖地であった(上地図)。

  ミノア文明・宮殿時代

「カマレス様式陶器」が生まれた背景としては、銅や金などの金属鉱山が皆無であったクレタ島では、金属加工に代わる地元の材料を利用した陶器や石製容器の生産が盛んになり、文化興隆に比例して、特に「旧宮殿時代」から陶器製作の技術面の進歩と絵柄モチーフのセンスが飛躍的に向上したことが挙げられる。
その代表格の陶器が、「旧宮殿時代」の半ば〜「新宮殿時代」の初め頃、紀元前1800年〜前1600年代に焼かれたこのカマレス様式の中型サイズの陶器(左下写真)で、長期間続いたミノア文明の中でも「最高傑作の陶器」の一つと言える。

  ミノア文明・カマレス様式陶器/(C)legend ej      ミノア文明・カマレス様式陶器/(C)legend ej
  カマレス様式陶器/イラクリオン考古学博物館          フェストス(ファイストス)宮殿/カマレス様式クラテール型容器
  上段右の深ボウル/登録番号10091/高さ=161mm   イラクリオン考古学博物館/登録番号10578/高さ455mm
  下段右の水入れ/登録番号10073/高さ=267mm                 クレタ島/1982年

ミノア文明・カマレス様式陶器/(C)legend ej ミノア文明・カマレス様式の円筒型大皿/(C)legend ej
クノッソス宮殿遺跡出土/カマレス様式・「エッグシェルカップ」   ファイストス(フェストス)宮殿出土・カマレス様式の円筒型大皿
イラクリオン考古学博物館/登録番号2690高さ75mm    イラクリオン考古学博物館/登録番号18442
             クレタ島/1982年                             クレタ島/1982年

究極のカマレス陶器
  メッサラ平野のフェストス(ファイストス)宮殿遺跡からは、多彩色の台座と白色の大きな花弁の立体的な装飾が施された見事なカマレス様式のクラテール型容器(紀元前1700年頃/右上カラー写真)、色鮮やかな絵柄の大型水差しや円筒型大皿(右上モノクローム写真)など、ミノア文明を代表する優美な陶器類が数多く見つかっている。
これらカマレス様式の大型の装飾陶器は、主に宮殿などで開催された「公式晩餐会」などのワインを入れるためなどに使われた。カマレス様式の実用的な陶器は、クレタ島の広範囲に普及するが、優美な大型作品に限っては、良質な粘土材料に恵まれ、優秀な陶工達が集まっていたのか、メッサラ平野のフェストス(ファイストス)宮殿遺跡からの出土例が極端に多い。

クレタ島ミノア文明のフェストス宮殿遺跡/アギア・トリアダ遺跡

大型や中型サイズの容器に優美な作品が多いカマレス様式陶器だが、日常用の小作品でも優秀な作品がたくさん生産されていた。例えば紀元前1800年〜2世紀ほどの間、「エッグシェルカップ Eggshell Cup」と呼ばれた極めて肉薄のカップ容器(左上写真)も数多く生産され日常生活で用いられた。現代のコーヒーカップかスープカップに匹敵する安定したデザイン性と高い製作技術に賞賛を与えたい、ミノア文明を象徴する一押しのポピュラー陶器と言っても良いだろう。

中期ミノア文明〜「新宮殿時代」/紀元前1600年〜前1450年

海洋性デザイン様式陶器
  中期ミノア時代の終わり頃、「新宮殿時代」が始まる紀元前1600年代になると、海洋民族のクレタ島ミノア人が最も好んだ海の生物、タコ、イルカなどの魚、海草や巻貝などを大胆にモチーフにした「海洋性デザイン様式陶器 Marine Design Style」が長い流行をスタートさせる。
ザクロス宮殿遺跡(下写真)から出土したタコの絵柄(左下写真)のように、対象となったタコや揺らぐ海草の間のホラ貝などの海洋生物は未だ完全に抽象化されておらず、生き生きとした生命力と躍動感溢れるかなりリアルな絵柄が最大の特徴となっている。
このデザイン様式の陶器は、主にアンフォラ型や水差し容器、縦に細長いリュトン杯(リトン杯とも呼ばれる)などを初め、儀式用から実用品まで多種にわたり生産された。

            ミノア文明・ザクロス宮殿遺跡/(C)legend ej
                     ザクロス宮殿遺跡・宮殿区域/クレタ島/1982年
                     クレタ島ミノア文明のザクロス宮殿遺跡/アノ・ザクロス邸宅遺跡

             ミノア文明・鐙型(あぶみ)様式陶器 Minoan Pottery, Stirrup Style/(C)legend ej
  ザクロス宮殿遺跡出土/海洋性デザイン・アンフォラ型容器  パライカストロ遺跡出土/海洋性デザイン鐙(あぶみ)型容器
  イラクリオン考古学博物館/登録番号13985         イラクリオン考古学博物館/登録番号3383/高さ280mm
              クレタ島/1994年                            クレタ島/1982年

植物性デザイン様式陶器
  その他、同時代のクレタ島では、器形は海洋性デザイン様式陶器に類似するが、野に咲く花や草などをモチーフにした「植物性デザイン様式陶器 Floral Design Style」も長い間ミノア人に愛好された。海洋性デザイン陶器と植物性デザイン様式陶器は、戦いを好まない平和・自然主義のミノア人の精神文化を象徴していると言える。この点が、好戦的なギリシア本土ミケーネ人(後述)との大きな相違点でもある。

鐙型(あぶみ)様式陶器
  クレタ島東部のパライカストロ(パレカストロ)遺跡からの出土だが、その洗練された優美な形容に特徴される「鐙型(あぶみ)様式 Stirrup Style」と呼ばれる陶器(右上写真)がある。この腹部がずんずりの球形容器は、「新宮殿時代」が始まる紀元前1600年頃から200年余りの間、クレタ島で多く好まれた海洋性デザイン様式陶器の流れを汲んでいる。

クレタ島ミノア文明のパライカストロ(パレカストロ)遺跡

上部に小さな注ぎ口、そして口縁部を支える馬具の鐙(あぶみ)のような小さなハンドルに特徴がある鐙型容器の絵柄では、流行っていたタコなどの海洋生物がモチーフに採用された。流動感を強調するのに格好のモチーフである軟体動物のタコや波に揺れる海草などは、如何にもエーゲ海民族ミノア人の美術嗜好を代弁するモチーフの一つである。
正確で美しい曲線を描くこの鐙型様式陶器の形容では、ほぼ球形の右上写真より若干縦長の楕円タイプ、さらに安定感を求めテーブルに横置きできるUFO(円盤)のような横広球形タイプも数多く発見されている。
いずれも陶器の製作技術とデザイン性、肌理の細かい陶土が採用されている点、高温度での焼成加工など、メッサラ平野のフェストス(ファイストス)宮殿遺跡からの出土例が多い美しいカマレス様式陶器と同様に、鐙型様式陶器はミノア文明を代表する「洗練された美しい陶器」の一つであった。

後期ミノア文明/「新宮殿時代」の最盛期/紀元前1500年

宮殿様式陶器
  ミノア文明が最盛期となる「新宮殿時代」の半ば、紀元前1500年頃になると、非常に洗練された「宮殿様式 Palace Style」と呼ばれる優美な陶器が主流となって来る。これはクノッソス宮殿(下写真)を中心に、高位クラスの人達に好まれた宮殿様式陶器では、主に中型から大型の装飾用のアンフォラ型容器が製作された。大型ろくろを使って成形した後、高温度で焼成される極めて高い生産技術に裏打ちされた陶器である。
器形のデザイン性や自然主義を活かした抽象的な絵柄モチーフ、陶土の原料の吟味、製作のテクニカル面も含め、ウェストを絞り、美しいヒップラインを強調した女性の「マーメイド・ローブ」のようなビューティ・シルエットの宮殿様式陶器(左下写真)は、当時エーゲ海やエジプト、中東パレスチナを含めた東地中海域で「最も美しい陶器」の一つであった、と私は確信する。

            クノッソス宮殿遺跡・王の居室 King's Room, Knossos Palace/(C)legend ej
            クノッソス宮殿遺跡・両刃斧の間(王の居室)/クレタ島/1982年(立入禁止区域)
            クレタ島ミノア文明のクノッソス宮殿遺跡と出土品

  ミノア文明・宮殿様式陶器 Minoan Pottery, Palace Style/(C)legend ej       ミケーネ文明・「ミケーネ兵士の絵柄」/(C)legend ej
クノッソス宮殿遺跡出土/宮殿様式アンフォラ型容器    ミケーネ宮殿遺跡出土ミケーネ文明クラテール型容器・「兵士の絵柄」
イラクリオン考古学博物館/登録番号3882         戦闘用衣装と武器を携えた好戦的なミケーネ兵士
           クレタ島/1982年                         アテネ国立考古学博物館/1987年

後期ミノア文明/諸宮殿崩壊〜クノッソス宮殿崩壊/紀元前1450年〜前1200年

ミケーネ人のクレタ島侵攻
  紀元前15世紀になり、繁栄を続けていたミノア文明の主要宮殿と多くの邸宅は、紀元前1450年頃、崩壊して行く。原因は間違いなく好戦的なギリシア本土ミケーネ人(右上写真)のクレタ島侵攻と破壊行為と推測できる。ミケーネ人の本拠はアルゴス地方のミケーネ宮殿である(下写真)・

平和主義のミノア人とクノッソス宮殿崩壊の原因について
世界遺産/ギリシア本土ミケーネ文明のミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓・「アトレウスの宝庫」

            ミケーネ宮殿遺跡・メガロン形式/(C)legend ej
          ミケーネ宮殿遺跡・メガロン形式(手前から王の居室・前の間・控えの間)による三部屋続きの配置
          王の居室の中心には「聖なる炉」の遺構(色円形・直径約4m)が残る/アルゴス地方/1982年

抽象デザイン様式陶器
  その後、紀元前1375年頃にクノッソス宮殿が最終崩壊してミノア文明の「宮殿時代」が終わると、時代と文化を素早く反映する多くの陶器の絵柄モチーフに大きな変化が現れる。
その代表例は長い柄(ワイングラス・ステム)のキリックス杯(左下モノクローム写真)、あるいはモチーフを極端にデフォルメした球形の鐙型容器や口縁部が広いアンフォラ型の容器(右下カラー写真2器)など、日常的に使われる陶器である。いずれの陶器もギリシア本土ミケーネ文明で流行した「抽象デザイン様式 Absract Design Style」とまったく同じ器形と絵柄モチーフである。

ギリシア本土のミケーネ文明の主な陶器様式の変遷と特徴

   キリックス杯/(C)legend ej     
ギリシア本土イライオン遺跡出土・キリックス杯         クレタ島出土・極端に抽象化された絵柄のアンフォラ型容器
巻き貝の絵柄/典型的なミケーネ文明様式の陶器     ミノア文明末期/クレタ島イラクリオン考古学博物館/1994年
アテネ考古学博物館/登録番号6943/1982年

ミケーネ文明の影響
  さらに時代が後期ミノア時代の紀元前13世紀以降になると、極端にギリシア本土ミケーネ文明の影響が強くなり、今までクレタ島ミノア文明では存在しなかった武器や武具、あるいは戦う兵士を描いたミケーネ様式を強調する陶器などが主流となって来る。
また、オリーブ油や乾燥した穀物などを収容した大型のピトス容器の生産に関しては、ミケーネ人侵攻以前の紀元前1500年頃〜ミケーネ文明の影響を受ける紀元前1200年頃まで、焼き窯が活躍したメッサラ平野のミトロポリス邸宅(下写真)を注目したい。この邸宅遺跡はフェストス(ファイストス)宮殿遺跡から直線で東方11kmの距離である。

            ミノア文明・ミトロポリス遺跡/(C)legend ej
               ミトロポリス邸宅遺跡・大型ピトス容器群/クレタ島メッサラ平野/1994年
               ミノア文明のコウマサ遺跡/カミラーリ遺跡/プラタノス遺跡/ミトロポリス邸宅遺跡

ミノア文明の消滅
ミケーネ文明の影響がクレタ島の文化を極端に変化させ席巻してしまった後、もはやミノア文明の陶器様式の伝統は完全に消滅して事実上、本土ミケーネ文明の陶器様式へと移行して行く。と同時にクレタの社会は平和主義のミノア人から好戦的なミケーネ人の統治となってしまう。
しか、しそれも長くは続かず、紀元前12世紀以降、本土ミケーネ文明が崩壊するのと同調してクレタ島の占領ミケーネ人支配も弱体化する。そうして約1,500年以上も続いたクレタ島の輝かしいミノア文明は完全に消滅して行く。

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