02/01/13 作成 07/08/09 加筆修正
守内かさ神駅
錦川鉄道 “守内かさ神駅” 駅前には、セメント工場とその経営者らしき人家しか見当たらず、何のために駅を作ったのだろうか・・・
この不思議な名称の由来は、私の浅はかな調査では伺い知れない なにか神秘的な由来でもあるのであろうか? 駅前はひっそりと静まり返っている
訪問日記 2001年12月16日 訪問
まず、この駅の存在は実にマイナーと言えよう。 もっともこの駅のある“錦川鉄道”も、旧国鉄岩日線が第2次特定地方交通線という廃止対象路線であった訳だが、
地元の関係自治体のほか地元企業などの出資によって第3セクター化され、辛うじて廃止の憂き目に遭わずに済んだという、幸運な路線である。 国鉄時代には終点の
“錦町駅”から先へ遥か彼方の山向こうにある、山口線の日原駅までの延伸計画があった。 その一部区間は建設されたが、結局、線路は繋がることなく、そのまま
放置されてしまった。 そして、今もその遺構が見果てぬ夢を湛えた未成線として虚しく残っている。
そんな路線にあって、この“守内かさ神駅”は平成5年3月18日という比較的最近に開業した駅であり、その名称からすると観光的要素の強い駅を連想させるのだが、
その一途な想いをあざ笑うかのように、その駅前は殺伐としている。 そこには、うず高く詰まれた砂利の山と、その隣にある無粋なコンクリート工場が見えるだけである。
ではこの駅名の由来は?という疑問が浮かぶが、私もあれこれとWeb上で簡単に調査して見たのだが、全くと言って良いほど情報が無く、結局のところ何も判っていない
のが少々情けない。 やはり名付け親と思われる錦川鉄道に直接問い合わせるべきなのであろうか?
さて、今回この駅へは自宅のある広島県の西条より車でドライブがてらやって来た。 まず地元の西条I.Cからは一路西へ向けて山陽道をひた走ること約1時間で岩国I.C
を降り、そのまま国道2号線、187号線へと進んで対岸を走るこの鉄道路線に沿って上流へと向かった。 その途中で“南桑”、“根笠”、“柳瀬”と調査を進めて行くのだが、
あまり秘境駅として取り上げられる程の駅は無かった。 そして終点の錦町に呆気なく到着してしまい、もう引き返すしか手段が無くなってしまった。
実は当初、道路地図ばかりに気を取られていたので、何となく道沿いに進んでしまった結果からこのようになってしまったのであるが、このまま引き下がってしまっては、
“秘境駅訪問家”としての名が廃る(笑)。 そこで何気なく開いた大型時刻表のさくいん地図・・・ そこに見知らぬ駅を発見した! なんと手持ちの道路地図には全く載って
いなかったので、危うく見逃すところであった。
沸き起こる好奇心に駆られて、錦川を渡る沈下橋(大水の時は水没するため通行できない)を渡り、夕暮れ時にようやくこの駅へ辿り付いた。 もっともこの時点では秘境駅
としての期待はまるで無かったのだが、来て見てビックリ。 なんと7〜8軒ある人家から少しばかり離れており、駅前にはいきなり不粋な(失礼)コンクリート工場が有るだけ
である。 背後には鬱蒼とした林が視界を遮り、ただでさえ薄暗い雰囲気を余計に演出しているかのようだ。 そして待合室といえるものは無く、雨よけの庇の下に申し訳
なさそうなベンチが据え付けてあるだけだ。 恐らく、このような駅を目的にやって来る人は私以外には存在しないだろうと、一人悦に入っていた。 そして、しばらく周囲を
撮影していたが、結局誰も現れず、実に静かな夕暮れの一時を過ごしていた。 さあ、そろそろ家に帰ろうか? 夕闇迫る国道をひた走りながら、「まだまだ見知らぬ
秘境駅が、こうして私の訪問を待っているのだな〜」と、つくづく思った。 これだから秘境駅訪問は止められない。 思わぬ発見の喜び。 自ら開拓したところに見出す
孤高の価値観。 誰からも理解されなくて良い。 我が道を突っ走っている私を止める者は、きっと誰も居ないであろう・・・