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| 平成12年5月4日、お天気も良好。連休を利用して奈良にやってきた私は、この日、自転車に乗って、飛鳥へ出かけました。 その折りに訪ねた史跡をいくつか紹介いたします。 |
| 飛鳥寺の少し南に、飛鳥寺瓦窯がありました。この付近に、日本最古の貨幣とみられる富本銭が発見された飛鳥池遺跡があるはずなのですが、どこがそれなのか、見定めることができませんでした。 |
| さらに少し南、酒船石遺跡がありますが、今年2月に発見された亀形石造物が一般公開されていました。まだ発掘調査中ですが、5月3〜7日の間、特別公開しているようです。 |
謎の石造物・酒船石がある丘陵を酒船石遺跡と呼んでいます。 酒船石遺跡では、平成4年に石垣などの大規模な土木事業の跡が検出されました。その遺構は『日本書紀』斉明二年(西暦656年)の条に記されている「宮の東の山に石を累ねて垣とす」にあたると想定されているそうです。 斉明女帝の時代は、多くの大土木工事が行われ、徒に労力が費やされたため、当時の人々が非難したということも、『日本書紀』に記されています。 今回発見された亀形の石造物は、導水施設と見られています。亀形石の隣には小判形をした石槽があります。この石槽は北側に突起があり、この突起部分には直径4センチメートルの穴が開いており、水はここを通って亀の鼻に流れるように工夫され、水はろ過されて上澄みが流れるようになっているそうです。 参考文献:『季刊 明日香風 第74号』(飛鳥保存財団発行) |
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| すぐ近くにある明日香民俗資料館に休憩がてら立ち寄りました。 そこで、受付の人に、「飛鳥池遺跡はどこですか?」と尋ねました。 「ああ、それね、この建物の裏なんですよ。あ、でも今は塀で囲ってあったかな? ともかく方角はこっちの方。鉄柱が立ってる所」 とおしえてくれました。 資料館の外に出て裏の方を見ましたが、なるほど、やっぱり塀で囲ってあって全然見えません。でもとにかくこの辺りなんだな、と見当がついただけでも良しとして、次は、酒船石を見に行くことにしました。 |
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酒船石も飛鳥に数ある石造物のひとつです。お酒を作る石だとか、秘薬を作ったとか、天文観測をしていたか、いろいろ利用方法については諸説あります。 今年の2月に、酒船石の北側にある谷部分で、石敷や石垣、亀形や小判形の石造物を用いた導水施設が見つかったわけですが、これらの遺構は、導水の構造や酒船石の性格を知る上で重要な手がかりとなるということです。 参考文献:『季刊 明日香風 第74号』(飛鳥保存財団発行) |
| 酒船石のある丘陵の、入り口階段の反対側にも道がありました。そこを下りていくと、先ほど飛鳥池遺跡と見当をつけた場所に出ました。ベニヤ板の塀で囲ってあって「発掘調査作業中につき立入禁止」と貼り紙がしてありました。 ぐるりと回って飛鳥寺瓦窯に出ました。ちょっと逆戻りしてしまったわけです。 |
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| 再び南へ、石舞台古墳へ向かいます。 しかしまあ、なんと、この道は混雑していること! 特に自転車がひしめきあって通れたものではありません。(自分もひしめきあっている自転車乗りの一人ですから文句は言えませんが。)自転車から下りて歩いた方が早いし安全です。去年も来ましたが、これほど混んでいませんでした。 やっぱり、今、飛鳥ブームなのでしょうね。 |
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| 石舞台古墳は、飛鳥寺や酒船石遺跡以上のものすごい人出です。巨大な石の周りに人だかり、さらに石室内への入り口までに長蛇の列、「中に入れるまで20分くらいかかるって」という、どこぞのガイドさんの声を小耳にはさみ、私はもう、中に入るのは断念して、外側だけ見て去りました。 石舞台古墳は、上部の封土が失われ、玄室の巨石が露出した墓陵とみられています。この地「島の庄」には蘇我馬子の邸宅があったことから、馬子の墓とする説があります。 |
by 飛鳥みわ
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