2001/10/1 作成

南斜里駅



釧網本線 “南斜里駅” 畑の中にポツンとある駅に停まる列車はとても少ない


       

かつての古い待合室はすっかり壊されてしまい、跡形も無くなっていた     コンクリ製のホームは、周囲を観察できるちょっとした展望台のようだ


   訪問日記   2001年8月12日 訪問  

  この駅の周囲には広大な畑が広がっているため、およそ秘境感に乏しい。それでも人家は遥かに遠く、普通列車でも通過があるため、列車を利用しての到達は難しいと
 いえよう。一方、クルマで訪問するには国道334号線から近いため比較的容易である。ちなみにここは、屋根やベンチといった接客設備が無く、ただコンクリート製のホーム
 だけが畑の中にポツンと有るといった具合である。

 今回、ここへたどり着くまでの話は、前日訪れた留萌本線の真布駅から出発する所から始めようと思う。板張りの短いホームと鄙びた待合室を持つ真布駅から普通列車で
 深川、特急「ライラック9号」で旭川、石北本線の特快「きたみ」で北見へと進んだ。上川までは開けた土地だが、先は石狩北見の分水嶺を越す山間に入る。そこで、今年6月
 30日に廃止された“天幕駅”を観察するが、駅舎はすっかり取り壊されて跡形も無くなっていた。しばらく運転席の脇で前方を注視していたが、運行表にも天幕駅の記載は
 無かった(信号場として残った中越や奥白滝は記載あり)。まったく減速せず通過し、次の中越へと差し掛かる。ここも天幕と同日に廃駅になったが、運良く?信号場になっ
 たため駅舎がある。けれども。縁がボロボロに崩れていたコンクリート製のホームはすっかり撤去されていた。さらに先の上越信号場では対向の特急「オホーツク6号」と
 交換するために停車。ここも遠い昔は駅だったが、過疎化で無住地となり信号場へと格下げされた経緯がある。やがて、長い石北トンネル(4329m)を抜け、奥白滝信号場
 を通過。ここもまた天幕・中越と同時に廃駅になったもので、出入り口や窓が板で打ち付けられているが、辛うじて駅舎だけは残された。

 こうして北見へ到着し、今日最後となる釧網本線直通の緑行き最終列車へと乗り込んだ。帰宅ラッシュで足の踏み場もないほどの超満員だが、何故かこの列車は単行で
 ある。あまりの混雑にせめてもう一両増結してはどうかと思う。やがて、多くの高校生は端野駅までに降りてしまい、車内も静寂を取り戻しながら網走へと到着。ここで15分
 の停車を利用し駅前のローソンで食料調達。空腹を満たすため車内で弁当を食し、後の食料は今日一日を締め括る酒のつまみだけになった。やがて停車して行くたびに
 車内は閑散として行き、結局終点の緑駅に私一人だけが降り立った。今晩はここで駅寝である。小奇麗な外観をした駅舎の前にはなんと水道があり、駅寝には絶好の環
 境だ。すぐ近くに日帰り温泉もあり、至ぜり尽せりといった感じだ。※但し温泉は21:00までの営業で入れなかった…

 暫く周囲の観察をしていたところ、一台の車がやって来た。降りてきたのはネットで知り合った北見在住のヤベッチさんだった。彼は以前、この南斜里駅と、2006年4月に
 廃止された“ちほく高原鉄道”の秘境駅情報を頂いた御本人である。小一時間ほどの時間であったが話題の一つ一つに花が咲き、色々情報交換したりしながら時が過ぎて
 行った。しかもビールとつまみまで届けて頂き、感謝の限りである。やがて、時が過ぎて彼と別れてしまい、独りになったこの待合室は、かなり寂しいものとなってしまった。
 しかし、この抜群の駅寝環境を誇るこの駅に一つだけ弱点があった。割と広めの待合室の寝床が、憎っくき4連プラベンチだったからだ。しかし、私は負けたりしない。ここは
 一発簡易ベッドの特別仕様として、2基のプラベンチを互いに向かい合わせ、更にサーマレスト製のエアマットを広げた。このマットの凹凸吸収性は抜群で、ゴロ石の河原で
 テントを張っても快適な寝床を提供してくれる、リーサルウエポン的熟睡マシンなのだ。こうして早朝のさわやかな目覚めを迎え、サンドイッチの朝食とモーニングコーヒー、
 駅前の水道で顔を洗って歯を磨いた。何だか人前な暮らしぶりじゃないか?〜と長旅を続けている私は当たり前の感覚さえも欠如していたのであった。
 
 駅の別れは、ここを始発とする上り普通列車になった。そして3駅目となるこの南斜里駅へと降り立った。突然、畑の中に放り出された感覚は実に異質だ。遠くを走る車の
 群れの先に小さく“ローソン”が見えるではないか! 秘境駅もコンビニ時代の到来か? 複雑な思いを胸を抱きつつ、今度は18分後にやって来る下り普通列車へと乗車し、
 釧路方面へと向かった。遠のいて行くコンクリートのホームは、何も語ってはくれない。しかし、通過ばかりの駅でも時刻表に載り、日々停車している。これらの駅を私は
 「秘境駅」と呼び、今後も熱きエールを送り続ける。