2013/11/25 作成

歌内駅



宗谷本線 歌内駅  気持ちの良い秋空にシンプルな駅が映える

      

ロータリーになっている駅前広場にかつての栄華を偲ぶ         土盛りのホームはもと仮乗降場ではなく正式な駅の証だ


    

駅名標の上貼りの下に、2001年6月に廃止された下中川が眠っている      夕映えの貨車駅に旅情が高まる     街の行く末はどうなってしまうのか?

     訪問日記    2012年10月6日 訪問

   北海道の秋は早い。北辺の地をゆく宗谷本線では10月初旬にもなれば木々も色付きはじめ、緑の終わりを告げようとしていた。センチメタリックな旅に相応しいシチュエーションである。
 けれども秘境駅の探索という目的意識が強い私にとって、降りようとする駅の前面展望へ集中しなくてはならず、つまらぬ感傷に浸っている余裕など微塵もない。数少ない列車を効率良く
 使いながら乗降していくため、秘境駅に値する一定のレベルに達していないと判断すれば見送ることもあるからだ。この歌内駅は、8年ほど前に車内から観察した限りでは街が形成されて
 おり、ネットで確認した情報でも降りたいという動機には至らなかった。しかし、急激に過疎化が進む道北地方にとって、ここも例外ではなかった。そんな歌内駅は1面1線の単式ホームに
 貨車(車掌車)をリサイクルした待合室を持つ。同線に見られるオーソドックスな無人駅のひとつだ。こんな駅が山ほどあるので、気になる駅を片っ端から降りていたら、それこそ「宗谷本
 線の全駅乗降」になってしまう。私のHPの秘境駅ランキングに掲げる全200駅のなかでも、20駅を越えて大きく偏っている。ただでさえ人口密度が希薄な北海道の駅がランキングを席巻し
 ているが、この沿線が特に異常な状況であることは読者の方々にもお解りいただけるであろう。

 話を戻そう。駅前の広場は砂利敷きのロータリーになっており、真っ直ぐに舗装された駅前通りに接続している。右下の画像でも判るように、右側の人家は取り壊されてすでに無い。他に
 も廃尾が目立ち、生活が垣間見える人家は3軒に留まる。うち1軒は商店も閉店して久しいようだが、自動販売機だけが稼働していた。ふだん滅多に飲まないコーラを、微力ながら応援し
 たい気持ちになって購入。気持ちの良い秋空を見上げながら飲み干すが、何だか立ち去った人々の喧騒と重なるように、儚い炭酸が喉元を過ぎていった。

 駅は1923(大正12)年11月10日、宇戸内(うとない)駅として開業。1951(昭和26)年7月20日、現在の歌内駅に改称されている。かつては2面2線の相対式ホームがあり、互いに構内踏切
 で接続されていた。さらに稚内方の広場には貨物用の側線まであったという。その後、1977(昭和52)年5月に貨物、1984(昭和59)年2月に荷物取扱がそれぞれ廃止。同年11月にCTCの
 導入により無人化された。以前は木造の立派な駅舎が建っていたが、今はコンクリートの基礎部分に面影が残るだけだ。さらに天塩中川との間に下中川という駅があったが、2001(平成
 13)年7月1日に廃止されている。駅名標の上貼りに名残を見るが、現地は跡形もなく撤去されている。廃止される2001年の3月、夜行急行「利尻」を隣の天塩中川で降り、風邪を惹いてフ
 ラフラになりながらも、雪のなかの4kmを歩いて訪問したことを思い出した。廃止されて虚しくもあるが、たとえ跡形も無く失われても、実際に現地へ訪れた者の記憶は心の財産として残る。
 ネットを見て旅をした気分になるこも悪くはない。それでも、引き返すことの出来ない一度きりの人生のなかで、実際に行くという行為は決定的なものである。まあ、人それぞれ状況も考え
 方もあろう。しかしながら、今日は何と恵まれた天気と体調なのだろうか!こうして元気に旅が出来る幸せをひとつ一つ噛みしめながら、穏やかな秋の散策を楽しむのであった。