製造年月日:1965.11.02
生産地  :東京都西多摩郡
性能   :子供は産めません
配置履歴 
瑞穂町の小・中学校を卒業し電車運転士を目指し、岩倉高校 
に進学するが、国鉄の分割民営の準備期間の採用停止で、その夢
も無残に崩れ落ちた.
でも、国鉄末期に東京西局内の各駅で学生班として働けた事は
少しだけど、夢に手が届いたって感じで、一番の想い出です。

現在はミニラボ製造会社で品質保証をやりながらお鉄の活動をしています。
これからは、中国に行く事もありそうなので、大陸の鉄道も勉強しようと
思っています。
とは?
何年か前から中央線の特別快速電車が青梅に直通するようになったときに出来た電車です。
設定初期は国分寺を通過扱いにして、中央特快との差別化を図っていたが、誤乗車が多いことより国分寺を停車扱いとし、中央特快と停車パターンを共通にしました。青梅線内は各駅に停車していますが、特快の表示を出したまま活躍しています。電車運転士になる夢を持っていた私青梅特快は、とりあえずNET上でこの青梅特快を運転しようと、ハンドルネームを青梅特快としました。

私のハンドルネームはこのほか、風来坊・元福生の学生班などがあり、それぞれ使い分けしております。

青梅線 福生駅に進入する青梅特快青梅行き
お鉄発祥の地
この踏切が青梅特快のお鉄発祥地です。
毎日夕方になると父親が私と弟を自転車に乗せて、この踏切と
奥の国道16号の間にあった空地まで連れてきてくれて、D51の
三重連に手を振っていました。16号線の向うは米軍横田基地で
その頃はF4などが飛び交っていました。
小学生の頃は、この踏切から次の踏切までの間を壁伝いに歩いて
列車が来ると草むらに隠れるなんていう悪い遊びもしたな〜。
実際に何回か列車を止めてしまう、ワルガキだったのかも・・・

八高線 関根踏切(箱根ヶ崎〜東福生)