旅人 legend ej の世界紀行・心に刻む遥かなる「時」

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「南ボヘミアの宝石」チェスキー・クルムロフ Cesky Krumlov

ズラター・コルナ修道院 Zlata Koruna Klaster

UWH

チェスキー・クルムロフ Cesky Krumlov/(C)legend ej
                  チェスキー・クルムロフ/王城と旧市街/穏やかな初秋の昼/ボヘミア地方

南ボヘミア地方の中世の街/蛇行する琥珀色したヴェルタヴァ(モルダウ)川

ボヘミア地方の中世の街/ヴルタヴァ川(モルダウ)
  「モラビアの真珠」と比喩されるテルチなど、南ボヘミア地方や少し東方のモラビア地方の多くの町には、かつて繁栄した中世の香りを漂わす「旧市街」と呼ばれる古く美しい街並みが多く残されている。これらの街は時間の止った中世の姿のまま、複雑で混乱とした人々の物語である歴史を秘め、至る所で古い時代の面影と何とも言えない雰囲気を醸し出し、心で旅するツーリストへ期待通りの情緒を提供してくれる。

世界遺産/ホラショヴィツェ村/「モラビアの真珠」テルチ旧市街/トシェビーチ大聖堂

ボヘミアの美しい街チェスキー・クルムロフ Cesky Krumlov を貫くように、南方のドイツ領の森を源流として首都プラハ(プラーハ)へ下るヴルタヴァ川(Vltava ドイツ語=モルダウ)が流れている。ボヘミアの森に映えるローゼンベルグ(ロジェムベルグ)城の周辺など、上流の森林地帯に生育するマツ材やナラ科の樹木や葉の腐植から生成されたタンニンなどフミン酸が理由なのか、あるいは鉄分含有が多いためか、豊富な水量を誇るヴルタヴァ川は透明感はあるが、ブランデー色とも、チェコ名産の「ピルスナービール」より濃厚な琥珀色 or ブランデー色とも言える色彩を呈している。
ヴルタヴァ川は中世の街の中を驚くほど極端な「S字」を描き、連続するヘアピンカーブで蛇行しながら流れ下る。流速のあるヴルタヴァ川の流れで極端にえぐられ、起伏に富む複雑な地形となったチェスキー・クルムロフは、東欧を旅する時、時折出会う典型的な中世の街の一つであるが、「南ボヘミアの宝石」と呼ばれるように、際立つのはその比類のない旧市街の美しさである。

チェスキー・クルムロフの歴史/ヨーロッパで最も美しい街

13世紀から繁栄した街
  1240年代の終わり、クルマウ(Crumnau チェスキー・クルムロフの旧名)の崖上にゴシック様式の王城の基礎を建造したのは、ボヘミア地方の有数な貴族であったヴィツコヴィツェ家の血筋をひくクルムロフ領主家であった。1302年、この家系が途絶えると、それ以降クルムロフの王城と街は、17世紀初めまで約300年に渡って、同じくヴィツコヴィツェ家からの分家の一つであったローゼンベルグ家 Rosenberg/チェコ語 Rozemberk により引き継がれ治められてきた。
特に16世紀半ばから末期には、イエズス会の大学創設や王城の拡張、街の整備を初め、領地の経済開発と外交分野に力を注いだウィルヘルム・ローゼンベルグの功績により、クルムロフは驚異と言えるほどの発展をしてその繁栄を極めた。ただ第二次大戦が終結した1945年、チェコ政府はかつて住民の大部分を占めていた敗戦国ドイツ系の人々をクルムロフから強制的に追放した結果、クルムロフの街の住民は激減し、街は美観も活気も失ったとされる。その対応策としてスロバキアなどからのロマニ系(中世以降の北インド系民族)の人々(英語=ジプシー/チェコ語=ツィカーニ)のクルムロフへの大量移住が奨励された。
その後、時代は1990年代となり、チェスキー・クルムロフの街は歴史的とも言える中世の美しさを取り戻し、今や「世界の観光地」となった。UNESCOは、1992年、この美しいチェスキー・クルムロフの王城と朱色の屋根の家並みが続く旧市街を世界遺産として登録している。なお、「チェスキー Cesky 」とは「ボヘミア(チェコ)の・・・」という意味がある。

「ヨーロッパの最も美しい街」
  緩やかな流れのヴルタヴァ川とえぐられた谷、そして険しい崖や波打つ丘陵、チェスキー・クルムロフの市街の地形は非常に複雑で起伏と変化に富んでいる。中世の人々はそれらを上手に活用して、長い歴史を誇る複合建物の王城、教会、修道院、石畳の古い通りや広場、そして民家などを適度の美的センスで配置したのであった。
起伏に富むからこそ、至る所から展望が開け、眺める街の見事なまでにバランスされた美しさを言葉で表現するのはそう簡単ではない。13世紀前半に建造され、旧市街の何処からも見ることができる王城の塔は、幾度となく改修が重ねられた結果、ゴシックとルネッサンスの混合様式となり、淡いピンク系と白色系の壁面、貝殻紋様や時計などが施工され、これらが渋い緑青色の屋根と不思議に調和した塔である。

訪れたのはシラカバやナラの木の葉枝が色づき始め、中世の街が最も美しい佇まいを見せる初秋の頃であった。今、私の前には柔らかな風にそよぎ、雲一つないボヘミアの古都チェスキー・クルムロフの真っ青な空色と競うかのように、王城や民家の朱色の屋根が鮮やかなコントラストを描き、絵画よりも更に鮮やかな見事な美の世界が展開している。
類稀な美しさを誇る「南ボヘミアの宝石」と呼ばれるチェスキー・クルムロフは、多くの人に知られた「ヨーロッパで最も美しい街」の一つと称えられている。そのことから、「童話の世界」と呼ばれるエストニアの首都タリン旧市街を初め、イスラム文化の漂うスペインのグラナダ・アルハンブラ宮殿、イタリアのルネッサンスの都フィレンツェなどと並んで、チェスキー・クルムロフはヨーロッパだけでなく、今や世界からのツーリストの憧れの地でもある。

世界遺産/スペインのグラナダ・アルハンブラ宮殿/コルドバのメスキータ寺院

ボッティチェリ作・フレスコ画≪受胎告知≫の詳細;
A-KDP 「花の都・フローレンス」で観た ボッティチェリ作・フレスコ画≪受胎告知≫

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  「フラーデク Hradec」と呼ばれる王城区域から西側へ続く広大なフランス式庭園、更に奥に広がるブナの森を含む自然を活かしたイギリス式大庭園に向かう際、最初のテラス状の場所から、或いは狭く急な階段を上った円筒形の多色彩の王城の塔の上から眺める旧市街は、まるで眩い「宝石箱」を覗いているようである。
大きくS字ターンしながら蛇行するヴルタヴァ川に囲まれた旧市街(下写真)には、中世のままの歴史を刻んだ家々が数多く残され、磨り減った石畳の通りも家々の朱色の屋根も窓も、何もかも趣のある造りで、ため息の出るほど風情ある雰囲気を醸し出している。それは飽きることのない感動と感激の風景で、正に心に刻む遥かなる「時」、何時間もただ黙って眺めていたい美しい光景である。

            チェスキー・クルムロフ/(C)legend ej
                     「宝石箱」のように美しいチェスキー・クルムロフ旧市街/ボヘミア地方

旧市街の中心、旧市庁舎が建つスボルノスティ広場から石畳の通りをなだらかに下り王城へ至る途中、ブランデー色のヴルタヴァ川に架けられた木製のラゼブニツキー橋(上写真・左下端)を渡る。
木橋付近の河畔には、珍しい美味なウサギ肉などを使った自慢料理を「Today's Menu」に掲げた何軒かの良質なレストランがテラスを設けている。そのほか木橋の周辺には、この絵画的な街を訪ねるツーリスト向けの小奇麗なプチホテルやペンションが軒を連ね、美しさを競う中世の街に華を添えている。

王城区域/フラーデク/宝石箱のように美しい街/木製のラゼブニツキー橋/クルムロフの黄昏時
  遥か西方に広がる波打つ草原の丘陵へ陽が沈み、旧市街の家々の窓に明りが灯り始める頃、趣のある古都の裏通りは一瞬だが時間が止まる。
そして、教会の塔も磨り減った石の階段も、民家の扉も壁も、中世からのゴツゴツした石畳の通りも、老舗のレストランの古風な窓も、チェスキー・クルムロフのあらゆる物が青紫色をした黄昏の柔らかいベールに包まれる。西の空が茜色に染まった後、雲のない夜空にスポットライトの王城の塔が一段と映える。
伝統的なレストランやカフェのカンテラに明りが灯り、人々を夢のような世界へ誘い始めた。気温が少し冷え込んできた初秋の宵、人通りの少ない石畳の古い通りを歩く時、中世の時間にさ迷い込んだような気がして、ふと後ろを振り返ったりして・・・

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チェスキー・クルムロフ/氷点下の夕暮れ
  東欧の真冬、氷点下の「南ボヘミアの宝石」、チェスキー・クルムロフを訪ねた。季節に関係なくこの中世の街は余りにも美しい。特に気温が急激に下がってくる真冬の夕刻の美しさは、何ものにも代え難い感動のドラマに似ている。昼間薄っすらと粉雪で覆われ、まるで絵本に出てくるような美しいチェスキー・クルムロフの旧市街が、早い時刻にやって来る真冬の夕暮れへと移ろいで行く。

午後4時、西空を占めていた弱々しい夕焼けの残照を受けて、淡い桃銀色の輝きを放していた旧市街が、時間の経過とともに透き通る青紫色のベールに包まれ、やがて空気は何とも言えない美しい色彩に染まり始めた。極寒の冬の時期、吹く風もない晴れた日の黄昏、夜の闇が迫り来る直前に、超微粒子フィルムに捉えられた澄み切った空気と微妙な光が奏でる一瞬の美しいグラデーションの世界だ(下写真)。
チェスキー・クルムロフの旧市街地を緩やかに蛇行して流れるヴルタヴァ川は、群青の鏡面と化しイルミネーションに輝く王城や高い塔を写し出す。中世からの長い時に耐えてきた家々の朱色の屋根に僅かに積もった粉雪の白さと窓辺の灯りが、氷点下の気温の中にあっても、この風景を眺める人の心を間違いなく暖かくしてくれる。

耳を澄ませ、目を凝らして、こんな雪景色の穏やかな空間と柔らかい時間が完璧に溶け合う東欧の古い街が奏でる繊細な協奏曲を聴き、物音しない雪景色の舞台を眺めた。初めてこの美しい街チェスキー・クルムロフを訪れた2000年の初秋以来の感慨に独りふける時、「旅行」が「心の旅」となり、旅が「人生の旅路」へと変容していく課程をはっきりと感じる。
遠いかの地を訪れる旅行の方法や感じ方は人それぞれである。かつて訪れたことのある街に再訪できた幸運をかみしめて、季節こそ異なるにしても、かつてと同じ場所に立ち、同じ光景を眺めながら、全く同じ感慨を覚える自分を不思議に思ってしまう。「そうだ!これが自分流の旅なのだ」と納得し、「美しい場所は何時訪れても常に美しいものだ」、と独りつぶやく・・・

真冬のチェスキー・クルムロフ Cesky Krumlov/(C)legend ej
                  真冬のチェスキー・クルムロフの宵/王城と旧市街の佇まい/ボヘミア地方

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シトー修道会系譜・ズラター・コルナ修道院

ROM

琥珀色のヴルタヴァ川/「聖なる王冠」の修道院
  シトー修道会系譜のズラター・コルナ修道院 Zlata Koruna Klaster は、美しい街チェスキー・クルムロフから北東6km、ブデヨヴィツェへの幹線道路沿いの小さな村ラーヨフ Rajov から北へ逸れ、ヴルタヴァ川(ドイツ語=モルダウ)に沿って森と農耕地が広がる丘陵地帯を眺めながら約1.5kmほど入った場所、ヴルタヴァ川が大きくUターンする蛇行渓谷にひっそりと佇んでいる。
チェスキー・クロムロフから流れを受け継ぐヴルタヴァ川はこの辺りでは川幅は20mにも満たないが、その流れは狭く深く、しかも森林地帯の樹木や葉の腐植から生成されたタンニンなどが理由なのか、鉄分含有の影響なのか、透明感のある琥珀色 or ブランデー色の流れを見せている。

ヴルタヴァ川にかかる木橋を渡りズラター・コルナ村へ入る。木橋の脇はキャンプ場となっている。なお、ズラター・コルナとは「黄金の冠」の意味があり、かつて修道院は「聖なる王冠の修道院 Sancta Corona Spinea」と呼ばれていた。

ズラター・コルナ修道院 Zlata-Coruna Klaster, Czech-Rep/(C)legend ej
           ズラター・コルナ修道院/チェコ共和国 重要文化財/ボヘミア地方
           入口には巨大なシナノキの枝葉が垂れ下がる/初秋の頃 描画=Web管理者legend ej

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ズラター・コルナ村/修道院の歴史
  ズラター・コルナ修道院は小さな村にあり、修道院から西方1.3kmのローカル鉄道駅へと続く道路に沿って民家が連なっている。集落の中心は駅の東側と修道院のあるヴルタヴァ川脇の地区で、村の人口は約700人とされている。
小さな村だが小規模なホテルが1軒、レストラン・ペンションが2軒、キャンプ場もある。車なら容易に行けるが、公共アクセスが良い場所ではなく、毎日数千人が訪れるチェスキー・クルムロフの街に滞在したツーリストでも、この13世紀からの歴史あるズラター・コルナ修道院を知っている人は、奇跡に近いくらい少ないだろう。

中世の時期、メルク周辺のドナウ川中流域を統治したのは、後のハプスブルグ王朝の基礎となるバイエルン出身の貴族バーベンベルグ家であった。12世紀の1133年、バーベンベルグ家の辺境伯であったレオポルトV世が、ウィーン南西25kmの地にフランスのシトー修道会の「四父修道院」であったモリモン大修道院の「娘修道院」として、修道会系譜の最古の修道院の一つとなるハイリンゲンクロイツ Heilingenkreuz 聖十字架大修道院を建立する。
ズラター・コルナの修道院は、13世紀の1263年、チェスケー・ブデヨヴィツェの町を建設したボヘミア王・プシュミスル・オタカルU世により当初、簡素性を貫くシトー修道会系譜ハイリンゲンクロイツ大修道院の女子修道院として創建された。ただ、擁護者のオタカルU世が亡くなると修道院は破壊されたため、再建を余儀なくされる。

中世ヨーロッパのキリスト教・クリュニー修道会・シトー修道会・聖ベルナールの生涯などの詳細:
シトー修道会/聖ベルナールとクレルヴォー大修道院/「プロヴァンス三姉妹」

14世紀に大きな火災が発生、15世紀には二度にわたるフス派(プロテスタント派)の攻撃で完全に破壊され、修道院は朽ち果ててしまう。その後、チェスキー・クルムロフを治めたローゼンベルグ家により再建される。18世紀になり、修道院に紡績工場や天文台が併設され、さらに女性を含む多くの人が学んだ「ズラター・コルナ学校」も開設されたが18世紀の後半、1785年、修道院は完全に閉鎖されてしまう。
その後、敷地を買い取ったシュヴァルツェンベルク家が、フランス・ブルゴーニュ地方フォントネー修道院(下描画)やボヘミア地方スヴァティ・ヤン・ポト・スカロウ村の聖ヤン修道院(崖下の聖ヤン修道院)がそうであったように、修道院の建物を利用して本格的な製紙・繊維・鋳物生産などを行った。
20世紀になり、旧チェコスロヴァキア政府により修道院としての修復・再興のミッションが実施され、現在、ズラター・コルナ修道院はチェコ共和国政府による歴史的な重要文化財の指定を受け、所属は教区管理となっている。

フォントネー修道院 Abbaye de Fontonay/(C)legend ej
             フォントネー修道院・正面ガーデン・噴水〜修道士食堂&暖房室/ブルゴーニュ地方
             描画=Web管理者legend ej  世界遺産/フランス・ブルゴーニュ地方フォントネー修道院

修道院の見学
  修道院入口は、南ボヘミア地方で最大級とされる聖母マリア昇天付属教会堂の正面入口から大きく左方(時計回り)へ回り込んだ修道院敷地の北側付近にあり、上述の描画のように、石畳の入口には巨大なシナノキが枝葉を広げ、初秋の頃には黄色く染まった枝葉が旅情を誘う。
信仰心ある村の住民に開放されている付属教会堂を除き、修道院内部の見学はグループ・ツアー(要予約/チェコ語・英語・独語/5名〜50名/所要1時間)を要求されている。しかし、訪ねた2000年の経験論では、偶然に訪れるツアー・ツーリストがいなかったこともあり、「東京から遠路はるばる訪ねて頂いたのだから・・・」として、予約なしの個人ツーリストの私に若く美しい女性のガイド担当者を付けてくれた。

なお、敷地内の建物外観の写真撮影は問題ないが、シトー修道会の聖ベルナールのイコン画、18世紀天井フレスコ画を含めた回廊など修道院内部の撮影は禁止されている。入口の北側には隠れるようにして小さな「修道院ショップ」があり、キリスト教の歴史や修道院の書籍、絵ハガキなどの購入ができる。

訪ねたのは2000年の初秋、ヴルタヴァ川渓谷にあるズラター・コルナ修道院の周りも冷え込みが増し、入口を覆うシナノキの枝葉が鮮やかなまっ黄色に色づき始めていた。住民も見あたらないあまりに静か過ぎるズラター・コルナ村の何処か遠くで犬が鳴き、渓谷一帯に修道院の澄んだ鐘の音が響き渡り、ボヘミアを象徴する安穏な時がゆっくりと過ぎていく・・・

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