2000/3/28 作成

長谷駅

 

三江線“長谷駅” 普通列車でも半分以上が通過してしまうこの駅は、果たして利用価値があるのだろうか?

      

郷愁を誘う待合室が雰囲気を盛り上げる  扉の建て付けは渋く、開けるのにちょっとしたコツが要る   乗ってきた列車が去って行くと、静寂が訪れた

   訪問日記  2000年3月17日 訪問

  ここは、1日あたり5往復の列車が通るにもかかわらず、列車による到達が非常に困難な駅である。何故なら停車する列車が、下りは2本、上りは3本しかなく、残りの半数が
 通過してしまうからである。駅の開業は1969(昭和44)年4月25日。当時は仮乗降場だったが、1987(昭和62)年4月1日のJR発足時にようやく正式な駅となった。自然豊かな
 江の川沿いにあり、高台にあるホームからは、その緩やかな流れを見下ろせる。周囲に人家は数軒しかなく、地元住民が列車を利用する姿を見ることはない。忘れ去られた
 ような駅だが、私のような秘境駅訪問者にとっては、到達困難というハードルだけでも魅力的に映るのであった。

 今回の私の旅は、“中国・四国秘境駅訪問旅”として、昨夜の“品川発臨時大垣夜行”に乗車、そして東海道・山陽本線の新快速、快速サンライナーなどを乗り継いで福山まで
 やって来た。そこから“福塩線”を使い、中国山地の三次へと向かうという、マニアックな方法でのアプローチを試みた。福塩線も、府中から先は非電化区間のため、キハ120に
 乗り換える。国鉄時代のキハ40系とは異なり、随分と軽快な足取りで勾配を上って行く。だが、この形式はトイレが無い、ロングシートだから旅情が無い等、評判は芳しくない。
 けれども、私個人的には、秘境駅調査の際に前面展望が開けるため、降りるか否かの判断が付けやすいというメリットもある。

 
 こうして、福塩線の列車は塩町から芸備線に入り、中国山地の盆地に開けた三次へと到着。目的の“長谷駅”までは3駅で、距離にしておよそ8km。16:26発の三江線に乗り換
 えても往きの列車こそ停車するが、帰りは終日まで全列車が通過してしまう。プラン作成の段階から頭を悩ませ、いっそタクシーでも使おうかと考え、駅前の タクシーの運転手
 に聞いてみた。ところが、「そんな駅あったっけかぁ」って感じで全く話にならない。「粟屋駅の先ですが幾らくらいですか?」と問うと、「2000円ぐらいかなぁ」と言う。さらに粟屋よ
 りも2.5km近く先のため3000円は掛かると判断。結局、順当通り列車で向かうことにした。こうして、僅か15分程度でこの“長谷駅”へ到着。同乗していた小学生くらいの子供が
 一人降り、迎えに来た親の車であっけなく立ち去って行った。駅周囲に人家は見えないが、近くに江の川に流れ込む支流があり、数軒ほどあった。江の川の対岸には国道が通
 っているため、駅前の道路の通行量は少ない。私は意を決して三次方面へ隣の“粟屋駅”へ歩き出した。わずかに2.5kmのため距離的には問題ないが、普通に歩いていては
 時間が足りない。駅を降りて撮影を終わらせたが、時は既に17:00を過ぎていた。三次へ戻る列車はここを通過して、“粟屋駅”を発車する時間はなんと“17:26”。これを逃すと
 約2時間待ちとなり、後のプランに甚大な影響が出る。

 焦る、走る、ザックが重い、疲れる、歩く…。どうしようもない負のスパイラルに苛まれる。結局、歩くのと変わらないようなスピードでしか走れない。大河がゆったり流れるのどか
 な所で、いったい何をしているのか。ひとり泣けてきそうな不本意さを噛み締めていた。あと1.5Km程の地点まで来た時、後方から一台の普通トラックが通りかかった。パブロフ
 の犬のようにヒッチハイクを試みたところ、停まってくれた。先を急ぐ旨を話すと、気の良いおじさんは快く乗せて頂いた。短い時間だったが、“長谷駅”のことを聞くと、地元でも
 ほとんど利用者はいないとのこと。粟屋に到着しておじさんに礼を言って別れた。もの凄い確率でのヒッチハイクに成功したものである。恐らく叔父サンが通りかからなかったら
 間違いなく乗り遅れたことであろう。列車は17:26定時キッカリにやって来て乗車できた。ただ、こんな忙しいプランはもう懲り懲゛りである。

 ちなみに私と長谷駅にはその後、深い関係が出来た。運命とは悪戯なもので、私は会社の転勤で広島県(東広島市)へ越して来る。後に長谷駅のある三次市へ越して来たこ
 とで、ここが最寄の秘境駅になった。地元の人に助けられた想いもあり、個人的に「駅ノート」の管理をしている。ここに降り立ったら是非、旅の思い出を書き込んで頂きたい。