旅人 legend ej の世界紀行・心に刻む遥かなる「時」

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標高2,600m イエメン山岳民族の村ハジャラ Al Hajjara

首都サナア近郊に点在する山岳民族の住む村々

イエメンの男達/(C)legend ej
           日本製TOYOTAトラックで移動するイエメン山岳民族の男達/ハジャラ村近郊/1998年・夏

イエメン山脈/標高3,000mの峠越え/パノラマ山岳道路

イエメン山脈/幹線道路/深さ1,000mの渓谷景観
  首都サナアでさえ標高2,200mの高地にあり、サナアからは西方の紅海へ向かうへイエメン山脈を貫く幹線道路はさらに高い海抜地帯を走っている。途中、人気の高いモカ・コーヒーや植物性麻薬カートを栽培する棚田式の高原農耕地帯を抜け、空気が希薄となる標高3,005mの荒涼たる峠をトロトロと登り、植物がまったく見当たらない谷底まで1,000mの絶壁の中腹をうねるように造られたヘアピンカーブ道路を慎重に進む。
さらに走ると言葉を失うほどの素晴らしい景観が次から次へと現れる高原地帯となり、「ウォー、すごい!」の感動と感激の連続景観となり、標高差1,600mの渓谷を一気に上がり下りしながら3時間後、標高2,300mの峠の村マグラバ Magraba に到着する。
緊張と手に汗握りながら、これだけの変化に富んだ移動にもかかわらず、その走行距離はサナアの中心部からたった100km、イエメンの山岳地帯が人間の力などまったく及ばないくらい、如何に大自然そのものであるかを物語っている。サナア西方へ延びる標高2,500m〜3,000mのこの山岳ルート、そしてアラビア砂漠の南端を担う荒涼たるイエメン砂漠の外気温60℃の猛烈な暑さを知らずして、一体イエメンの「何」を語れるか?である。

世界遺産/外気温60℃の灼熱地獄イエメン砂漠のシバームとタリム

グラバ峠 Magraba Pass がイエメン山脈の事実上の分水嶺となり、それこそ何百回も繰り返す極端なヘアピンカーブの道路は、一気に紅海のコーヒー積出港の町アル・ウダイダ Al Hudaydah へと続く。
紅海から登ってくる首都へのルートも急勾配でヘアピンカーブの連続、サナアで消費するガソリンを満タンにしたタンクローリー車や野菜やフルーツを山ほど過積みした大型トレーラー車など、人が歩く速度より遥かに低速走行で真っ黒な排気ガスを撒き散らし、ガーガーとあえぎながら登坂して来る。カーブが続き後続車は追い越すこともできず、超低速車の後方には数百mの車の渋滞列ができている。

13人乗車/乗合タクシー
  路線バスの到着に合わせマグラバ峠で乗合タクシーが待っている。多くは中古のトヨタ乗用車の改造車で、乗客5人〜10人が乗り込み、ルーフに重いジャガイモや食品類の「ずた袋」を積み上げ、あるいは日本製ダットサン・トラック(トップ写真)に大量の荷物と10人以上が乗り合って自分達の村へ向かう。
マグラバ峠の幹線道路から別れ、地方道を南方へ6kmほど緩やかに昇って行くと、岩山の斜面に民家が密集するこの辺りの中心的な町マナカ Manaka へ至る。ちなみに個人ツーリストである私の乗った中古クラウン改良車には、トライバーと装飾ナイフ・ジャンビアを差した村の男達、そして子供を含め合計13人が乗車してマナカへ向かった。
身動きできない超窮屈な車内、それほどの傾斜の道路ではなかったが、人と荷物の余りの重さに、さすがの世界に誇るトヨタ車も時速10kmを越える走行はできなかったが、確実に登坂を稼いで行く。

マナカの広場にはスーク(露天市場)が開かれ、町の男達や周辺の小さな山岳村から小型トラックに乗り込んでやって来た買出しの人々が肉や野菜、雑貨や日用品を買い求め、呼び込みと値引き交渉のダミ声が響き、「ワイワイ・ガヤガヤ」で活気に満ち大いに賑わっている。
町外れには清らかで豊富な岩清水が湧き出ていて、屋根付きの水場小屋に女達が集まり、野菜を洗い、明るい声で話して洗濯に忙しい。世界中、何処の国でも共通である女性達の明るい井戸端会議は見ていても飽きが来ない。洗濯の手を休めた数人の女達が、「Hello, Mr. !」と言い手を振った。山岳民族の村人達が誰でも知っている「唯一の英語会話」である。こちらも笑顔で手を振り返す。

Ref.
「乗合タクシー/ダッバーブ」
イエメンでは普通のタクシーのほかに、地元で「ダッバーブ」と呼ばれる乗合タクシーが重要な移動手段となっている。イエメン国内に何処でも運行されている乗合タクシーでは、セダンタイプ車のみならず、特に首都サナアなどの都市部に多いのは、トヨタ・ハイエース車などの座席増設の改装を行い大勢が乗車できるワゴンタイプ車が標準ダッバーブである。
車両タイプの異なりがあろうとも、乗合タクシーでは超定員オーバーでたくさんの人が乗車するのは当たり前で、その分料金は「割り勘」となることから超格安となる。子供から老人まであらゆる年齢、男女を問わず、買い込んだジャガイモやニワトリも含め重い食料品などを携えたイエメンの人々にとって欠く事のできない移動手段である。

乗合タクシーは公共アクセスが無いに等しいイエメンの田舎や都市の郊外に住む人々の生活を支える重要な業界と言える。誠実な国民が住むイエメンでは、この超格安料金のワゴン型ダッバーブの車掌のお兄ちゃんは親切だし、たとえ車両は中古のガタガタ車であっても、私のような低予算の個人ツーリストも利用でき、移動手段を持たない低所得者層の人達にとっても、絶対的に安全な移動手段である。

南アフリカ・ヨハネスブルグの乗合タクシー
経験論から言えば、比較するのが正しいと言えるかどうかだが、豊富な天然資源を背景に発展著しい南アフリカの大都市ヨハネスブルグにも乗合タクシーが無数に走っている。
経済格差と押し寄せる隣国ジンバブエなどからの労働者や難民の増加などから、ヨハネスブルグ市内中心部の治安は100%回復しているとは言えないだろう。そのヨハネスブルグで網の目のごとく市内と郊外へ走行するのが、ハイエース車改造の地元名称の「ブラック・タクシー」である。

湧き出す岩清水/コーヒーと植物性麻薬カートの栽培

岩清水を汲む村人達/コーヒー/麻薬カート栽培
  マナカから標高差の殆どないオフロードの道が延び、道路脇では茶系石灰岩と砂岩系の岩盤隙間など3か所に岩清水があり、清涼な水がしぶきを立てて湧き出していた。水場では村の人達が20Lボトルへ水を汲み運んでいる。ただ水はカルシウム分が多い硬水で、軟水に慣れた日本人のガブ飲みには適していない。シャツを脱ぎ、標高2,500mの岩清水を頭にかけ、顔と身体を洗った。透明でとても冷たい水だ。
別な岩清水の近くには、バシャバシャと噴出す泉水を引き入れた5m幅のコンクリート製の溜めがあり、冷たい水の中で10人ほどの子供達が水浴びでハシャイでいた。どの国でも、子供達の水遊びは夏の風景である。子供達の「プール遊び」で使われたその水は、その後棚田の給水に使われるのであろう。

峠を越えたこの一帯は乾燥の首都やイエメン砂漠など東側とは異なり、紅海からもたらされる湿った風によって霧雨が降り、地下水脈が豊富で、棚田式の耕地は深い香りと強い酸味が特徴の「モカ・マタリ Mokha Mattari」の名で世界に知られたコーヒーの栽培に適している。
この地方で栽培されたコーヒーはかつて遥か下方の紅海の港町モカから世界へ輸出された。17世紀にヨーロッパへ初めてコーヒーが輸入されたのが、イエメン産のコーヒーであったことは知られている。
ただ、最近では手間がかかるコーヒー栽培から、年数回の若葉の採り入れができ、収益性も高い植物性麻薬カートへの作付け転換が進んでいるという話を聞いた。何処の農家でも現金収入は魅力である。点在するコーヒー畑と麻薬カートの畑を抜け、岩だらけオフロードをさらに南方へ4km進むと、住民400人の典型的な山岳民族の村ハジャラとなる。

世界遺産/植物性麻薬カートを販売する首都サナアのスーク(露天市場)

            イエメン共和国 地図/作図=legend ej
                イエメン概略マップ/面積=日本の約1,5倍/作図=Web管理者legend ej

標高2,600m/山岳民族村ハジャラ

山岳建築様式の住宅群
  ハジャラ村 Al Hajjara の家々は、周辺から何時でも採掘できる茶系の岩石を正方形に削り、一つ一つ人手で正確に積み上げて建造するという、正に気の遠くなるほど手間の掛かる独特な「イエメン山岳建築様式」と呼ばれる建築技法で建てられている。
手作業の建築とは言え、極めて精巧で中世ヨーロッパの要塞にも似た形容の見事な石造建物群が完成する。1,000mの崖や木々のない岩山など、周囲の荒々しい風景を無視すれば、まるで建築基準法に基づいて造られた高層のデザイン・マンションである。

            イエメン・ハジャラ村/(C)legend ej
                    山岳民族の村ハジャラの建物群/イエメン建築様式/1998年・夏

ハジャラの住宅の壁面は完璧にして垂直で平坦、決して大型ではないが装飾された多くの窓が規則正しく施工されている。近くで眺めると、建物は見事というより、圧倒される精緻な造りと目を見張るデザインだ。この建築様式が先祖の代から今日まで1,000年以上も連綿と引き継がれてきたと言う。この特徴的な建築景観を見る時、厳しい山岳地帯の経て来た歴史と守り続けている伝統に感動と驚きを覚えてしまう。
通常、1棟に一家族が居住する。家々は1階でヤギやロバなどの動物を飼い、狭く急な階段を登る2階以上が人々の生活の場である居間や寝室、倉庫などに使われている。比較的子供が多く、成長と生活拡張に合わせ、家長は常に最上階に新たな部屋を手造りで増築する使命がある。そうやって、5年、10年の地道な手作業の時間スパンを経て、住宅は上へと増築されて行く。

「芝生の庭付き」とか、夢のような話はここハジャラの村では叶うはずがなく、1,000年前の先祖が狭い敷地に建てたその家系の最初の住宅の上に、伝統に従って更に階を重ねて行くのである。増築とは水平方向ではなく、住宅の階を垂直方向へ延ばすことである。
日本のコンクリート・マンションは幾らかの差異があっても、100年も経過すれば全て建て直しである。ここでは既に1,000年間の経過、今後近未来の数千年の耐用が要求される。しかも住宅は岩を運び上げ、削り、モルタルを捏ね、夫も妻も、子供達も手伝い、家族自身の手で増築して行かねばならない。
日本で「家を建てる」とは、戸建てであろうと、マンションタイプであろうとも、業者が建築した家を「購入」することであり、一方、イエメンでは本来の意味である家族の住む家を自分の資金と山から運んだ石材を使って、自分の手間で「建てる」のである。

城壁のハジャラ村
  ヨーロッパ中世の要塞を連想してしまうような堅固な門を入ると、村の中の道は岩盤を削ったり、上下の起伏もあり、岩を避けたりの狭い通り路地という感じだ。当然、車は走れるはずがなく、ヤギとロバと犬と村人だけが歩き、長い年月の経過で硬い花崗岩系の岩盤の道はピカピカ、ツルツルに磨り減っている。何しろ、1,000年以上使われている岩盤の「歴史の道」だ。

住民400人、城壁に囲まれた村の中を歩いていると、窓から顔を出した村の子供達や家事に忙しい主婦が手を休め気楽に声を掛けてくる。山岳民族独特の明るい表情は、単独行動の孤独感にある個人ツーリストには心癒される嬉しさでもある。瞬間的だが、ささやかな「社会」の優しさを共有する。

イエメン・山岳民族の婦人/(C)legend ej 標高2,600mの山岳地帯の村、気象的にも飲用水など生活面でも厳しさ
 が顕著であるにも関わらず、村の人々の生き生きとした姿が印象的である。
 黒いチャドル(ベール)を付けた数人の村の女達が、遠くの岩山から燃料
 用に探してきたのか、束ねた枯れ枝を頭の上に載せて、唯一知っている英会
 話単語で明るく「Hello・・・」と告げ、ツルツルの岩盤の道を足元を気にしな
 がらゆっくりと自宅へ向かう。
 高原を吹く爽やかな風に洗濯物がヒラヒラとなびき、タマネギと豆にフェンネル
 か何かの薬草を入れた煮物料理であろうか、何処からか食事の準備の好い
 匂いが漂って来た。村人の生きた姿は旅する人の心を揺さぶり、穏やかな感
 動を芽吹かせてくれる。

 ここでは時間が止まるようにゆったりと進み、それに順応した標高2,600mの
 山岳村の人々の静かな生活が営まれ、細絹糸を一針ずつ織って美しい光
 沢の絨毯(じゅうたん)を作るように、伝統に従って、村人の慎ましい人生
 が一齣(こま)ずつ悠遠に織られて行く・・・
 厳しさの中にあまりにも穏やかな時間が過ぎて行く。険しいイエメン山岳地
 帯の村
を独り訪ねた幸運を想う・・・


 標高2,600mの山岳民族村ハジャラの年配の女性
 イエメン/1998年・夏

首都サナア近郊/イエメン山岳民族の住む村々

イエメン山岳地帯と大平原
  首都サナアから比較的近い山岳民族の住む村に関しては、奥地のハッジャラ村の他、サナアから北西60kmの城壁で囲まれ頑強な門を備えたツーラ村 Thila、あるいはツーラの真南へ15kmのシバーム大平原が終わる崖下に佇むシバーム村 Shibam、そのシバーム村と「兄弟関係」にある標高2,800mの断崖絶壁の上にひっそりと残るコーカバーン村 Koukaban なども、イエメン山岳民族の人々が生活する地区として知られている。
経験的に言えば、水源の確保と不自由な生活を強いられる断崖上のコーカバーンは、ほとんど放棄された家々が多く、住む人の減少はツーリストの関心が若干薄れる原因となっている。ただし、標高2,800mのこの村の絶壁から眺めるイエメン中央平原への展望だけは他を圧倒してたいへんと素晴らしい。

特徴的な石造住宅群/標高2,800m ツーラ村
  標高2,800mのツーラ村には、村の周囲から採取できる斑岩系の色違いの岩石を積み上げ、4〜6階程度の精巧なデザインのイエメン山岳建築様式の石造住宅が建ち並ぶ。西部の山岳民族村を代表するハジャラ村と同様に、ツーラ村には活気があることから、ツーリスト的には魅力に富んでいる山岳民族村と言える。
ハジャラ村のように険しい山岳地帯に位置していないが、個人ツーリストにとっては、ツーラ村の周辺へのアクセスもそれほど容易ではないことは事実である。裏手に焦げ茶色の巨大な岩崖が迫り、強固な城壁に囲まれ、一周20分程度で城壁内を回れるツーラ村では小規模なスークも開かれる。特に驚きに値するツーラ村の特徴的な石造住宅群は見逃せないポイントだ。
岩山にへばり付く住宅を形取った粘土細工の置物、民家に残っていた古道具や装飾品などを販売するアンテーク・ショップなどもあり、山岳民族村を訪れるツーリスト向けの対応も始まっている。

Ref.  山岳民族村ツーラの出来事

1998年・夏、個人ツーリストとしてツーラ村を訪れた私は寄って来た二人の少年の案内で城壁内を回った。帰りがけに案内の「ついで」にと推奨されたショップ(間違いなくどちらかの少年の兄が経営する店)で、小型の装飾ナイフを買った(左下写真)。

イエメン・ジャンビア・ナイフ/(C)legend ejイエメン物語(粘土細工・古いナイフ)       アフガン・ナイフ
ツーラで買った粘土細工と装飾ナイフ        アフガン・ナイフ
イエメン/1998年・夏          アフガニスタン・カブール/1973年・春



                 新しい装飾ナイフ・「ジャンビア」を差す精悍な青年
                     イエメン・首都サナア旧市街/1998年・夏



その時、少年達から「100年前のナイフ、鞘(さや)はシルバー、刃は硬い鋼(はがね)!」と説明された。油圧工学・金属・プラスチック加工が専門のエンジニアであった私には、年代は少々古い物かもしれないが、そのナイフはどうみても品質的には「まがい物」としか映らなかった。
ただ、案内をしてくれた少年達への手数料代わりに、だまされついでに少しだけ値引きしてもらいその装飾ナイフと独特なイエメン建築家屋を形容したイエローオーカー色の粘土細工(左上写真・左側)をゲットした。案の定、ナイフは、帰国後1か月も経過しない間に、日本の湿気のためか腐食するはずがない硬い鋼の刃身が錆び始めた。
それでも柄(つか)に犬かヒョウ?のような動物の頭をデザインして、表面に細長い草葉模様を彫った錫(すず)の含有量がほとんどの「シルバー」の鞘に差し込まれた小型のナイフは、お世辞にも切れ味は良くはないが、その後も私のデスクの上でペーパーナイフとして結構活躍のチャンスがある。
この装飾ナイフと粘土細工は、汚れた雑貨屋で飲んだ炭酸ガスが飛んでしまった「イエメン・コーラ」の砂糖水のような不思議な味覚とともに、山岳民族村ツーラで経験した忘れがたい「イエメン物語」であり、将来へも残る私の大切な宝物となった。

また、イエメンでは、男性が青年になると、多くの人が幅のあるベルトに「J型」の鞘に特徴ある装飾ナイフ・「ジャンビア」を差す(右上写真)。この大型ナイフは何かを「切る」ためではなく、堂々たる男の象徴たる持ち物であり、身だしなみの美的な道具でもある。
右上写真は、1998年、首都サナア旧市街で出会った真新しいジャンビア・ナイフを差した青年の姿。この時、ハンサムな顔付きも手伝って、その青年の精悍さに、私は凛とした自信と気品さえも感じた。

「民族ナイフ」に関しての参考だが、かつて若かった私は長期間滞在したヨーロッパの後、単独で北アフリカ・サハラ砂漠を回り、再びヨーロッパへ戻り、さらに2か月間かけてインドへ向けて陸路で厳しい旅をしたことがあった。この途中、1973年の春、アフガニスタンにも滞在して、首都カブールの大規模バザール(市場)の暗い店で「アフガン・ナイフ」と称された大型ナイフを買った(上中写真)。
このナイフも真鍮(黄銅)の柄の装飾こそイスラム的だが、刀身は不純物を含有する粗雑な鋼を使っていることから、幾度研いでも1か月も経過しないうちに錆びてしまう有様だ。そうであっても、1970年代の初め「平和」という文字が確実に存在した、アフガニスタンで買った私の唯一のお土産でもあるが・・・

Ref.
※現地では、「イエメン」より「イエーメン」と長く伸ばす発音をしている。

山岳民族村を訪ねる
特徴あるイエメン建築様式の石造住宅と伝統的な生活に触れられる山岳民族の村々は、イエメンを訪れるツーリストにとって、少しの危険を承知の上で、熱射のイエメン砂漠と並んで無理をしてでも訪れる価値があるスポットと言える。
山岳民族村への交通アクセスでは、日本からの企画されたツアー旅行に参加するのがベターだが、私のように、時間的に余裕をもって渡航するならば、個人ツーリストでもチャーター・タクシーやローカル路線バスを上手に利用することで訪ねることが可能である。

「シバーム Shibam」の名称
首都サナアからそう遠くない山岳民族村のシバームは、名称は同じだが、「イエメン砂漠の摩天楼」として有名な世界遺産オアシス・シバームとは異なる。

外務省・海外安全情報
外務省はイエメン全土に安全情報・「最高危険度4」を発令中、イエメン滞在邦人の同国からの全員撤退と渡航の延期を勧告中。
※現在イエメンへの渡航はできない。

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