2001/9/21 作成

蕨岱駅

函館本線 “蕨岱駅” 色付けされた貨車駅だが、ここを利用する人は果たしてどれだけ居るのだろう

  観察日記   1999年12月12日 停車中に観察。

  ここは当初、“秘境駅”してノーマークであったが、函館本線(山線)の乗車も長万部に近くなり、終わりを告げようとしていたところ、突然、国道以外に何も無い場所に
 駅があることに気付いた。恐らく日本全国の駅名を50音順に並べたら最後に来るのではないかと思われる(最初は山陽本線「相生駅」だろう)。

 駅は国道5号線沿いにあり、周辺に人家が一軒あるようだ。情報によると元食堂らしいが、現在は営業していないらしい。そして、駅ノートもしっかり完備さているらしく、
 夏場などはツーリングのライダーなどが休憩のついでに書きこみをして行くのだろう。今回は、プランの関係上で列車内からの観察となったが、機会があったらゆっくりと
 訪問してみようと思う。


         

以前は列車交換が出来たが、現在では一面一線の“貨車駅”である      国道5号線沿いだが、そこにある人家は僅か一軒だけであった

        

貨車(元車掌車)の待合室内部は、駅寝に適した椅子が3脚あって意外に快適   有効長の長いホームは、長編成の客車時代を彷彿とさせる名残りだ

  訪問日記   2001年8月10 駅寝訪問 

  ここは、上記で紹介したように、以前乗車した列車から観察したところ秘境駅の疑い?があったため、機会があったら訪問しようと企んでいた。こうして今回の旅で
 駅寝というかたちで訪問が叶った。周囲を歩き回ったところ、人家は一軒だけで主要国道として数多くの車が行き交っている国道5号線に面しているものの、街として
 形成されることも無く、生活感に乏しい地域であった。そんな所であっても、以前にはそれなりに多くの人家があったと思わせるものに、左上の写真に微かに写っている
 赤い鳥居が存在する。ここは蕨岱神社として、当時この地域の人々の信仰を集めていたと思われる。

 今回、日本一周秘境駅訪問旅で北海道の上陸は、北の玄関口といわれる函館駅から始まった。まず“函館本線”の普通列車に乗車し、途中“仁山駅”と“渡島沼尻駅”
 の2駅を訪問して八雲駅へと歩みを進めた。ここから、後続の特急「北斗19号」へ乗り継ぎ、長万部駅へと先回りすることにして、函館本線(通称:山線)の最終列車へ
 間に合わせる措置を取った。快適な移動時間も僅かな時間で終わってしまい、あっけなく長万部へと到着。ところが列車を降りると何だか外が騒々しい。こうして駅前に
 出て唖然としてしまった。何と駅前広場で夏祭りをやっているではないか!東京育ちの私にとって、その光景はかなり異様なものに映ったが、地域の中心的存在として、
 今でも駅の果たしている存在の大きさに、鉄道の未来も含めて安堵感を覚えた。

 その後、長万部駅から僅か2駅目となるこの“蕨岱駅”へ向かい最終乗車に乗車した。あれだけ賑やかだった、駅前もあっけなく遠ざかってしまい、漆黒の闇の中、急勾
 配を喘ぎながら進み、この寂しい駅へ降り立った。今夜の宿となるこの元車掌車を利用した待合室の内部には、電灯に集まるおびただしい数に上るコガネムシが張り付
 いていた。直ぐに室内の電灯を外して、外の灯りへと誘導すること約10分、彼らは素直に出て行った。かなり不快な環境と思われた駅であったが、以外にも駅寝に向い
 ていることが判明。水道こそ無いが、室内には駅寝をするのに丁度良い大きさの長椅子が3脚もあり、ちょっとしたテーブルにも荷物置き場にも活用できる。

 そのうち一人のツーリングライダーがやって来た。彼はなんとホンダのスーパーカブで道内を周っているという筋金入りのライダーであった。一貫して自炊を基本とした
 スタイルに、林道野宿ライダーを続けていた私はその姿に感激し、彼と打ち解けるのにほとんど時間は掛からなかった。駅前の広場で揃って飯を作り、酒を酌み交わし、
 あの懐かしい“山会”で感じる独特な雰囲気を久しぶりに味わった。会話は深夜にまで及び、夜もすっかり更けた頃にようやく寝付いた。明け方は早々と5:30に起床。
 背伸びをしつつ、朝霧が包むこの駅の周囲を散策する。「う〜ん 空気が美味い!」 と深呼吸をするのと同時に、相当の冷え込みを感じた。あの灼熱の九州から僅か
 3日。小国な日本でもここまで気候が変わるとは数字で解ってはいても、実際に肌で感じ取るその違いに改めて驚かされた。そして、撮影と片付けを済まし、私は札幌
 行きの一番列車に乗車した。昨夜から一緒に過ごした彼の見送りを受けながら列車は淡々と進んで行くのであった。