© 大野 冬基
短編小説集 
 原稿用紙5枚

泣き刀


 中から、しゃなりしゃなりと音が聞こえる。
「あらぁ刀が泣いているんですわ」 蔵の扉の前で下男が言った。
 屋敷は怪異が続いているという、刀はお取り潰しにあった藩のもので名の通った刀鍛冶の銘だともいう。
 下男の話しは続いた。「旦那様が見つけたときには、もう鞘(さや)も鍔(つば)も壊れていて別拵えにしたのだが」
 蔵の錠前に下男が手をかけた。
「それ以来、旦那様はすっかり刀の虜になってしまって、そのうちあの刀に斬られた者もでて日中夜に関わらず怪異が続き、それで皆逃げ出してしまい、ついにはこの有様さ。もう誰もいなくなっ……あっ、開いた、お侍さん」
 下男が振り返ると、侍は、「酒を貰えると聞いたが」 と言った。
「なんだ、あんたさんも、剣に覚えのある者もあの刀の前じゃ逃げ出すってもんよ。さぁ、飲んだら帰んな帰んなっ」
 下男は屋敷の方へ顎をくいっと向けた。萱葺き屋根が崩れかけているその下に樽酒があり、そばには欠けた茶碗が転がっていた。そこまで歩いていった侍が茶碗を手に取ろうとしたが、障子の向こうに誰かがいるようだ。
「怪異か、はたまた」
 侍はそう呟き、口元に笑みが浮かべて、酒を飲まずに蔵の前へと立った。
「私がよしと言ったら開けてくれ、覗いてはならぬぞ」
 と言って、侍は蔵へと入っていった。音を立てて扉は閉まると、もう一つ扉の向こうから音が聞こえた。錠前をかけた音だろう。
 蔵の中では灯り窓が薄暗い光を落としていた。もう、音はなく静けさばかり。さっきまで泣いていた刀の前に侍が腰を下ろした。
 刀は荒縄に締められていたが、一向に怪異は現れなかった。一ときほど過ぎたころか、「さて、どうしたものよ」 と、言って侍がおもむろに立ち上がった。
 その時、しゃなりと音が鳴った。
 硬く縛っている筈なのだろうが、荒縄は侍の目の前でするりと落ちた。鞘が引かれ、刀の刃がぬらりと一筋、光る。
 瞬間、侍の首に冷たいものが走ったが、侍が脇差しを抜く方がほんの少し早かった。
「その太刀筋は、お館様であられせられるな。お会いしとうございました、お探ししておりました」
 刀の動きが止まり、侍の足元に落ちた。
「永らくの流浪の中で、こちらの刀の噂を聞き、もしやと思い」
 侍は静かになった刀を荒縄のそばに恭しく置いて居ずまいを正し、刀の前に座り直した。
「敵は討ちましたぞ」
 日が蔵の中にも差し込んでくる。
「姿をみせてください。お館様。お声を聞かせてください」
 だが、刀はもうあの血に飢えた光りを持たなかった。
 蔵の外から、音がする。
「錠前を開けたのか。まだよしとは言ってなかったが」 と、侍はつぶやく。
 刀を鞘に収め、侍が外へ出ると下男は居らず、ほつれた裃を着た男が屋敷の軒先下で腰をかけていた。男は侍の様子をみてか、驚いたように立ちあがった。
「貴方がその刀を持っているということは……佐吉も一緒に逝ったのか」
「もしや、あの者」
「最初に斬られたのが佐吉だった」 と、男が話しだした。
 日中夜、死んだはずの下男が現れる。佐吉は百姓の出だが剣に長けたものであった。その刀に魅せられたのは私よりも佐吉だった。昼間も怪異が現れる家だ、他の者は気味悪がりいなくなった。しかし、怪異の刀に斬られたのがくやしいのか、はずかしいのか、それとも私に会わせる顔がないのか、最後まで私には佐吉は姿をみせなかった。
「障子の向こうの声までだ。もう一度、佐吉と手合わせしたかった」
 剣の長けた下男を懐かしむように男は言った。
「刀の持ち主の菩提寺が二山越えた先にある」 侍は寺の名を言い、「そこへ預けてくれぬか」 と男に伝えた。
「貴方が預けなさったほうがいい」
「私は国追われたゆえ、帰るわけにはいきませぬ。ただ、殿と少しであったがお手合わせできた。それだけで満足だ。もう思い残すことはない」
 男は侍から刀を渡されたが、数十年以上前の言われがあることを思い出し、顔を上げると、もうそこには侍の姿はなく、夕の色にただひぐらしの声ばかりだった。
 のちに、刀は菩提寺に納められ、あれ以来怪異の話しは聞かなくなったという。

(了)

(2009/5)

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