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スペインの乾いた風/コンスエグラの風車の丘 Consuegra

「ドン・キホーテ物語」/カンポ・デ・クリプターナの風車の丘 Campo de Criptana

ラ・マンチャ地方の風車のある町と村々・「ラ・マンチャ風車街道」 La Mancha

コンスエグラ風車/(C)legend ej
                         コンスエグラ 風車の丘/中央平原ラ・マンチャ地方
         ※朝日出版社 発行書籍 「基礎から学ぼう! スペイン語」 表紙写真に採用される/2014年01月

コンスエグラの街/風車と城塞の建つ丘

コンスエグラの風車の丘
  ラ・マンチャ地方 La Mancha はスペインの中央部、首都マドリッドの南〜南東域、おおよそ東西300km、南北200km、標高700m前後の高原台地に展開する広大な乾燥平原である。ラ・マンチャ地方コンスエグラ Consuegra は、県庁トレド Toledo から南東へ60kmあまり、人口1万人の小さな町である。

  スペイン中央部 地図/(C)legend ej
                      スペイン中央部 地図/作図=Web管理者legend ej

コンスエグラ市街の南側、東西幅で約500m 南北に1.5km、細長く小高いカルデリコの丘 Cerro Calderico がある。
現在は稼動していないが、カルデリコの丘に建つ修復・保存されたコンスエグラの風車群は合計12基である。市街に近い丘の北端斜面と尾根に5基、その南方の聖ヨハネ騎士団の城塞(後述)を挟んで、さらに南方の稜線にそって7基が建ち(トップ写真)、それらが偶然の理由ではなく、正に自然と人間が創作した芸術的と言える最良の位置間隔で配置されている。

コンスエグラの風車群の外観は、分厚い石組みと白色漆喰壁の円筒型の胴体円錐型の屋根に風車を備えた構造である。また揚水用のヨーロッパ・オランダ型風車と共通だが、ラ・マンチャ地方の風車では、布の帆を張る長方形のブレードを付けた四つの大羽根の回転軸が装置された円錐型の屋根全体が、その日の風向きに合わせて、屋根に取り付けた長い支え棒を使って人力で方向転換できる仕様である。
外観に限れば、木材を多用したオランダ型とは大幅に異なるが、風が動力源であり、ラ・マンチャ地方の風車小屋の内部メカニカルや機能面では、主に揚水用(一部=製粉&産業動力用)のオランダ型と共通点が多いと言われている。

かつて風車小屋では、強い風の力を厚布を張った4枚の大羽根で受け、その水平回転軸の動力を垂直回転へ転換するは、大型の木製円盤に木製ピンを固定、接触する垂直軸の回転部分には木製ピニオンを固定した装置であった(下描画)。
現代の機械工学の「フェースギア装置」の基本型とも言える、水平回転から垂直回転の動力を得て、下方の大型の石臼(うす)を回し、小麦や豆など穀物の製粉作業を行っていた。また、風車小屋の基本構造は螺旋階段で上がった三階で製粉、二階では完成した粉の収納作業が行なわれた。

                スペイン風車&石臼駆動システム Windmill Driving System/(C)legend ej
             ラ・マンチャ地方の「風車回転⇒石臼駆動」のシステム/描画=Web管理者 legend ej

ラ・マンチャ地方の歴史/カルデリコの丘に建つ「コンスエグラの城塞」
  7世紀後半、開祖ムハンマド亡き後、中東地域ではイスラム教の指導権争いが起こり、「ウマイヤ朝」との戦いでムハンマドの叔父の血統である「アッパース朝」が勝利、8世紀後半、バグダッドを新都する。
カルデリコの丘の北端寄り(市街に近い位置)に建つコンスエグラの城塞の創建は明確に分かっていないが、説によれば、バグダッドのアッパース王朝第2代カリフ・マンスールの時代、8世紀後半、かつてラ・マンチャ地方を支配したローマ帝国の砦があったカルデリコの丘に適度な規模の「イスラム砦」が築かれた、とされる。

            コンスエグラの城塞/(C)legend ej
                            コンスエグラの城塞/ラ・マンチャ地方
                            描画=Web管理者legend ej

その後、イベリア半島では侵攻のイスラム勢力に対抗する既存キリスト教勢力との戦い・「レコンキスタ運動」が盛り上がり、中央平原ラ・マンチャ地方は幾度か大きな戦場となり、コンスエグラの城塞の居住者が入れ替わる時代を経て、12世紀の後半、キリスト教・カスティーリア王国の「高貴王」・アルフォンソ[世が半島の中央部を制した。

イスラム勢力の侵攻は激しく、12世紀末期、イスラム勢力はマドリッドとトレドを攻撃する勢いとなり、キリスト教徒の危機感は頂点に達する。しかし、態勢を整えたアルフォンソ[世とレコンキスタ連合軍の総勢5万名は、1212年、イスラム兵力12万名のナヴァス・デ・トローサ要塞を攻め(Las Navas de Tolosa の戦い)、各地からの修道騎士団に大きな犠牲を出しながらもキリスト教徒軍が勝利した。
「ナヴァス・デ・トローサの戦い」の後、イベリア半島のイスラム勢力は衰退と後退の道を辿ることになるが、キリスト教徒のレコンキスタ運動が完遂するのは280年後、1492年、難攻不落の「アルハンブラ宮殿の陥落」まで待たねばならなかった(下写真)。

アルハンブラ宮殿・アラヤネスの庭園/(C)legend ej
                          アルハンブラ宮殿・アラヤネスの中庭とコマレスの塔

レコンキスタ運動の激しい戦いが続いたアルフォンソ[世の時代、コンスエグラの城塞を譲り受けたキリスト教・聖ヨハネ騎士団(エルサレム病院騎士団)が、破壊されていた城塞を堅固な造りの増改築を行った。当時、聖ヨハネ騎士団は強大な力を保持、コンスエグラから南東20kmのプエルト・ラピセ(後述・風車の丘)なども管理下に置いていた。コンスエグラの城塞は騎士団のスペインでの活動の本拠地でもあった。

風車の丘からラ・マンチャ大平原の眺望
  街の自慢と最大の観光名所となっている風車群と城塞が残るカルデリコの丘からは、遮るもののない360度の雄大な展望が開けている。丘の北側麓には西から東方へと流れるアマルギージョ川 Amargullo 河畔に発展してきたコンスエグラの朱色の屋根と白壁の家並みが広がり、あまりにでき過ぎた美しい舞台を形成している。
1891年9月、住民400名が犠牲となったアマルギージョ川の「大洪水」が起こった。歴史的に整備されてきた無数の農業水路と大切な農地、橋や道路などが破壊され、流された家財や家畜を含めコンスエグラの街は壊滅的な被害を被った。しかし、その後完全に復興を果たし、現在、小さな市街には100年以上前にそんな自然災害の惨事があったのが信じられないほど、スペインらしい明るい雰囲気が満ちている。

市街の周辺には小麦や野菜だけでなく、EU・「原産地名称保護制度 PDO」の認証を受けた、スペイン料理の色基本となるサフラン(クローカス)を栽培するラ・マンチャ地方の豊穣なる農業耕地が見渡す限り広がっている。毎年秋・10月最終週末に開催されるコンスエグラの「サフラン祭り Fiesta de la Rosa del Azafran」は、ラ・マンチャ地方の有名な収穫祭イベントである。

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Ref.

コンスエグラの旧市街
アマルギージョ川の南側がツーリストの訪れる旧市街、南河畔、歩道橋の脇がモダンなガラス張りのツーリスト・オフィス Oficina de Turismo de Consuegra、その東側がバスターミナルとなっている。
ツーリスト・オフィスの南方150mがエスパーニョ広場 Plaza Espana、ルネッサンス様式の町役場と石組みと白色石膏造りのアーチ型城門に付属する角塔の時計台がある。広場の南側は新石器時代〜19世紀までのコレクションを展示する町の考古学博物館 Museo Arqueologico も入居する、特徴ある「ロス・コーレドレス様式 Los Corredores」の古い建物がある。この建築様式はスペイン独特、部屋(家屋)が一見「長屋風」の連結的な横並びとなり、二階も含め全ての入口がベランダ風の通路に面している。
エスパーニョ広場から路地を真っすぐ南方へ向かうと徐々に急坂となり、階段を昇れば視界が開け、迷うことなく風車群と城塞の建つカルデリコの丘へ至る。

                                ラ・マンチャ風車街道

私は個人の勝手主義から、「プエルト・ラピセ〜エレンシア〜アルカサール・サンファン〜カンポ・デ・クリプターナ〜モタ・デル・クエルヴォ〜ベルモンテ」の風車の丘を結ぶルート、ラ・マンチャ平原をほぼ南西〜北東へ貫く幹線道路N420号を「ラ・マンチャ風車街道」と呼んでいる(下地図)。
N420号沿線だけで合計34基の風車(小屋)、さらにプエルト・ラピセから並木の旧道(コンスエグラ通り)で20kmのコンスエグラの12基を合わせると、合計7か所・46基の「風車(小屋)めぐり」が可能となる。あくまでも私の独断ツーリズム・コースだが・・・
(参照=後述・「ラ・マンチャ地方の風車街道&風車のある町と村)」

ラ・マンチャ地方・風車群 地図/(C)legend ej
              ラ・マンチャ地方・風車群/風車のある町と村々/作図=Web管理者legend ej

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カンポ・デ・クリプターナの風車の丘

「ドン・キホーテ物語」
  住民13,000人余りの町カンポ・デ・クリプターナ Campo de Criptana は、スペイン中央平原の典型的な風景の中にある。このラ・マンチャの素朴な町は、コンスエグラの風車の丘から地方道CM4133号〜「ラ・マンチャ風車街道」・N420号を走り、東方へ43kmの距離である。

かつて中世17世紀の初め頃、流行っていた騎士道文学に酔いしれ、自分が伝説的な「騎士」となって、痩せ馬ロシナンテに乗り、従者サンチョ・パンサを引き連れ、ここ中央平原を旅するスペイン下級貴族の物語≪ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ Don Quijote de La Mancha≫は世界に知られた文学作品である。
≪ドン・キホーテ≫の時代には、「34基もの風車小屋があった」と古い登記簿に記述されていたとされるが、カンポ・デ・クリプターナ市街の直ぐ北側にある小高い丘には、今は稼動していない、わずかに10基の風車小屋が残るのみである。

ラ・マンチャ地方カンポ・デ・クリプターナの風車/(C)legend ej
                       カンポ・デ・クリプターナ風車群/中央平原ラ・マンチャ地方

コンスエグラの市街にも有るが、カンポ・デ・クリプターナの風車の丘の直ぐ西側には、≪ドン・キホーテ物語≫から名を取ったのか「ドン・キホーテ通り Calle de Don Quijote」、丘の南側には「ロシナンテ通り Calle de Rocinante」という、日本人には「親しみ深い」と言えるだろう、ちょっと愛嬌を込めた路地がある。

真夏のスペインらしい抜けるような真っ青な空、大きく羽根骨を広げる風車小屋の真っ白な壁との強いコントラストが素晴らしい。大気の極乾燥が濃厚な紺藍色の空を引き立たせ、怖いくらい蒼(あお)過ぎる。あくまでも澄明されたこの空色は、湿気の多い東洋の日本では、何処を探しても絶対に見ることはないだろう。
眩しい陽光の降り注ぐ昼下がり、ツーリストのまったく居ないカンポ・デ・クリプターナの風車の丘にスペインの夏の乾燥した気持ちの良い風が通り過ぎて行く。すべてをラ・マンチャの静寂が支配している。ここでは ≪ドン・キホーテ物語≫の時代から、時間は停止したままなのか、と白日夢の不思議な感覚の世界に居るようだ。

              ラ・マンチャ地方カンポ・デ・クリプターナの風車 Wind-Mill, Spain/(C)legend ej
              紺藍の空に映える白壁のカンポ・デ・クリプターナの風車/中央平原ラ・マンチャ地方
              描画=Web管理者legend ej

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ラ・マンチャ地方の風車のある町と村・「ラ・マンチャ風車街道」 La Mancha

ラ・マンチャ地方の「風車」のある町村を挙げるなら: 
上述 地図=「ラ・マンチャ地方の風車のある町と村々」・「ラ・マンチャ風車街道」は、Web管理者が個人的に付けた名称であり、公式な街道名ではない。

アルカサール・デ・サン・ファン Alcazar de San Juan/風車小屋=4基
  アルカサール・デ・サン・ファンはカンポ・デ・クリプターナから「ラ・マンチャ風車街道」のN420号で東方へ8kmの町である。アルカサールはローマ時代の遺跡も残る交通の要衝であり、町の中心部から南東3kmの平原に盛り上がった乾いたサン・アントンの丘に4基の風車小屋が残されている。市街の北西部は特殊な地質、広大な湿地帯と湖沼は、UNESCOラムサール条約に指定された「国立アルカサール・サンファン湖沼公園」、野鳥と水鳥の生息地として知られている。


      アルカサール・デ・サン・ファン近郊 サン・アントンの風車の丘(中央・風車4基)/中央平原ラ・マンチャ地方

モタ・デル・クエルヴォ Mota del Cuervo/風車小屋=7基
  カンポ・デ・クリプターナから「ラ・マンチャ風車街道」のN420号で北東へ25km、古い町モタ・デル・クエルヴォの東側の丘には、きれいに整備された7基の風車小屋が建っている。

ベルモンテ Belmonte/風車小屋=3基
  モタ・デル・クエルヴォの街から「ラ・マンチャ風車街道」のN420号をさらに北東へ16km、大要塞 Castillo de Belmonte を構えるベルモンテの街は人口2,000人、標高760mである。市街の北側の丘には屋根(ドーム)が円錐型、円筒型の胴体が白色石膏の表層ではなく、石組みが露出した素朴な形容の3基の風車小屋がある。

プエルト・ラピセ Puerto Lapice/風車小屋=3基
  コンスエグラの市街から南東へ約20kmの距離、「ラ・マンチャ風車街道」のN420号の小さな村プエルト・ラピセの北西の丘には3基の風車小屋がある。コンセエグラより基数は少ないが、標高差100mの丘の風車はかなり遠方からも確認できる。また、この風車の丘の真東麓、村の中心から北方へ700m、コンスエグラへ通じる並木の旧道脇(コンスエグラ街道)に小さいが頑丈な造りのローマ時代の「石橋」が残されている。
1859年創建のネオ・ロマネスク様式の聖母教会堂の隣りには、作家セルバンテスの定宿であったとされる風情を残すレストラン・「宿屋ヴェンタ・デル・キホーテ Venta del Don Quijote」もある。

本・ゲーム・映画・ファッション・家電・インテリア・PC・カメラ・時計・食品・飲料・スポーツ&アウトドアー・薬品など取扱商品数は1億点以上
              

エレンシア Herencia/風車小屋=7基
  アルカサール・サンファンから「ラ・マンチャ風車街道」のN420号で西南西へ10kmほど、プエルト・ラピセとの丁度中間付近にエレンシアの町が佇んでいる。人口8,500人、市街の東方に低い乾いた丘が南北に1kmの距離で2か所あり、北側の丘に4基、南側の丘に3基、合計7基の風車小屋が建っている。

マドリデホス Madridejos/風車小屋=1基
  コンスエグラの東方6km、人口10,000人、サフラン栽培で有名な町マドリデホスの北西市街、住宅地の中に地元で「ティオゲネロ Tio Genero 風車」と呼ばれる、16世紀起源の風車小屋が1基、現在、修復され博物館として公開されている。

ロス・イェベネス Los Yebenes/風車小屋=2基
  自慢の地元料理とアーモンドやブルーンなどの果実栽培で知られた人口6,100人の町ロス・イェベネス。街から北方トレド方向の露岩とナラの木などオーク樹と潅木が茂る西側尾根にも、私の記憶が正しければ、2基の風車小屋が残されている。

ウルダ Urda/風車小屋=1基
  コンスエグラの風車の丘の北端から「ウルダ通り」と地方道CM4116号を南西へ5kmで「ローマ・ダム遺構」となり、さらに西南西へ6km(コンスエグラ〜11km)、標高760mのウルダの街となる。ツーリストに知られていないが、市街の南外れの標高805m付近のなだらかな斜面の丘に風車小屋が1基建っている。

フエンテ・El・フレスノ Fuente El Fresno/風車小屋=1基
  プエルト・ラピセの西方に広がる標高1,000m〜1,100m級の山地の南側、コンスエグラの南南西28km、人口3,400人のフェエンテ・El・フレスノはオリーブ栽培で知られている。トレドからの地方道N401号が通過する市街の北西側に標高825mの「ルビオの丘」と呼ばれる美しい円錐形の岩山がある。市街からの標高差150mほどの草原と露岩の頂上に修復された風車小屋が1基建っている。

テンブレーケ Tembleque/風車小屋=2基
  コンスエグラの北方30kmの小さな町テンブレーケの東側を走る高速道路A4号脇の低い小さな丘に2基の風車小屋がある。また、テンブレーケから南東へ10kmの丘には、風力発電用の「現代の風車」が20基ほど転々と並んでいる。

エル・ロメラル El Romeral/風車小屋=4基
  テンブレーケの街から幹線道路CM3000号で東方6km、人口670人、標高660m、農業主体のエル・ロメラル村となる。村の直ぐ北側の標高差30mの低い丘に、少し距離を置き4基の風車小屋(1基は屋根・羽根なしの胴体のみ)がある。

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