© 大野 冬基
短編小説集  原稿用紙10枚

そして、「街は、眠りについた」


 いつも、その街は喧騒の中にあった。
  それは、いつもと変らずの光景だった。星の見えない都会という、その街の彩りは光輝き、まわりに少しばかりの光と、その外には暗い闇がずっと広がっていた。
 サトルとユウは、いつものように仕事が終ったあとの帰り道を歩いていた。会社の同僚で、大学も一緒のくされ縁。同棲中のふたりのいつもの帰り道のはずだったが、今日は何故か勝手が違っていた。
 ふたりは、不思議な男女を見かける。麻だろうか?マントというのか、全身をその生成り色の布で覆っている。髪はふたりとも長く、日本人とも外国人ともつかない顔をしていた。その顔の半面には、藍色の刺青がしてあった。だが、それよりも、サトルが不思議に思ったのは彼らが歩く足元に“砂ぼこり”が舞うことだった。
 すべてアスファルトやコンクリートに覆い尽くされたこの街では、砂が舞うはずがない。
 不思議に思い、サトルとユウは男女のあとを、そっとついていった。
 いつもは、通らない道。こんな道が、この街にあったのか?道の先の、見知らぬ公園で子供が一人で泣いている。男女がその子供のそばで、子供を見つめながらしゃがんだ。小学2.3年生ぐらいだろうか?少し離れているので彼らの声は聞き取りづらいが、その子供は母親をさがしているようだった。
 男女は空を見上げた。そして指を指す。子供も空を仰ぎみる。
 サトルとユウも空をみていた。耳には男女の、彼らの歌声が聞える。
 それは、静かなメロディ、優しく心に響いてきた。
 見上げた夜空には星ひとつもない。深いどんよりとした闇が街を覆っている。彼らの歌声が途切れた。
 次にサトルが男女を見ると、そこには今までいたはずの子供がいなかった。サトルは驚きのあまり声をあげた。空をまだ見上げていたユウがサトルを見る。男女も気付いてサトルとユウを見た。
「ユウ!逃げるぞ」
「なんで」
「いいから」 と。サトルはユウをつれて走った。少し走った角をぬけると、ふたりはいつもの帰り道に戻っていた。
「いつものとおりに帰ればよかったんだ」
 サトルは今、見た光景を思い出すと、余計に動悸がはげしくなった。「だけど」と、ユウは言った。 「いつも、くりかえされる。同じくりかえし……」 「いや、いつもでいいんだよ。ユウ」 と、サトルが言ったときに誰かがサトルの手をつかんだ。サトルは驚いたが、その手は暖かく、なぜかサトルをほっとさせた。
 ユウにふれてもいつも肌の冷たさを感じていた。何度サトルがユウを抱いても埋まらない。冷たさ。
 その手はさっきの男女の女のほうの手だった。女はサトルをじっと見つめている。女の瞳には愁いと悲しみが浮かんでいた。サトルたちは、男女に声をかけたが、彼らは、言葉が分からないようだった。どうにか、サトルとユウは、自分たちのアパートに男女を連れていった。
 ふたりのアパートの部屋は、一階の奥の角にあった。
 部屋に入っても、男女の足元には“砂ぼこり”が舞う。さっきまで歩いてきた道でもずっと、それは舞っていた。何故かアスファルトの平坦な道のはずなのに、男女は歩きにくそうだった。
 ただ、“砂ぼこり”が、舞うのは見えるのだが、一瞬でかき消されてしまう。
 アパートに帰って、ユウはお茶を入れるが、男女は口をつけることはしなかった。サトルはいろいろ聞きたいことがあったが、彼らの話す言葉が分からなかった。ただ、所々に日本語らしき言い回しもあった。
「マチ、ネムル」
 それがどう言う意味かは分からなかった。この街はねむらない。都会は眠ることのない街だ。
 ユウは思い立ったかのように言った。
「サトル、シイナくんだったら何か分かるんじゃない? 彼、私たちと違って頭の出来いいし、ほら、街の真ん中の、なんだかってビルで個展開いているっていってたでしょ」
「いってみようよ。サトル」
「ねぇ」
 サトルはあまり乗り気でなかったが、男女はなぜかそわそわしているし、ユウもはりきっていたので、しかたなく、街の中心部に向かうことにした。
「いつものとおりに帰ればよかった」 と、サトルはそっとつぶやいた。
――シイナ ヤスヒコ。
 彼は、エッシャーの影響を色濃く受けていた。日本のエッシャーと呼ぶ人もいる。
 エッシャーの騙し絵を見たことがある人も多くいるだろう。彼の有名な絵に、白黒で画面いっぱい鳥たちが、羽根を広げて空を飛び交うものがある。それは、左右から連隊の鳥たちが交差し、
鳥なのか夜なのか?昼なのか鳥なのか?分からなくなる。夜と昼の風景を鳥たちが飛び交う、
自分の見ているものは、本当の世界なんだろうか?
 見ていたものが反転する世界。
 シイナはその反転する世界を、物体化しようとしていた。
 反転した世界の先には何が広がっているのだろう?個展が開かれているビルは、街の中心部にあった。
 サトルとユウが住んでいるアパートの周辺は闇が近かったのだが、街の中心部に近付くたびに、光が洪水のようにあふれていた。
 近くで、サイレンの音が聞える。事故がそばであったようだ。都会では日常茶飯事のことだ。
 サトルとユウ、男女は街の中心部に向っていた。やはり、今も男女の足元では“砂ぼこり”が舞っている。こんな中心部に来たというのに、とサトルは思っていた。
 気がつくと男のほうが見知らぬ女性の手をとっている。その女性は泣いていた。そして子供が消えた時と同じ歌声が街をつつんでいった。さっきよりも、彼らの歌声は大きくなっている。それは優しく、そして物悲しく。サトルは目を閉じた。歌を聴くために。
 目を開けたときに、街の喧騒の音が少し小さくなったようにサトルには感じた。サトルが気付いた時には、男の前には女性の姿はなかった。
 ユウがサトルにこう言った。
「毎日、同じことのくりかえし。行こう、サトル」
 ビルは、本当に、この街の中心にあった。空の闇が街を支配している。星すらこの見えない街。少し歩くとシイナの個展が開かれているビルに着く。

――神話の世界〜未来の救世主に捧ぐ 椎名 泰彦。
 パンプレットには、そう書いてあった。シイナの個展会場はビルの一階、天井の高い吹き抜けとロビーをすべて使っている。ユウがシイナに声をかけた。ふたりはシイナとは大学時代からの友人だった。
「シイナくん、おひさしぶり」
「めずらしいな。サトルにユウじゃないか」
 シイナはふたりの後ろにいる男女を見て驚いた。そしてこう言った。
「君たちは僕らを救いにきたんだね。くりかえす時間の中にいるこの街を」
 サトルは何のことだか分からなかったが、ユウはシイナの言葉にこくりとうなづいた。
「ユウ、君は気付いていたんだね」 とシイナが言う。
「毎日、同じことがくりかえされる。そして、この街には朝がくることはないってことを」
 ユウは、またうなづいた。だが、サトルには何が何だか分からなかった。サトルが周りを見ると、ロビーの真ん中には銀色の長い塔が立っていた。その塔の下のロビーの床、全体に、渦巻くような絵らしきものが描かれている。それが、何か分からなかったが、長い塔の銀色の鏡面に映ると、そこには、男女と同じ姿の絵が浮かびあがっていた。
 それは、まるで合わせ鏡のようだった。
 エッシャーの騙し絵を見たことがある人も多くいるだろう。彼の有名な絵に、白黒で画面いっぱい鳥たちが、羽根を広げて空を飛び交うものがある。それは、左右から連隊の鳥たちが交差し、鳥なのか夜なのか?昼なのか鳥なのか?分からなくなる。夜と昼の風景を鳥たちが飛び交う、
自分の見ているものは、本当の世界なんだろうか?
 見ていたものが反転する世界。
「これは救世主って題名なんだよ。サトル」 と、シイナが言う。
「僕は、ずっと待っていた」
 まだ、サトルには何のことだか分からなかった。その時、窓の外から眩しく強い光が差し込んくる。サトルが目を凝らすと大きな光の玉がビルを包み込みはじめていた。
 サトルは思い出した。このとても熱い大きな光が街をすべて飲み尽くしたことを、そして、毎日毎日この街は同じ夜をくりかえしていた。
 歌が聞える。
 サトルの耳に男女の歌が聞えてきた。
 男は低く長く歌う。その声は穏やかであった。
 女はさえずるように歌う。それはまるで、サトルの耳元で聞えた。
 子供が消えた時よりも、見知らぬ女性の姿が見えなくなったときよりも声は街全体に大きく響いていった。男女の歌は合わさって、そして、その歌は悲しみを湛えていた。
 レクイエム。そう、これは鎮魂歌なのだ。僕らへのそしてこの街へのレクイエム。
 熱い光は消え、街はおだやかな朝の光に包まれていった。

 朝の中に、浮かびあがったのは、廃墟とかした砂漠の街だった。男女以外には、その場所には人影はなかった。だが、遠くで彼らを呼ぶ声が、かすかだが風に乗って聞えてくる。
 男は歌いながらその廃墟の一つに、彼のそばにあった石で、彼らの言葉を刻みつけた。意味はこう書いてあった。
「マチ、ネムル、ココ、ニ、」
 女も、まだ歌っている。彼らの歌うレクイエムが廃墟の街に響いていった。
 そして、街は、眠りについた。

(おわり)

(2003/10/28改訂)

あとがき

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