01/01/09 作成 07/08/20 加筆修正
徳満駅

宗谷本線 “徳満駅” 古くて味わい深かった駅舎は撤去され、代わりに小さなユニット式待合室になってしまった

旧駅舎に掛かっていた駅名表札だけが名残りを残す 風が強いせいか、駅名表が傾いている 新世紀のエース261系特急「スーパー宗谷」が駆け抜ける
訪問日記 2000年12月31日 訪問
この“徳満駅”は、その駅名を涙もろい巨人ひいきのTV番組の司会者じゃないかと反応しがちであるが、彼は“みつ”が“光”で字が違う。 まーどうでもよいことだが…
さて、この駅は一部の駅舎マニアの間で、大正15年の開業以来に建った古くて味わい深い駅舎が残る駅として、割と有名な存在であった。 しかし、建物の老朽化は激しく、
少しずつ傾いて来ているのが遠目にも判る程であり、何時壊されてもおかしくないと噂されていた。 以前は列車の交換が可能であった配線も、列車本数削減や駅の
無人化により棒線化されてしまったが、あの駅舎だけは何故か残っていたのであった。 しかし時代の流れで、安全性が厳しく問われる現代において、その駅舎は終に
2000年の7月某日を持って取り壊されてしまった。 出来れば、私の駅訪問まで残っておいて欲しかったのであるが、儚い夢となってしまった。 重ね重ね非常に残念な
ことである。
その代わりに、小さなユニット型の待合室が建てられ、正面にはかつての駅舎に掛かっていた駅名表札だけが、申し訳なさそうに掛かっている。 そしてこの新待合室の
内部にはかつての駅舎の写真が飾られ、4脚分の個人椅子がある。 駅の周囲には人家が数軒あって、国道にも近くて取り立て秘境といった風情には乏しいのであるが、
林の中を果てしなく伸びる線路を眺めていると、道北特有の最果て感を充分に感じることができる。
今回、私は隣の“芦川駅”から一駅だけの乗車でやってきた。 そこへ降り立ったのは私のほかにもう一人、宗谷本線や石北本線の鉄道写真を専門に撮っている、“F5氏”も
一緒であった。 氏はその後、大きな荷物と重い三脚を手に撮影地となる、少し離れた踏み切りへと歩いて行った。 余談であるが、彼とはその後に稚内から折り返してきた
列車内と当日夜の名寄駅、更に翌日の名寄駅、1/4の青森駅でそれぞれ再会することになり、こうして旅を続ける行程の中で幾度となく再開することになり、何だか不思議な
巡り合わせとなった。 私の方は、駅周辺の探索と撮影を終えると待合室内で軽い朝食を採り、しばらくしてやってきた稚内行きの列車に乗車してこの変わり果てた駅を後に
したのである。