2001/03/14 作成

尺別駅

根室本線 “尺別駅”  目前には太平洋   かつて賑わったこの地も人々は去り、波音だけが鳴り響く…

       

かつては炭坑で栄えて専用鉄道も走っていた広い駅構内も、今は閑散としてしまい大きめの駅舎だけが栄華を偲ぶ

   観察日記   2000年1月3日  停車中に観察

  今回、北海道秘境駅訪問旅の第2回として、道東地方にあるレベルの高い秘境駅として目を付けていた“古瀬駅”を訪問しようと根室本線の普通列車に乗車していた。昨夜泊
 まった“音別駅”から早朝の一番列車に乗り込むが、良く効いた暖房と列車の揺れ、昨夜の睡眠不足という相乗効果によって眠入ってしまった。ウトウトしていると、ここに停車した
 ショックで目が開いた。眠たい目をこすりながら車窓から一瞥したところ、駅の規模こそ大きいものの、何ともいえない寂寥感に一気に目が覚めてしまう。雰囲気に誘われるまま
 降りてしまいたくなったが、残念ながらプランの関係上叶わなかった。

 ここはその昔、尺別炭坑が活況を呈していた時には、専用鉄道もあって賑わいをみせたそうだが、今ではすっかり荒れ果てた原野に還ってしまった。往時の面影は大きめの駅舎と
 無意味に広い構内を残すだけになっている。周囲には10軒程度の民家があるが、どれも廃屋ばかりでまともに住んでいるのは数軒ほどである。こうして駅に停車していると一人の
 叔母さんが乗ってきて、偶然にも私の向かい側の席に座った。私はこの駅の興味が沸き、おばさんにお話を伺ってみた。その人はこの地に生まれて既に50年以上という方で、
 「この辺の景色は昔と全然変わらん」 「炭坑が有った頃はかなり賑わったが、今では5軒だけ」 ・・・と、しみじみと語った。極度に過疎化が進行している姿を目の当たりにしながら
 話を聞いているとさすがに言葉が詰まってしまう。霧が多く日照時間も限られ、泥炭である不毛な土地は農業に向かず、炭鉱も閉山してしまった今、地域の産業の糧を見出すことは
 不可能と思われたからだ。そんな重苦しい空気に少々の後悔はあったものの、何にも得られないよりは確実に収穫があったと自らを納得させ、その先の歩みを進めることにした。
 やはり次にここを訪れたときには絶対に降りて自ら確かめてみたいと思いながら、列車は荒野の中を淡々と進んだ。


       

   訪問日記   2001年3月9日  訪問

  今回で北海道秘境駅訪問旅も第4回を数え、このエリアにおける秘境駅訪問はほぼ完結することになった。さらに、前回に車中からの観察のみで、乗降出来なかった駅を
 一つずつ潰そうと計画した。私は上記の“観察日記”から、約1年2ヶ月あまりのブランクを経て、この“尺別駅”へ降りてみた。当日、寝台特急「北斗星ニセコスキー号」を小樽で
 下車。その後、難攻不落の“張碓駅”を苦心の末に到達した。脱出に“張碓小学校”のバス停よりJRバス札樽線に乗車、手稲より快速「エアポート」で札幌に着く。そこから
 道東入りするために、特急「スーパーおおぞら5号」へ乗車することとなった。池田という比較的長距離を乗車するため、手稲駅で指定券を求めようとしたが、生憎満席とのこと
 であった。仕方ないので自由席での移動となったが、快速「エアポート」が札幌に到着した時には既に入線済みで、自由席は通路側さえも全て満席でデッキも人で溢れ返って
 いる有様だった。車端の席後ろにザック類を置いて立ち席で発車するが、南千歳で航空機からの客が増え、さらに混雑は激しくなった。こうして2時間あまりも我慢して立ち続け、
 帯広から何とか座れたものの、池田までの僅かな時間だけの着席であった。

 こうして根室本線の普通列車に乗車し、キハ40のエンジン音を子守唄にとうたた寝しながら進み、“尺別駅”へ降り立った。下車したのは私一人で、乗車してきた人もいない。
 駅舎の待合室内部は広めであったが、造りつけの長椅子は撤去され、代わりに例の4連プラベンチが設置されていた。静かではあるが、駅寝には辛い環境であろう。また、
 駅ノートの類が無いためか、壁に落書きが目立つのが残念であった。周囲を観察するため、日が陰ってすっかり気温も下がってしまった外へと散策に出かけた。駅前は廃屋が
 寂しく朽ち果てており、不気味な佇まいを見せている。ぼんやりと昇った月が一層寂しさを演出させた。離れたところに太平洋を望むが、列車時間の関係で海岸探検までは
 出来なかったものの、この雰囲気だけでも満足できた。やがて、乗車するべき列車がやって来て乗り込んだ。次の訪問駅である“上厚内駅”へと向け、列車は真っ暗な闇を走り
 出した。