旅人 legend ej の世界紀行・心に刻む遥かなる「時」

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1970年代と2000年代 「ロマンティック街道」の優美なる風景

ノイシュヴァンシュタイン城とリンデルホーフ宮殿(離宮)
Neuschwanstein Castle/Linderhof Palace

世界遺産 ヴィーズ巡礼教会と中世の街ローテンブルグ
Pilgrimage Church of Wies/Rothenburg

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1970年代/感動のノイシュヴァンシュタイン城

1970年代/白亜の城
  穏やかに波打つ牧草の平原、緑濃い独特な色合いの森林、雪解けの清流の谷川、真青な水をたたえたアルプス湖、後方には残雪の南ドイツ・アルガウ・アルプスの山々、澄明され限りなく続く青空 ・・・ 完璧に整った大自然の見事な舞台に建つこの夢のような「ロマンティック街道」のハイライトを果たすノイシュヴァンシュタイン城 Neuschwanstein Castle は、19世紀後半、第四代バイエルン王ルートヴィッヒU世 Ludwig II が建造したものである。

            1970年代初め・ノイシュヴァンシュタイン城/(C)legend ej
                   1970年代・ノイシュヴァンシュタイン城/南ドイツ地方/1972年・春

外観の優美さに劣らず、城の内部も豪華絢爛である。金色に輝く調度品、色彩豊かな天井画や壁画など、バイエルン王国の国費が傾くまでに、執念の如く財を投入したルートヴィッヒU世の芸術への異常なほどの傾倒の結果である。私が初めてこの城を訪れた1970年代の初め頃、まだ世界的な「観光ブーム」が盛り上がっていない時期であり、真夏のベストシーズンを除き、城を訪れるツーリストの数も少なく、城への入場の時間制限も待ち時間もなく、事前の予約も不要で随時の静かな見学が行われていた。
現在では「ロマンティック街道」では当然のこと、ノイシュヴァンシュタイン城はドイツで最も有名な観光地となり、ツーリストの激増から、見学にはチケットセンターでの事前予約が必要となっている。

バイエルン王国は神聖ローマ帝国の崩壊の後、1806年〜1918年まで、6代の国王により中部から南ドイツを中心とした領地(首都ミュンヘン)を統治した。またルートヴィッヒU世はノイシュヴァンシュタイン城の他に、山を越えたオーバーバイエルン地方にはロココ様式のリンデルホーフ宮殿(離宮)、さらにミュンヘン東方のキーム湖の島には、フランス・ヴェルサイユ宮殿を模倣した豪華なヘレン・キームゼー宮殿を建てている。いずれも財を惜しみなく使った壮麗優美な宮殿である。

2000年代/美しいノイシュヴァンシュタイン城

2000年代/白亜の城
  深い森のブナや西洋杉など、全ての木々の枝々が柔らかな霧氷に包まれた極寒の南ドイツ・アルプスの山懐。淡い色彩のノイシュヴァンシュタインの城は、静寂な空気が支配する真冬の季節、氷点下10℃の気温、霧氷の中で優美に佇んでいる(下写真)。
ドイツでは、街全体で中世を今に伝える後述のローテンブルグ Rothenburg なども魅力的なスポットである。ただ、周囲の自然をも巻き込み、季節までもがその圧倒的で美しい情景を提供するこのノイシュヴァンシュタイン城こそが、ロマンティック街道の南終点を飾るに相応しいと、私には強調できる。今やこの白亜の城はドイツを旅行する殆どのツーリストが訪れる、誰でも知っている第一級の観光スポットとなっている。

ノイシュヴァンシュタイン城は、1884年、バイエルン国王ルートヴィッヒU世が建造した宮殿である。しかし、≪ターンホイザー≫など「歌劇王」とまで呼ばれたリヒャルト・ワーグナーに限りなく心酔し、究極の芸術を愛した宮殿の所有者たるルートヴィッヒU世が滞在したのは僅かの日々と言われている。
ハンサムで若き孤独なルートヴィッヒU世は、自分の意のままにして、美術と音楽のために王国の財政が破綻に至るまで国庫を使い果たした。宮殿内部はオペラや物語や伝説のテーマを描いた見事な天井画や壁画で満たされ、精巧な造りの大理石を使い、金色とロイヤルブルーで統一された豪華な装飾や家具・調度品類が残されている。

ロマンティック街道・ノイシュヴァンシュタイン城 Neuschwanstein Castle/(C)legend ej
                         2000年代・ノイシュヴァンシュタイン城/南ドイツ地方

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ホーエンシュワンガウ城

マクシミリアンU世の城
  チケット・センターの直ぐ東後方の丘にある黄色のホーエンシュワンガウ城 Hohenschwangau Castle は、1833年にルートヴィッヒU世の父親であるマクシミリアン Maximilian U世が造営したもので、幼年期のルートヴィッヒU世は、この城で美しい母マリーと父王と共に過ごしていた。
城の内部は極端に煌びやかではないが、ノイシュヴァンシュタイン城へ登って行く途中に展望台があり、ここから眺めるホーエンシュワンガウ城とその脇に佇むアルプ湖 Alpsee の眺望は、南ドイツを代表する美しい絵ハガキのシーンの一つになっている。内部では日本語解説のオーディオ案内もある。

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9回訪ねた南ドイツ地方

特に美しい南ドイツの真冬
  私はこの美しいノイシュヴァンシュタイン城のある南ドイツ地方とロマンティック街道を「春・夏・秋・冬」、合計で9回、いずれの季節も訪ねている。かつて1972年に訪れた時、このノイシュヴァンシュタイン城は南ドイツの美しい平原や嶮しい山岳、崖や深い谷など、周辺の大自然をも取り込んだ完璧な舞台とも言える風景の中心に存在していた。
特にノイシュヴァンシュタイン城から北方2km、牧草平原に佇むネギ坊主形式の美しい塔を備えた聖コルマン教会堂 St Coloman から眺める二つの城の遠望は、この時代、ドイツ・ルフトハンザ航空が長い間CMに使っていたほど、あまりに美しい風景であった。

1970年代当時、日本には≪地球の・・・≫のような庶民向けの詳細な海外旅行ガイドブックなどまったくなく、田舎育ちで何も知らない若かった私は、今まで見たこともない絵に描いたような、その圧倒される南ドイツの美しさに感動し身震いさえも覚えたほどであった。
極めて個人的な経験論になってしまうが、この南ドイツ地方が最も美しいシーンを提供してくれるのは、夏よりも、何と言っても極寒の真冬の季節であると思う。
真冬、季節柄めったに起こり得ないが、雲もなく風の止まった前夜、放射冷却で氷点下となった気温が作り出す朝方の白一色の霧氷の世界こそ、この城を含めたホーエンシュヴァンガウ村一帯の本物の美しさではないだろうか。厚手の服装で眺める霧氷の白い世界と優美な城の姿(上写真)は、何とも美しく感動的な光景である。
初めてこのノイシュヴァンシュタイン城を訪ねた1970年代の初めから30年以上の年月が経過、幸運にも再訪できた真冬の氷点下の南ドイツ・ロマンティック街道。朝からの深い霧が地表から谷間へ、谷から南ドイツ・アルガウ・アルプスの森と険しい山岳へとゆっくりと流れ去る時、僅かに積もった粉雪の平原を背景に、かつてずーと昔に見たのと全く変わらない優美な城が忽然と姿を現した。何と美しい風景なのか、と感慨を深める。

リンデルホーフ宮殿(リンダーホーフ離宮)

リンデルホーフ宮殿/(C)legend ej リンデルホーフ宮殿 Linderhof Palace は美術と音楽に国費を
 注ぎ込んだバイエルン国王ルートヴィッヒU世が、フランス・ルイXIV世
 に憧れ、多くの部分でヴェルサイユ宮殿を模して、南ドイツ・アルガウ・
 アルプスの峰々が迫る山間部に建てた離宮である。
 
 直ぐ近くにはミュンヘンの南西のアマー湖 Ammarsee へ下るアマー
 Ammer 川の源流が流れ、リンデルホーフ宮殿は標高1,000mを
 刻むこのアマー渓谷にある。
 南北背後に標高1,600m〜1,900m級の嶮しいの山々が尾根を
 なし深いアマー渓谷に佇む宮殿を挟むように迫っている。宮殿の周
 囲には針葉樹と広葉樹の山麓と深く美しい森が広がっている。


 リンデルホーフ宮殿(離宮)/南ドイツ地方


 ルートヴィッヒU世は、最初からアマー川の源流地であるこの場所に
 宮殿を建造したのではなかったと言われている。
 現在の宮殿のある場所から200mほど離れた所には、1864年に亡
 くなった父王マクシミリアンU世所有の狩猟小屋があり、1869年、
 ルートヴィッヒU世はこの小屋に改造を加え「王の別荘」とした。その
 当時、この王の別荘の近くには農家もあったと言われている。


当初木造であった王の別荘は、その後屋根の改造や強固な石材で表装を施すなど、複数回の増改築が行われ徐々に豪華になってきた。1874年1月、最終的に王の別荘は現在宮殿の立つ場所に移動され、階段や玄関ホールなどが造られた。
その後、数年をかけて寝室や複合的な中央部分などを増築、泉や水利設備、庭園が整備され「王の宮殿」へと変容していったとされる。また随所に装飾噴水や色鮮やかな花壇が配置された美しい庭園は、フランス・イギリス・イタリア様式をミックスした施工である。

宮殿内部の見学
  個人ツーリストの場合、集まったツーリストがランダム・グループに構成され、先ずリンデルホーフ宮殿の玄関ホールで大まかな説明があり順路に従って見学できるのは1階と2階である。ただし宮殿内部の写真撮影はできない。
宮殿の部屋の内装には、惜しげもない程の壮麗で絢爛たるルネッサンス・バロック、ロココの混合様式が採用され、テーブルや椅子などの豪華過ぎる調度品や鏡類、ポートレート、数々の天井絵画などで満たされている。庶民感覚からすれば「異様」とも言えるほど、「贅を尽くす」とはこういうことなのか、と思えるほどの別世界の装飾である。

宮殿内部はどのような建築・造作なのか
  リンデルホーフ宮殿内部は、構造的には部屋や通路などが平面視野で左右対称の配置となっている。主要な部屋は、玄関ホールから見て位置的に左右に一部屋ずつ配置されたタペストリーを飾る総金色装飾の広間がある。さらに左翼部には金色と曲線装飾で満たされた楕円形の謁見間を挟み、規則正しく配置されたポートレート、壁面とソファーなどが各々黄色とライラック系の色彩でまとめられた狭い二つの部屋が南北に別れて配置されている。
そして、右翼部には豪華なシャンデリアと燭台やテーブル、足元から天井まで、金色と曲線装飾が施された同じく楕円形の豪華なダイニングルームを挟み、やはりポートレート、各々ロイヤル・ブルーとピンク系の色彩の狭い二つの間が南北に配置されている。

山麓側の中央部が憧憬のヴェルサイユ宮殿のそれを模したとされるルートヴィッヒU世の広い寝室となっている。一般のツーリストでは、あまりの重量で落ちて来る心配まで必要な巨大なシャンデリア、光輝く天井や鏡、御殿のようなベッドが置かれたこのような寝室では、とても「安眠」できそうにないと思ってしまう世俗離れの超豪華な内装である。
ガイドツアーの最後が、寝室の反対側に配置された鏡の間となる。この部屋で立ち止まるツーリストの中には、あまりの桁違いな装飾に圧倒され、何の驚きも感動も覚えない場合もあるくらいである。天井から壁面、鏡やテーブル、椅子やシャンデリア・・・まで隙間なく、過度の金色装飾の限り・・・
これはもう人が造作した装飾を優に超越した抽象絵画、あるいは夢の中で彷徨っているかの錯覚を覚えても何の不思議もない。ただただ言葉を失い、ツーリストは可視した部屋の装飾に反応する自分の感性が、遥か彼方へ飛んで行ってしまった虚無感に襲われる。衝撃と言うか、体中から力が抜けて、唖然とするのはノーマルの人の当然の感覚であろう。

リンデルホーフ宮殿には、ヴェルサイユ宮殿のような決して大規模な広間は存在しないし、部屋数も極限られている。しかし、リンデルホーフ宮殿の何れの広間や寝室を見ても、濃密で美しくも不思議なほどの色彩と過剰に凝った装飾の豪華さに誰しもが圧倒される。その度合いは山向こうのノイシュヴァンシュタイン城のそれを遥かに越している。
リンデルホーフ宮殿の内部見学を終えたすべてのツーリストは、黙って同様に金色に装飾された噴水の豪華な庭園(上写真)を散策してしばらく心休ませる以外に、管理センターの出口までまともに歩けるだけのエネルギーを回復できない。見学した後、笑顔ではしゃいでいるのは子供達だけで、大人のツーリストは度を越した宮殿の豪華絢爛たる装飾に大きな衝撃を受けぐったりと疲労する。想像を絶するあまりの過度な装飾に・・・

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ルートヴィッヒU世

孤独な王の離宮
  「女性を嫌い、美少年を愛した」とも言われ、端正な顔付きでありながら、孤独で静かだが「狂気の王」とも言われたルートヴィッヒU世は、この宮殿をたった独りで使用しようと考えたと言われている。
山麓の坂道を登って宮殿から約250mほど裏手(上方)に離れるが、度を越した神秘的な装飾と言おうか、ディズニーランドの「おとぎの国」に類似すると表現するか、何とも「怪しい」限りの装飾を施した個人用の洞窟劇場までも造らせ、ルートヴィッヒU世はその中で独り熱狂的に心酔していた歌劇王リヒャルト・ワーグナーの音楽に酔っていたのである。
しかし、政治や国家経済や民衆の生活には目もくれず、ノイシュヴァンシュタイン城を初め、このリンデルホーフ離宮や豪華なヘレン・キームゼー宮殿など、壮麗な宮殿の建設と極端な芸術への傾倒など、ルートヴィッヒU世は国の統治者たる実務と指導力に欠けていた。その結果、バイエルン王国は揺らぎ国庫破綻に陥ってしまう。
そして、ルートヴィッヒU世は国政を案じる家臣達により廃位させられた後、ミュンヘン南西のシュタルンベルグ Starnberg 湖畔の小さなベルグ城 Scholoss Berg で幽閉の身となる。そうして1886年、ルートヴィッヒU世はベルグ城前の湖畔で謎の死をとげる。

ルートヴィッヒU世は、説では精神を病んでいたとも言われ、王国の統治者・指導者としては、どうにも擁護できない実務不適格であったと言える。しかし、美術と音楽をこよなく愛したルートヴィッヒU世は、目を見張るほどの装飾の宮殿でありながら、王とわずかな使用人以外に住むことのなかったこのリンデルホーフの離宮で、傍目には冷たく孤独であったと映るが、自身では「幸福な時」を過ごしたのであろう。
そして、豪華さの極致と言われた宮殿内の新しい寝室の完成を見ることも、使うこともなく、ルートヴィッヒU世は南ドイツ・バイエルンの美しい風景を映し込むシュタルンベルグ湖畔でその人生を終え、別な世界へ旅立って行った。41歳の若さであった。

正面に黄金の噴水と装飾が見事な池を配して、その向こうにある階段と花壇で構成される高い庭園から、あまりに世俗離れした麗美なリンデルホーフの離宮を眺めていると、ルートヴィッヒU世が心酔したワーグナーより、私はむしろシューベルトの連作歌曲集≪冬の旅 Gute Nacht≫を連想してしまう。
恋の破局、恋人と過ごした春にも勝る美しい追憶だけを心に刻み、寒い雪の朝に恋人と過ごした家を黙って出て、当てのない旅に立つ若者。傷心にその家の扉に「Gute Nacht/おやすみ」という恋人宛の書置きを残して旅立つ心境は、もしかしたらルートヴィッヒU世のそれと同じであったかもしれない、と・・・

世界遺産/ヴィーズ巡礼教会

                                lg-unesco
1970年代/巡礼教会
  12世紀創建の由緒ある僧院が立つロマンティック街道沿いのシュテインガーデン村 Steingaden から、針葉樹の森の中を東方へ5km程進んだ緑濃いヴィーズ Wies の丘には、1745年〜54年に建てられたキリスト教の素晴らしい巡礼教会がある。かつて農夫が所有する丘にあったキリスト像が「涙を流す」という奇跡を切掛けとして、先ずこの丘に礼拝堂が建立され、その後徐々に信仰が高まり、キリスト教の巡礼教会となって来たとされる。
「ロマンティック街道」・ヴィーズ巡礼教会の建築を担当したのは、ドイツ・ババリア・ロココ様式の大建築家であるドミニクス・ツィンマーマン Dominiks Zimmermann で、教会の内部は彼の最高で最後の傑作美術と言われている。白壁を背景としたロココ様式の教会内装は言葉で言い尽くせないほど非常に素晴らしく、18世紀に流行した曲線過多、複雑な渦巻き線紋様、花柄・唐草紋様などに淡色・多色と輝く金色とを併用して完成されている。

            南ドイツ・ヴィーズ教会/(C)legend ej
              1970年代・「ロマンティック街道」・ヴィーズ巡礼教会/南ドイツ地方/1972年・春

1970年代、ヴィーズ巡礼教会の周辺には森と波打つ広い草原が広がり、教会の周囲には一般の民家や施設は何処にもなかった。
巡礼教会から少し離れた牧草地には幾らかの牛達が群れ、首から大きな鈴を下げ、動くたびに草原の彼方まで鈴の音が響き渡り、ともかくも静かな風景は感動を与えてくれた。
1972年当時、まだヴィーズ巡礼教会がUNESCO世界遺産に登録(1983年登録)されていなかったことから、周辺の森と緑の丘陵が美しいのどかな田園風景をつくり、一般のツーリストの姿はほとんど見えず、キリスト教徒の純粋な巡礼のための教会堂だけがひっそりと佇み、正に信仰の場に相応しい俗界から離れた静かな環境であった。

2000年代/巡礼教会
  ヴィーズ巡礼教会の内陣には淡い合成大理石の円柱が効果的に配置され、側面からの自然光が金色や白色、赤や青系統の豊かな色彩を使い一つ一つが大変丁寧に造作された装飾や彫刻、更に壁画などを柔らかく照らしている。この内陣は決して大規模ではないが、南ドイツ・ロココ様式を最大限に採用した建築家ドミニクス・ツィンマーマンの見事なまでの表現力、そして豪華さと精緻な設計は見る者を圧倒させる。
ヴィーズ巡礼教会は、上述の白亜のノイシュヴァンシュタイン城や中世の街並みが美しいローテンブルグなど、ツーリストにとり魅力的な町と村々が連続する南ドイツの世界に誇る観光ルート・ロマンティック街道の重要なスポットになっている。

南ドイツ・ヴィーズ教会堂/(C)legend ej この巡礼教会は1972年に5回ほど訪れたが、その後長いインターバル
 期間があり、2004年になり32年ぶりにようやく再訪できた。
 当然のことに、かつて1970年代当時の巡礼教会は、あくまでもキリスト
 教徒の信仰の場所であり、細い道を歩む地元の年配の人と時折訪れ
 る一般のわずかなツーリストだけであった。
 
 時代が進み世界的な旅行ブームが起り、さらに1983年にUNESCO
 世界遺産に登録されたことで純粋なキリスト教の「巡礼の地」から世界
 的に有名な「観光スポット」へと立場と役目が変わり、巡礼教会の内陣
 と周辺の美しさにロマンを求めるツーリストの増加に拍車がかった。
 結果、ヨーロッパのみならず遠い日本を初め、世界中からやってくる宗
 教的な関わりがない人達を含む多くのツーリストを迎えるために、美味
 なスープやソーセージ料理などを提供するレストランやカフェも出現し、
 何台もの大型バスも受け入れる広いパーキングも完成している。
 巡礼教会の内陣はかつてのままの姿であるが、周辺は何処にでもある
 観光スポットとほとんど同じ状況に変容してしまった。



 2000年代・ヴィーズ巡礼教会/南ドイツ地方




個人的な手持ちの参考情報だが、ヴィーズ教会堂と同様に、内陣の美しさを誇る教会堂では、東フランス・「アルザス・ワイン街道」の平原に立つエベルスマンステ修道院・付属聖モーリス教会堂(下写真)を挙げることができる。
この教会堂は世界遺産に登録されていないが、ローマ帝国テーベ軍団・「司令官・聖モーリス」を奉る≪聖ベネディクトウスの戒律≫を規範とする修道院として、7世紀に建立された長い歴史を誇る。その後、9世紀の初め、エベルスマンステ修道院は西ローマ帝国の「帝国修道院」に格上げされた。
17世紀の「三十年戦争」のスウェーデン軍により徹底的に破壊されたが、その後に再建が始まり、1727年、今日の姿となるバーバリアン・バロック様式の壮大な教会堂が完成した。東フランスにおけるバーバリアン・バロック様式に限れば、「王冠」を抱くエベルスマンステ・聖モーリス教会堂が「唯一最高傑作」とされている。

            アルザス地方エベルスマンステ修道院・付属聖モーリス教会堂/(C)legend ej
         エベルスマンステ修道院・付属聖モーリス教会堂/「王冠」を抱く豪華なバロック様式の内陣/アルザス地方
        「アルザス・ワイン街道」(北部)オベルネ周辺/コロンバージュ様式の美しい村々

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≪キリスト受難劇≫のオーバーアマガウ村とエタール修道院

「キリスト受難劇」の村
  リンデルホーフ宮殿の東方10km、標高850mのオーバーアマガウ Oberammergau は、南ドイツ特有の山岳と丘陵に囲まれた美しい盆地状の村である。特に夏の季節には、空気が澄み、窓辺に美しい花々を飾る家々や眩しい陽光に輝くドイツ・アルガウ・アルプスの山岳風景は絵のように美しい。
人口5,500人、オーバーアマガウ村は木彫りの彫刻作品でも知られているが、17世紀以来10年に一度、村人の半数にあたる2,500人以上が演じる≪キリスト受難劇≫でもあまりに有名になっている。キリスト教世界のみならず世界的に知れわたり、今やチケット入手が非常に困難となったこの受難劇は、中世ヨーロッパを襲ったペストで生き残った村の人々が演じ始めたとされ、イエスのエルサレムへの入城から磔刑の処刑と死、復活までがオーバーアマガウの村人達により壮大に演じられる。
演劇は春の終わり5月〜秋9月/10月まで約5か月間(上演5時間前後/週5回=合計100回前後)のロングランとなり、500人の子供達を含む出演の2,500人の村人達は、この一大スペクタクルのために、前年から1年近い期間の準備と練習を経ると言う。直近では「第41回/2010年」が公演され、次回は10年後の「第42回/2020年」である。

また、南方の有名な高原リゾートの町ガルミッシュ・パルテンキルヘン Garmisch-Partenkirchen と並んで、オーバーアマガウはドイツ国内のみならず、山地の少ないオランダやベルギーを初め、北ヨーロッパの人々に人気が高く、年齢を問わず年間を通して愛されている魅力的なリゾートでもある。
変化に富む大自然が特徴の標高800m〜2,800mのアルガウ・アルプス地域は、北イタリア・ドロミテ山塊地方と同様に、特にアクティヴなアウトドアー・スポーツ分野でも「ヨーロッパ・ベスト10」にランクされる。春〜夏〜秋のトレッキングやハイキング、キャンピング、カヌーやボート遊び、冬には最高のアスピリン・スノーを求める大勢のスキーヤーが押し掛け、年間を通して賑わいと活気に溢れている。

ブログ 世界遺産・北イタリア・ドロミテ山塊/大自然の造形美 雄大なる讃歌

エタール修道院
  オーバーアマガウの南東3km、上述のリンデルホーフ宮殿から東方10kmほど、位置的にリンデルホーフ宮殿へ向かう途中に、14世紀にゴシック様式で建立されたベネディクト派エタール修道院 Ettal Kloster がある。18世紀の大火の後、壮大なバロック様式で再建された修道院で、その存在はヨーロッパ中に知れわたっている。
この地方の中心地フュッセンから路線バス、あるいはオーバーアマガウ駅前からの路線バスもエタール修道院を経由するのでぜひとも立ち寄りしたい場所である。エタール修道院前の道路を隔てた反対側には、スパや室内プールを備えた修道院経営の高級ホテル・「☆☆☆☆ Kloster Hotel Ludwig der Beyer」がある。

アメリカ映画≪大脱走 The Great Escape≫のロケ地
  1963年に公開されたアメリカ映画≪大脱走≫、本格的アクション俳優スティーブ・マックイーンを初め大物スター出演、第二次大戦中、ナチス・ドイツ軍の捕虜となった連合軍将兵の捕虜収容所から脱走を描いた上映3時間の大作。スタジオ撮影もあるが、野外シーンの大半は南ドイツ地方、白亜のノイシュヴァンスタイン城を初め、フュッセン駅や旧市街と周辺、さらにかつて私自身も何回も訪れた村、ルートヴィッヒU世の母マリーの愛した美しいプフロンテン村の草原や山麓エリアなどであった。

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中世の街 ローテンブルグ

1970年代/ローテンブルグ旧市街
  ローテンブルグ Rothenburg ob der Tauber の町の発展は9世紀まで遡り、12世紀以降、街を囲む城壁が築かれ大きく発展する。ドイツ国内でこれほどに完全な姿で「中世」を保存している町は他にないであろう。現在でも、街には広告やネオンサインなど、現代的な華やかさは全く許可されていない。
石畳に面する住宅を初め、商店も銀行さえも外観は厳しい規制を受け中世のままだが、春が終わる頃から秋口まで、家々の全て窓という窓は色鮮やかな赤や白色のゼラニウムや赤紫色のペチニアなどのきれいな花々で飾られる。

            「ロマンティック街道」ローテンブルグ/(C)legend ej
                       ローテンブルグ旧市街/南ドイツ地方/1972年・春

夕方になると、店先を飾るカンテラが唯一の照明となり、ツーリストの殆どいない石畳の通りを鈍く照らし出す。「ロマンティック街道の宝石」と呼ばれるように、まさに本の中で見ることのできる古き良きヨーロッパの夢物語の世界のようだ。訪れた季節が早春であること、そしてまだ世界的な観光ブームになっていない1972年当時、まるで童話の世界と言えるこのローテンブルグの町にはツーリストは少なく本当に静かであった。

1980年代〜2000年代/賑やかなローテンブルグ
  ツーリストの殆どいなかった1972年に訪れた時とは異なり、1980年代の後半、今や世界的に開花した旅行ブームにも乗り、真夏のローテンブルグは、南方のノイシュヴァンシュタイン城と並びロマンティック街道の中心的な存在となり、中世から変わらない狭い石畳の通りは世界からの若者と家族連れのツーリストで一杯である。また、年末12月になると日本からもツアーグループが訪ねるほど、ローテンブルグは世界的に有名な「クリスマス・マーケットの街」としても知れれている。

ローマ時代から繁栄するアウグスブルグ

アウグスブルグの歴史
  ドイツ中部ヴュルツブルグ Wurzburg から始まるロマンティック街道を国道25号や2号線などを使って南下すると、上述の中世の街ローテンブルグ、さらに南下を続けるとミュンヘンの西方に位置する中都市アウグスブルグへと至る。ロマンティック街道の要衝でもあるアウグスブルグは、2,000年前の古代ローマ帝国のアウグストウス大帝の時代にまで遡る非常に長い歴史を誇り、市の名称は大帝の名前に由来している。

「モーツァルトの家」
  オーストリアの美しい街ザルツブルグで生まれた音楽家モーツァルトは、累積で10年間ほど行ったヨーロッパ各地への演奏旅行の途中、父レオポルドの生家があったアウグスブルグに通算5回滞在している。
かつて1972年の春、アウグスブルグを訪ねた際、博物館となっていた「モーツァルトの家」と呼ばれる部屋に立ち寄った。ここはモーツァルトが父とともに一時的にアウグスブルグに滞在していた場所である。決して広くない博物館内部には、モーツァルトが愛用した本物のピアノ(下写真)が置かれていた。

            アウグスブルグ・「モーツァルトの家」/(C)legend ej
                     アウグスブルグ・「モーツァルトの家」/南ドイツ地方/1972年・春

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1972年早春・「モーツァルトの家」での出来事/「ピアノ・ソナタ」の調べ
  1970年代の初め頃、まだ世界的な観光ブームが巻き起こる以前、「モーツァルトの家」の見学者は私だけ。管理人は展示されていたモーツァルトのピアノ(上写真)に向かい、「ソナタを弾くけれども・・・」と言いモーツァルトのピアノ・ソナタを2曲演奏してくれた。
時は1972年の早春であった。ロマンティック街道に春の芽吹きの季節が到来して、外からのうららかな陽光を受け、柔らかな白いレースのカーテンが眩しい窓辺に佇む私は、独り繊細で美しいソナタの調べに酔いしれるのであった。
「観客」が私だけ、間近で聞くピアノ・ソロ演奏に、「これほどに軽快で美しいリズムが・・・」と、まだクラシック音楽の触り(さわり)も知らなかった20代の若い田舎育ちの私はたいへん感動したのであった。
響きの持続が短く、あくまでも柔らかく、優雅に流れるようなフォルテ・ピアノが奏でるそのモーツァルトのソナタを聞いた後、翌年の1973年まで続く放浪とも言えるヨーロッパやアフリカ、そして中東からアジアまでの長い旅路を経る内に、私の内部にはクラシック音楽への深い魅力と関心が、徐々に地熱のように暖まり始めてきた。その意味で、アウグスブルグの「モーツァルトの家」で聴いた管理人の弾く2曲のピアノ・ソナタは、大げさに言えば、私の「人生の調べ」と言えるのかも知れない。

人の人生は何時何処で、どんな形で感動と感激が生まれるか分からない。偶然が常に待ち伏せしているのである。アウグスブルグの「モーツァルトの家」のわずか30分の滞在中、偶然に聴いた2曲のクラシック音楽が、何十年の経過があったにかかわらず、白いレースのカーテンの眩しさと共に、今でも鮮明な調べとなって私の胸に軽やかに響いている。
ずーと後になって理解できるのだが、2曲のうち1曲は特徴的な旋律からして、間違いなくモーツァルトの≪ピアノ・ソナタ第5番(K-283)ト長調アンダンテ≫であった。それは生涯にわたって忘れることのできない私の心に刻む美しい曲となっている。

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