00/3/28  作成  07/07/16 加筆修正

長谷駅

 

 三江線“長谷駅” 普通列車でも半分以上が通過してしまうこの駅は、果たして利用価値があるのだろうか?

       

ボロイ待合室が寂しい雰囲気を更に盛り上げる   特に扉の建て付けは渋く、開けるのにちょっとしたコツが要る    そして、乗ってきた列車が去って行くと、静寂が訪れる

  訪問日記  2000年3月17日 訪問

  今回の私の旅は、“中国・四国秘境駅訪問旅”として、昨夜の“品川発臨時大垣夜行”に乗車、そして東海道・山陽本線の新快速、快速サンライナーなどを乗り継いで福山まで
 やって来た。 そこから“福塩線”を使って中国山地の三次へと向かうという、些かマニアックな方法でのアプローチを試みた。 その福塩線も、府中(東京のソレじゃないよ…) 
 から先は非電化区間であり、JR西日本版レールバスのキハ120に乗り換えた。 昔からある形式とは異なり、随分と軽快な足取りで勾配を上って行く。 しかしこの車両はトイレが
 無いとか、ロングシートだから旅情が無いとか大抵の旅行者からは評判が悪い。 しかし、私個人的には前面展望が開けるこの手の車両は、秘境駅探索において大いなる武器と
 なるのである。それは、マークしていた駅が近づくに連れて周囲の雰囲気が掴めるので、特に気になっていた駅の場合など、降りて確かめる必要があるかどうかの判断が付け易く、
 とても都合が良いからだ。 その車両もワンマンカーとして設計されているため、運転室全体を閉められたり、カーテンなどで隠されたりすることも無く、ロングシート右側前端の席は
 空があれば大抵は私の指定席?となっている。
 
 前置きが長くなったが、福塩線の列車は塩町から芸備線となって中国山地の盆地に開けた俗に言う霧の町、三次へと到着した。 そこから、今回の目的となる“長谷駅”までは3駅
 であり、距離にしておよそ8kmある。 そこから16:26発の三江線に乗り換える訳だが、往きの列車は停車するが、その先の“式敷駅”で交換してくる帰りの列車は無情にも通過して
 しまう。 プラン作成の段階から頭を悩ませ、いっそタクシーでも使おうかと思い、三次駅前に停まっていたタクシーの運転手に聞いた所、「そんな駅あったっけかぁ」… って感じで
 全く話にならない。 「粟屋駅の先ですが幾らくらいですか?」と問うと、「2000円ぐらいかなぁ」 と言う。 これは18きっぷの一日分に相当するので、散々迷った挙句、順当の通り
 列車で向かうことにした。

 そして、僅か10分程度でこの“長谷駅”へと到着。 同乗していた小学生くらいの子供が一人降り、その子は迎えに来た親の車であっけなく立ち去って行った。 駅周囲に人家は
 見えないが、近くに江の川に流れ込む支流があり、その近辺に3〜4軒程度あるだけだ。 そして、主要道である国道は対岸を走っており、駅の前にある道路には滅多に車が通行
 しないようだ。 私は意を決して三次方へ一駅戻った“粟屋駅”への2.5Kmを歩く (もとい走る!)ことにした。 距離的には大したことは無いのだが、普通に歩いていては時間が
 足りない。 駅を降りて速攻で撮影を終わらせたが、時は既に17:00を過ぎてしまっている。 三次へ戻る列車は、この駅を通過して行き、次の“粟屋駅”を発車する時間はなんと
 “17:26”! これを逃すと約2時間待ちとなり、後のプランに甚大な影響が発生してしまうのだ。

 焦る!→走る!→ザックが重い!→疲れる(;;)→歩く… そして、歩くのと変わらないようなスピードでしか走れなくなる… 正直辛い。 汗が噴出し、喉は乾く。
 この大河がゆったり流れる至って長閑な所で焦り忙しい思いをしているのはこの私だけ (泣) 不本意だぁぁ   三次からタクシーで来れば良かったと後悔しながら、息を切らせ
 ながら歩く。 そしてあと1.5Km程の地点まで来た時に、後方から一台の普通トラックが! ををっ! すかさずヒッチハイクを試みて、手を挙げると停まってくれた。 訳を話すと、
 その気の良い叔父サンは快く乗せてくれたのである。 (やったぁ〜) “粟屋駅”までの短い時間、その“長谷駅”のことを聞くと、地元でも殆ど利用する人は居ないとのことだった。
 そして、“粟屋駅”へ到着して叔父サンに礼を言って別れた。 もの凄い確率でのヒッチハイクに成功したものだ。 恐らくこの叔父サンが通りかからなかったら間違いなく乗り遅れた
 ことであろう…  もう大感謝である (m__m)  そして、列車は17:26定時キッカリにやって来てすかさず乗車した。  しかし、こんな忙しいプランはもう懲り懲゛りである。

 この忙しい思いをしてまで訪れたこの駅に、“縁”が巡ってくるとは夢にも思っていませんでした。 転勤でやってきた広島県で、
 当初住んでいた東広島市を離れ、この駅のある三次市へと引っ越して来たからです。 現在住んでいる自宅からこの駅まで20数kmのため、
 今では時折ここに訪れ、「駅ノート」の管理人をしています。 ここを訪れた際には是非よろしくお願いします。