旅の〜と「ぶろぐ」ログ
へびん湯を探して(1990年代)その1
<旅の〜と(20世紀編)>
1990年代ある年の夏、当時はあまり知られていない別府市内の秘湯を探し回った事がある。
へびん湯という当時噂になったが場所が知られていない秘湯を探した事もあった。その時の話である。
−その1−
だいたいの道を雑誌などで情報を仕入れていた私は、JR別府駅で下車しアフリカンサファリ方面行きのバスに乗り明礬温泉のバス停で降り散策を開始した。
明礬温泉のバス停を少し下り山側の別れ道を探した。
最初に山側の別れ道が有ったのは小川沿い、登って行くと修験の滝とお寺が有り寺の中に温泉も有った。しかし、名称が違っていた。
元の道を戻りもう少し下ると、山側に分かれ道が。これ以上下ると紺屋地獄まで山側に別れ道は無い。分かれ道を登って行く。大分自動車道が真横に見え隠れする。あちこちで源泉が吹いているようだが、入れる温泉は見当たらない。更に登って行くとがけっぷちのがたがた道に出る。木も無いがけっぷちで暑い。さすがに、こんな所を登って行くとは思わず、道を戻り、この日は最初見つけた修験の滝のお寺の中に温泉に入り、この日は帰って出直す事にした。
家に戻り検討すると、やはりあのがけっぷちのがたがた道を登って行く道で正しい事が判る…その2につづく。
鉄道で行く沿線の温泉(ゆ) in 九州http://hp1.cyberstation.ne.jp/ge999/onsen
ホテル予約システム
http://hp1.cyberstation.ne.jp/ge999/hotel
時刻表
http://hp1.cyberstation.ne.jp/ge999
失恋のSLあそBOY999号(あとがき番外編)
<旅の〜と(20世紀編)>
長崎市内へは何度も足を運び、この前後に一人旅で無い長崎旅行もしています。
こんな辛い失恋話を書き込んだ理由は、皮肉な事に今となっては、この旅が一番充実した長崎旅行、表現不適切な言い方に変えれば一番楽しい長崎旅行だったからです。
失恋のSLあそBOY999号で綴られた人とは、前にも日帰り旅行?的なデートをしている。それは、1999年のちょうどスペースワールド駅が開業し北九州博のプレイベントが有った時に、スペースワールド駅から、北九州博プレイベント→黒崎→スペースワールド内→門司港→小倉とふたりでまわった。北九州博プレイベントで松本零士が来ていた時間、うっかりとスペースワールド内にいてしまった。
そのスペースワールド内にいる時、いとこの結婚式で出会った福岡県内の人からケイタイへ電話があった。同じみょう字だった為覚えていた為、いとこを通じて聞いて連絡してきた。この失恋のあとに、その結婚式で出会った人と天神でのデートとなった。結婚式で出会った人と天神とのデートは、当時県外在住の私は博多までの往復一人旅であった。実質的には私が振ったのであろうが、これが博多駅での2回目の涙となる。


失恋のSLあそBOY999号(3-最終編) 1999.7.30〜1999.7.31
(1-前編より参照願います)
<旅の〜と(20世紀編)>
〜熊本→宮地間乗車〜
それは、失恋直後の999号(SLあそBOY)の旅となった。
ふたりでの長崎一泊旅行の帰りに失恋し、辛いがそのまま博多からは泣きながら予定の999号(SLあそBOY999号)乗車の為、夜熊本へ向かった。夜九時に熊本到着。路面電車で繁華街へ移動しホテルに宿泊。
翌日1999.7.31、ホテルをチェックアウトし、まだ静かな繁華街を抜けて路面電車で熊本駅へ向かうのだが、泣き疲れて寝ぼけていたのか上熊本行きへ乗ってしまう。上熊本駅からはJRで熊本へ向かってじゅうぶん間に合った。
定刻に999号は、ゆっくりと熊本駅ホームを滑り出した。
SLあそBOY999号は、熊本〜宮地間に復活し走っていた86型蒸気機関車58654けん引のSLあそBOYを銀河鉄道999塗装をして一時期走らせたもの。それ以前に私は999のHP原画としてSLあそBOYを写したが。
SLあそBOY999号がスイッチバックに差し掛かった頃、私は最後尾の展望デッキにいた。たまたま乗り合わせた人たちと話が盛り上がり、失恋についてなぐさめられた。「失恋は恋愛の始まり、だから失恋おめでとう」と。
完
失恋のSLあそBOY999号 (2-後編) 1999.7.30
<旅の〜と(20世紀編)>
翌朝、長崎は前日の雨が嘘のようなすがすがしい天気で、部屋から見える土産店街の坂道は何とも言えないものであった。
「窓から坂道が見えて朝は気持ちいいね」と何度も言い合いながら、朝ホテルをチェックアウトし、2人でその坂道を登って大浦天主堂→グラバー園と散策。グラバー園では地ビールを飲むが口に合わなかった事を覚えている。
グラバー園の坂を下り展示館を通って電停まで下る。
次に路面電車で眼鏡橋と上浦天主堂、平和記念公園へ行ったのを覚えている。
繁華街へ行き、どこか行き足らないとお寺へ。
そして、路面電車で長崎駅へと向かう。
そして、帰りの特急かもめの中で彼女に彼氏がいる事を告げられたのである。
一日中食べて無い2人は、博多駅で降りて食事をした(私はカレーを食べた)が、涙で別れられない時間が過ぎて行く。
仕方なく、同じ時間発車の別々方向の列車で別れていく。別れのシーンは、まるで銀河鉄道999のメーテルと鉄郎の別れのシーン。しかも、このあと999号に乗るんです。
…その後は最終編へ

失恋のSLあそBOY999号 (1-前編) 1999.7.29
<旅の〜と(20世紀編)>
私は一人のひと(女性)と長崎旅行へ向かう。博多で待ち合わせるが、私は早朝から半日以上、福岡市内で待たされる事になる。天神へ行き、新天町の水出しコーヒーの店で時間をつぶす。当時福岡の街を良く知らなかった私は、それしか時間のつぶす方法が見つからなかった。
昼下がり、やっと博多駅で合流し特急かもめで長崎へ向かう。席が離れているのを替わってもらえて話もはずんで列車は走り続ける。左手に諫早干拓地が見えてきて横目で見ながら。そして長いトンネルを抜けると長崎市内に入った。トンネルは長崎市内の地下を通り、まるで地下鉄が地上に出てくるような光景である。この線は長崎本線の短絡線として開通した新線である。
長崎駅へ到着し、路面電車で宿泊のホテルへ向かう。。予約システムで安く取れたとはいえ、我々にはばちがいな豪華ホテルであった。
長崎は雨だった。夕暮れの雨の中、近くのオランダ坂や土産店を散歩してまわりホテルの豪華なレストランで食事を取る。食事を終わりロビーに出ると彼女に呼び出しの電話。ひとり残され帰ってしまうのか。「長崎に来ているから行けません」給与明細を取に来いという電話だったらしい。「ああ、良かった」。
ちょうどその時、ホテルのホールで有名なアーティストのコンサートがあっていて少しだけ覗かせてもらった。更に、出てくるところも見れた。
部屋は別々に取っていたが、「今夜はお部屋に行って遅くまで話そう」と言った。その通り夜遅くまで話は盛り上がったが、その通り話だけで終わった。
…後編につづく

高速バスとエルメスさん
<旅の〜と(21世紀編)>
2000年5月、ある人に会いに行く高速バスの中で隣に乗り合わせた女性(電車男のエルメスさんみたいな女性)とバスの中で話が盛り上がり、その女性が行くタケシの番組関係のイベントにかなり誘われたが断った事が頭に残っている。
大分市の牧から来たらしい。
もし、私だっていう方がおられましたら
http://hita.ultra-dream.net/~ge999/mail(携帯可)
まで是非御連絡願います。
雪の中の高速バス
<旅の〜と(21世紀編)>
天候が雪になって来た為、車を置いて目的地へ向かう事になる。
私は何を考えたのか鉄路とは逆方向の高速バスへ向かっていた。
「雪なのに高速バス?」と問われたが、「晴れてきたから大丈夫」と交わしてしまった。
高速バスが走りだした。途中から高速道路は雪道へと。
雪道の高速道路での事故が目に付いた。
バスは迂回し、目的地へついたのは夜遅くであった。
2002.1.1
姫路〜岐阜私鉄のみ(JRを除く)最長一筆書きの旅 その1
<旅の〜と(20世紀編)>
JRを使わず私鉄(地下鉄含む)で最長一筆書きの出来るこの一人旅の計画は、国鉄が民営化する少し前から考えていた。
ある年、大阪に有ったJTBのパソコン通信「J-NET」の仲間に、この計画を打ち分けると、その頃無かった山陽電鉄・神戸高速鉄道・阪神/阪急電鉄の姫路〜梅田(大阪)間を直通する電車の運行が計画されている事を知り更に何年か延期した。
ある年、山陽電鉄・神戸高速鉄道・阪急電鉄の姫路〜梅田(大阪)間を直通する電車が出来て間もなくしての年の頃の話である。
早朝、私は山陽電鉄姫路駅より梅田行き直通特急阪急電車車両で出発する。
実は梅田行き直通電車は、阪急電鉄乗り入れの阪急電車の特急と阪神電鉄乗り入れの阪神電車の特急が有った。阪急電鉄乗り入れの阪急電車車両を選んだのは、確か時間やボックスシートで車両が良かったからでは無いかと今思う。
出発前早めに乗り込んだが早朝過ぎるせいか、かなりすいていた。
海側の窓際に座った私は、電車が山陽電鉄姫路駅を出発するとすぐに風俗街の過激な看板が見えたのを印象的に記憶している。
電車が神戸高速鉄道に乗り入れた付近で、ちょうど平日の通勤時間になったせいか、込み合ってきたのを記憶している。
阪急梅田に着くと地下鉄御堂筋線に乗り換え、地下鉄難波で降りた。
地下鉄難波駅で降りた私は、地下続きだった近鉄難波駅へ急ぎ、近鉄特急の窓際の指定席を急いで取った。
東京コミケ&ドリームトレイン1999の旅2(1999/8/15)
<旅の〜と(20世紀編)>
東京コミケへ行った翌朝、ドリームトレイン1999を見るために品川へ向かう。
朝早過ぎた為、喫茶店が空くの待ち朝食を取る。入った喫茶店のウェイトレスのコスチュームが超ミニスカートだったのに当時は驚いた。
品川駅で整理券を受け取り、更に時間をつぶす。建設中の新幹線品川駅を見て回った。
時間になり品川駅のドリームトレイン1999のホームに入る。
機関車は梅小路機関区保存中のC62の2号機を持ってきていた。客車に使用していたのは残念ながら旧客ではなく茶色塗装の普通型の電車が使用されていた。順番を待ち、機関車前方からの写真を撮影。そのあと、展示を見て回った。どちらかというと「おじゃまどドレミ」に力を入れていた記憶がある。ドリームトレイン(銀河鉄道999)のTシャツを購入。ドリームトレイン1999のホームを去る。
その後は、京急品川駅から地下鉄で銀座の鉄道模型店→地下鉄博物館→祭り(よく忘れたけど)を見て、夕方羽田空港直行の地下鉄→京急で羽田空港へ向かい、羽田から飛行機で戻った。
(VirtualExpress999の999フォトギャラリーに他写真有り)
東京コミケ&ドリームトレイン1999の旅1(1999/8/14)
<旅の〜と(20世紀編)>
1999年の夏、色んな事があった私は、気晴らしに出かけようと友人と8月14日、飛行機で東京へ向かう。
飛行機に乗ろうと空港に着いたが、機の準備が送れ登場が遅れる。
更に、東京に台風接近となってしまい、更に出発,到着がかなり遅れる。その上、ゆりかもめの下車駅を一駅間違え終点で降りてしまい、小ぶりの雨の中を歩く。
東京ビッグサイトへ着いたのは既に夕方で閉館直前。しかし、まだまだ入館者が多く、あまりの混雑で2階のコスプレのコーナーへ行けず。ネットでの知人にも会えず。同人誌のフリーマーケットだけ見てビッグサイトを去った。
宿泊場所の人形町まで地下鉄で行く事にした。地下鉄の駅が、ゆりかもめのビッグサイト最寄の隣駅の終点のそばで「ゆりかもめ」に乗るのはもったいなかったが、かなりひどい豪雨になった為ゆりかもめに乗った。混雑とは逆方向だったのでゆっくり乗れた。ゆりかもめの終点から地下鉄駅までは少し離れていたため、豪雨に濡れた。せっかくなので、フジテレビそばの地下鉄の終点まで乗って折り返した。「こんなことならフジテレビで乗り換えればフジテレビも見れて良かったのに」と友人と話していた。地下鉄を乗り換えて宿泊場所の人形町に着く。
台風の豪雨により、楽しみにしていたその夜の東京湾大花火大会は、翌日に変更となり見れずじまい。
その夜、バケツをひっくり返したような雨が続いた。九州での台風と違い、雨だけがかなりひどい台風という印象であった。
(翌朝、ドリームトレイン1999を見るため品川へ向かう)
久大本線普通列車の旅、序編
<旅の〜と(21世紀編)>
久大本線には、大分から久留米まで全線直通の普通列車が走っている。
この列車に何度か乗った思い出である。
ただし、この夏の話では無いのですが。
…本編をお楽しみに
偶然全て同じバスの運転手に乗り合わせた
<旅の〜と(21世紀編)>
こんな事が有るんだ!
私は、臼杵へ大分市街地からバスで向かった。大分トキハ前から「大分=吉野経由=臼杵」のバスに乗り臼杵市役所で下車。そのバスの運転手とは、降りる時にちょっと話をしたので良く覚えていた。
その翌日、臼杵市内をバスで行く用事が有り、同じ路線の「大分=吉野経由=臼杵」を走るバスに公民館前から乗り温井入口で下車したのだが、偶然にも同じバスの運転手であった。その戻り、同じ路線の「大分=吉野経由=臼杵」の臼杵行き最終バスで手無し地蔵から公民館前まで乗ったのだが、またもや同じ運転手。更に、その翌日、辻(臼杵)から大分駅前まで同じ路線の「大分=吉野経由=臼杵」大分行きで戻ったが、今回もまた同じ運転手。
つまり臼杵への行き帰り及び臼杵市内で乗ったバスが、偶然全て同じバスの運転手に乗り合わせたというあまりにも偶然で驚きであった。
九州⇔北海道、鉄道の旅 その1
<旅の〜と(20世紀編)>
まだ、青函連絡船の頃の夏の旅である。
私は夜行列車の急行日南(ED76+普通座席車ブルトレ+寝台ブルトレ)の多分普通座席車に乗って出発した。


早朝、小倉から新幹線「ひかり」に乗り換え、お昼過ぎに東京に到着。
東京駅で食料を買い込み東北新幹線に乗る。
日が暮れた頃、九州では見かけない「男性の車内販売員」が水割りを売りに来た。ちょっとした車内バー感覚である。私は、それを横目で見ながら持参した丁度同じウィスキーを水筒の水で水割りで飲んでいるところだった。「こっち方がかなり安いぞ!」と満足げに思いながら。しかし、こちらには氷が無かった、残念!
盛岡に夜20時頃であったか到着し、在来特急に乗り換える。
まだ昼間の特急列車運用ではあるが、電車型寝台特急を昼間の特急で走らせている車両であった。
青森で青函連絡船に乗り換えたのは深夜。
この青函連絡船の中で、旅立ち後24時間が過ぎている。
喉が渇いた。しかし、自動販売機にはコカコーラやファンタしか無く、更に価格が高いのに量が小さい缶(350ml径で250ml)だった。
確か函館まで4〜5時間かかったであろうか。
早朝、函館にて室蘭経由札幌行き始発の特急北斗に乗り換えた。
夏なのに寒い。車内は暖房している。
(・・・・・・記憶不明・・・・・・旅行記録を探さねば・・・)
終着駅近くになると車掌がバスの乗換え有無を聞いてきた。
JRバスの手配台数を調べているとの事。
鹿児島交通南薩線の旅 〜制服姿の女子中学生に囲まれて〜
<旅の〜と(20世紀編)>
確かあれは、初一人旅であったと思う。
夜行の急行日南(ED76+普通座席車ブルトレ+寝台ブルトレ)で西鹿児島へと下った。当時宮崎から西鹿児島までは普通列車となり、通勤通学列車を兼ねていた。
西鹿児島まで何度も急行日南を利用していたので、西鹿児島まで寝台車両に乗って普通列車の寝台を楽しんだ記憶もあるが、この時ではないように思う。
確かこの旅は、平日の休みに普通座席車両に乗った。普通座席車両には都城付近から女子高生が乗って来た記憶がある。この列車は夜行で宮崎まで急行であった為、普通座席車のボックス型座席に二人分をせしめ横になっている光景がよくあった。そして、宮崎を過ぎ都城付近で女子高生が乗ってきて座りたがっていても、旅人は眠さに負け、そのまま横になっていた。勿論私も例外ではなかった。
西鹿児島に着くと私は、西鹿児島駅前の安いビジネスホテルでその夜の予約をし、その日は鹿児島市内の路面電車の当時の全線を乗りつぶした。
次の日は、鹿児島交通南薩線に乗るべく西鹿児島から伊集院まで普通列車に乗った。
伊集院から枕崎までの路線であったが、水害でところどころバス代行運転であった。
代行でない区間のことであるが、晴天に反射する青い襟に赤スカーフのセーラー服の制服姿の女子中学生が大勢乗ってきた。一両の列車は満員となる。鉄道写真を撮っているのに気づかれ「撮って撮って」と騒がれ、当時の私はとても恥ずかしく、女子中学生らがこちらから目をそらしている合間にシャッターを切った。あの写真はどうしたかな?
途中乗換駅に古い車庫があった。撮影し放題だったので撮って廻ったが、あの時の写真も同じく今どうしたことか。
終着駅の枕崎駅へは代替バスで到着。ここから西鹿児島駅まではJR指宿枕崎線となるが、鹿児島交通南薩線とのレールはつながっていた。