2013/07/17 作成

千金駅



三江線 千金駅 細く分かりにくい車道の先に、静かなホームが佇んでいた

       

                         江津方面に見える削られた山は、江の川の対岸にある採石場     車も人もほとんど通ることのない静かな山村       昼下がりのひと時、眠気に襲われる待合室


   訪問日記  2011年5月24日 訪問

  中国地方を代表する大河の江の川。河口の街、江津を起点とする三江線は、ほぼ全線を江の川に沿って走る風光明媚なローカル線だ。起点から2駅目に「千金(ちがね)」と
 いう縁起の良さそうな駅がある。ほかにも“金”が付く駅はいくらでもあるが、ここはいかにも賭博師が喜びそうな“一攫千金”をイメージさせる。だが、駅名とは裏腹に、
 わずか数軒の人家しかない静かなところ。川が大きく蛇行しているため、駅だけが半島の根元に取り残されたような立地にある。国道261号線は対岸で、線路側の県道112号線
 も離合が困難なほど狭い。さらに県道から駅までの道が、あらゆる地図を見ても記載されていない。駅の方角とおぼしき道にも標識はなく、普通車が通れる限界のような狭い
 道を恐る恐る進むと、突然、人家の軒先に駅が現れた。ツツジが植えられた美しいホームは息を飲むほどに美しく自動車の騒音も聞こえてこない。看板や広告があふれ、物欲
 にまみれた雑多な街並みとは一線を画す、まさに桃源郷のような世界が広がっていた。

 そんな千金駅は、1958(昭和33)年7月14日、隣接する江津本町駅とともに、三江北線(当時)の石見江津(現・江津)駅―川平駅間に開業した。1975(昭和50)年8月31日、
 浜原駅―口羽駅間の開通によって三江線が全通、駅も三江線の所属となった。当初からの無人駅で1面1線の単式ホームに、ブロック造りの待合室が建っている。待合室も同線
 に多い、公衆トイレと間違えそうな殺風景なものではなく、形こそ似ているがレンガで装飾されたお洒落なもの。だが、三江線は赤字路線として、全国各地で赤字ローカル線
 廃止の論議が高まると、いつも筆頭格として挙がる。廃止への理由付けに利用したいのか判らないが、2012(平成24)年10月1日から同年12月31日までの期間に「JR三江線増
 便社会実験」として、通常の列車運行に加えて代行バスが増便された。ところが、千金駅があまりに特異な立地であることから、全てのバス便が通過していたのである。

 駅名の由来は、ここが砂鉄の産地だったことから来ている。ちなみに江津側の正面に見える、台形状の削られた山は採石場であり、砂鉄との関係はないようだ。駅から歩いて
 数分のところに、1933(昭和8)年頃まで「人丸渡し」という渡し船が運行され、その渡し場があった。歴史は古く、万葉集に出てくる柿本人麻呂が京へ上る時、妻との別れ
 を惜しんで歌を詠んだといわれるところだ。人丸とは人麻呂の名を指し、渡し場は、対岸の松川町太田に江東(こうとう)駅、こちら側の金田町千金に江西(こうさい)駅と
 呼ばれていた。現代では川幅の大きい河口側に鉄道や道路の橋が通っているが、古代はここが交通の要衝であった。静かな山里と、ゆったりと流れる大河に、いにしえの情景
 に想いを馳せながら散策してみたい。