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南フランスの夏/ラベンダーの花咲くセナンク修道院 L'Abbaye Notre-Dame de Senanque

シトー修道会・「プロヴァンス三姉妹」/12世紀ロマネスク修道院建築

セナンク修道院/(C)legend ej
                 セナンク修道院/北方の入口付近眺めるシトー修道会・「プロヴァンス三姉妹」
                 鐘楼=教会堂/白い建物=1F修道院ショップ&2F見学受付

シトー修道会・セナンク修道院/位置とセナンコル渓谷

ROM 12世紀 ロマネスク様式

セナンク修道院の場所は?
  中世キリスト教の修道院の多くは、その性格上からして人里離れた辺鄙な山間部や田舎などに建てられた。後世の人々に「プロヴァンス三姉妹」と美しく比喩され、12世紀ロマネスク建築様式の典型と言われるシトー修道会系譜・セナンク聖母マリア大修道院は、「フランスの最も美しい村」に認定された、あまりに有名な丘上都市ゴルド Gordes から地方道D177号で北西へ3km弱の距離である(下地図)。

セナンク修道院はヴォークリーズ山地 Vaucluse に刻まれたセナンコルの深い谷間に佇んでいる。所々に石灰岩や暖色系の硬いチャート(堆積岩)の岩肌が無造作に露出するセナンコル渓谷は、背の低いナラなどのオーク樹や真っ直ぐに伸びた針葉樹が育ち、見た目には緑が多い豊穣な土地と感じる。
しかし、決して広いとは言えないセナンク修道院を囲む平地と所有耕作地の土壌は、その場に立つと分かるが、現在でも腐葉土が少なく石混じりでかなり痩せている。870年前の修道院創設の当時、修道士達が開墾したセナンコルの谷間の耕作地は土壌が無いに等しく、作物も育たない岩の欠片だらけの狭い土地であった。

            プロヴァンス・リュベロン地方 地図/(C)legend ej
                    プロヴァンス・リュベロン地方 地図/作図=Web管理者legend ej

ラベンダーの花咲く季節/「指のフレーム」で「心のシャッターボタン」を押す≪プロヴァンスの贈りもの≫

夏7月の初旬、セナンク修道院の入口にあたる北側の谷間に沿って満開の花を付けた広いラベンダー畑が訪れる人を迎える。セナンク修道院の名を有名にしているのは、遠くに歴史を秘めた修道院を配置して、その手前には地中海沿岸が原産とされるラベンダーの色鮮やかな花を展開させるあまりに出来過ぎた構図、この絵ハガキ的な美しいシーンに人々が魅了されることにある。
等間隔に植えられたシソ科の常緑樹ラベンダーの丸みを帯びた長い山形畝(うね)は最長で380mに伸び、色彩こそ違うが、ブータンや中国四川省などの高地に生息する愛嬌顔のレッサーパンダの長いフサフサな尾を連想させる。
そのラベンダーの並び畝(うね)の上辺がエアーブラシの微粒子吹付け塗装で色付けされたように濃厚な青紫色、もっと正確に言えば青紫色よりわずかに青い伝統和色の桔梗色(ききょういろ)に染まり、一気に咲き乱れる様は真夏のプロヴァンスを象徴するご自慢の風景である。
過言なく美し過ぎる」と言うほかに、7月初めに開演するラベンダーの花とセナンク修道院の絶妙なコラボレーションを一体どのような賛美の言葉で表現すれば良いのであろうか?と悩む次第だ。

しかし、このため息さえ伴うラベンダーと修道院が共演する「感動物語」は、一年中胸高まる鑑賞チケットが販売されているのではなく、ラベンダーの花が満開に咲き誇る7月初旬の2週間という短い期間のみに公演される。毎年、人々の思惑や希望とは無関係に自然の摂理に従って花は咲き、美しいが故にその命は短いことしきりと言える。
何れにしても、満開のラベンダーの紡ぐ桔梗色の絨毯(じゅうたん)が、セナンコルの渓谷を抜ける乾いたプロヴァンスの微風に揺らぐ盛夏7月、この時こそがツーリスト的にはセナンク修道院のベストシーズンとなる。
そして、訪れる人の期待と満足感を裏切ることなく、修道院と純粋色に染め上げられたラベンダーの長い畝(うね)が、見事な協奏曲を奏で、南フランスを代表する絵画よりもさらに美しく優しい世界をつくり出す。その条件は「晴天」でラベンダーが「満開」ならば・・・

セナンク修道院/(C)legend ej
            満開のラベンダーの花咲く「プロヴァンス三姉妹」・セナンク修道院・北入口周辺/プロヴァンス地方

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セナンク修道院/(C)legend ej このあまりに美しいハーモニーを見てしまったなら、5,060万画素の最
 新型デジカメではなく、左のように、両手の親指と人差し指を連結させ
 てつくる長方形の「指のフレーム」に、満開のラベンダーの花とセナンク
 修道院を入れて「心のシャッターボタン」を押すことができる。
 そうすれば、生涯に一度有るか無いかの鮮やかな「人生の水彩画」を
 心に描くことができる。プロヴァンスの眩しい夏の陽光に目を細め、心静
 かに眺める感動物語は、訪れる人の脳裏にはっきりと刻まれ決して色
 褪せることはないだろう。

 今日、たくさんのツーリストがセナンク修道院を訪れている。しかし事前
 に現地情報を得ることなく、気分高揚で訪れる急ぎ足ツーリストを含
 めプロヴァンスの夏の陽光に映える伝統和色の桔梗色の「満開のラベ
 ンダー」の花咲くこの感動物語を観た人は決して多くはない。

交通不便な場所、せっかく訪れたセナンク修道院なのに、気まぐれな南フランスの気候の変動があったのか、期待していたお目当てのラベンダーの花がまったく咲いていない不運、咲いてはいるが満開には程遠い二分咲きとか、諦め切れない未練のトルネードが心の中でグルグルと渦を巻く。
そして、夏が終わり秋が始まる頃、日本のWebページでは、セナンク修道院の満開のラベンダーに遭遇できなかった残念さを記述、アップロードした無数の≪私の南フランス旅行≫の絵日記ブログを見かけることになる。

ことセナンク修道院においては、ツーリストが訪ねたその日が晴天であるか雷雨の天候か、ラベンダーが満開であるかどうかは、感動・感激の範疇では正に雲泥の差が生まれる。特にわずかなタイミングでラベンダーの満開に遭遇できない女性ツーリスト達にとっては、抱き続けてきた過剰期待が故に、その不運な落胆は大きく、結果憧れのプロヴァンスの旅情は美化されずに一気にくすんだ色彩となる。
一縷(いちる)の望みも砕かれたの如く、「満開のはずなのに・・・」と隠し難いショックでがっかりするのは、どうも意地悪な気立てらしい南フランスの自然が、無情にも花の咲く時期を意図して操作しているからだろうか。セナンク修道院を訪れる日本の美しい女性ツーリスト達の日頃の行いが決して悪い訳ではないはずなのに・・・

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ただ事実として、中世キリスト教修道院の歴史を解く洞察された澄明で真摯な精神、花と自然の摂理を理解して訪れる時期を慧敏な予想で割り出し、その上で稀な偶然が重なり合った時、選ばれた幸運なツーリストは「指のフレーム」を作り、「心のシャッターボタン」を押して、この美しき情景を脳裏に刻むことができる。
その時、ツーリストの「心の宝石箱」は溢れんばかりの美しい時の記憶と長く忘れることのない純真な歓悦で満たされる。これこそが人々の言う≪プロヴァンスの贈りもの≫なのかもしれない、と私には思えるのだが・・・

セナンク修道院/(C)legend ej
                真夏7月、ラベンダーの長い畝(うね)とセナンク修道院の眺望/プロヴァンス地方

※ジャカランダの咲くプレトリアと南アフリカ・ワイルド・フラワーのナマクアランド地方の詳細:
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南アフリカのワイルド・フラワー ジャカランダの花咲くプレトリア 「花の魔術」のナマクアランド

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中世ヨーロッパ・キリスト教の混乱/二大修道会の創設

クリュニー修族(クリュニー会)
  フランク王国の分裂などから、9世紀以降、乱れ始めた中世ヨーロッパのキリスト教世界の改革と建て直しを唱え、宗教界に大きな影響を与えたのは、10世紀の初頭の910年、アキテーヌ公ギョームT世により創設された「黒い僧衣」の「クリュニー修族(クリュニー会)Congregation de Cluny」であった。
ヴァチカン教皇直属の教団であるが故に、クリュニー修族(クリュニー会)は、形式を重視する傾向が強く、政治にも介入できるほどの中央集権的な巨大で強力なピラミッド型の組織となって行く。
しかし、中世ヨーロッパ最大の教団組織に拡大するに伴い、間もなくしてクリュニー修族(クリュニー会)は壮麗な典礼や大集団での連祷(リタニ)に多くの時間を注ぎ、贅沢と華美な日常に走り、有力諸侯の寄進・献金、そして一般庶民からの納税による「富の蓄積」に組織の目標が志向してしまい、結果的にクリュニー修族(クリュニー会)は宗教的な規律と修道思想を失ってしまう。

シトー修道会
  この富と華やかな世界に傾倒し過ぎたクリュニー修族(クリュニー会)に対して、再度、キリスト教信仰の原点へ戻る改革を唱えたのが、クリュニー修族(クリュニー会)の創設より2世紀近く遅れて、11世紀が終わろうとした1098年、聖ロベルトなどにより創設された「白い僧衣」の「シトー修道会 Ordo Cisterciensis OCist」であった。
シトー修道会はイタリア中部の旧名ヌルシア出身の聖ベネディクトウス Benedictus de Nursia により6世紀に制定された「修道会則」、73章から成る≪聖ベネディクトウスの戒律 La Regola de S Benedetto/The Rule of St Benedict≫を厳守して、祈祷と清貧、厳しい労働、禁欲的な厳格規範を基本とする教団であった。

※「ヨーロッパ修道院の父」と言われる聖ベネディクトウスは、イタリア・ローマ南東125kmのモンテ・カッシーノ大修道院の歴史に残る最も優れた修道士である。

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聖ベルナール
  シトー修道会の創設の直後、12世紀の初頭、中世ヨーロッパの歴史の必然であろうか、後にカトリック教世界で偉大なる聖性を示した神学者に与えられる称号、今日まで過去2,000年に及ぶキリスト教の歴史の中でたった33名しか存在しない「教会博士 Doctor Ecclesiae」の1人となる聖ベルナール(左下写真)の登場により、シトー修道会は急発展を成し遂げる。
クレルヴォー修道院院長であった聖ベルナールが建立した、シトー修道会系譜の修道院の中で最も有名な修道院は、1119年創建、「シトー修道会・第14か所目」のブルゴーニュ地方・フォントネー修道院である(下描画)。

フォントネー修道院・付属教会堂 Abbaye de Fontanay/(C)legend ej
                フォントネー修道院・付属教会堂・西正面部(西入口)/ブルゴーニュ地方
                描画=Web管理者legend ej   世界遺産/ブルゴーニュ地方フォントネー修道院

聖ベルナールの類まれなる信仰心とカリスマ的な指導力と影響により、その後、シトー修道会は創設後〜200年を数える間に、フランスを初めヨーロッパに合計1,470か所以上の系譜修道院を建立、さらに拡大を続けた。
しかし14世紀〜15世紀のフランスとイングランドの「百年戦争」、16世紀のプロテスタント派との「ユグノー戦争」などを通して、中世フランスのキリスト教世界は相次ぐ混乱と対立に翻弄された。
さらに追い討ち的に起こった18世紀の「フランス革命」の後、多くの宗教組織と施設が受けた困難と同様に、革命政府から発令された「修道院解散令」を受け、フランスのシトー修道会のすべての修道院は閉鎖され、聖務する修道士達は失職、あるいはフランスからの追放を余儀なくされた。

         聖ベルナール画像/オーストリア・ハイリンゲンクロイツ修道院 所蔵         聖アンベリーヌ画像/Le Eglise d'Orgelet,Jura
               「聖ベルナール」の画像                聖ベルナールの妹・「聖アンベリーヌ」の画像
写真情報:Georg Andreas Wasshuber 1700年作     写真情報:18世紀 「サロン・ド・パリ」 Adrian Richard 作
ウィーン南西25km 「ウィーンの森地方」 シトー修道会系譜    東フランス・ジュラ地方オルジュレ 昇天の聖母教会堂 所蔵
ハイリンゲンクロイツ聖十字架修道院 所蔵

なお、「聖ベルナール」の画像を所蔵するオーストリア・ハイリンゲンクロイツ聖十字架修道院 Heilingenkreuz Abbey は、シトー修道会の「四父修道院」の一つ、モリモン大修道院が建立した「娘修道院」の一つであった。修道院には10世紀の辺境伯レオポルトW世を初め、フリ−ドリヒT世やフリードリヒU世(闘争公)など、13世紀までオーストリア公国を統治したバーベンベルク家の継承者が埋葬されている。
一方、「聖アンベリーヌ」の画像を所蔵するオルジュレ Orgelet は、ブルゴーニュ地方マコンから北東65km、人口1,600人、ジュラ地方の小さな村である。オルジュレの昇天の聖母教会堂は13世紀初めからの由緒ある建物だったが、17世紀初期・1606年の火災、その後の戦争でほとんどの区画を破壊、その後に再建された。「聖アンベリーヌ」の画像は18世紀に再建された教会堂・「聖アンナ礼拝堂」の壁面に飾られている。

中世ヨーロッパのキリスト教・修道院と修道会/聖ベルナールや妹聖アンベリーヌの生涯などの詳細:
Web クリュニー修族とシトー修道会/聖ベルナールとクレルヴォー大修道院/「プロヴァンス三姉妹」

セナンク修道院の歴史

修道院の創建〜発展〜宗教改革の混乱〜フランス革命〜修道院の閉鎖

ROM

  セナンク修道院は、今から870年ほど前、12世紀半ばの1148年7月、修道院から北西へ125kmほどの距離、フランス中央高地・ロワール川の源流域の標高1,100mの山深いマザン・ラーベィ村 Mazan l'Abbaye にあったシトー修道会系譜のマザン修道院(後述)から来た指導者、後にセナンク大修道院長となるピエールと12人の修道士により創建された。
その後100年余りの間に、近郊の渓谷と山からの石材の切り出しを初め、施設の建物を造り、屋根、壁面や床面の施工、増改築に至るまで全て修道士達自身の手により行われ、セナンクの修道院は徐々に拡張されて行く。その建築工法は装飾を限りなく省き、簡素性を主張するシトー修道会の精神を織り込んだ12世紀〜13世紀ロマネスク様式が採用された。
中世のこの時代、修道院では自給自足が基本であり、平地の少ないセナンコルの谷間を上手に開墾して、痩せた土地ながらも野菜などを栽培する修道院の耕作地は徐々に拡大されて来た。

だが、戦いと混乱の中世ヨーロッパでは平和や安定が到来することはなかった。16世紀に入り、諸侯・領主に反発した10万以上の農民が殺された「ドイツ農民戦争(1524年〜1525年)」を初め、1525年にはフランス東部アルザス地方の領主と農民の連合軍が強力なロレーヌ公の軍隊に対抗して、たった1日の激しい戦いで農民連合軍の死者約6,000人を数えた「シェーヴィラーの農民戦争」などが起こる。
社会の混乱はさらに増幅され、聖書信仰による救済に重点を置く神聖ローマ帝国の大学教授マルティン・ルターの「贖宥状批判」から始まり、ローマ・カトリック教会に対する体制批判である「宗教改革」の戦争が、中央〜東ヨーロッパ各地で勃発する。フランスではジュネーヴ大学の創設者であり、カリスマ的な神学者カルヴァンから影響を受けたプロテスタント教会(改革派ユグノー教会)が、カトリック教会に激しく対抗した「ユグノー戦争(1562年〜1598年)」の嵐が吹き荒れる。
背景に王族の複雑な権力闘争が絡むこのフランスの宗教戦争では、カトリック教会派のヴァロワ朝フランス王アンリU世の王妃であり、イタリア・メディチ家出身のカトリーヌと激しく対立した、ユグノー派の極を担う母親・ナバラ女王ジャンヌ・ダルブレの影響を受け、15歳でユグノー派の盟主となり、後にブルボン朝初代のフランス王アンリW世となるナバラのアンリ(1553年〜1610年)が居た。

ヴァロワ朝フランス王家はアンリU世が馬上槍試合の不慮の事故で亡くなり、短命の息子フランソワU世の後、その弟シャルル\世が即位して、母カトリーヌが摂政となりユグノー派との戦いの先頭に立つ。ユグノー派との和解を図るため、太后カトリーヌは娘マルグリットとナバラのアンリとの政略結婚を提唱、その直後、母ジャンヌが急死(カトリーヌの暗殺?)したことでアンリがナバラ王位を継承する。
そうして敵対する新旧の宗派ながら、ユグノー派の18歳のナバラ王アンリと「絶世の美女」と言われたカトリック教会派の19歳のマルグリットは、1572年8月、パリ・ノートルダム大聖堂で結婚式を挙げた。しかし、その6日後、婚儀の祝いでパリに集合した大勢のユグノー派の人々が暗殺される「聖バルテルミの大虐殺」が起こる。
この事件の影響はフランス全土へ拡大、粛清されたユグノー派の貴族と民衆の死者は3万人を数え、ユグノー派の盟主であるナバラ王アンリは保身からカトリック教への改宗を宣言した。しかし、激しく流動する政権と社会、直ぐ様に王アンリは再びプロテスタント教会派へ寝返り、社会の安定化どころか、なおさらに貴族階級と宗教界と庶民の動揺と混乱を助長するばかり。
宗教紛争が王位継承問題も含め宮廷内の熾烈な戦いと深刻な政治的な混乱を招く中、1589年、太后カロリーヌの息子でありヴァロワ朝最後のフランス王となるアンリV世(38歳)が、指導力の欠如を理由に熱狂的なカトリック・ドミニコ修道会の修道士により暗殺されてしまう。この後、ナバラ王アンリから35歳でフランス王となったアンリW世が、事態打開と保身を含めカトリック教への再改宗を行い、ユグノー派の宗教的な権利も保障したことでようやく戦争の終息をみる。

「ユグノー戦争」の嵐は激しく渦を巻き、当時のフランスの社会と宗教界は大混乱となり、ローマ・カトリック教会系譜の各地の修道院や教会堂は敵対するプロテスタント教会派からの攻撃の的となり、セナンク修道院でも助修士の部屋など多くの施設が破壊された。
さらに、18世紀の啓蒙合理主義の「フランス革命」の余波は、キリスト教修道院に対して厳しい歴史の仕打ちを浴びせ、1791年、革命政府から発令された「修道院解散令」により、セナンク修道院は閉鎖、修道士達は追放(後述コラム=南アフリカ・ワインランド)を余儀なくされた。
時代と歴史の潮流に翻弄され、革命政府の財産として差し押さえられたセナンク修道院は競売にふされた。そうして個人の製紙工場になったブルゴーニュ地方のフォントネー修道院や長さ190mの巨大教会堂が解体され石材販売されたクリュニー修道院、あるいは遠くチェコ・ボヘミア地方ズラター・コルナ修道院(下描画)など、多くのカトリック教の修道院がそうであったのと同様に、民間の資産家の所有となった。

Web 東ヨーロッパの「宗教戦争」に関して:
アルザス・ワイン街道(北部)オベルネ周辺/コロンバージュ様式の村々
世界遺産/チョコ首都プラハ城と美しい旧市街広場/「ヤン・フス戦争」
世界遺産/シトー修道会・フォントネー修道院
世界遺産/「南ボヘミアの宝石」チェスキー・クルムロフ/シトー修道会・「黄金の冠」ズラター・コルナ修道院(下描画)

ズラター・コルナ修道院 Zlata-Coruna Klaster, Czech-Rep/(C)legend ej
           ズラター・コルナ修道院/チェコ共和国 重要文化財/ボヘミア地方
           初秋の頃 入口には巨大なシナノキの枝葉が垂れ下がる/描画=Web管理者legend ej

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近世以降の修道院の歴史/現在の修道院の管理
  キリスト教の聖母マリアの≪無原罪の御宿り(おんやどり) Immaculate Conseption≫は、カトリック教世界で長い間論議の的であり、最も大切な教えの一つである。
16世紀半ば、1546年、「トレント公会議」で教令宣言されていたが、この≪無原罪の御宿り(おんやどり)≫、要するに神の恩恵と保護の下で精霊の働きによりイエスを懐胎したとする、いわゆる聖母マリアの「処女受胎」の考え方が、1854年12月8日、歴史的とも言うべきヴァチカン教皇ピウス\世の「教皇回勅(かいちょく=公文書)」で正式公認された。

かつて、3,000年以上前、ユダヤ教≪旧約聖書≫の時代、蛇の誘惑からイヴは「絶対に食べてはいけない」とされた「禁断の果実」を食べ、さらにアダムにも食べることを薦める。これを知った怒りの「神」は、決まりを破り「罪」を犯したアダムとイヴに衣服を与え、人間となった二人は神々の楽園であった≪エデンの園≫から追放(=失楽園)される。
「神」は永久に死ぬことはない、が、これ以降、罪を犯した人間は労働や出産など苦痛や義務を経験して加齢して何れ死んで行くとされた。蛇の誘惑に負け、決まりを破り、ためらいもなく最初に「禁断の果実」に手を出したイヴ(=女性/下写真)は、アダム(=男性)よりさらに罪深い人間となる。
罪を犯した女性イヴの後、すべての女性は罪深い人間とされ、その女性から生まれてくるすべての子供も「原罪」の遺伝子を背負って生まれ、人間は永遠に罪を犯した責任から解放されないとする宿命が課された。その「原罪」を洗い流すために、ヴァチカン・カトリック教会を初め、ギリシア正教や東方教会、ほとんどのプロテスタント諸派では「洗礼の儀式」を受ける。

            オータン大聖堂・「イヴの誘惑」/(C)legend ej
            オータン聖ラザール大聖堂/北入口リンテル彫刻・「イヴの誘惑」/ブルゴーニュ地方
    平和な「エデンの園」で生活するイヴは全裸で、左手が「禁断の果実」を握り、今、「罪」を犯そうとしている妖艶なシーン
    オータン・ロラン美術館 ブルゴーニュ地方オータン聖ラザール大聖堂/ブランシオン村聖ピエール教会堂

≪エデンの園≫の時代から長い時間が経過、今から2,000年前、エルサレム近郊ベツレヘムのユダヤ教下級祭司の娘マリア(後の聖母マリア)は、母アンナの体内で宿された時、「禁断の果実」を食べ罪を犯したアダムとイヴ以来の人間の中で唯一「神」から認められ、罪から免れる特別な聖なる女性、「無原罪の人」と決められた。
そして生まれ、成人したマリアは、遠くダビデ王家の血筋を引く家具や農工具を作るユダヤの職人ヨセフの婚約者となったが、「神」が選び認めた特別な女性であるが故に、大天使ガブリエルから性的営みを介せずに神の恩恵で「処女受胎」すること、いわゆる≪受胎告知 l'Annunciazione 例=下写真: ボッティチェリ作≫を伝えられ、驚きと戸惑いながらもマリアがそれを従順に受け入れる。

               【POLA公式オンライン】 日本初・世界でひとつの「シワ改善メカニズム・待望の美容液」
                                

下写真のボッティチェリ作・フレスコ画≪受胎告知≫では、場所は北ユダヤ・ガリラヤ湖の西方ナザレの町、右側の寝室の前部屋に居るマリアは襟元に淡いモーブ色のスカーフ、シルクかビロードのような約束事の青色の柔らかな衣装、頭には透明な白いベール、やはり約束事の一つである聖なる書物を読んでいたのを止め、眼を伏せてややうつむき加減の静かな表情である。
左側では明るい中庭へ開放するロッジア(開廊・回廊)へ青年天使ガブリエルが舞い降り、ガブリエルの白と朱色の柔らかそうな衣装が風圧で後方へなびき、動的でふくよかなドレープをつくり、 「神」の導きか、その背後からマリアの居る部屋へ届くほどの金色の細線光が射している。誠実で真剣な顔立ちのガブリエルが携えているのは、当然のこと、マリアの純潔・貞操を意味する「アトリビュート(持ち物)」の白百合の花である。

そうして、「無原罪の人」のマリアの体内に宿り(=無原罪の御宿り)、≪ルカの福音書≫によれば、大天使ガブリエルの「告知」の通り生まれたイエスは「神の子」とされ、元々「神」により選ばれた「無原罪の聖なる女性」であったマリアはイエスの母、「聖母」となる。≪無原罪の御宿り≫とは、「神」から選ばれた聖なる女性・「無原罪の人」であるマリアが「御宿る」こと、要するに懐妊をしたことを言及したものである。
従って、≪無原罪の御宿り≫では母親マリアが主体であり、その懐妊から結果的に生まれたイエスを強調しているのではない。上塗りして言えば、「救世主キリスト」を生んだ理由ではなく、マリアは自身が胎児の時からすでに「神」により「聖なる人」と決められていたことが重要なのである。この考え方はカトリック教会のみならず、ギリシア正教や東方教会、プロテスタント諸派においても最も重要なキリスト教の教義・教理の一つとなっている。

            ボッティチェリ作・「受胎告知」/2015年・渋谷ザ・ミュージアム展
           サンドロ・ボッティチェリ作・≪受胎告知≫/イタリア・フィレンツェ・ウフィツィ美術館所蔵/1481年作
           2015年/東京・渋谷 ザ・ミュージアム・≪ボッティチェリとルネッサンス(フィレンツェの富と美)展≫

ボッティチェリ作・フレスコ画≪受胎告知≫の詳細:
A-KDP 「花の都・フローレンス」で観た ボッティチェリ作・フレスコ画≪受胎告知≫

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1854年の「処女受胎」の公認以降、セナンク修道院では新たに創設されたシトー修道会系譜の「無原罪受胎聖母マリア」の修道会の修道院として、建物の修復も含め修道活動が行われた。しかし、1900年代の初め頃、セナンク修道院の修道士達は地中海カンヌの沖合い5km、東西1.5km 幅400mほどの小さなサン・トノラ島 St Honorat のシトー修道会系譜のレランス修道院 Abbaye de Lerins へ退去してしまう。

1926年になり、レランス修道院の修道士達がセナンク修道院へ戻り、1969年まで活動を続けたが、本格的な活動にならず、その後のセナンク修道院はレランス修道院の文化活動の拠点として活用された。そうして途絶えてしまったセナンク修道院での本格的な修道活動を再開したのは、まだ極最近の事、1988年になって、レランス修道院から再び派遣された6人の修道士達である。
今日、セナンク修道院で聖務するシトー修道会系譜の「無原罪受胎聖母マリア」の修道士達は、早朝4時の起床〜夜8時過ぎの就寝まで、祈りと労働の求道生活を続けている。

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シトー修道会・ロマネスク様式の修道院建築

修道院の建物構成
  セナンク修道院の内部は円形と直線を基本とした僅かな装飾を確認できる程度の室内や支柱、天井や壁面など、あらゆる個所が厳密に加工・施工され、整然としかもシトー修道会の求めたシンプルにして醇雅な雰囲気が漂う。1921年と1970年、セナンク修道院はフランスの「歴史的建造物」に指定された。
セナンク修道院では、修道院の建物外観・外装のみならず、内部・内装のほとんどが12世紀の創建当時のままの姿を今に留め、祈祷と清貧、そして厳格な規範と簡素性を基本とするシトー修道会の修道精神を明確に反映すると同時に、ロマネスク様式建築の美的理念を呈している。セナンク修道院の、特に内部・内装を一言で表わすならば、正に「簡素なる美の極致」と言っても過言ではないだろう。
なお、セナンク修道院の建物全体の敷地は、同じく「プロヴァンス三姉妹(下述コラム)」のシルヴァカーヌ修道院(下写真)よりほんの少し広い区画だが、各建物と部屋の配置構成とその機能はほとんど同じと考えられる。

              「プロヴァンス三姉妹」・シルヴァカーヌ修道院・回廊 Abbaye de Silvacane/(C)legend ej
              シルヴァカーヌ修道院・回廊/床面を染める美しい神秘的な色彩/プロヴァンス地方
              Web シトー修道会・「プロヴァンス三姉妹」のシルヴァカーヌ修道院

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Ref.
シトー修道会の「プロヴァンス三姉妹」とは?
プロヴァンス・リュベロン地方の最南の「水の街」エクス・アン・プロヴァンスからアクセスできるシルヴァカーヌ修道院 Abbaye de Silvacane(上写真)、マルセイユと地中海のリゾート・カンヌの丁度中間のアクセスの難しい山間部にひっそりと佇むル・トロネ修道院 Abbaye de Le Thoronet、そして、ラベンダーの花咲くここセナンク修道院 Abbye Notre-Dame de Senanque の3か所をもって、中世キリスト教修道会の歴史的背景と南フランスで同時期に建立された修道院建築の共通性から、シトー修道会の「プロヴァンス三姉妹」と華やぎの響きを連想する美しい比喩で呼ばれている。
これらの修道院には12世紀ロマネスク様式建築の基本的な技法と装飾が今日まで残されており、中世ヨーロッパの美術様式の変遷の歴史で重要な役目を果たしてきた。

中世キリスト教の修道会と聖ベルナール関連、「プロヴァンス三姉妹」の情報:
Web 中世キリスト教修道会/聖ベルナールとクレルヴォー大修道院/「プロヴァンス三姉妹」

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セナンク修道院/ガイド付き見学ツアー

見学は限定された施設/ガイド付き見学ツアーコース
  セナンク修道院では、現在、シトー修道会系譜の修道士達による修道活動が行われているため、すべての建物が一般に解放されているわけではない。そして、ここは「ワイワイ・ガヤガヤ」の楽しい観光スポットではなく、静かな祈りと歴史を理解して心で旅するツーリストが訪ねる神聖なる場所である。
北側建物2階の受付で到着順に20人〜最大50人にランダムでグループ編成される個人ツーリストが、定期的な時間毎に修道会関係者のガイド説明と共に見学できる施設は、修道院の建物全体の丁度1/3程度の区画と言える。

※下写真の「グレー色」の屋根の施設が見学ツアーにほぼ該当する。また、1921年と1970年、セナンク修道院のフランスの「歴史的建造物」に指定されたセクションは、おおむね見学ツアーコースの12世紀ロマネスク様式が残る施設である。

セナンク修道院 Abbaye de Senanque/(C)legend ej
               ゴルド村への道から望む「プロヴァンス三姉妹」・セナンク修道院の全景
               眩しい夏の陽光に満開のラベンダー畑が青紫色に染まる/プロヴァンス地方

見学コース順から言えば、公開施設は受付と同じフロアレベルの修道士寝室、階下1階にあたる付属教会堂(聖堂)、回廊暖房室、そして参事会室(会議室)に限定されている。見学はツーリストが自由勝手にできず、修道会関係者による有料ガイドツアーで行われる(後述コラム情報)。
修道院広報からの情報の通り、ガイドスケジュールは季節的に変動するのでセナンク修道院公式URLで事前チェックが必要。寒さの厳しい冬季はツーリストも少なくガイドツアーは日に午後のみ2回、ツーリストが増加する夏季は最大で日に12回(午前3回・午後9回)の見学ツアーが行われる。時間的にはおおむね10時〜17時まで、所要は約1時間。
ガイド説明は基本的にフランス語となる。また予約済グループツアーの訪問では、個人ツーリスト見学ツアーとは異なり、予約の到着時間に合わせて随時スタートする。なお、日本語の説明は行われていない。

修道院ショップ/強い香りのサシェやポプリ
  受付の階下となる1階には、セナンク修道院で丁寧に作られたドライ・ラベンダーや濃厚な蜂蜜、絵ハガキやクッキーなどを扱う修道院ショップがある。通常、東ヨーロッパなどの修道院ショップでは絵ハガキと聖画や宗教関係の書物などが販売されるが、ここセナンク修道院は訪れるツーリストが多く、ショップは修道院の財政を潤す有効な手段であり、扱う商品は多種である。
なお、修道院ショップは見学ツーリストがガイドツアーの最後に必ず通過するように、効果的にルート設定がされているので、修道院内部の見学前に慌てて「ワイワイ・ガヤガヤ」と立ち寄る必要はない。扱う商品がたくさん有り部屋の構造面からか、ショップスペースがちょっと狭い感じがしないでもないが。
特にドライ・ラベンダーの強い香りが自慢のサシェ Sachet(香り袋)や容器入りのポプリ Pot-pourri などは、雑貨好きの日本からの女性達には人気の商品、土産物としても手頃なサイズなので忘れずに買い求めたい。ドライ・ラベンダー関連の商品はアルルやアヴィニョン(アヴィニオン)市内など、プロヴァンス地方の何処の街でもゲットできるが、ここセナンク修道院で買い求めた「意味」は大きい。

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簡素な造りの修道士寝室
  修道院見学コースの最初の施設となる修道士寝室は長さ約30m、ロマネスク様式の尖頭アーチ型トンネルヴォールト天井の構造である(下描画)。上写真・鐘楼の左方へ連なる「グレー色の屋根建物」の二階が修道士寝室である。
部屋の中央付近には階下の回廊へ連絡する石製階段があり、荒削りの切石積みで石膏塗布の壁面には装飾はまったくなく、東側壁面に十字架が、西側壁面には単純なバラ窓と明り取りの小さな窓が設けてあるだけ、正真正銘のシトー修道会の求めた簡素な空間である。
かつて12世紀以降、一度に30名の修道士を収容できたこの部屋の床面には、ベッドの代わりにワラが敷かれ、修道士達は深夜2時に起床した後、日の最初の儀式と祈りのために隣の教会堂(聖堂)へ向かったとのこと。そうして夜8時に就寝するまで修道士達は神の存在を信じ、それに近付くためにびっしりと詰った祈祷と厳しい労働の日課をこなした。
余りの苛酷な生活から30歳前に亡くなる修道士も数多く居たと言われるほど、シトー修道会の厳格な修道聖務と生活は身を削るほどの過酷であった。暖房設備もなく、あまりに簡素な造りのこの修道士寝室に佇むと、かつての修道士達の厳しい修道生活が実感として想像できる。

セナンク修道院・修道士寝室 Monk's Bedroom, Senanque Abbaye/(C)legend ej
           装飾のない修道士寝室/右奥ドアーから聖堂へ 手すり階段を下がると階下の回廊へ連絡する
           プロヴァンス地方/描画=Web管理者legend ej

ロマネスク様式の教会堂
  修道士寝室の隅から出て、15段ほどの木製の階段を下がった場所が付属教会堂トランセプトと内陣である。通常、教会堂の内陣は聖地エルサレムの方角である東方に配置されるが、谷間に建造されたという地形的な理由なのか、セナンク修道院の内陣は北方に位置している。三廊型の身廊やトランセプトの幅と長さは、シルヴァカーヌ修道院のそれより若干短いが、尖頭アーチ型のトンネルヴォールト天井の身廊の高さは1mほど高く16m以上ある。
トランセプトに仕切がないため、教会堂全体の平面プランはほぼ「十字形」を成している。トランセプトの中央真上が鐘楼となる。半円形の内陣は司教が典礼で付ける司教冠(ミトラ)に似た穏やかな形容の尖頭アーチ型、身廊より2段高い床面にテーブル状の石製の角型祭壇があり、切石積みで落ち着いた色調をかもす石膏塗布の壁面に設けられた三か所の窓が明り取りとなっている。

右側廊には小さなドアーがあるが、セナンク修道院の教会堂にはメインとなる「玄関入口が存在しない」という特徴がある。通常なら教会堂の正規の入口側となる場所、セナンク修道院では南側の高い壁面にはシンプルなバラ窓と縦長の二つの窓があるだけ。この教会堂は一般信者のために在るのではなく、あくまでも修道士の祈りの場所としての厳粛なる修道院施設である。従ってここ付属教会堂は街に建ついわゆる信者の集まる「教会」ではなく、修道院の重要な施設である「聖堂」である。

セナンク修道院、正しくはセナンク聖母マリア大修道院(フランス語=L'Abbaye Notre-Dame de Senanque)の付属教会堂は、「聖母マリア(Notre-Dame ノートル・ダム)」を奉っている。現在のセナンク修道院の所属と活動は、上述の通り、19世紀になって新たに創設されたシトー修道会系譜の「無原罪受胎聖母マリア」の修道会である。

暖炉のある暖房室/石造ベンチの参事会室
  セナンク修道院は山間部の深い谷間に建てられているため、時には降雪もあり、冬の寒さは想像以上に厳しかったはずである。
このため、修道士達は回廊の北西側に位置する暖房室で暖を取っていたのであろう。この部屋がセナンク修道院で暖房設備のある唯一の場所であった。
階段を挟んで暖炉のある暖房室の東隣、回廊の北側に配置された、美しい機能美を誇る背の低い統合柱と交差リブヴォールト天井の参事会室(会議室)は、ニ段の階段状(三段だが座れるのは二段)の石製ベンチが部屋を取り囲むような構造である。
天井は若干低いが、構造的にエコーがほとんど発生しない造りとされるこの部屋の冷たい石製ベンチに座った修道士達は、「聖ベネディクトウスの戒律」を読む大修道院長の言葉を聞き、教義・教理・規範が説かれ、さらにこの部屋は大修道院長の選挙会議も行われたはずである。
また、この参事会室はセナンク修道院内で修道士達が「話すこと/討論」の許された唯一の場所であったとされる。なお、暖房室と参事会室の間の石製階段を使えば、建物二階の修道士寝室の中央付近へ上がることができる。

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セナンク修道院/ロマネスク様式の回廊の美しさ

純粋なロマネスク様式/修道士達の悟りが・・・
  中世の修道士達が緩やかに祈り歩いたセナンク修道院の12世紀ロマネスク様式の回廊は、四方を一辺各12か所の半円アーチ形構造の支柱群で支えられている。この回廊の支柱は2本1組の円柱と1本の角柱で構成され、その配置オーダーは「角柱・円柱・円柱・角柱・・・」という明快で規則正しいリズムを刻む施工である(下写真)。
各円柱と角柱の柱頭部には簡素性を優先するシトー修道会の精神が活かされ、わずかだが上品な渦巻きと過度のない揺れるアカンサス葉文様の曲線装飾が施されている。この2本1組の円柱や柱頭部の装飾などは、ブルゴーニュ地方の同じくシトー修道会系譜の世界遺産・フォントネー修道院の回廊(下写真)のそれに共通するものがある。
安定感と落ち着きを感じさせる支柱群に囲まれた花咲く中庭からの明るい光、感じの良いベージュ系色彩の石材を使った支柱群と回廊に我が身がすーと溶け込む時、ここは何と穏やかで静謐な時間が流れる清冽な空間なのであろうかと感じる。真夏のプロヴァンスの眩しい陽光が降り注ぎ、ロマネスク様式の回廊の床面に支柱群の影がアーチを描き美しいコントラストを作る。あたかも絶妙な照度の光と影が静かな空間で互いに競いながらも美しい二重奏の旋律を奏でているかのようだ。

すでに二人の音楽家は共に旅立っているので、もはやどう願っても実現は有り得ないことだが、あえて、私は、シューベルト作品≪アルペジオーネとピアノのためのソナタ・イ短調 D281第一楽章≫が、ソナタ形式・アレグロ・モデラートの穏やかにしてやや速く、セナンク修道院のこの場所、12世紀ロマネスク様式の静寂な回廊に流れたならば、と夢想したい。
しかも、それが20世紀の巨匠チェリストであるアゼルバイジャン出身ムスティスラフ・ロストポーヴィチの奏でるチェロ、それに合わせるイギリスが生んだ最高の作曲家でありピアニストであったベンジャミン・ブリテンの弾くピアノ演奏であったならば、と無理難題を承知の上に、なおも私は欲心の上塗りをしてしまう。

現実には天才音楽家達のチェロとピアノの演奏はないが、耳を澄ますと幾分暗い回廊にあって、計算尽くされたような明るい光と影の見事な調和の世界を創り出した870年前のシトー修道会の修道士達の悟りが、遠くで鳴く真夏のプロヴァンスのセミの声の如く、静かなエコーとなって聞こえてくるような陶酔感に似た錯覚を覚える。
中世ロマネスク様式の修道院建築の典型であるこのセナンク修道院の回廊の形容と粛然とした聖なる雰囲気は、シトー修道会の繁栄が始まる12世紀の修道院の創建当時からまったく変わっていない。こういう長い歴史を秘めた場所に立ち、流れる静謐な時間を感じ取る時、これこそが正に独り旅にある私が追い求めて止まない心に刻む遥かなる「時」、しばし全身に鳥肌が立つほどの感慨に満たされる。

セナンク修道院/(C)legend ej
           セナンク修道院/12世紀ロマネスク様式の回廊/光のコントラストが美しい/プロヴァンス地方

フォントネー修道院 回廊 Abbaye de Fontenay/(C)legend ej
                     フォントネー修道院・ロマネスク様式の回廊/ブルゴーニュ地方
                     回廊の床面に射し込む中庭からの明るい光とのコントラストが美しい
                     Web 世界遺産/シトー修道会・フォントネー修道院

Ref.
セナンク修道院・一般公開施設
  セナンク修道院の建物に関して、「トップ写真」の修道院の全景で言えば、ラベンダー畑に面する北側部分の「グレー屋根」の施設が一般公開されている中世12世紀ロマネスク様式に属する区画である。より後世になって建増された「朱色屋根」の区画は修道士の聖務活動のための施設で未公開となっている。

※修道院の「全景」を確認する ⇒ セナンク修道院全景とラベンダー畑(トップ写真へ戻る)

修道院付属教会堂(聖堂)/ブルゴーニュ地方ポンティニー修道院
  修道院付属教会堂(聖堂)に関しては、1114年創建、シトー修道会・「四父修道院」と呼ばれたブルゴーニュ地方ポンティニー修道院の付属教会堂は外観全長119m、ロマネスク様式とフライング・バッドレス構造などゴシック様式の混在するより大規模な建築様式を今に伝えている(下描画)。
交通アクセスにかなり難があるが、ポンティニー修道院はシトー修道会と中世ロマネスク様式を追い求める人が必見する場所の一つでもある。ポンティニー修道院の静寂極まる身廊に立つ時、そのロマネスク様式のシンプルな建築に圧倒され、人は発する言葉を失う。

シトー修道会・ポンティニー修道院 Abbaye de Pontigny/(C)legend ej
                  「白い船」と呼ばれるポンティニー修道院 付属教会堂/ ブルゴーニュ地方
                  描画=Web管理者legend ej
                  Web 世界遺産/ヴェズレー修道院/シトー修道会・ポンティニー修道院

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石積み工法の鐘楼
  セナンク修道院の回廊の南西角部からは青空に立つ鐘楼の尖塔を見ることができる。鐘楼は教会堂内のトランセプト中央の真上にあたる。尖塔の屋根はブルゴーニュ地方ブランシオン村の聖ピエール教会堂(下描画)と同様に、モルタルを使わないロマネスク様式独特な石積工法で施工されている。
セナンク修道院では、これらの建築もすべて修道士達が10年、20年単位の途方もない手間と時間をかけ、自ら施工を行った、と聞くと驚きと感動を覚える。

            ブランシオン村・聖ピエール教会堂/(C)legend ej
                        ブランシオン村・聖ピエール教会堂/ブルゴーニュ地方
                        描画=Web管理者legend ej
            Web ブルゴーニュ地方のオータン聖ラザール大聖堂/ブランシオン村の聖ピエール教会堂

Ref.

セナンク修道院・定時ガイドツアー
個人ツーリスト/2F受付に集まり次第、色々な人達で臨機構成されるランダム・グループガイド、1回=最大50人まで:
セナンク修道院URL http://www.senanque.fr/
     ・有料 大人 E7.5(2017年)/所要 約1時間/10時〜17時
     ・冬12月〜1月 ・・・・ 日に2回(午後)
     ・春/秋  ・・・・・・・・ 日に4回〜5回(午前・午後)
     ・夏6月〜9月 ・・・・ 日に9回〜12回(午前・午後)
ガイドツアーの時間と回数は季節変動する。特にツアー回数が少なくなる冬期、そして春&秋には修道院公式URLで事前確認をしておくことが望ましい。また、個人ツーリストの修道院の見学に関して、修道院広報では南ドイツのノイシュヴァンシュタイン城やグラナダ・アルハンブラ宮殿と同様に、「最低48時間前までの予約」を推奨している。

Ref.  シトー修道会・マザン修道院とその「娘修道院」

セナンク修道院の「母」=マザン修道院
  シトー修道会系譜のマザン修道院は、シトー大修道院がリヨンの南東35kmのボヌヴォー Bonnevaux に建立した修道院から出た修道士達により、1120年、「四父修道院」の創設時期より少し遅れて建立された大修道院である。
後にマザン修道院から派遣された修道士達によって、「プロヴァンス三姉妹」のセナンク修道院やル・トロネ修道院など、合計4か所に「娘修道院」が建立された。

人目に付きにくいフランス中央高地の山間部に建てられたマザンの大修道院であったが、フランスの多くの修道院や教会堂と同じく、14世紀〜15世紀のフランス・カペー朝の継続を巡り起ったイングランドとの「百年戦争」で大きな被害を受けた。そして、18世紀の「フランス革命」でも破壊があり、その直後1791年の「修道院解散令」によりマザン修道院も閉鎖され、フランスの混乱する歴史の中で崩壊の運命を辿った。
19世紀以降、マザン修道院の遺構石材を利用して隣接して小さな教会堂が建てられた。現在では12世紀初期のオリジナル基礎部と壁面の一部、そして、敷地の南側を流れるマザン川脇に塔を残すだけの廃墟と化し、現在、フランスの「歴史的建造物」に指定されかつての繁栄を今に伝えている。

マザン修道院の正確な位置は、アヴィニョン(アヴィニオン)から北西105km、リヨンから南西130km、フランス中央高地のローヌ・アルプ地方アルデシュ県、標高1,100m付近を流れるロワール川の源流域のマザン川沿いに開けた盆地状の小さな村・マザン・ラーベィ Mazan l'Abbaye である。現在では、繁栄を極めた修道院の建物は完全に崩壊してしまい、マザン・ラーベィ村はアクセスが非常に難しい人口140人の小村となってしまった。
なお、アヴィニョンから北東へ25kmほど進むと大聖堂や凱旋門などの残るカルペントラに至る。この歴史ある町の東方7km付近にもマザン修道院に似た名前の「マザン村 Mazan」がある。上述の通り、マザン修道院のあった場所は、セナンク修道院から約15kmのこのプロヴァンスのマザン村ではなく、セナンク修道院から北西へ直線で125kmほど離れたロワール川源流域の山間部であった。

セナンク修道院の「娘」=レ・シャンボン修道院
  セナンク修道院から派遣されたシトー修道士達は、1152年、マザン修道院の南方10kmのローヌ・アルプ地方アルデシュ県のレ・シャンボン村 Le Chambons に「娘修道院」を建立、14世紀にはアヴィニョン(アヴィニオン)にも修道院を建立している。
アヴィニョン(アヴィニオン)から北西100kmのレ・シャンボン修道院は、露岩の険しい山と針葉樹に囲まれた標高1,150mの谷間に建てられた。マザン修道院と同様にレ・シャンボン修道院は14世紀〜15世紀のイングランドとの「百年戦争」、さらに「フランス革命」で大きく破壊され、1791年の「修道院解散令」で閉鎖された。現在、石積み造りの修道院の建物の一部が残されている。
また、レ・シャンボン修道院の周辺の山々と渓谷は、今日、トレッキングのハイカーとハンググライダーが飛ぶ高原アウトドアー・エリアとして人気が高い。

プロヴァンス地方の旅

心に刻む遥かなる「時」
  交通アクセスに悩みながらも、2007年の夏7月の初め、正確な日時を言えば「7月5日」、満開のラベンダーの花咲くシトー修道会・セナンク修道院を訪れた。心惹かれる修道院と色鮮やかなラベンダーの花が奏でる「感動物語」に身を溶け込ませる時、長い歴史を秘めた揺ぎ無いこんな美しい風景こそが、私がライフワークで密かに追求し続けている心に刻む遥かなる「時」であると確信した。
澄みわたるプロヴァンスの空と育む大地、静かに修道聖務する人達とが緩やかに交わるセナンコルの谷間のこの美しい調和の世界が、この先遠い未来まで何百年も変わることなく残されて行くことを願わずにはいられない 。
1か月間続く「国際演劇祭」で賑わう西方のアヴィニョン(アヴィニオン)へと続く茜色に染まる夕焼けの空を眺めながら、プロヴァンスの夏の強い陽光に頬が小麦色に変わるまで、朝から終日を過ごしたセナンコルの谷間を静かに後にする満足感は何ものにも代えがたい。
そう想いながら、「フランスの最も美しい村」の丘上都市ゴルド(下写真)へと続く3km弱の傾斜の道を歩いて戻りながら、何回も何十回もセナンク修道院とラベンダー畑を振り返る(トップ写真)。もう一度、「指のフレーム」に渓谷に広がる満開のラベンダーと修道院の全景を入れて「心のシャッターボタン」を押す。
晴天に恵まれたこの日の幸運に感謝を奉げ、何と穏やかで美しい光景なのだろうかと、しばらく逢えない恋人と別れる時と同じように、名残り惜しみながらその感動物語の眺めを脳裏に刻んで・・・

プロヴァンス地方ゴルド/(C)legend ej
             「フランスの最も美しい村」 ゴルドの眺望
            Web 世界遺産/アヴィニョン(アヴィニオン)とローマ時代のポン・デュ・ガール水道橋

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プロヴァンス地方の美しい村
  南フランスはセナンク修道院のラベンダーの花だけではない。満開のラベンダーの花に遭遇できなくとも、ゴッホの街アルルポン・デュ・ガール水道橋、画家セザンヌの生地で湧水と噴水の街エクス・アン・プロヴァンス、作家カミュが愛した「フランスの最も美しい村」のルールマラン(ルールマルン)など、経験論から言えば、気取らないで過ごせる魅力的なスポットが数多く点在する(下描画)。

「フランスの最も美しい村」
 現在、フランスには人口2,000人以下の「村」と言われる自治体が約32,000か所あるとされ、そのうち「フランスの
 最も美しい村
」に認定されているのはわずか158村だけ(2019年現在)である。
 「フランスの最も美しい村」: http://www.les-plus-beaux-villages-de-france.org/



南フランスの小さな町や村は、個人的な偏見と印象も含めて断言するなら、「首都パリより遥かに魅力的」と言えるだろう。気を取り直して、ラベンダーとは別な感動ある南仏の目的地に期待しよう!
プロヴァンス地方の、中でもヴォークリーズ山地〜リュベロン平原〜プチット・リュベロン山地〜デュランス川までの範囲、リュベロン地方には、「フランスの最も美しい村」に認定されたゴルドを含め、とりわけ郷愁を誘う顕著な特徴を放す村々が点在している。

プロヴァンス地方ルールマラン Lourmarin, Provece/(C)legend ej
             シャトー城館から眺める「フランスの最も美しい村」 ルールマラン(ルールマルン)
                ・手前鐘楼: プロテスタント派教会堂(1816年)
                ・左遠方:   中世17世紀城砦跡・鐘楼・「時計塔(1942年)」
                ・中央遠方: カトリック教・聖アンドレ&聖トロフィーム教会堂(12世紀創建)
             描画=Web管理者legend ej

※「フランスの最も美しい村」や素朴な村、BBCテレビドラマ作品≪南仏プロヴァンスの12か月≫や映画≪プロヴァンスの贈りもの≫の撮影ロケ地などの詳細情報 ⇒ プロヴァンス地方/「フランスの最も美しい村」 ゴルド/映画≪プロヴァンスの贈りもの≫撮影ロケ地

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Ref.
「フランスの最も美しい村」
「フランスの最も美しい村」
 現在、フランスには人口2,000人以下の「村」と言われる自治体が約32,000か所あるとされ、そのうち「フランスの
 最も美しい村
」に認定されているのはわずか158村だけ(2019年現在)である。
 「フランスの最も美しい村」: http://www.les-plus-beaux-villages-de-france.org/



10月~ JALパック・フランス旅行
羽田  JA6746C 6日間\369,900(1人参加・女性限定あり)シャンパーニュ地方・ランス〜ナンシー〜アルザス・ワイン街道(ストラスブール・コルマール・リクヴィール・カイゼルスベルグ)〜ドイツ・ハイデルベルク
成田  JA6708X 8日間\559,900 南フランス&バルセローナ/ニース〜モナコ・エズ村〜カナユイ岬〜アルル〜アヴィニオン〜ポン・デュ・ガール橋〜カルカッソンヌ〜ペルニャン〜バルセローナ

                                 

「フランスの最も美しい村」サン・シル・ラポピー St-Cirq-Lapopie/(C)legend ej
          「フランスの最も美しい村」 サン・シル・ラポピー村 聖シル教会堂と「下の街」 眺望/ミディピレネー地方
          描画=Web管理者legend ej  「フランスの最も美しい村」 ミディピレネー地方のサン・シル・ラポピー

フランスの最も美しい村 フラヴィニー・シュル・オズラン Flavigny sur Ozerain/(C)legend ej
           「フランスの最も美しい村」 フラヴィニー・シュル・オズラン/ブルゴーニュ地方
           フランスの「歴史的建造物」 ヴァール門(谷間の門)/描画=Web管理者legend ej
           ブルゴーニュ地方・城塞都市スミュール・オーソワ/「フランスの最も美しい村」フラヴィニー・オズラン

アルザス・ワイン街道・ミッテルベルガイム村 Mittelbergheim, Alsace/(C)legend ej
       南方の平原から「フランスの最も美しい村」・ミッテルベルガイム村を遠望する/アルザス・ワイン街道
       描画=Web管理者legend ej アルザス・ワイン街道(北部)「フランスの最も美しい村」ミッテルベルガイム

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