2013/10/13 作成

船佐駅



三江線 船佐駅 静かな午後のひととき、旅人にとって場違いな雰囲気は心苦しい

        

立派な瓦屋根の待合室 利用している人を見かけることは無い       錆びたフレームの駅名標が物悲しい


        

他愛のない湾曲したホームにさえ美意識を感じる            空襲被災の地を示す案内板がひっそりと立つ   


   訪問日記   2011年5月24日

  ここは三江線の“船佐”という小さな駅。山間を流れる江の川沿いの小さな平地に、1面1線のホームと、駅前広場の端に小さな瓦葺きの待合室がある。
 駅前広場は他に類を見ない特徴的なもので、中央に屋根の付いた自転車置き場があり、それを囲うようにバスの転回場になっている。自転車置き場とし
 ては危険な場所であるが、バスは1日あたり2本しかやってこないため、特に問題は起きないのであろう。国道は江の川の対岸を通り、こちら側は離合に
 も苦労しそうな狭い道路しか通じていない。そんな隘路を通ってくるバスもここが終点となる。周囲に人家は4軒ほどしか無く、列車とバスさえ来なければ、
 川のせせらぎと鳥の鳴き声しか聞こえて来ないのどかなところだ。けれども、外界から隔絶されたような雰囲気は、どこからか誰かに見られている予感が
 する。ゆえに人家の庭先にある駅というのは、プライベートな空間へ土足で踏み込むようで、興味本位で歩き周ることは憚れるものだ。

 少々遠慮がちにホームを三次方面へ歩いて行くと、線路の向こう側に“空襲被災の地”の立て看板を発見。ここは1945(昭和20)年5月5日の朝、アメリカ
 の爆撃機“B29”が飛来し、付近にあった発電所辺りに爆弾を投下したつもりが、不幸にも近くの民家に直撃して7名の死者が出たという。ここは中国地方
 の都市以外、山地で唯一の空襲被災地となった不運な場所であった。何の予備知識もなければただの田舎駅にしか見えないが、戦争の爪痕はこの山間
 に深く刻まれている。もはや戦後から68年(2013年現在)を経たが、近くに現場を知る人が生存していてもおかしくない。けれども、地元の人に対してネガ
 ティブな記憶を聞き出すことは、利害と使命感を背負うジャーナリストならいざ知れず、ふらりと訪れただけの旅人がすることではない。真実を掘り起こす
 ことは、平穏な生活を送る人の気持ちをかき乱す罪があるからだ。こちらの案内板を読み、想いを噛みしめるだけにしておきたい。